2015年11月08日

大船渡再訪・安達太良神社@福島県

10月31日の早朝、もちつき隊メンバー5人が一台の乗用車に乗って、
一路岩手を目指します。
北陸自動車道で新潟まで、そこから常磐自動車道で郡山へ。

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東北道に入り福島県の本宮インターで降りました。
というのは東京から参加するメンバーと本宮駅で待ち合わせしているからです。
予定より1時間半ほど早く着いたので、本宮駅近くで行くところがないかと探すと、
この本宮という地名の由来となったという安達太良神社があることを知りました。

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インターから国道4号線を北上すると、
右手に安達太良山のなだらかな山の陰影が見えました。
穏やかで本当にいいところだなぁと思っていました。

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ナビに沿って神社前に着きました。
参道の左手に何台かの軽トラや作業車が停まっていました。
近くの住宅の庭で作業する人たちを見て、
造園やさんか何かと思っていたら、
そうではなくて除染作業をしているところでした。

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本宮は福島第一原発からかなり離れていると思っていた私たちは、
その現実に少なからずショックでした・・・

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安達太良神社は長い石段を登っていくのですが、
その両脇には杉やケヤキの巨木が立っています。
この石段をあがっていくと神門の向こう側に
安達太良神社の本殿が見えます。
光が向こうから差して、そこの焚き火かなにかの煙がたなびいて、
幻想的な世界です。
境内にあるたくさんのケヤキの大木から、
葉っぱが次から次へと落ちてきます。
それをお世話されている方が、竹箒で集めていました。

安達太良山といい、この神社といい本当にのどかで美しいところです。
この近くで除染をしなければならないことが嘘のような光景でした。

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本宮駅へ今回のメンバーの紅一点のなっちゃんを迎えに行きます。
車の中は今までオッサンばっかりだったのですが、
なっちゃんの登場で、ようやく明るくなって、目指すは一関市です。

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安達太良神社(あだたらじんじゃ)
福島県本宮市本宮字舘越232
安達太良神社は福島県本宮市にある神社である。
式内小社飯豊和氣神社の論社である。旧社格は県社。
創建は平安時代の1146年(久安2年)と伝えられ、
安達太良山の神々と大名倉山の神々を勧請し里宮とした事が始まりとされ、
氏子達からは「明神様」と呼ばれている。
また、近隣地域に点在する安達太良神社の総本宮であることから、
鎮座地の名前が「本目村」から「本宮村」となったとされ
「本宮」という地名の由来になったとされる。








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2015年11月07日

大船渡再訪プロローグ

4年半ぶりに岩手県大船渡市へ行ってきました。
東日本大震災があった2011年の5月に、
仲間10人と『さばえもちつき隊』というグループを結成し、
避難所となっていた大船渡公民館で、
もちつきのボランティアをさせていただきました。
2011年の5月終わりから6月にかけてブログに書いています。


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グループとして活動したのはその一回限りだったのですが、
その後もたつやが関わっている「マルシェワンダーランド in FUKUI」
というイベントでのチャリティ販売や、
他のイベントでもちつきをしていただいた謝礼金などをプールしてきました。
4年半の間に、ある程度のチャリティが集まったので、
前回ご縁のあった大船渡市に何か協力したいと思っていました。

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そんな折、久しぶりに集まったもちつき隊の同窓会で、
大船渡市で復興支援をしているNPO団体があることを知りました。
フェイスブックで調べてみると、震災以前から地域のために活動していたようですが、
震災後は復興支援一本で活動している団体でした。
メンバーはそれなりのお年を召している方が多いようで、
大体が70代といった感じでしたが、活動は多岐に渡り、
精力的に動き回っているようでした。

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さばえもちつき隊で何か支援できる方法は?
と考えていたもちつき隊メンバーの話の中で、
やっぱり現地のことがわかっている現地の団体さんと
一緒に何かができることが一番いいのではないかという意見が出て、
誰もが賛同しました。

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すぐにNPO法人『夢ネット大船渡』の理事長の岩城恭治さんに連絡を取り、
もちつき隊の想いを伝えました。
私たちの活動に感謝すると言うメッセージと、
是非一緒にやりましょう!
という力強いお返事をいただきました。

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10月31日の早朝、もちつき隊メンバー5人が一台の乗用車に乗って、
一路岩手を目指します。続く







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2015年10月05日

たつやのトウキョウ見聞録・岡本太郎とピカソ

たつやさん、また東京行ってるの?
と聞かれることが時々ありますが、
8月と9月に行った東京でのことを何日にも分けてブログに書いています。
なので、ちゃんと福井にいますよ^^

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花のお江戸は面白い!
まず車に乗って出歩くことがないので、必然的に電車と徒歩というのが日常だ。
それに少し地理的に慣れてくると、違う路線をいくつも乗り継いで、
気が付くと、すぐに何百円とかかってしまう交通費を節約するために、
グーグルマップなどを使って、歩くことが増える。
JRだけを使うとか、東京メトロだけを使う・・・といったルールを作れば、
交通費はかなり節約できることがわかった。

自転車とか原付があれば、都内ならかなり行動範囲が増えるので、
もし次に行く機会があれば、レンタルも考えてみたいと思っている。

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さて歩くことで、面白い景色や店に出会える確率は飛躍的に高くなる。
まちぶらの楽しさは、田舎の町とはまったく違うが、
知らない町を歩くという点では、どちらも魅力的だ。

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田舎者のたつやにすれば、井の頭線の渋谷駅に行って、
岡本太郎の巨大壁画『明日の神話』を初めて見た。
これがメキシコで何十年も行方がわかっていなかったということや
岡本太郎の最高傑作で、原爆をイメージして作られたというエピソードを
10年ほど前に興味深く新聞記事を良く覚えていた。

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立ち止まって、壁画をじっくり見ようと思ったが、
誰一人として立ち止まる人はいない。
常に人の波が押し寄せてきて、
全体を見渡せる場所に立つことさえ許されないような状況だった。
壁画が設置されてから、もう7年も経っているし、
この駅を利用する人にとっては、
毎日見る風景の一部となっているのだろうか。

それでもなお、この壁画からは圧倒的エネルギーが放たれていた。

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公式HPより
「壁画について」岡本敏子

『明日の神話』は原爆の炸裂する瞬間を描いた、
岡本太郎の最大、最高の傑作である。
猛烈な破壊力を持つ凶悪なきのこ雲はむくむくと増殖し、
その下で骸骨が燃えあがっている。悲惨な残酷な瞬間。
逃げまどう無辜の生きものたち。
虫も魚も動物も、わらわらと画面の外に逃げ出そうと、
健気に力をふりしぼっている。
第五福竜丸は何も知らずに、死の灰を浴びながら鮪を引っ張っている。
中心に燃えあがる骸骨の背後にも、シルエットになって、
亡者の行列が小さな炎を噴きあげながら無限に続いてゆく。
その上に更に襲いかかる凶々しい黒い雲。
悲劇の世界だ。
だがこれはいわゆる原爆図のように、ただ惨めな、
酷い、被害者の絵ではない。
燃えあがる骸骨の、何という美しさ、高貴さ。
巨大画面を圧してひろがる炎の舞の、優美とさえ言いたくなる鮮烈な赤。
にょきにょき増殖してゆくきのこ雲も、
末端の方は生まれたばかりの赤ちゃんだから、無邪気な顔で、
びっくりしたように下界を見つめている。
外に向かって激しく放射する構図。強烈な原色。
画面全体が哄笑している。悲劇に負けていない。
あの凶々しい破壊の力が炸裂した瞬間に、
それと拮抗する激しさ、力強さで人間の誇り、純粋な憤りが燃えあがる。
タイトル『明日の神話』は象徴的だ。
その瞬間は、死と、破壊と、不毛だけをまき散らしたのではない。
残酷な悲劇を内包しながら、その瞬間、
誇らかに『明日の神話』が生まれるのだ。
岡本太郎はそう信じた。この絵は彼の痛切なメッセージだ。
絵でなければ表現できない、伝えられない、純一・透明な叫びだ。
この純粋さ。リリカルと言いたいほど切々と激しい。
二十一世紀は行方の見えない不安定な時代だ。
テロ、報復、果てしない殺戮、核拡散、ウィルスは不気味にひろがり、
地球は回復不能な破滅の道につき進んでいるように見える。
こういう時代に、この絵が発するメッセージは強く、鋭い。
負けないぞ。絵全体が高らかに哄笑し、誇り高く炸裂している。


http://www.1101.com/asunoshinwa/asunoshinwa.html

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渋谷から表参道へ歩いていると、岡本太郎のこどもの樹という
モニュメントを見つけた。
大きな木から、枝分かれした先がこどもの顔となっている。
表情も色も様々で、世界各国のこどものように思えた。
『明日の神話』とかのイメージと違って、
とても穏やかで楽しい作品だった。
大きな木のエネルギーと、
こどもたちの無限のエネルギーや可能性を
ひとつの作品にしたのだと思う。

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子どもたちに表情豊かに語りかける樹
子どもの造形活動に深い関心を寄せ、
様々な活動をした岡本太郎が「こどもの城」のシンボルとして制作した作品です。
作品から飛びだすいくつもの顔は、それぞれが表情豊かに語りかけてきます。
「人間はその数だけ、それぞれ、その姿のまま、誇らしくなければならない。」
と太郎がいうように、子どもたち一人一人が個性を発揮し、
のびのびと自由に生きる姿を表現したのでしょう。

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東京駅近くの丸の内OAZOの一階にあったピカソのゲルニカの複製画。

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岡本太郎とピカソ、とちらも偶然に見たのですが、
世界の巨匠が二人ともが『反戦』をテーマに
凄い作品を残しているという強烈な印象がたつやの中に残りました。




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2015年10月04日

たつやのトウキョウ見聞録・朝倉彫塑館

西日暮里から坂を上がって、谷中方面を散策していると、
左手に大きな黒い建物が見えた。
屋上には、ブロンズの彫刻が設置され、
たつやを見下ろしていた。

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建物の門には、『朝倉彫塑館』と書かれていた。
どうやらここは有名な彫刻家のアトリエ兼住宅らしい。
お恥ずかしい話だが、その彫刻家、朝倉文夫のことは知らなかった。
看板の説明書きを読んでみると、
明治から昭和にかけて活躍した彫刻・彫塑家であった。
この建物は昭和3年に着工し、完成したのは昭和10年。

ということは完成まで7年を費やした?

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朝倉彫塑館は美術館になっているので、
一般入館料500円を払って、中に入った。
昭和初期の建物の風情がそっくりそのまま残っている。
鉄筋コンクリート作りのアトリエの一階には、
朝倉文夫の作品が並べられている。

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たつやは今までにじっくり彫刻を見ることはあまりなかったが、
これらの作品には本当に心魅かれた。
今にも動き出すかのような躍動感。
若い男の人や女性の裸像は、
ヒトとしてのカタチの美しさを伝えてくれる。
若い頃には感じなかった若いということへの眩しさを感じた。

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鉄筋コンクリートの建物の内装は、すべて洋式である。
本が2階吹き抜けの高さまで、4つの壁に沿って、
並べられている部屋がある。
いったいどれだけの読書家だったのだろう・・・。
と同時に、
上の方の蔵書を取り出すにはどうやったのだろう?
という素朴な疑問も湧いてきた。

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続いて、数寄屋造りの自宅を見学したのだが、
もうここはとっても文字で表現が出来ない。
最初に完成まで7年?と思ったことが、この造りを見て納得した。
贅を尽くした・・・という言葉があるが、
この建物以上の建造物を見たことがなかった。
いろいろと説明したいが、
建物の内部や作品の写真撮影は禁止されていることもあって、
とてもブログで伝えることは不可能だ。

もし東京に行く機会があれば、是非訪れてみて欲しい。
特に建築関係やデザイン関係、美術関係の人には見て欲しいと思う。

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朝倉彫塑館は朝倉文夫のアトリエと住宅から成り立っているが、
朝倉自らが設計し、細部に至るまで様々な工夫を凝らしている。
設計士=施主=スポンサーだからこそ成し得た建物なのだと感じた。

朝倉はここを「朝倉彫塑塾」と命名し、芸術家の育成に力を注いだそうだ。
このアトリエには何人もの弟子が住み込みで勉強していたらしい。
こんな環境の中で素晴らしい先生に教えてもらえたお弟子さんは、
幸せだったろうなぁ。。。

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また屋上は庭園になっている。
今では屋上の緑化とか菜園といったことも珍しくなくなったが、
朝倉は昭和初期から、家族や弟子たちの食べる野菜を作っていたらしい。
大きなオリーブの木が印象的だった。
さっき下から眺めたブロンズの像は、この位置から下を眺めていた。
この数寄屋作りの自宅を観終わって、
いったいどれくらいのお金がかかったのだろう?
その収入源はどこだったのだろう?
といういささか邪推な疑問を持った。

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朝倉文夫という人は、人物彫刻を500とも600とも制作しているという。
その大部分がオーダーメイドというカタチで作っている。
当時、そういう依頼をすることが出来たのは、
実業家やハイクラスの暮らしをしていた人たちなのだろう。

例えば、一体500万円として、500体で25億・・・
だとすればこのアトリエと住宅で10億くらいかかっても大丈夫か・・・

最後はお金の話になってしまいましたが、
本当に素晴らしい建築物で感激しました。
朝倉彫塑館、
東京タワーもスカイツリーもいいけど、
お江戸に行かれたら、行ってみてください!

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朝倉 文夫(あさくら ふみお)
1883年(明治16年)3月1日 - 1964年(昭和39年)4月18日
は明治から昭和の彫刻家(彫塑家)である。
号は紅塐(こうそ)。
「東洋のロダン」と呼ばれた。
舞台美術家・画家の朝倉摂(摂子)は長女、彫刻家の朝倉響子は次女。

朝倉彫塑館
東京都台東区谷中7-18-10
03-3821-4549
http://www.taitocity.net/taito/asakura/







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ラベル:東京 ギャラリー
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2015年10月01日

たつやのトウキョウ見聞録@谷中辺り

花のトウキョウは若い頃の感性と今の年齢になっての感性では、
楽しみ方も、興味をそそられる方向性も、まったく違うと思う。
若干20歳そこそこで、東京生活を数年経験したところで、
生きてる時間が短い分、
楽しみ方を知らなかったという方が正解かもしれない。

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最近になって、東京へ行く機会が何度かあって、
その度に、ちょっと知らないトウキョウを歩いてみようと、
思うようになった。
昔はなかったスマホの乗り換えナビを使って、
電車に乗って、感性の赴くままにまち歩きをしている。

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少し前にトウキョウに行った際には、
昭和を楽しみたいと思って、西日暮里から日暮里、谷中辺りを目指した。
西日暮里の駅を降りると山手線の外側が小高い丘になっている。
その坂を上ってみる。
思ったより高いところに出た。
ほどなく公園がある。
その隣の第一日暮里小学校の入口に、
高村光太郎直筆の書『親切正直』を象った石碑があった。

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やがて、その辺りは神社がお寺が密集するエリアとなる。
最初に訪れたのは、諏方神社。
東京という町は、思ったより緑の多い町だが、
この神社は、高台の一等地にあって、自然がたっぷり残っていて、
とてもいい波動を感じた。、
なので由緒のあるお社ではないかと思った。

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福井に帰って来てから調べてみると、こんなことが書かれていた。
諏方神社は、元久2年(1202)豊島左衛門尉経泰が
信州諏訪神社より勧請して創建したといいます。
江戸期には慶安2年(1649)には社領5石の御朱印状を拝領、
日暮里(新堀)村・谷中町の総鎮守として崇敬を集めただけでなく、
日暮の里<ひぐらしの里>として江戸有数の景勝地としても有名だったといいます。

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確かに諏方神社から、山手線や広がる関東平野を見下ろす景色は、
一見の価値があると感じた。
おそらく江戸の頃なら、
遥か彼方まで広がる江戸の町を一望できたのではないかと思う。
たまたま訪れた神社では、いつもココに来れたことを感謝してお詣りをする。
神様には一言お願いして、写真を撮ったりする。

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まだ町歩きは始まったばかりなのに、とても気になる看板を見つけた。
swiss mini・・・どんなところなんだろうと覗いてみると、
いきなりアルプスに来たような、立派なログハウスが見えた。
この店でお茶と手作りパンで、ちょっと遅めの朝食をいただくことにした。
ちょうどウッドデッキにもテーブルがいくつか並んでいて、
ちょっとしたオープンカフェを楽しむことが出来る。

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店内でパンを選んで、外で待っていると、
大変なことに気が付いた。
さっきまで持っていた携帯がないのだ!
えっ、どっかで落とした?
置いてきた?
お店の方に事情を話して、探しにさっき来た道を戻った。
諏方神社では写メを撮った記憶があるので、
多分、境内の何処かにあるはず・・・。

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しかしながら携帯は見つからない。
一旦、swiss miniに戻ることにした。
お店の方に電話をお借りし、鳴らしてみたが、
近くで音はしなかった。
何度目かのコールで、もしもしという声が聞こえた。
「もしかしてこの携帯の持ち主の方ですか?」

「はい、そうです」

「神社の社務所でお預かりしています」

あぁ、良かったぁ!
すぐに神社の社務所に行き、
無事に携帯が戻って来たのだった。
下町散策はそんなありたがいスタートとなった。

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昔ながらのやり方で一枚一枚手焼きしているおせんべい屋さんです。

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2015年09月27日

たつやのヨコハマナイト見聞録(デート編)

おれさ、お昼になんやかんや食べ歩きしたらさ、
お腹がいっぱいで、あんまりたくさん食べれないと思うんだよね。


わかったよ。だったら何かお腹に優しいモノを食べに行こうぜ。
後から、ホテルまで迎えに行くからまた電話するね。


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大学時代、同級生だったN川は、茨城県取手市出身で(なのに)
見た目もカッコよく、サーフィンをやっていて、
ディスコに通ういわゆるシティーボーイだった。
女子高校生から、N川さぁん♡ 素敵〜といつも言われていた。

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たつやと言えば、麻雀とバイク、そして虫の研究員で、
いつも同じ服を着て、体重は90キロもあった。
バイクに乗るのに革ジャンが欲しいけど、お金がないので、
世田谷ボロ市で、革ジャン風のビニールジャンパーを買った。
それにはタバコで穴が開いていて、友人からビニジャンと呼ばれていた。

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そんな全然違うタイプの2人だったが、何故か気が合って、
時々、麻雀をしたり、遊びに行ったりした。
卒業してからは、ほとんど会うことはなかったが、
年賀状のやり取りだけは、ずっとしていた。
そして7.8年前に東京に行った時にN川と久しぶりに会った。

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先日、東京でまた会おうという話になった。
その日はお互いに夕方からの時間がフリーで、
7時頃にホテルに迎えに来てくれると言った。
N川は、今は表参道の方でIT企業を経営する社長になっている。
どんな仕事をしているかは、フェイスブックのやり取りで、
ある程度は知っていたが、やっぱり会っていろんな話をしたいと思っていた。

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7時少し回った頃、電話がかかってきた。
どうやらすぐ近くまで来ているらしい。
外に出て待っていると、向こう側から車が走ってきて、
たつやの少し前でハザードを出して止まった。
助手席の窓がスルスルっと開いて、
N川が久しぶり〜と言って顔を覗かせた。
車は新型のアウディだった。

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相変わらずカッコイイなぁ・・・N川は!

そんなことないよ、ところでまだお腹空いてない?

そうだねぇ。お昼食べ過ぎたかも。
何か近くの軽く食べられるところでいいよ。
つもる話もあるしさ。


そっかぁ、だったらお腹に優しいもの食べに行こうぜ

そう言って、環七を左折した。
2人が大学時代を過ごしたのは、世田谷方面で、
どうやらそっちの方向に向かっているようだった。
周りはかなり変わっていたけど、道路だけはほとんど変わっていない。
やがて大学の前を通り過ぎた。

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何処へ行くんだよ?
もしかして横浜?


そうだよ。
折角、フジタが久しぶりに来たんだからさ、
横浜中華街のお粥のお店でも行こうかなって思ってさ。


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実は、今回の東京行きの間に横浜に行きたいと思っていたので、
正直、驚いたと同時に、本当にうれしかった。
車は第三京浜を南下して、横浜へと入った。
この辺りは夜景がきれいなんだと、
いろいろと連れて行ってもらった。
たつやが東京にいた時代から、もう30年以上経っているから、
この辺りもすっかり変わっていて、
ハマの夜景の美しさにすっかり魅了されてしまった。
オトコ2人で、ヨコハマの夜景を楽しむ・・・

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2人で夜のデート(笑)を楽しんでいたら、
N川が連れて行ってくれた中華街のお粥のお店は既に閉まっていて、
別のお店に行くことになった。
軽く食べたいと言ってたたつやは、久しぶりの中華街で、
テンションが上がっていまい、
アレも食べたい!コレも食べたい!と結局2人でこの5品。
小食のN川なので、三分の二はたつやが食べたかも^^;

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帰りに昔はなかった東京農大前の蔦屋&スタバで、
お茶して帰って来たという幸せな夜でした♪
また会おうと約束して別れました。
N川、ありがとう!

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2015年09月26日

たつやのトウキョウランチ見聞録

おのぼりさん、たつやが行くトウキョウ!
ここ半年ほどの間に、東京へ行く機会が3度ほどありました。
泊まるホテルは決まって安いビジネスホテル。
以前は4000円も出せば、そこそこのホテルが取れたのですが、
最近は円安の影響もあって、外国人観光客が多く、
知らない間にホテルの値段も上がってしまっています。

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なので安いホテルを探すと、結構ディープなトウキョウに出くわします。
ホテルに着いて、荷物を預けた後は、決まって近所を散歩します。
お昼前後だと、どこでランチを食べるか?の楽しみがあります。
北品川辺りでは、えっ!?ホントにこの価格なの?
とビックリするようなリーズナブルのランチに出くわします。
先日、歩いて神田神保町もリーズナブルでした。
トウキョウは表にランチメニューや価格を書いた看板や、食品サンプルがあるので、
どんなメニューがいくらで食べられるかが、一目瞭然です。

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それにしてもトウキョウランチ事情は素晴らしい!
福井でランチを食べようと思うと、
1000円以下で食べられる店はとても少なく貴重です。
トウキョウは人口も多いけど、価格競争が激しいのでしょう。
700円くらいでも十分食べられるし、
1000円も出せばかなり贅沢なランチを食べることができます。

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定食にしようか、そばにしようか、中華にしようか、洋食にしようか、
うなぎもいいなぁ、カレーも美味しそう、お寿司もある・・・
お散歩カメラ(最近はこういう場合はi-phoneですが^^;)しながら、
迷う時間も楽しいです。






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さて、たつやが食べて感動したのがコレ!
何と南青山という一等地で食べた2色まぐろ丼
これ、いったいいくらだと思いますか〜?
※答えは最後に書きますね。
お昼だけのサービスメニューです。
これでもか!ってくらいマグロが乗ってました。
今まで食べた海鮮丼の中ではダントツでした^^

写真01088.jpg

北品川界隈で食べた博多ラーメン。
ここは何と390円(税込)
煮玉子トッピングが60円で合計450円でした。
十二分に美味しかったです^^

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東京駅近くで食べた黒ゴマ担担麺は、
本格中華の味でした。
価格は1080円

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煮アナゴ定食は1000円ぽっきり。
注文してから煮てくれます。

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トウキョウは食い倒れの町だぁ!




あっ、答えは1300円税込でした^^
どこか?って、ちょっと教えられません^^;







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記事:2517



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2015年09月23日

たつやのトウキョウ見聞録・第N無人居住区

神田神保町の古本屋街を歩いていると、
ちょっと気になる看板が目に留まった。
『第N無人居住区・・・5F』

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いったい何なのだろう。
古本屋の細長いビルの上の小さなギャラリーで、
何かしら面白いアートが展示されているのではないかと思った。

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エレベーターのスイッチの5を押した。
...2...3...4...5
開いたドアの右奥に「第N無人居住区開催中」が、
一文字ずつ10枚のB5の紙にプリントアウトされ、
黒のテープで無造作に貼られている。

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中の部屋は薄暗い。
部屋の隅にちょうど人の背丈と同じ位の、
細かい箱を積み重ねたようなものが見えた。
近づいて見ると、それは段ボールで作られた雑居ビルが
無秩序に重なり合って、出来たひとつの町だった。

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ここへ来て、ようやく無人居住区の意味を知る。
この町は廃墟のようでもあり、要塞のようでもあり、
人は住んでいないが、何かしら得体の知れぬものが
住み付いているかのようでもある。

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たつやが子どもの頃、とても怖かった景色がある。
それは海沿いにあった大きなセメント工場の夜景だった。
それこそ継ぎ足し、継ぎ足しで巨大になっていった工場、
所々に電気がついてるが、白っぽい光だけ。
そこには人の気配を感じることのない空間と、
巨大で得体の知れぬ不気味さが、
子ども心にも、恐怖心を覚えた。
その工場が出てくる夢は、小学校の高学年まで見た。

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この第N無人居住区を見てると、
そのセメント工場のことを思い出した。

何とも言えない一種異様な世界。
それにしても細部まで丁寧に作りこんでいる。
いろんな角度から見ると、また違った世界が見えてくるのだ。
もしカメラ搭載のミニミニヘリコプターがあったら、
この無人居住区を飛ばしてみて、その映像を見てみたいと思った。

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第N無人居住区とは・・・
市街地無人化計画により住民が強制退去させられた街
という設定で作られた。
段ボール製の廃墟風オブジェ。

時々無人化前のN区を表現することもあります。
その他設定のいろいろ
・二足歩行のうさぎが住んでいる。
・銘菓は「電気ドーナツ」
  (こちらの世界でいうクッキーのスノーボール)
・区民はみんな増築が好き
・区民はみんな無節操で無頓着
・自警団との闘いもそこそこ呑気
・増築王は今井ゴムホースという店の今井さん
・「狐飯店」「一つ目商店街」「ナントカ座」
 「今井ゴムホース」などの看板をよく見かける
・強制退去命令が出た後も動力部は生きている
・BarBarモノアラガイのサインボールは待ち合わせスポット
・子どもたちに人気のアニメは『魔法乙女レモンシフォン』
etc


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作家さんは燈(ともり/Tomori)さん
山梨県甲府市生まれ。
東京在住。
語学系大学を卒業後、独学で立体造形を始め、
販売業・IT企業で働きながら作家活動をしている。
立体オブジェの他、音楽やイラスト・絵など。

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写真を一枚、撮らせてくださいとお願いしたら、
こんな一枚になりました。

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アニメの世界に入り込んだような感覚になったり、
どこからか聞こえてくる誰かの声、
とても不思議な世界にいざなってくれました。
いろんな才能のある人が世の中にはたくさんいるんだなぁ・・・
東京初日の初めから面白い世界と出会いました。

場所:神田神保町 Art Space Sawa
日時:2015年9月18日(金)〜27日(日) 期間中無休
    12時〜17時(24日・25日以外作家在廊)

Art Space Sawa
東京都千代田区神田神保町1-7日本文芸社ビル5階
070-6512-5062








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記事:2515

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2015年09月15日

え!?ここはメキシコ??巨大サボテンの美容室

旅先ではいつも早起きしてしまうたつや。
寝ているのがもったいない・・・。

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掛川へ行った時に泊まったのは駅前のビジネスホテル。
朝食前に、カメラだけを持って、早朝の散歩に出かけました。

少し歩いたら・・・えっ!?バナナの木が@@;
福井でもバナナの木を見ることはあるけど、ジャングルみたい!
さすがに南国という感じです。

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ぐるぐる歩いて、ホテルに戻る途中で・・・



遠くから見て、ん?なんだろ?
思わず、「え〜〜えええええ〜、うそやろ?」と呟いてしまいました。

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近くまで行ってみたら、巨大サボテンではありませんか!?
こんなに大きなサボテンは生まれて初めて見ました!

いったいいつ頃に植えられたものなのでしょう?
肥料は何か使ってるのかな?
重さに耐えきれず折れたりしないのかな?
こんな大きさになるまでに、順調に育ってきたのかなぁ・・・
雪とかは降らないんだろうな。
どんな方が育てたんだろ?
これ以上大きくなったらどうするんだろう?
などなど・・・

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いろんな素朴な疑問が湧いてきました。
だけど、いろんなことを想像するのはとっても楽しいです。
それに最初は度肝を抜かれたけど、じっくり見れば、
思わずニヤニヤ、心ほっこり、とても癒されるから不思議です。

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しかも上の方には綺麗な花が咲いていて、
その先にはいくつもの蕾があるのです。

♪♪ほんの ちいさな 出来事に〜 愛は〜傷ついて〜♪♪
と鼻歌を歌ってしまうたつやです。
※世代が違うとわからないかもね、サボテンの花という名曲ですよ。

だから旅はやめられない!
こんな面白い出会いだってあるのだもん。


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記事:2511


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2015年09月12日

追川茶園の川根茶

2年前にも大井川鐡道への旅をした。
その時に、立ち寄ったお茶農家さんがある。
追川茶園さんと言い、国道からちょっと中に入ったところにあって、
家の周りにも茶畑が広がっていた。
どうしてこの農家さんを訪ねたかと言えば、
単に看板を見ただけだったのだが、
何故かしら心魅かれた。

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お茶を直売をしてはいるが、
店舗はなく、小さな事務所のような部屋に通された。
冷たいお茶を振舞ってもらい、
お茶のランクを決めて、その場で袋詰めして、
真空パックをしてくれる。
ご夫妻は息もぴったりで手際よく袋が出来て、
新茶のシールを貼ってくれる。

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福井から来たと言うと、
娘さんが敦賀の学校に通っていたらしく、
お茶の袋を作りながら、いろんな話をしてくれた。
たつやが大井川鐡道に来たのは、
蒸気機関車の写真を撮るのが目的だと話すと、
大井川鐡道が作っているSLカレンダーを
送るよと別れ際に言ってくれた。

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たつやは、そんな約束も忘れていた頃、
追川茶園さんから、大井川鐡道のSlカレンダーが届いた。
いい写真が続くカレンダーは翌年の一年間、たつやを励ましてくれた。
追川茶園さんには、ちゃんと礼状を書かないと・・・
と思いながら、ついついそのままになってしまった。

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そして今年の夏、再び追川茶園を訪ねることが出来た。
場所の記憶が曖昧なところがあったが、
あの時、看板を見つけてたどり着いたように、
今年もその看板を見つけることが出来た。

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SLカレンダーのこともあったし、
美味しい川根茶を社員の数だけいただくことにした。
追川茶園さんに、そのお礼を言うと、
「あ〜、あの福井の方、わざわざまた寄ってくれたんですか」
と言って、水出しのお茶パックやグレードの高いお茶のサンプルを、
サービスで付けてくれたのだった。

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美味しいお茶を栽培している顔をしてらっしゃるでしょ♪

一度ならず、二回も行くご縁が出来て、
こうしてブログにも紹介出来て、
大井川鐡道が繋いでくれたご縁に感謝している。

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追川茶園
静岡県榛原郡川根本町元藤川888
0547-57-2265






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記事:2508
ラベル:静岡県
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2015年09月11日

恋金橋(塩郷の吊橋)

大井川鐡道はその名の通り、大井川に沿って延びる沿線で、
それと同時に川に沿った道を走ることになる。
新金谷駅から、千頭駅を目指して走っていると、
頭上に大きな吊橋が見えた。

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一旦通り過ぎたのだが、ちょっと覗いてみたくなって、
その先でUターンして、吊橋の下にあった駐車場に車を停めた。
ちょうど一台分だけ空いていて、得した気分。
吊橋の真下をくぐって、右手の石段を上がっていくと、
橋のたもとにたどり着く。
その辺りには10人ほどの人たちが並んでいた。

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どうして行かないのだろうと思っていたら、
この吊橋は重量制限があって、せいぜい10人くらいとのこと。
橋を見てみると、どう見ても15人以上の人が渡っている。
ま、多少のことは大丈夫なのだと思うが、
今待っている人たち全員が渡り始めたらかなりの人数になってしまう。
向こうまで行った人たちがこちら側に渡り終えるまで待って、
たつやも他の人の後に続いた。

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吊橋なので、当たり前のように揺れる。
しかも足元は40センチほどの幅の板が並んでいるだけで、
11m下が丸見え。
たつやは意外にこういうのは平気なタイプで、
右手に一眼レフカメラを持って、バッグを右肩にかけて、
左手で携帯で動画を撮りながら、スタスタ歩くことが出来る。

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途中で左右の景色を観る余裕もあって、
多少揺れてもまったく気にならなかった。
向こう側まで渡り終えて、しばらく待って、
橋の上の人数を確認して、元に戻ることにした。
この恋金橋は高さが11m、全長220m。
結構年配の人や、子どもさんを連れている人たちもいて、
渡り終えるまでに、かなり時間がかかった。

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暑い日だったが、この橋の上にいると、
大井川を渡ってくる爽やかな風が心地良かった。
もし誰もいなかったら、橋の真ん中で昼寝でもしたいくらいだ。
すぐ真下を大井川鐡道が走っているので、
蒸気機関車の汽笛の音で目覚めたなら、どんなに幸せだろう。

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ひとりのきままな旅は、面白そうなところがあれば、
誰に気兼ねすることなく、自由な選択肢がある。
子どもの頃から、寄り道大好き少年だったから、
今でもその癖が治ってないのかもしれないなぁ。

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恋金橋

読み方:こいかねばし
別表記:塩郷の吊橋、久野脇橋

静岡県川根本町の大井川に掛かる、全長220メートルの吊り橋の名称。
「塩郷の吊橋」または「久野脇橋」が正式名称で、
「恋金橋」は公募で命名された愛称である。
恋金橋は、大井川に掛かる吊り橋としては最長であり、
川のほかに大井川鐵道や静岡県道77号川根寸又峡線なども跨いでいる。


静岡県榛原郡川根本町下泉(塩郷)
TEL 0547-59-2746 (川根本町まちづくり観光協会)
大井川鐵道塩郷駅→徒歩5分









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記事:2507
ラベル:静岡県
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2015年09月10日

大井川鐡道賛歌・子どもたちにも愛されて

大井川鐡道を旅していると、
どんどん昔の記憶が蘇ってきて、
たつやが中学生だった頃の話をブログに書かせてもらった。
たつやの感性見聞録は、昔のことはなるべく書かないと
自分の中で決めてやってきたけど、
そろそろ過去のことを多少振り返るのも悪くないと思うようになった。
これから益々記憶は薄れていくばっかりだけど、
こうして思い出した時に、書き留めておくのは、
ブログをやっているおかげだと改めて感謝している。

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蒸気機関車を追って、いたのは中学1年生から高校2年生まで。
県内ではぎりぎり小浜線と越美北線を走っていたし、
福井機関区や敦賀第二機関区などへは、よく出かけた。
駅で見学希望を伝えると、そこに大学ノートが一冊置いてあって、
それに住所と名前を記入すれば、誰でも見学が可能だった。
当時は障子紙を持って行って、
蒸気機関車のナンバープレートに被せて
写し取る拓本を良く取った。
ぼろきれで煤を拭いて、それを障子紙の上からなぞれば、
浮き出たナンバープレートが写し取れるというものだ。
結構長い間、持っていた記憶はあるが、さすがに今は一枚も残っていない。

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能登、山陰、信州などへは中学一年生の時から一人旅をしていた。
中学卒業と同時に北海道へ行き、その夏休みにも北海道に行った。
冬休みには、気仙沼へ行き、昨日ブログに書いたラサ工業へ行った。
そしてその年の秋に、日本の鉄道からすべての蒸気機関車が姿を消したのだった。

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札幌に行った時に、確か高島屋デパートで『さよならSL展』という
催し物をやっていて、そこでSL部品の即売会をしていた。
マニア涎ものは、何と言ってもナンバープレート。
真鍮製のずっしりしたプレートは30000円で販売していた。
中学生だったたつやには買えるはずもなく、眺めるだけ。

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それでもそこにあったD51についていた前照灯を5000円で購入した。
当時としては、すごく大きな金額の買い物だったが、
このチャンスを逃したら、もう二度と手に入らないと思った。
鉄製なので、ずっしり重く、持って歩くのは困難だった。
デパートから札幌の駅までは、背中にキスリングという大きなザックを背負い、
両手でその前照灯をかかえて歩いた。
50歩歩いて休み、30歩歩いて、休み・・・そんな繰り返しで
駅まで歩いたのだろう。
駅には荷物扱所があって、国鉄の駅ならば、何処へでも送ることが出来た。
そこにいた駅員さんが段ボールの箱を崩して、
前照灯を丁寧に梱包しながら、
「すごいな!どうしたコレ?」
「さよならSL展で買いました」
「ここまでずっと一人で持ってきたの?」
「はい、これ鯖江駅までお願いします」

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この前照灯は今でもたつやのリビングに飾ってある。
大学時代で一人暮らしをしている時にも、この前照灯を持って行った。
たつやの元に来てから、40年。
久しぶりに埃を払ってやらなきゃ。






大井川鐡道はたつやのようなリアルタイムで
蒸気機関車を見ていた世代だけでなく、
ファミリーで行っても十二分に楽しいところである。
ちょうど夏休みのお盆休みということも重なって、
すごい数の子ども連れの家族が訪れていた。
人気キャラクターのきかんしゃトーマスの実物がここにあるのだ。
以前はトーマスだったが、最近になってジェームスも仲間入りした。

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さすがにお茶処、お抹茶のスムージーです。
スタッフさんがとても気持ちのいい無料休憩所の食事です。

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トーマスフェアも開催されていたので、
千頭駅はものすごい人で溢れかえっていた。

大井川鐡道も最近はお客さんが減ったこともあって、
赤字路線になってしまいました。
たつやもこれからなるべく行って、乗ったり、
お土産を買ったり、食べたり、泊まったりと、
ささやかながら、大井川鐡道を応援したいと思っています。

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もしたつやのこのブログで大井川鐡道に少しでも興味を持ったら、
是非、足を運んでみてください。
SLだけでなく、風光明媚な山と川、広がる茶畑、
あちこちに温泉があって、実に素晴らしいところです。
それに沿線の人たちは、みんなSLが大好きです。
一度は行ってみてくださいね〜^^







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記事:2506
posted by たつたつ・たつや at 23:04| Comment(0) | TrackBack(0) | 旅先にて・国内編 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年09月09日

大井川鐡道賛歌・まさかの再会

その年、たつやは高校一年生になった。
冬休みを選んで、北海道で出会った同い年で、SLマニアの
気仙沼4人衆に会いに行くことにした。

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4人全員が集まってくれて、たつやを歓迎してくれた。
その頃、東北でさえ蒸気機関車は姿を消してしまっていたが、
宮城から岩手へ行けば、珍しい機関車に会えるという話を聞いて、
何人か(はっきり覚えていない)で、宮古まで行った。

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気仙沼駅から、リアス式海岸を北上する路線を乗り継いで、
山田線に乗り換え、海岸線を北上し、宮古まで行った。
宮古駅からほど近いところにラサ工業という会社があった。
駅からラサ工業まで、引き込み線があって、
その時、工場内で働いていた珍しい蒸気機関車があった。
C10型機関車。
製造番号8
C10-8というナンバープレートを付けたロートル機関車だった。

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人を乗せることはなく、会社構内の貨車を引くだけで、
ちょっぴり悲しげな機関車に思えた。
ラサ工業では、入る際に名前と住所などを書けば、
誰でもが、構内に入って写真を撮ることが出来た。
やっぱりこの時代はすべてがのんびりしていた時代だったのだろう。

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たつやたちは、時間を忘れて、機関車の写真を撮った。
冬の東北の工場内はまさにモノクロームの世界。
蒸気機関車もまさにそうだった。
カンカンカンカンという鉄を叩く音と、
機関車の吐く蒸気の音が、工場の中で木霊していた。

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さて、大井川鐡道では、まさかのこの車両、C10-8と再会した。
それこそ40年近い歳月を経て、あの東北の海沿いの小さな町の工場の中で、
少し悲しげに働いていた機関車が、ここではピカピカに磨かれて、
今でも現役バリバリで仕事をしていたのだ。

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運転している機関士さんも機関助手さんも、たつやよりぐっと若い。
笑顔を絶やさず、お客さんに声をかけ、運転台を見学させてくれたり、
写真を撮ってくれたり・・・
仕事とはいえ、本当にここが大好きなのだろうというのが伝わって来る。
夏の蒸気機関車の運転台はきっと摂氏60度以上あるだろう。
そんな過酷な環境の中にあっても、仕事への誇りと愛情を絶やさない。

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1930年生まれの幸せなC10-8機関車。
仲間はすべていなくなったけど、御年86歳のスーパースター。
大井川鐡道マンの愛情をたっぷり受けて、
第3、第4の人生がこの地で育まれている。

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千頭駅から、この機関車が牽引する車両に乗った。
あの懐かしい木製の客席。
窓は自分で上げ下げが出来る。
汽笛がなって、ガタンという音と同時にゆっくり動き始めた。

どうしてだろう。
こんなに幸せなのに、涙が流れた。
ありがとう!大井川鐡道。
ありがとう!C10-8機関車。
まさかここで再会するなんて・・・

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C10蒸気機関車(Wikipediaより抜粋)

C10-8が動態保存されており、1997年10月14日から
大井川鐵道で保存運転を行っている。
この機関車は、廃車後に岩手県宮古市のラサ工業に譲渡され、
同社宮古工場専用線で使用されていたもので、
専用線の廃止後は宮古市内で1987年7月19日から
1989年10月11日の期間、「SLしおかぜ号」として保存運転が行われていた。
しかし専用線は海沿いを走るとはいえ、
実際には堤防沿いを走るので海はほとんど望めず、運行休止後は休車となった。
その後、適当なタンク機関車を探していた大井川鉄道と
譲渡先を探していた宮古市と意見が一致したため1994年に譲渡されたものである。
外観はC11形・C12形と同様のタンク機関車だが、
リベットを多数使用しているので、古典的な雰囲気が出ている。
同機はC11-227と同じく単機では客車4両まで牽引できる。
なお、同機の大井川鉄道への譲渡話は、ラサ工業時代から度々あったというが、
最後までなかなか結論が出なかったという経緯を持っている。
現存するC10形はこの8号機が唯一で、それ以外の車両は廃車後、すべて解体処分された。





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記事:2505

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2015年09月07日

大井川鐡道賛歌・40年前を思い出して・・・

大井川鐡道でC10型機関車が引く、列車に乗った。
いつしか途切れ途切れになっていた40年前の
北海道旅行の記憶が、少しずつ蘇って来た。








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40年前の春、自分の卒業式を早退してまで、
青森行き特急『白鳥』に飛び乗った。
北海道には最後のSLを求めて、全国からたくさんの撮り鉄が来ていた。
高校生や大学生も多く、貧乏な学生は宿に泊まることなく、
旭川駅の待合室で寝袋で寝泊まりをしていた。
たつやも14日間の北海道旅行のうち、13泊は旭川の駅や、
夜行列車を選んで、車中で寝ることを選んだ。

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列車の中は、背もたれが直角の4人掛けの席で、
シートの下からの暖房は熱過ぎて、寝てる間に汗をかいた。
まだ丸刈りの中学生がひとりで、旅しているのは珍しがられて、
列車の中では、毎日のように声をかけられた。
とにかくよく食べ物をもらった。

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おにぎり、おべんとう、みかん、お茶、おはぎ、お菓子・・・
何でも、美味しそうに食べるたつやを見て、
おばちゃんたちは、たつやが食べ終わると、
他にあげるものはないかとバッグの中を開けて探してくれた。
食費や宿泊費にお金を使うことに罪悪感を持っていたたつやにとって、
列車の中でもらう食べ物は本当にありがたかった。
当たり前に親切にしてもらえた時代だった。

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ある日のこと、列車で隣に座った仙台から来たおじさんが、
旭川駅で寝泊まりしていると言うと、
お風呂はどうしてるのかと尋ねた。
素直に入りませんと答えると、
札幌駅で降りるから着いて来なさいと言われ、
そのまま着いて行くと、
『札幌北四条ホテル』という看板のビジネルホテルに着いた。
カウンターで、シングルをふたつと言っている。

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鍵を渡され、1時間後にロビーに来るよう言われた。
たつやにすれば、旅館には泊まったことがあったが、
ホテルの洋室というのは生まれて初めての経験だった。
システムバスも初めてで、どう使ったらいいかわからなかった。
とりあえずお風呂に入って、ロビーに降りた。
ホテルのすぐ近くにあった居酒屋のようなところへ連れて行ってくれて、
好きなモノを注文しなさいと言われ、いくつも注文した。
食べ盛りのたつやが、もうこれ以上食べれない!
というほど、満腹になったことだけは、
今でもはっきり覚えている。

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翌朝、おじさんとは駅で別れた。
お礼はたくさん言ったけど、
どうしても住所を教えて欲しいとお願いし、
後日、お礼状を送った。

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夕張線のSL撮影で仲良くなった4人組がいた。
彼らはたつやと同い年。
全員が気仙沼から来ていて、かなりのSLマニアだった。
藤村くん、金野くん、大島くん、渡辺くん。
同級生で同じ趣味の仲間がいることをとても羨ましく思った。
数日間を彼らと一緒に過ごした。
お互いに住所を交換し、また会おう!と別れた。

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続く






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2015年09月06日

大井川鐡道賛歌その1

また長い間、休んでしまいました。
それなのに毎日のようにたつやのブログを訪問してくれる人は、
何百人もいらっしゃいますし、更新していないにも関わらず、
ブログランキングの応援もしてくださる人がいて、
本当にありがたいと感謝しています。
やっぱり間は空いたとしても、ブログは続けて行きたいと思いました。



6月に開催した『マルシェワンダーランド in FUKUI 2015』
というイベントの実行委員長をしていたのですが、
そのプレッシャーからなのか、4月下旬から7月下旬までは、
ずっと体調がすぐれず、ふらふら状態でした。
夏生まれの夏男のはずのたつやが、夏前に夏バテしていました。
連日の猛暑が堪えるのは、年齢のせいもあるのでしょうが・・・。

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今年の夏休みはどこにも行かずに、身体を休めようか!?
なんて思ったくらいで、こんなことは生まれてこの方はじめてでした。
だけど8月16日に大好きなフラメンコダンサーで演出家の佐藤浩希さんたちが、
静岡県掛川市のお寺で、フラメンコとお経のコラボをするという話を聞いて、
やっぱり出かけることにしました。
それに折角、静岡に行くのであれば、大井川鐡道に行こうと、
結局14日のうちに静岡入りしたのでした。

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1970年、小学生だったたつやは、
父からもらったコダックのインスタントカメラで、
大阪万博で建物の写真を撮り始めました。
いつどういうきっかけだったのかはあまり覚えていませんが、
小浜線辺りで蒸気機関車の写真を撮るようになり、
中学になった頃にはすっかり蒸気機関車に魅せられてしまいました。

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その頃、テレビや雑誌で「消えゆく蒸気機関車」
などというタイトルの番組や特集が組まれ、
蒸気機関車が残っている国鉄の路線が専用雑誌が発売されていました。
たつやが愛読していたのは『SLダイヤ情報』という雑誌で、
蒸気機関車の専用時刻表でした。
客車か貨車か? 勾配はどうなっているか?
撮影ポイントはどこか?など、まさにSLマニアのための本でした。

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中学に入ると、夏休みはもちろん、春休み、冬休みを利用して、
信州や山陰の方まで、ひとりで蒸気機関車の写真を撮りに出かけました。
まだのんびりした時代だったのでしょうが、
父は黙って、たつやがすることを応援してくれていました。
ブログに何度か書いたこともありますが、
中学3年春に念願の北海道へ行く前に、
父は「いい写真を撮るには、いいカメラも要るからな」と
本格的一眼レフカメラと、望遠レンズを買ってくれました。
14日間の蒸気機関車おっかけの旅はあっという間に終わってしまいましたが、
その時のことは、五感で今でも覚えているのです。

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大井川鐡道で、間近で蒸気機関車を見ていると、
40年前の感覚が蘇ってきました。
この音!この匂い!この感触!空気感までが、
瞬時に思い出させてくれました。

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あぁ!ここはたつやにとって、まさに天国なんだ!
幸せの原点がここにある!
そう思うと、ずっと疲れていたはずの心と身体に、
エネルギーが充電されて来るのが、わかるのです。

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トーマスやジェームスの機関車もありました。





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posted by たつたつ・たつや at 23:39| Comment(0) | TrackBack(0) | 旅先にて・国内編 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年05月18日

レ・ミゼラブル@帝国劇場

今年のGWは東京で舞台を観てきました。
あの『レ・ミゼラブル』です♪
ブログも、また一から出直しです。
またよろしければ・・・
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今年のゴールデンウィークは東京へ行くことに決めました。
いろいろと会いたい人や行ってみたいところがあり
3泊4日のトウキョウトリップでした。

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今年の2月に新橋演舞場で行われた
フラメンコと和の出会い』という舞台を観に行きました。
フラメンコ曽根崎心中の主役を演じられた
鍵田真由美さん、佐藤浩希さんをはじめ、
舞踊団アルテイソレラの皆さんと和のアーティストが
創り上げる一夜限りの舞台という
ある意味ものすごく貴重で贅沢な舞台です。

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佐藤さんはこの一夜のために振り付けや演出をし、
集まったミュージシャンたちもこの日だけのために
作詞、作曲し、編曲し、練習を積み重ねていました。
たった1日のたった1回切りの舞台のために、
和の音楽とフラメンコを見事に融合させ、
そこから想像も出来ない化学反応を起こした舞台でした。

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その日の本番後に佐藤さんから打ち上げに誘われて、
喜んで着いて行くと、集まっていたのは、たつや以外はすべて出演者でした。
こんな場所にまで呼んでいただけたことが夢のようでした。
本当にうれしくて幸せで感激して、
朝の4時半まで下北沢のバーで盛り上がっていました。

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その時に里アンナさんという奄美大島出身のシンガーさんと
お話をする機会がありました。
この日の舞台では作詞をされて、それを歌っていたのが印象的でした。

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アンナさんは、昨年から帝国劇場でのレ・ミゼラブル
ご出演されているとのことを聞いて、絶対にその舞台を観たいと思いました。
そして今年もファンテーヌ役で出演されるとのことだったので、
その場でチケットをお願いしました。
目の前にいるアンナさんは聡明でとても素敵な方でした。

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そしてその時の出会いがきっかけとなり、
5月3日、生まれて初めて帝国劇場へ行ってきました。
音楽や舞台は大好きでいろんなステージを観てきたけど、
こんなに立派な会場は初めてで、それだけでもテンションが上がります。

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公演は想像を遥かに超えて、素晴らしい舞台で、
すっかり心を奪われてしまいました。
この舞台の良さを文章で綴ること不可能ですが、
とにかく五感すべてを全力で楽しませてくれるという感じです。
カーテンコールは拍手の渦の中で何度も行われました。

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アンナさんからのメッセージに甘えて、
公演後、楽屋を訪ねました。
さっきまで舞台で輝いていたファンテーヌさんが
目の前にいることが不思議で夢のようでした。
少しだけお話をして、写真を撮らせていただいたのですが、
かなり緊張していて、何をお話したのか良く覚えていません^^;

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だけど本当に感激しました。
この舞台を見せていただけたことに、
いろんなご縁がつながっていく奇跡に心より感謝しています。

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posted by たつたつ・たつや at 00:45| Comment(4) | TrackBack(0) | 旅先にて・国内編 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年03月05日

おのぼりさんたつや・寅さん記念館編

寅さん記念館で、たつやの原風景に出会いました。
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東京に住んでいた6年間のうち、
最初の2年は山の手の世田谷区の上町というところに住んでいて、
その後の2年間は、広い部屋とお風呂のある生活に憧れ、
相模原市という遠いところから、世田谷の学校まで、
バイクで通っていました。 
そして最後の2年間は、下町に住んでみたくて、
足立区元木という荒川の北側にあったアパートで過ごしました。

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もう30年以上前ですが、足立区のその辺りには、
まだかろうじて長屋が残っていたり、
戦後すぐに建てられたようなバラックのような建物が残っていました。 
アパートの裏には、八百屋さんと肉屋さんがあって、
しょっちゅうその店に通っていました。
大根の葉っぱを無料でもらったり、
コロッケ1個とか、豚バラ肉を50gだけ買ったり、
貧乏学生生活ではとてもお世話になりました。
少し離れたところにイトーヨーカドーがあり、
今のかみさんと一緒に買い物に行ったりしたものです。

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山の手→新興都市→下町とそれぞれ環境の違うところに住みましたが、
一番思い出に残っているのは下町での2年間でした。
何となく人間臭さが残っているエリアだったような気がします。
下町の面白さや奥深さを楽しむには、
あの頃のたつやでは、まだまだ若かったのでしょう。
今頃になって、東京下町のことが気になり始めました。

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昭和の風景が大好きなたつやは、
旅先でもそういうお店や建物があると必ず訪ねます。
東京で、この寅さん記念館に行こうと思ったのも、
そういう思いがあったからです。

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それに寅さんの大ファンという30代の友だちが、
「男はつらいよ」シリーズのDVDを貸してくれたことも
柴又を訪れる大きなきっかけとなりました。

この友だちって、冬でも雪駄を履いてるんですよね(笑)
それほど寅さんに心酔しているのです^^


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さて、寅さん記念館は、帝釈天から歩いて5分ほどの場所にあります。
入館料は500円という庶民的価格です。
中に入ると山田洋二監督や映画製作スタッフの現場が再現され、
それに使われた道具類が展示されていました。
少し奥へ入ると、寅さんの少年時代から、放浪の末
故郷柴又へ舞い戻るまでの物語が可動式のジオラマで観ることが出来ます。
これがとてもよく出来ていて、今のCG当たり前の時代では味わえない、
超アナログの世界で、すっかり見入ってしまいました。

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ボタンを押すと妹、さくら(倍賞千恵子さん)のナレーションが始まり、
ジオラマが動き、バックの電気の色が変わります。
3Dなんかより、ずっといいと思います。

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少し進むと、実際の撮影に使われた「くるまや」のセットがありました。

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そして感動したのが、朝日印刷所のコーナーでした。
このコーナーはたつやが小学生の頃のうちの会社そのものだったのです。
たつやにとってはまさに原風景でした。
当時は活版印刷機が主流でした。
うちにも10台近い活版印刷機が動いていて、
そのシリンダーが回る音が、なんとも心地よかったものです。
手差しの機械もまだ残っていて、
職人さんたちが、紙を少しずつずらして、一枚一枚手で
活版印刷機に送っていました。

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活字も当たり前のように、膨大な数が置いてありました。
たつやが4歳の頃に、昔の町屋の蔵でやっていた印刷工場を、
今の会社へ移したのですが、
あの膨大な活字をどうやって移動したのかわかりません。
もう誰に聞いてもわからないかも知れません。

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このコーナーでは何故か涙がこぼれて来ました。
ここへ父と一緒に来たかった・・・。
もし一緒に来れたら、昔の印刷所の話がいっぱい聞けたのではないかと思いました。

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寅さん記念館は、たつやにとって想像を遥かに超えて、
とても思い出深く、懐かしさで胸がいっぱいになるようなひと時でした。
うちの会社にも未だに活版印刷機が動いています。
活字も少し残っているし、文選室も残っています。
少しあの辺りを片づけて、会社の歴史を垣間見ることが出来るようにしたい
と思うようになりました。

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今回の東京行きは思いの外、町歩きの楽しさが心に残っています。
今年のゴールデンウイークの行先が決まりました^^

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葛飾柴又寅さん記念館・山田洋二ミュージアム
東京都葛飾区柴又6-22-19
03-3657-3455
開館時間:午前9時〜午後5時
休館日:第三火曜日(祝日の場合、翌日の平日)
12月のみ第三火・水・木



                                                                                                              
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posted by たつたつ・たつや at 20:01| Comment(0) | TrackBack(0) | 旅先にて・国内編 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年03月01日

おのぼりさんたつや・柴又帝釈天編

久しぶりの東京でした。
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東京で暮らした学生時代の6年間は、
今になって思えば、東京の良さをあまりわからずに過ごしていたように思います。
さすがに6年目に入った時に、翌年は福井に帰ることを意識し始めて、
東京でしか経験出来ないことを、この一年間で出来る限りやりたいと
焦ったことをよく覚えています。

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300円で観れる名画座の映画館を回ったり、
美術館やギャラリー、それにお芝居などを
なるべく回るようにしました。
時にはちょっと無理して、高いコンサートにも行きました。
東京での最後の年は、週に5日くらいはそんな過ごし方をしたので、
ある意味、とても充実した時間でした。

ただ福井に帰ってきて、後悔したことがひとつありました。
それは東京の下町が好きだったにも関わらず、
住んでいた足立区以外はほとんど知らずに過ごしてしまったことです。

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あれから30年以上が経ちました。
東京は3時間半もあれば行ける場所にも関わらず、
随分遠い存在になってしまいました。

先日、久しぶりに一泊で東京へ行きました。
翌日の夜の飛行機で帰る予定だったので、
お昼は結構時間がありました。
何処へ行こうかいろいろ考えましたが、
下町の代表であるような「寅さんの葛飾柴又、帝釈天」に決めました。

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東京の電車はJRも地下鉄も私鉄もいろいろあって、
どの線を乗り継いで行くのかとても複雑ですが、
最近は便利なモノがちゃんとあって、
乗換ナビ』というアプリです。
乗る駅と降りる駅をインプットすれば、
その指示通りに乗り換えて行けば、迷うことなく行くことが出来ます。
たつやもそれのおかげで、ちゃんと柴又駅に到着することが出来ました。

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柴又駅は思ったよりも小ぢんまりとした駅でした。
駅を降りると出口の広場に人だかりがしています。
何だろうと近づいてくと、それは寅さんの銅像でした。
その広場から帝釈天までの参道には、
たくさんのお土産物やさんや飲食店が立ち並んでいます。

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小雨まじりの天気だったためか、
日曜日のお昼という時間帯にも関わらず、
思ったより少ない人出だったように思えます。
とりあえずはお店を冷かして、帝釈天を目指しました。
東京を代表する観光地なのでしょうが、
下町って何処となくほっとする雰囲気があります。
町のボランティアガイドさんが、団体さんを連れて
立ち止まって、いろんな説明をしています。
人が温かいというか、人情味が溢れる土壌がここにはあるのでしょう。

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それに少なくとも、この地を訪れる人は『男はつらいよ』シリーズ
観た人がほとんどなのだと思います。
寅さんが住んでいた団子やのシーンを何度も観ているので、
初めて訪れたにも関わらず、何故か懐かしい感じがしました。

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帝釈天は思ったよりも立派でした。
中に入るととてもいい気が満ち満ちています。
しばらく座ってお詣りをしていましたが、
あまりに心地よくて、眠ってしまいそうになりました。

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たつやを寅さんファンにしてくれた友人に
「柴又・帝釈天なう」とメッセージを送ると、
羨ましいという言葉と共に、
高木屋という団子屋を進めてくれました。

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雨が本降りになる前に、何とか高木屋へ入ることが出来ました。
やっぱりココに来たら草団子は外せません。
でも寒いのであったかいおでんも気になります。
あぁ、寅さんもココで団子を食べていたんだなぁ。。。
それに歴代のマドンナたちも。

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店の中にはたくさんのロケ中の写真が飾ってあります。
当時の雰囲気を残していますが、
食券を自販機で買うというのだけは、少し興覚めでした。

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お腹もいっぱいになったところで、次に目指すのは寅さん記念館です。
雨が小降りになるのを待っていましたが、外の雨は本降りとなっています。
傘を買うはめになりました。

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柴又帝釈天 wikipediaより
江戸時代初期の寛永6年(1629年)に、
禅那院日忠および題経院日栄という2名の僧によって開創された日蓮宗寺院である。
18世紀末、9世住職の日敬(にっきょう)の頃から当寺の帝釈天が信仰を集めるようになり、
「柴又帝釈天」として知られるようになった。
帝釈天の縁日は庚申の日とされ、庚申信仰とも関連して多くの参詣人を集めるようになった。

近代以降も夏目漱石の『彼岸過迄』を始め、多くの文芸作品に登場し、
東京近郊(当時は東京ではなかった)の名所として扱われた。
20世紀後半以降は、人気映画シリーズ『男はつらいよ』の渥美清演じる
主人公・車寅次郎(寅さん)ゆかりの寺として知られるようになる。
年始や庚申の日(縁日)は非常に賑わい、映画『男はつらいよ』シリーズ制作中は、
観光バスの団体客が大勢訪れたこともあるが、
同シリーズの終了に伴い、参拝客、観光客が年々減少している。
                                                                                                                                                                                                                                                                                              
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ラベル:東京都 神社仏閣
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2015年02月25日

同志社大学のキャンパス

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京都に行ったら一度は訪ねたいと思ってた場所があった。
観光地とか有名な神社とかお寺ではなく、
父が学生時代を過ごした同志社大学のキャンパスだ。

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昭和7年生まれだった父が同志社大学に入学したのは昭和25年。
戦後まだ5年という動乱期で、
連合国軍最高司令官総司令部いわゆるGHQの占領下にあった。
新しいもの、珍しいモノ、機械モノが好きだった父は、
入学と同時に同志社大学のグライダー部の門を叩いた。
制空権も日本にはなく、グライダー部とは言え、
自由に空を飛びまわることは出来なかったそうだ。

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自転車のチューブのようなゴムをつなぎ合わせて、
大きなパチンコのようなもの作り、それにグライダーを引っかけ、
それを皆で引っ張って、その力を利用して、飛ぶ練習をしたり、
時には小型機に引っ張ってもらい上昇、
その後ロープを切り離して、滑走路に降りてくる練習などをしていた。

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父は飛行機乗りに憧れ、京都での学生生活をグライダー部の一員として過ごした。
卒業時には、大手の航空会社に入るか、うちの稼業である印刷所の跡を継ぐか、
かなり迷ったと聞いたことがあった。
その頃、同じグライダー部に所属していた友だちや、
関西六大学のグライダー部の集まりは、その後もずっと続いていた。
年に一度の同窓会にも必ずと言っていいほど出席していた。
晩年父は年々仲間が鬼籍に入ってしまうことを悲しんでいた。

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それでも自分が幹事になると病床の身をふるい立たせて、
9人乗りの大型バンを運転し、食事場所や温泉の手配、
恐竜博物館の案内、お土産の手配まで、完璧なまでにこなしていた。
その後、そのバンに乗った時、トランクに新品の透明傘が9本あったので、
どうしてこんなに傘があるのか?と尋ねたら、
その同窓会用に用意したものだということだった。
話を聞いて、親父らしい!
と妙に納得したことを昨日のことのように覚えている。








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同志社大学に立ち寄れる時間は限られていた。
本当なら、ゆっくりキャンパスを歩いてみたいと思っていたが、
この日は他の用事がいくつも入っていて、
ほんの短い時間しか滞在することは出来なかった。

それでもキャンパスの雰囲気や、
父が若い頃にここで過ごしたという空気や香りを、
ほんのわずかながら感じることが出来た。

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ちょうどお昼時だったので、お昼ごはんを食べることにした。
ハンバーグランチは600円と言ううれしい価格。
今の学食って、こんなにお洒落なの!?と思うくらい素敵なたたずまいだ。
ヨーロッパのカフェを彷彿させる外観と、センスある内装は、
学食というイメージからは対極に位置する感じがした。
週末だったこともあってか、学生よりも一般客の方が多い感じだ。
厨房の中のスタッフは、若い人たちばかりで、
もしかすると同志社の学生さんがアルバイトしているのかも知れない。

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こうして大学のキャンパスにいると、また学生に戻りたくなる。
自分が過ごした東京の大学よりも、父が過ごした京都の大学の方が
何となくいい感じがしたのはどうしてだろうか?

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父の法名は『光雲院釋武徳』
今頃、光り輝く空でグライダーの上から、
同志社大学のキャンパスを歩くたつやを見ているのだろうなぁ・・・

秋の高い空を見上げた。








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ラベル:京都 レストラン
posted by たつたつ・たつや at 21:53| Comment(0) | TrackBack(0) | 旅先にて・国内編 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年02月15日

万葉線の旅・岡山寛さんの絵との出会い

「鶴瓶の家族に乾杯」が大好きだった父の三回忌が今日行われました。
万葉線での旅は、まさにそんな旅だったように思います。
旅先で岡山寛さんという方が描かれた円空仏の絵との出会いでした。
父は仏像がさほど好きだったという訳ではありませんが、
何故か円空仏だけは、いいと言ってたことを思い出しました。
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万葉線の旅も後半です。
まだまだ寒い日でしたし、小雪がちらつくような日だったので、
そろそろ高岡市内に戻ろうと思って電車に乗りました。

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乗ってすぐに、吉久駅という駅で降りました。
どうやらこのエリアに旧街道?があって、
そこに千本格子の古い町屋が残る場所があると
パンフレットに書いてあったからです。

誰一人として歩いている人はいません。
ただどこをどう行けば、どんなところに出るかは、
長年の旅の感覚で、何となくわかります。
町の作りというか、匂いというか・・・

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歩いていくとほどなくそういう建物の一部が見えました。
まだ屋根雪が残っていて、しずくが落ちてくるので、
軒先を歩く時は気を付けないと濡れてしまいます。
ゆらゆらガラスが入った家は、昔は畳やさんだった建物でした。

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少し歩くと格子戸が連なる町屋が数軒つながっていました。
その中に、控えめな暖簾がかけてある家がありました。
ん?何かのお店かな?
とは思いましたが、看板もありません。
中から明かりがもれていたので、覗いてみると、
雑貨が並んでいるようでした。
ガラガラと戸を開けて、
「ここでお茶とか飲めますか〜?」
と聞くと、中にいた女性が、
「はい、大丈夫ですよ」
と返事をしてくれました。

DSC_2912.jpg

中に入ると町屋の雰囲気を十二分に生かした空間の
カフェ&ギャラリーとなってました。
広い板張りの部屋には囲炉裏があり、
炭に火が入っていました。
その囲炉裏端に座り、まずは暖かい珈琲を。

DSC_2922.jpg

メニューを見ていて、驚いたのが、
カボチャのケーキ100円という価格です。

今どき、珈琲350円でもありがたいのに、
手作りケーキが100円って、まさに感激の価格です。
当たり前のように税込です。
もちろん、追加注文をしました。

DSC_2918.jpg

最初にこの「さまのこ屋」に入った時に、目に入ったのは、
仏像の水彩画でした。
はじめは版画なのかな?と思ったのですが、
一枚一枚描かれた水彩画でした。

DSC_2923.jpg

仏像の絵と、書いてある文字にもとても魅かれました。
じっくり全部の絵を見てまわりましたが、
どうしても気になる一枚がありました。
それは十一面観音菩薩立像を描いた一枚でした。
説明文を見ると、これは青森県にある円空仏を描いたものらしく、
たつやが魅かれた理由がわかりました。

DSC_2915.jpg

今日、三回忌を迎えた父が、
円空が作った仏様が好きだと言っていたことと、
たつや自身も岐阜県のお寺で見た円空仏の
なんとも言えない不思議な魅力を感じたからなのだと思います。

お店には品のいい女性店主と、常連さんらしい男性がいて、
たつやが万葉線に乗ち継いでやってきたことや、
適当な駅で降りて、歩いてこの末吉について、
偶然見つけたこの店にたどり着いたこと、
それにかみさんの実家が高岡市であること、
この絵の素晴らしさ、作者の方の話など、
いろんな方面の話に花が咲きました。

DSC_2914.jpg

そしてちょっと気になっていたことを聞くことにしました。
「この絵って販売してらっしゃるのですか?」
「えっ?いやぁ、展示してるだけなので・・・
でもちょっと本人に聞いてみましょうか?」
と言って、絵を描かれた方に電話をかけたのでした。

いきなり、電話を本人に代わりますからと言われ、
受話器を渡されたのですが、何と切り出せばよいのか。。。
とりあえずよろしければ譲ってほしいとだけ告げると、
その絵を描かれたご本人がここへ来るということになりました。

DSC_2934.jpg

しばらくして、その岡山寛さんが来られました。
はじめましてとご挨拶をしました。
いきなり来て、この絵が気に入って譲って欲しいというたつやに対しても、
どちらかと言えば飄々とした表情で受け答えしてくれます。
普段は絵を売ったりすることはなく、好きで描いていると言われました。
昔から絵は好きで、万葉線の絵やこの街並みの絵を描いていたのですが、
ここ数年は仏像ばかり描いているのだそうです。
そして快く絵を譲ってくださったのです。

DSC_2916.jpg

たつやにとっては、父の三回忌法要の直前に
この絵に出会えたことは奇跡でした。

この日に富山空港への送迎があったこと。
富山空港の帰りに、高岡へ行こうと思ったこと。
高岡では万葉線に乗ろうと思ったこと。
吉久の駅で降りたったこと。
歩いていて偶然見つけた「さまのこ屋」に入ったこと。
この絵に魅かれたこと。
岡山寛さんに出会えたこと。
この絵を譲り受けたこと。
そして今日、父の三回忌にこの絵を飾れたこと。。。


これらすべてが偶然ではなく、全部つながっていたのだと思います。
そういうご縁をいただけたことを、本当にうれしく思います。

DSC_2870.jpg

※写真は六渡寺駅前にあった古い洋館『牧田組』は国の登録有形文化財



たつやは幸せなことに、
旅先ではいつも素晴らしい出会いがあります。
今回も忘れられない素敵な旅になりました。
もう少し暖かくなって、桜が咲くころに、
またこの地を訪れてみたいと思います。

さまのこ屋
富山県高岡市吉久2-3-14
0766-82-7113
営業時間 10:00〜17:00
定休日:月曜・火曜







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2015年02月13日

万葉線の旅・ドラえもんトラム編

万葉線に乗りたい理由の半分はこのドラえもんトラムに乗ることでした^^
昔っから鉄道は好きでしたが、武骨な蒸気機関車以外にはあまり興味を示しませんでした。
だけど路面電車だけは、どことなく可愛いと感じていたたつやです。
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高岡市出身の漫画家藤子・F・不二雄さんの代表作「ドラえもん」は、2112年9月3日に誕生。
ドラえもんトラムはドラえもんの「生誕100年前」を記念して、
2012年9月に運行を開始しました。
藤子氏のふるさとである高岡から、藤子氏が漫画を通じて子どもたちに伝え続けてきた
「夢」「希望」「友情」「勇気」「大いなる好奇心」を、全国に向けて発信し、
未来に伝えていきたいとの思いから、
(株)藤子・F・不二雄プロのご協力を得て実現したものです。
車内外にドラえもんのキャラクターがデザインされており、
とても人気なトラムとなっています。
ドラえもんトラムに乗りに高岡を訪れてみましょう。


とやま観光ナビのホームページを見るとこのような説明でした。

DSC_2705.jpg

運行が始まった2012年から期間限定で、翌2013年8月末までの
一年限定運行だったのが、人気があったため、
今年の8月末まで延長されたのだそうです。
その恩恵を受けて、今回のドラえもんトラムで万葉線の旅に出ることが出来ました。

DSC_2779.jpg

高岡駅に入ってきた万葉線の運転手さんに、
今度のドラえもんトラムは何時に来ますか?と尋ねると、
この2本後、30分後ですねという答えが返ってきた。
それならこのホームでドラえもんトラムを待とう!

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電車が到着しますとのアナウンスと同時に、向こうから、
青い車体で一際目立つ電車がやってきました。
これがまさにドラえもんトラムなのです。
テンションが上がります^^

DSC_2756.jpg

たつやの他にドラえもんトラムに乗るために
待つ人結構多いだろうなぁと思っていたのに、
待っていたのは2組の親子連れでした。
それに、どう見ても、町のおじさんやおばちゃんが、
たまたま来た電車がドラえもんトラムだったという感じで、
乗り込んできました。
入り口はピンクのどこでもドアです。

DSC_2715.jpg

電車の運転手さんは、とっても感じのいい女性でした。
たつやが一日乗車券が欲しいと伝えると、
ありがとうございます!と笑顔で答えてくれ、
その乗車券に今日の日付を手書きしてくれます。
これがあれば、この日一日、万葉線はすべての区間でフリーパスです^^

DSC_2717.jpg

いよいよ出発です。
万葉線の前半はほとんどが町の中の大通りの真ん中を走るので、
クルマとの並走になったり、電車の前を人や車が横切ったりします。
なので、運転にはかなり気を遣わなくてはならないのです。

DSC_2750.jpg

DSC_2720.jpg

電車の中にはガラスにはシルエットのドラえもんキャラクターが、
天井にはカラーのキャラクターが、そしてあちこちに、
ドラえもんの秘密のポケットから出てくるアイテムが描かれています。
大人でもテンションが上がるのですから、
きっとドラえもん好きの子どもにとっては、
本当に夢の電車なのではないでしょうか?

DSC_2735.jpg

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たつやも一通り、写真を撮って、席に座りました。
反対側にはおじさんの二人組が何やら談笑しているよう。
そのガラスにはドラえもんが描かれていて、
その組み合わせがとても絵になります。

DSC_2723.jpg

たつやはこのドラえもんトラムに乗って、
終点の越の潟のひとつ手前の駅、海王丸駅まで行くことにしました。
というのは、折り返して帰ってくるドラえもんトラムの写真を撮るためと、
車窓から見える街並みや風景で気に入った駅を覚えておいて、
帰りに何か所か降りて歩こうと考えていたからです。

DSC_2757.jpg

ドラえもんトラムの旅はなかなか快適です。
のんびりとして、あったかくて、楽しくてワクワクするひとときです。

DSC_2771.jpg

駅と駅が近いので、降りる人は前もってベルで知らせます。
降りる人がいなくて、駅にも人影が見えない時は、
アナウンスがあり、通過することもあるようです。

DSC_2788.jpg

その後は、好きな駅で降りて、歩いて、写真を撮って、
また乗って、歩いて・・・の繰り返しです。
たった半日足らずの万葉線の旅でしたが、
十二分に満喫出来たひとときでした。

残念なことに、このドラえもんトラム
今年の8月いっぱいまでの運行ということらしいので、
暖かくなったら、うちのお孫ちゃんと一緒に乗りに行こうと思っています。







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posted by たつたつ・たつや at 23:15| Comment(2) | TrackBack(0) | 旅先にて・国内編 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年02月12日

万葉線の旅・電車編

富山県高岡市、たつやのかみさんの実家がある町です。
今までに何度も行ってますが、万葉線に乗ったのは初めて。
それはそれは楽しい旅の始まりでした^^
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組合の仕事で、中国人研修生を富山空港へ送り終えたのは11時を過ぎた頃だった。
このまままっすぐ福井に帰るには、もったいない。
子どもの頃からの習性というか習慣というか、
寄り道にこそ、最高に楽しい旅のエッセンスが含まれていると信じている。
犬も歩けば棒に当たる・・・くらいだから、
たつやが歩けば素敵なご縁に当たるかも♪

DSC_2951.jpg

高山方面に行くことも考えたが、
まだまだ雪が多いことと、帰りが岐阜経由で、
また雪道を走らなければならないので、
8号線を南下することとした。

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目指すはかみさんの実家、高岡市。
そう決めた時から、今日こそ市内を走る路面電車に乗ろうと決めていた。
実家を訪ねたたつやを見て、義母はいきなりの訪問で驚いていたが、
空港から帰る途中に立ち寄っただけで、今から電車に乗ると告げると、
「あ〜、そんなんやがちゃ、行ってこられ。
最近は駅がきれ〜いになって、わたしら行っても、よ〜わからんちゃ」

と高岡弁で送り出してくれた。

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実家から駅までは近いので、車を置いて、
必要最低限の荷物とカメラだけを持って、駅へ向かった。
確かに、新しく建て替えられたJR高岡駅は、
以前の面影を残さない近代的な建物になっていた。
一番驚いたのは、昔はその路面電車は駅の前に停留所があったのに、
今では引込線が作られ、駅の中まで入っていることだった。

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万葉線・・・なんとも言えない響きのこの路面電車。
JR高岡駅前から市内と通り、新湊市までを走る。
車両は1輌または2輌編成で、総延長13kmほどの電車線だ。
名前の由来はと言えば、
かつて越中国守として高岡の伏木に赴任した大伴家持が、
『万葉集』の編集をはじめ、数多くの歌を残したことにちなんで、
1980年(昭和55年)に「万葉線」という愛称が付けられたのだそうだ。

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JR高岡駅正面に向かって右手に万葉線乗り場がある。
立派な待合室があって、これは万葉線だけでなく、
路線バスやその他のお客さんも利用できる。
目を引いたのは大きなドラえもんのポストがあることだ。
このドラえもんポスト、当然郵便物を投函することも出来るが、
さすが高岡、高岡銅器で作られている。
どうやら、以前は高岡市美術館に置かれたいたものを、
昨年、このJR高岡駅の待合室に引っ越してきたのだそうだ。

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これは後からわかって後悔したことなのだが、
このポストから手紙やはがきを投函すると、
「藤子・F・不二雄生誕80th記念」の特別消印が押されるとのこと。
また近いうちにリベンジに行かないと(笑)

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万葉線の電車は便利なことに15分間隔でやってくるので、
あまり待たずに乗ることが出来る。
しばらくは高岡駅で電車を撮影することにした。

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電車が駅に着く度に、何人かの乗客が降りてくる。
こんな寒い雪の日でも、屋内のプラットホームなので快適だ。
降りてくる人たちの大半は高齢者。
いかにこの電車が高齢者たちの足になっているかが窺い知れる。
だけど電車の運転手さんは皆、割と若い人が多い。

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何台目かの電車を見送ろうと、カメラを構えていた。
電車の扉が閉まって、動き始めた時に、
後から走ってきたおばあさんが、傘で電車のガラスをバンバン叩いて
「ちょっとまってちゃ!」と。
当然のように電車は止まり、おばあさんを受け入れて出発。
電車に乗ったおばあさんは何事もなかったかのように、
ケロリとして、窓際の席に座ったのが見えた。

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駅にずっといても仕方ない。
いよいよ電車に乗って出発です。
乗って、適当な駅で降りて歩いて、
また乗って降りて歩いて、写真を撮って・・・
小雨の冷たい風の中だったけど、鉄ちゃん気分と旅気分を併せて
たっぷり楽しむことが出来ました。

どうせ乗るなら、前々から乗りたいと思っていた車輌がありました。
それは万葉線を走る『ドラえもんトラム』です。
この電車のことはまた次回のブログでちゃんと説明したいと思。

DSC_2812.jpg

あ、そうそう今週の土曜日、2月14日はバレンタインデーですね。
この日、万葉線ではバレンタイン電車なるものが運行されるようです。
高岡駅10時発と13時半発の電車の中で、
『特製チョコどら焼き』が先着各50人にプレゼントされるそうですよ。
たつやも近かったら、乗ってチョコどら焼きを食べてみたいのですが^^;








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posted by たつたつ・たつや at 22:15| Comment(0) | TrackBack(0) | 旅先にて・国内編 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年02月01日

おちょぼさん再訪

鯖江商工会議所のサービス部会に所属しています。
サービス部会主催で、商売繁盛祈願ツアーを企画することとなって、
岐阜県にある日本三大稲荷の千代保神社へお詣りに行って来ました。
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岐阜県海津市にある千代保稲荷神社(通称おちょぼさん)に行くのは、
3回目ですが、毎回行く度に思うことがあります。
それはこのさほど大きくない神社がひとつこの地にあるだけで、
この周りの商店街がすべて成り立っているという事実です。

DSC_1797.jpg

平日であっても、かなりのお客さんで賑わっています。
参道の両側やその路地には、たくさんのお土産物店や、飲食店、
八百屋や漬物店などがずらりと並んでいます。
その数は100軒をゆうに超えるでしょう。

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お詣りに行くのが本来の目的なのでしょうが、
このおちょぼさんはお買いものツアーに入れられるくらい、
お客さんはたくさんの買い物をするそうです。
そう思いながら、門前町を歩いていると、
それらの価格の安さに驚きます。
特に野菜や果物などの食品がずらりと並んでいて、
市価の半分から3割引きくらいの価格設定になっているのです。

DSC_1792.jpg

さておちょぼさんへお詣りするには、
まず入口でお供えを買います。
稲藁で結んだ油揚げと蝋燭1本、50円です。
それを持って、蝋燭に火を灯します。
次に拝殿の箱の中に、油揚げをお供えし、
お賽銭を入れて、お詣りします。
この日は平日でしたが、
参拝客が途切れることなく、次から次へ続いていました。

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もうひとつ、おちょぼさん名物と言えば串カツです。
料金後払い、食べた串を渡して計算してもらいます。
1本80円という手軽さと、揚げたての熱々を食べられること、
それにウスターソース味と、ドテ煮のソースをつけて食べることが出来ます。

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今回は一番の有名店、玉家でいただきます。
中で食べることも可能でしたが、立ち食いがまた楽しい!
会議所の人たちと一緒になって、アツアツを頬ばります。
湯気が上がっている様子がまた食欲をそそりますね。

DSC_1808.jpg

門前町にはたくさんのお店が並んでいるのですが、
出発時間までの間、たつやはショッピングを楽しみました。
どちらかといえば、よく買い物をする方なので、市場価格がわかっています。
そのためか?地元でも買えるものなのに、安くて新鮮という理由で、
かなりのお買いものをしてしまいました。

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おちょぼさんツアーで買ったものリスト・・・

★土付きのレンコン(12.3本は買いましたかね^^)
★こんにゃく
★カリフラワー
★ニンジン
★ナスの漬物
★デコポン
☆飛騨牛の切り落し・スジ・豚肩ロースブロック・業務用ソーセージ
(☆これは帰りに養老にある精肉専門店で買いました)
全部食品というまるで主婦のお買いものですね^^;


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今年も商売繁盛!

益々、上気元でガンバリマス!







千代保稲荷神社(ちよぼいなりじんじゃ)は、
岐阜県海津市平田町三郷1980にある稲荷神社である。
京都の伏見稲荷、愛知の豊川稲荷とともに、
日本三大稲荷の一つともいわれることもある。
地元の岐阜県西濃地方など中京地方では
お千代保稲荷(おちょぼいなり)と呼ばれることが多く、
通称「おちょぼさん」として親しまれている。
祭神は大祖大神、稲荷大神、祖神。
商売繁盛、縁結び、合格祈願などにご利益がある。
伏見稲荷や豊川稲荷と比べるとかなり小規模だが、
年間250万人が参拝している。
特に正月三ヶ日や月末月始の月並祭、15日は大変混雑する。
商売繁盛の神社という特色上、同じ西濃地方の南宮大社などに比べ、
税理士などの専門職も含め自営業者の参拝が多い。







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記事:2437
ラベル:岐阜県 神社仏閣
posted by たつたつ・たつや at 00:39| Comment(2) | TrackBack(0) | 旅先にて・国内編 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年01月18日

天台真盛宗総本山『西教寺』@大津市坂本

やったことに無駄なことなんてひとつもない・・・

この年になると本当にそう思います。
過去に嫌だと思ってやっていたことが、今になって役立つことなんて、
普通にあるものです。
頑張ってブログを書いてるたつやに愛の手を〜♡
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何処かへいざなわれる時って、
必ずそれにつながっている過去があるのだということを気づかされます。
たつやは過去の自分を紐解くには、このブログがあるから、
何年前の何月にこんなことがあったと確認が出来ます。
それは今頃になって、便利だなと思っています。

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今日の自分の行動がどういう道を通って辿りついたのかが、
より鮮明になってつながるので、
そこに来た意味をより真剣に考えるようになりました。

例えば、今日のブログですが、整理してみるとこんな流れでした。
先日、大津市坂本にある天台真盛宗本山の西教寺へ行って来ました。

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とある日、鯖江市と福井市を結ぶ戸の口トンネルの福井側にあるそば店
『そば玄』でお昼ご飯を食べた後、通ったことのない山道を走っていたら、
「あけっつぁま」と書かれた看板を見つけて、立ち寄ってみると、
なんとそこは明智光秀をお祀りした明智神社という小さな祠があった。

http://onmyojitatsuya.seesaa.net/article/149895341.html
http://onmyojitatsuya.seesaa.net/article/185304075.html

DSC_1256.jpg



そのわずか2日後に、福井市の放送会館で行われた
『中島道子作家生活25周年記念講演』というイベントに出かけた。

http://onmyojitatsuya.seesaa.net/article/151599907.html

目的はその日、同じ三国町出身のヒナタカコさんと横田はるなさんが、
ミニコンサートを開くというもので、
その時は中島道子先生のことは知らなかった。
しかしながら、中島先生のお話はまさに『あけっつぁま』の話で、
そのあまりにも偶然と言う言葉では言い表せないシンクロニティに驚いた。




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その2年後に、たつやの会社が主催する『まちかど歴史浪漫コンサート』の
歴史講演会の部で、3年連続、中島先生に歴史講演をお願いするというご縁につながった。

http://onmyojitatsuya.seesaa.net/article/375880090.html
http://onmyojitatsuya.seesaa.net/article/375965276.html
http://onmyojitatsuya.seesaa.net/article/406877653.html



DSC_1268.jpg

中島先生は、この「あけっつぁま」のことを調べて、本を出版され、
そのことがきっかけとなって、明智光秀の菩提寺である大津市坂本の西教寺の中に、
明智光秀顕彰会という組織が出来たのだそうだ。
350年もの間、福井市の外れにある小さな集落、東大味の住人が、
ずっと守り続けたという明智神社のことは、菩提寺でもある西教寺さえ、
知らなかった事実だったのだ。




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以来、中島先生とは今でも懇意にしていて、
時折、お茶を飲みながら、歴史のお話を聞かせてもらっている。
その中島先生が、「西教寺には是非一度、行ってらっしゃい」と
たつやに何度も勧めてくださったことが、
今回の西教寺行きにつながったという流れだ。






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西教寺は大津市でも少し琵琶湖の湖西を北に上がった坂本という場所にある。
駐車場に車を停めた時は、けっこうな雪が降っていた。
寒いな・・・つい口元をついて出た。
傘を差して歩くのは好きではない(カメラ片手だと余計に)が、
仕方のないことだ。
連休最終日だというのに、人影はほとんど見えない。
参道の緩い登り坂は、うっすらと雪に覆われていた。

DSC_1246.jpg

坂の途中の右手に、『越前之國』という木製の看板を見つけた。
良く見る『福井教区宿坊 禅明坊』と書いてあった。
あらためて、福井は仏教王国なのだと感じた。

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西教寺の宗祖大師殿の立派な門から、
下を眺めると、琵琶湖を一望出来る。
数百年前にも、明智光秀はここから琵琶湖を眺めていたのだろう。
門には、小鳥をあしらった彫刻がなされているが、
このシンメトリーなデザインの秀逸さに見とれてしまった。

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本堂へ入るには入館料400円を支払って、入ることが出来る。
入ってすぐ右手の部屋に、
明智光秀公とその妻凞子夫人の木製の像が飾られていた。

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本尊は、大きな阿弥陀如来さま。
ちょうど、ご住職がお経をあげられていました。
時折鳴らす鐘の音が、心地よく響きます。

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※この写真はホームページで公開されているものを流用させていただいています。

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本堂
総欅入母屋造。江戸時代 元文4年(1739)に上棟落成。
用材は紀州徳川家からの寄進、正面の欄間(十六羅漢)や須弥壇は
すべて欅の素木造で江戸初期の特色を表す豪華な装飾が施されています。
ご本尊は、重要文化財の丈六の阿弥陀如来(平安時代・定朝様式)が安置されています。


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本堂から山側を見ると、雪景色した山の木々をバックに、
無数の古いお墓が並んでいます。
それ以外に、人工的なものは何もなく、
はたして今が本当に平成の時代なのかさえ、
わからなくなりそうな不思議な光景だった。

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いろんなご縁がつながって、今回の西教寺を訪ねる旅となったが、
ここからまた次なるご縁がきっとあるのだろうと思っている。







西教寺は正しくは、 天台真盛宗総本山戒光山兼法勝西教寺
(てんだいしんせいしゅうそうほんざんかいこうさんけんほっしょうさいきょうじ)といいます。
聖徳太子が恩師である高麗の僧慧慈、慧聡のために創建されたと伝えられています。
その後、久しく荒廃していましたが、慈恵大師良源上人が復興、念仏の道場としました。
恵心僧都も入寺、修業されたところから次第に栄えるようになりました。
鎌倉時代の正中2年(1325)に入寺された恵鎮(円観)上人は、
伝教大師が畢生の事業として提唱された大乗円頓戒を復興、
その後百有余年を経た文明18年(1486)に真盛上人が入寺されるに至り、
堂塔と教法を再興、不断念仏の道場とされました。
以来全国に約四百余りの末寺を有する総本山となりました。






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記事:2427
ラベル:滋賀県 神社仏閣
posted by たつたつ・たつや at 23:16| Comment(4) | TrackBack(0) | 旅先にて・国内編 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年01月17日

祇園の散歩道

たつやが20歳の時、成人式には出席しませんでした。
東京からわざわざ地元に帰るのが面倒だったし、
今ほど成人式に出るという時代ではなかったのかもしれません。
成人の日は確か吉祥寺の街を歩いていたことを覚えています。

京都で見かけた新成人の2人のかわいい女の子。
輝く未来が待っているね♪

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Joiaさんのライブは
祇園にあるキエフと言う老舗のロシアレストランが会場です。

DSC_1285.jpg

少し早めに着いたので、祇園の外れにあるコインパーキングに車を停めて、
しばらくの間、辺りをカメラ片手にぶらぶらと歩くことにしました。

いったいこの界隈にどれだけの飲食店があるのだろう。
派手派手しい看板やネオンはなく、
京都らしい町屋がそのまま飲食店になっているところもたくさんあります。

DSC_1277.jpg

川沿いにはいくつもの店が軒を連ね、
窓際の席が特等席なのでしょう。
夕暮れになると、川向うの料理屋に明りが灯って、
窓際に座ったカップルの姿が見えます。

京都は思った以上に気温が下がっていて、
首をすぼめて歩きます。

DSC_1279.jpg

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そんな寒さの中、楽しそうな笑い声に振り向きました。
この日成人式を迎えたであろう女の子がふたり、
携帯で自撮りをしています。

DSC_1282.jpg

あぁ、今日成人式だったんだ。
どうりで晴れ着が眩しいなぁ。

と微笑ましく思って見ていると、目が合いました。

良かったら撮りましょうか?


と声をかけると、とても喜んでくれました。
おじさんのカメラでも撮らせてもらいました。
「成人、おめでとう!」
「ありがとうございます^^」
若いっていいな!
2人には無限の可能性と輝く未来が待ってるね。

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気が付くと辺りは薄らと暗くなっています。
道行く人も、少し早歩きになっていました。

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可愛い2人におめでとうの意味で、クリック〜^^

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記事:2426

posted by たつたつ・たつや at 17:40| Comment(0) | TrackBack(0) | 旅先にて・国内編 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年01月13日

D & DEPARTMENT KYOTO @仏光寺

この連休は、年末年始に何処へも出かけなかったせいか、
いろんなところへ行って来ました。
それで2日ほどブログに更新が出来なかったのですが、
まさかの一位でびっくりしています。
応援してくださる人がたくさんいることを、あらためて感謝しています。
ランキングなんて別にいいや〜と思っていた時期もありますが、
やっぱり上の方にいるとうれしいものです。
うれしくなって、今夜も眠いけど大作?です^^

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京都市内は碁盤の目のように道路が走っているので、
方向さえわかっていれば、適当な道を走って行っても、
必ず目的地方面を見失うことがないので、
いつも大通りを避けて、狭い道をあちこち抜けて走るのが好きだ。
こんな時は軽自動車で良かったと思う。

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そんな風に走っていると、思いがけない場所に、
有名なお寺があったり、面白そうなショップやカフェがあったりして、
偶然の出会いを演出してくれるのも京都ならではだ。

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ただし、駐車場完備のお店は滅多になく、京都の駐車場事情は極めて悪い。
そのため京都の駐車場の料金は異常に高く、
市内のコインパーキングに車を停めて、
ちょっとうろうろしていて戻ってくると、
すぐに1500円とかの金額になってしまう。

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季節が良ければバイクや自転車が便利なのだと思うが、
今の季節は車が楽だ。
買い物好きなので、ついつい荷物が増えることや、
カメラ機材を持って歩いていることも、
クルマをチョイスする大きな理由となっている。

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さて先日、旅したい気分が溜まりにたまっていて、
朝一で京都に向かった。
最近は高速道路を使わずに、鯖江から8号線で敦賀に出て、
そこから161号線で琵琶湖の湖西をただひたすら京都に向かう。
時間にすれば3時間ちょっとで京都市内に入れる。

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この日はお昼のランチを、中京区のイタリアンレストラン
サルティンバンコ』さんが行く予定で、
少し早めに着きそうな感じだった。
例によって裏道、路地、裏道を選んで適当に走っていたら、
目の前に大きなお寺が姿を現した。

DSC_1116.jpg

お寺の名前は仏光寺
浄土真宗の仏光寺派の本山だ。

たつやの家も浄土真宗の本願寺派。
浄土真宗は10派あって、それぞれに〇〇派という名前が付いている。
たつやの家から歩いて3分の距離に、
真宗誠照寺派の本山、誠照寺(じょうしょうじ)があり、
同じ鯖江市内に、真宗山元派の本山、證誠寺が、
そして越前市内に真宗出雲路派の本山、毫摂寺が、
福井市内に、真宗三門徒派、専照寺がある。
何と浄土真宗10派のうち4つが福井県内にあるということになる。

たまにはこのブログも勉強になるでしょ〜^^

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折角の機会なので、仏光寺でお参りしていこうと思い、
仏光寺の境内の中の駐車場に車を停めた。
なるほど、浄土真宗のお寺の作りだ。
うちの近所にある誠照寺で見慣れているせいか、
初めて来た感じがまったくしなかった。
本堂の中は、連休中日にも関わらず、
たつやがお参りしている数分間は誰も来ることがなく、
落ち着いて、ゆっくり本堂の中を見せていただくことが出来た。

写真00863.jpg

参拝を終えて、外に出ると、寺事務所のような建物に、
dという文字がちらっと見えた。
この建物は・・・と思って中を覗くと、
ショップになっているではないか?
表立ってはまったく看板もなく、
外から見て、この建物がショップであると気が付く人は皆無だろう。

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よくよく見ると『D & DEPARTMENT KYOTO 京都造形芸術大学』
と書いてあった。
ようするに大学が経営するショップだったのだ。
まずたつやが魅かれたのは、
京都にある醤油、醸造酢、油それぞれの老舗を紹介したパネルだった。
そしてその前に試飲が出来るボトルと小さなスプーンが置いてあった。
最初にごま油を試したが、その香りと味が素晴らしかったし、
その油に醤油を一滴落としたものは、たまらなく美味しかった。
それらの調味料はショップの中で買うことが出来るシステムになっている。

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他には洗練された雑貨が並んでいる。
ディスプレイの仕方もオシャレだし、
見たこともないような、ステーショナリーがあって、
見ているだけで幸せな気分にさせてくれる空間だ。

たつやはもっぱら調味料だけをレジに持って行きました^^

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もうひとつの建物は何と、食堂だった。
京都にすればリーズナブルな価格で、和食のランチが食べられるようだ。
時間とお腹に余裕があれば、チャレンジしたのだが、
残念ながら、今回は見送ることにした。

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さすが京都!
いきなりの素敵な出会いが、今回の旅を演出してくれました。

仏光寺
京都市下京区高倉通仏光寺下ル新開町397





浄土真宗本願寺派 本願寺 西本願寺 京都市下京区
真宗大谷派 真宗本廟 東本願寺 京都市下京区
真宗高田派 専修寺 高田本山 三重県津市
真宗佛光寺派 佛光寺 京都市下京区
真宗興正派 興正寺 京都市下京区
真宗木辺派 錦織寺 滋賀県野洲市
真宗出雲路派 毫摂寺 五分市本山 福井県越前市
真宗誠照寺派 誠照寺 鯖江本山 福井県鯖江市
真宗三門徒派 専照寺 中野本山 福井県福井市
真宗山元派 證誠寺 横越本山 福井県鯖江市






京都が好きな人も、そうでない人もココをぽちっとね^^ 

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posted by たつたつ・たつや at 22:11| Comment(2) | TrackBack(0) | 旅先にて・国内編 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年01月08日

大津祭

更新する度に、ランキングが上がって、まさかの2位まで上がってきました。
何だか久しぶりなので、テンションが上がって
過去のことですが、ブログに書こうと思い、更新です^^
ありがとうございます。


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定期的にやってくる旅に出たい症候群
日本中の蒸気機関車を追っかけていた中学時代から始まったのだろうか?
それとも学生時代は中型バイクに乗って、日本中を旅したからだろうか?
大人になって若い時代は、海外へも旅したけど、
今ではなかなか旅にじっくり行くのが出来なくなった。

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それはそれで仕方ないし、それでストレスが溜まっている訳ではないけど、
ほんの1日か2日でいいから、何処か知らない土地を歩いて、
その地の歴史や文化や風土と言ったものに触れたいと思う。

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前もって綿密な計画を立てるのは、中学時代だけ。
今では、思い立ったが吉日!
いや思い立ったが吉時という感じで、
そのまま車を走らせ、出かけたり・・・。

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今日のブログは10月に京都へ遊びに行った時のことです。

京都方面に出かける時、京都市内はホテルが高いので、
泊まるホテルは大津市内を選ぶことが多い。
この日も同様だった。
遅い時間に着いて、車を駐車場に入れようとしたら、
通行止めの立て看板が立っていた。
そこにいた警備員さんに聞いてみると、
何と翌日は大津祭というすごいお祭りがあるのだと言う。

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おお!何てツイテルのだろう!
まさか1年に一度の祭りの日に何も知らずに大津のホテルを予約したのだから
ツイテルとしか言いようがない。
これは神様からのプレゼントだと勝手に理解することにした。
そんな風に考えると、旅先でのサプライズは何倍も何十倍も楽しくなる。

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翌朝、いつもより早めの朝食を食べて外に出ると、
揃いの法被を着た町衆が大きな二輪屋台を引いているではないか。
慌てて部屋に戻って、カメラを持って飛び出した。

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大津祭
本市の中央部に位置する京町三丁目の天孫(四宮)神社の祭礼である。
かつての社名から四宮祭ともよばれていた。
そして長浜曳山祭らと並んで湖国三大祭の一つに数えられ、
滋賀県無形民俗文化財に指定されている。
祭礼は、毎年体育の日の前々日が宵宮、次の日が本祭である。
本祭には13の曳山町から13基の曳山が出され、
終日コンチキチンの囃子と見事な「からくり」を演じながら市内を巡行する。
いずれも江戸時代に製作された華麗な曳山は、
まさに「動く文化財」の様相を呈しているといってよい。


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最初に大通りを通り抜けたのは、『西行桜狸山』という屋台だった。
これは帰ってから調べてわかったことだが、
西行桜狸山 (さいぎょうざくら たぬきやま)は鍛冶屋町の山車で、
作られたのは寛永12年(1635)創建。

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俗に狸山といい、塩屋治兵衛の狸面の伝承を持ちますが、
明暦2年に西行法師が桜の精(仙人)と問答を交わす
熊を現した人形を用いるようになって、その名を西行桜狸山と改めました。
狸は、屋上に載せられて、祭の先導ととも守護とも見られるようになり、
祭日の天気を守ることになりました。
これにちなんで、この山は毎年くじとらずで、先頭を巡行します。


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たまたまこの山車が一番に来たのかと思ったが、
そうではなく、毎年この狸山が一番と決まっているらしい。

お昼くらいになると、全部で13もの山車が、
大通りに沿って、並べられ、それはそれは壮観だ。

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カメラ片手に街中をブラブラしていたが、
気が付くと、あっという間に時間が過ぎていてビックリ。
思わぬプレゼントで、とっても幸せな旅になりました。






ココもよろしく〜^^

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記事:2419
ラベル:滋賀県
posted by たつたつ・たつや at 00:58| Comment(0) | TrackBack(0) | 旅先にて・国内編 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2014年10月14日

倫典さんと墓参りに

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まちかど歴史浪漫コンサートの翌日、
岡崎倫典さんは、富山の魚津へ行くということだった。
ライブですか?と聞くと、そうではなくて、
ギター仲間のお墓参りに行くと言うことだった。

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どなたの墓参りですかと尋ねると、まっつんの墓参りだと言う。
たつやが3年前に岡崎倫典さんのライブを企画した時に、
わざわざ富山から来てくれた人だったし、
その前に松任の楽器店で、倫典さんのライブを聴きに行った時に、
前座で演奏された方だったので、よく覚えていた。
人の良さそうなちょっとはにかんだ笑顔がすぐに浮かんできた。
http://onmyojitatsuya.seesaa.net/article/201257748.html

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この日の空・青空の部分がギターに見えたのはたつやだけかなぁ?

特に親しいお付き合いがあったわけではなかったが、
たつやにとっても、多少のご縁のあった方だし、
もう少し倫典さんと一緒な時間を過ごしたかったこともあって、
富山までご一緒させてもらえないかと言うと、
倫典さんもとても喜んでくれた。

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翌9月15日は、とてもよいお天気に恵まれ、
行きの高速道路も快適なドライブとなった。
まっつんの音楽仲間が集まり(何故か女性ばかり)
一緒にまっつんのお墓参りに連れて行ってもらった。

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まっつんのお墓は、日本海が見渡せる小高い丘の上にあった。
上空はうろこ雲が広がる秋の高い空が広がっていた。
富山は家も立派だが、お墓もすごく立派で大きなものが多く、
土地によって、お墓もそれぞれなんだと感じた。

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お花を供えて、蝋燭に火を灯して、お線香を。
すると倫典さんとまっつんの恋人がそれぞれタバコに火をつけて、
墓前にお供えした。
ほとんど風がないのか、
タバコと線香の煙は、す〜っと上に上がって行った。
お墓の前で皆で記念撮影しようと誰かれなしに言いだし、
撮った一枚がコレ!
悲しいことだったけど、皆笑顔で墓参りは、
きっとまっつんは喜んでいるだろうな。

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墓参りを終えて、皆でお茶をしようということになり、
とても素敵なカフェへ行くこととなった。
美味しいお茶とケーキをいただきながら、
倫典さんとまっつんの出会いや、今までの思い出話、
苦しい闘病生活をしながらも、病院の中で開いたギターライブの話など、
話が尽きることはなかった。

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そういえば、たつやがまっつんの演奏を聴いた
松任の楽器店ポンポロプーでの倫典さんのライブ中に、
あまりの素晴らしい演奏に感激し、目の前にいた倫典さんに、
「ホントに一人で弾いているのですか〜?」
と聞いたことは、その後もずっと伝説になっていることを知った。
この日のブログはコレです。
http://onmyojitatsuya.seesaa.net/article/174423243.html

DSC_3069.jpg

その時、倫典さんは、スピーカを指さして、
「それはいい質問です。実はこの中に・・・
な訳ないだろ(苦笑)」

この答もとってもよく覚えている。

たつやにとって、今回のまちかど歴史浪漫コンサートは、
倫典さんとの最初の出会いから、何度もいろんなカタチで交わって、
お付き合いをさせていただけたから、実現したライブだったと思います。

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日頃からお付き合いくださってるお友だちもたくさん来てくれたこと。
倫典さんやマネージャーのマークさんとのお付き合いが出来たこと、
今までの様々な出会いや経験があったからこそ、
成し得た素晴らしいコンサートだったと思います。
あらためて心より感謝しています。

富山でご一緒してくださったまっつんの音楽仲間にも
とても感謝しています。
また北陸での岡崎倫典さんのライブを一緒に盛り上げて行きましょう!
ありがとうございました。






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posted by たつたつ・たつや at 21:55| Comment(0) | TrackBack(0) | 旅先にて・国内編 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2014年09月09日

行く夏を惜しんで・・・

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夏生まれのたつやは、子どもの頃から
自分の誕生日が近づく夏休み前は得体のしれぬわくわく感が毎年あって、
その感覚は大人になった今でも変わらない。
こういう感覚は最近まで、たつやだけでなく
ほとんどの人がそういうのを持ってると思っていたが、
実はそうではないということに気がついた。

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お盆が過ぎて、アブラゼミからヒグラシの鳴き声に変わるころ、
少し夏の終わりを予感させる。
そして夏休みが終わる頃は、暗くなる時間が早くなり、
夕暮れに吹く風が涼しく感じる時、夏の終わりを感じる。

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あぁ、楽しかった夏が終わってしまう・・・
という一抹のさみしさを覚えるのは、たつやだけでなく、
他にも同じ感情になる人も少なくないと思う。

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今年も石川県の片野海岸で週末のサンセット時に、
フラやタヒチアンダンスのショーが何度か行われた。
そのラストディ、8月最後の日曜日に、
片野海岸で唯一の浜茶屋サンルーカスさんが、
行く夏を惜しんで企画したものだ。

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この片野でのショーに出演しているフラ教室のナーレイアパウさんとの交流の中で
昨年から何度か撮影をさせていただいていて、
夏の海とフラの写真を撮り続けている。
日本海に沈む夕陽が
横からのスポットライトのようにフラダンサーを照らすと、
室内で撮影しているのとはまったく違う絵になるのが面白い。

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それにフラの文化や歴史を知る度に、
日本とハワイの共通点や、価値観が似ていることに気づかされてくる。
踊りたいとまでは思わないが、
これからもフラダンサーを撮り続けたいと思う。

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沈む夕陽を背にすると、まるで影絵のようにダンサーはシルエットになる。

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行く夏を感じながら、ちょっぴりセンチメンタルな気持ちでシャッターを切り続けた。


フラに興味のある方はどうぞこちらの問い合わせてみてくださいね。
体験教室やイベントの案内も教えてもらえます。


ハワイ島の名門クムフラ「ジョニーラムホー師」のフラが学べる
フラ&タヒチアンダンススクール
Halau Hula Ka Nani O Na Lei Apau(通称ナーレイアパウ)

加賀本校・福井和田校・福井丸岡校
お問い合わせは leiapau@yahoo.co.jp
090-9446-3349







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posted by たつたつ・たつや at 22:14| Comment(0) | TrackBack(0) | 旅先にて・国内編 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2014年08月28日

三井寺・西国三十三カ所第14番札所

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滋賀県フリークだった十年ほど前に、一度だけ大津市にある三井寺に行ったことがある。
だけど当時はさほどお寺についての興味がなかったのか、
あまり記憶に残っていない。

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2年前の夏に、琵琶湖に浮かぶ竹生島へ行った時に、
たつやのご先祖さま(100年ちょっと前の方)も行ったという
西国三十三カ所霊場巡りをしようと思い立ち、ご朱印帳を購入した。
予定では今頃は、30箇所くらいは回っているつもりだったのに、
とんとご無沙汰していて、今だ3箇所目というスローペースだ。

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三井寺も西国三十三カ所霊場巡りの第14番札所で、
本来の名前は園乗寺(おんじょうじ)と言う。
ご本尊は如意輪観音さまである。

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新緑の季節や、秋の紅葉の名所としても知られる三井寺は、
広い敷地内に植物が生き生きと生い茂っている。
着いた頃は、青空が見えていたが、最初のお寺の中に入っている間に、
ポツポツと雨が降り始めた。
慌てて、入口の受付のおばさんにお願いして、
傘を取りに戻る許可をもらって、外へ出た。

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安物の透明のビニール傘は、直径が小さくて、
カメラ片手で歩いていると、すぐに足元がベタベタになってしまう。

国宝にも指定されている金堂は、
外陣に入り、板敷きの脇陣、後陣を一周することができる。
脇陣、後陣には仏像や絵画などが安置されており、拝観が可能である。
こんなに間近で平安時代や鎌倉時代の仏像を見れるとは思ってもいなかった。
それにかなりの数が安置されているので、見ごたえも十分だった。
どうしてこんなに魅かれるのか!?
それは時代と共に、人々が捧げた祈りによって、仏像に魂が宿っているかのようだ。
いや、きっとそうだ。


仏像に見とれていて気が付かなかったが、
金堂の正面に回ると、外は一気に土砂降りになっていた。

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これはしばらくここで一服するしかない・・・。
とにかく蒸し暑い日だったが、その時だけは少し涼しくなった。

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一番奥にある観音堂で、ご朱印を書いてもらうことが出来る。
その横にある小さなお堂を見たら、百体観世音という提灯が気になった。

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中に入ってみると、ガラスの格子戸の向こうにたくさんの観音様が安置されていた。
古くて文字がかすれているものも多いが、台座には第〇番札所〇〇寺と書かれている。
よくよく見ると、舟に乗っている観音様もあれば、雲の上に乗ってる観音様もいて、
なかなか楽しい時間だ。
そして、どうしてここが百観音堂なのか、ようやく気が付いた。
西国の三十三か所・坂東の三十三か所・秩父の三十四か所を足して、
百観音さまなのだ。


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帰ってから調べてみると、このように書かれていた。

日本百観音とは、西国三十三か所・坂東三十三か所・秩父三十四か所を総合して、
日本を代表する100か所の観音巡礼を称します。 
その結願寺は秩父三十四か所の三十四番、水潜寺となります。
「今昔物語集」に百観音巡りの記載があり、
平安時代には百観音巡りの思想があったことが示されています。
また、長野県佐久市の岩尾城跡にある大永5年(1525)銘の石碑に
「秩父三十四番 西國三十三番 坂東三十三番」と彫られており、
これ以前に日本百観音巡礼が考案されていたことがわかります。
巡礼者は全ての札所を巡拝した後、
善光寺および北向観音にお礼参りをすることが慣わしとされています。


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最後に観音堂でご朱印を書いてもらって帰ることにした。
たまたまたつやの前の女の人が、ご朱印帳を40冊以上も持って、
書いてもらっていて、びっくり!
どうやらツアーのお世話係さんのようだ。
書いてくださる方が、個人の方どうぞと言って、優先してくれた。

今になって思えば、前もっていろんなことを調べてから
お参りすべきだったと反省しています。
ご朱印をもらうことだけが目的になってはいけませんね。。。









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posted by たつたつ・たつや at 21:38| Comment(0) | TrackBack(0) | 旅先にて・国内編 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2014年08月27日

雨のマキノ町

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雨・・・
今年の夏の週末は雨の日が多かった。
お盆休み後半は、ふらりと滋賀方面に出かけた。
マキノ町は国道161号線からちょっと外れるが、
遠回りしてでも、走りたい道がある。

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ココに初めて来たのは、もう15年以上前のこと。
最初にメタセコイアの並木道を見た時はとても感動した。
車で何度も行ったり来たり・・・。
並木の入口から写真を撮ったり、横から撮ったりした。

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結局、今でも季節の違う時期に来ては、
同じようなことを繰り返しているが、
このマキノ町の自然の美しさは特別な感じがする。

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たつやが尊敬する憧れの存在、今森光彦さんは、
この地に住んで、この地をフィールドワークとして、
写真を撮っている。
写真家でもあり、切り絵作家でもあり、
各地で講演やワークショップなども開催する
天才アーティストだ。
作品展などを見に行くと、里山の風景や
昆虫写真は、ここマキノ町だからこそ撮れる写真だと思うことが多い。

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この日は小雨が降っていた。
そのため緑がより元気だ。
田んぼの稲も少し色づき始め、
琵琶湖は雨に煙って、ぼんやりとしか見えない。

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マキノ町のピックランドという施設の農産物販売所へ行くと、
ベリーと書かれた果物があった。

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ベリー系は、ブルーベリーもブラックベリーもラズベリーも
皆好きなので、このベリーという果物に興味を持った。
ベリーというより、どちらかと言えば、ぶどうに似ている。

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さっそく食べてみる。
まさにぶどうと同じような味だった。
甘味がしっかりあって、ほのかに酸味を感じる。

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ただどのような形態で実が成るのかを見てみたいと思った。
房でなるのか?一個一個単体でなるのか?
もしご存じの方がいたら、教えていただけるとうれしい。










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ラベル:滋賀県
posted by たつたつ・たつや at 22:47| Comment(4) | TrackBack(0) | 旅先にて・国内編 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2014年07月07日

白山比盗_社

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マルシェワンダーランドを一週間後に控えたある日、
成功祈願で石川県にある一の宮神社である白山比盗_社へ参拝に行った。
もともとたつやは信心深い人ではなかったが、
年齢を重ねたせいか、若いころにはなかった良心や周りの人たちへの感謝の気持ちや
今の自分はたくさんの人に助けてもらっているという意識が芽生えてきて、
ここ数年は感謝したくて神社への参拝がとても増えた。

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と同時に、神社が持つ独特の気がとても心地よいことに気がついた。
理屈はわからないが、なぜか気持ちいい。
心身ともにリラックスしている自分を感じることが出来る。

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この白山さんへは、何度か訪ねているが、
一番下の駐車場に停めて、鳥居をぐぐり、
右に曲がると鎮守の森の中のなだらかな石段を上がるコースが、
もっとも気に入っている。
というかこのルートしか通らないのだが・・・。

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石段を上り、緑の中に佇んで、後ろを振り返ると、
今まで通って来た参道が、南からの太陽に照らされて、
木洩れ日が左から右にこぼれているのが見える。
少し上がると左手に手水舎があり、手と口と心を清める。

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更に上に上がると右手前方に注連縄が掛けられている杉のご神木がある。
根元の周り約12m、胸高幹周り約10m、樹高約42mの巨木で、
樹齢はおよそ800年といわれている。
(白山市指定天然記念物)

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最後の石段を上がりきると、左手に神門が見え、
そこをくぐると正面に拝殿がある。
左右にある狛犬は筋肉隆々の迫力ある姿をしている。

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たつやがもっとも気持ちが上がるのが、
拝殿右手にある白山奥宮遥拝所
ここは離れたところから白山山頂の奥宮を拝む遥拝所で
大汝峰、御前峰、別山の「白山三山」の形をした大岩が祀られている。
目をつぶると額の真ん中を押されるようなエネルギーを感じる。

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白山比盗_社は全国に3000箇所あるという白山神社の総本宮で、
訪れる参拝客も後を絶たない。
何度足を運んでも、心身ともに癒される地で、
たつやにとっては、とてもありがたいしらやまさん♪である。

帰りに買って食べるおはぎがまたとっても美味しい!

DSC_3525.jpg

また近いうちにお礼詣りに行こうと思っている。





ちょっと気になったのは、犬を連れた参拝客がリードを引っ張って、
本殿まで来てお参りしていることだった。
たつやも犬は大好きだが、最近は飼い主が犬を愛するあまり、
周りのことを考えられなくなっている人が増えているように思う。
犬や猫が大好きな人にとっては、歓迎されても、
そうでない人にとっては迷惑な話だと思う。
タバコを吸っている人とそうでない人の関係に似ているかもしれない。







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2353記事目
ラベル:神社仏閣 石川県
posted by たつたつ・たつや at 22:44| Comment(0) | TrackBack(0) | 旅先にて・国内編 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2014年04月23日

大聖寺花見流し舟・後編

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前編よりの続き
15分ほど待っていると、その団体さん5人が来られた。
見事に皆さん女性ばかりで、たつやよりも少しばかり年上のお姉さん方だった。
もう舟に乗る前から、皆さん楽しそうにおしゃべりをしている。
船着き場に降りて、乗船する際はあまり揺れないように船頭さんが舟を抑えてくれる。
たつやは最後に乗船した。
屋形船で、中には茣蓙が敷いてあり、座敷のようになっている。
たつやは船頭さんのすぐ前に座った。

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その中の一人は毎年のようにこの流し舟に乗っているらしい。
「皆さん、ラッキーよ!この船頭さんのお歌がとっても素敵なの♡」
とたつやに向かってそう言ってくれた。
船頭さんは何人もいるらしいが、この方の歌は最高とのことで、
どうやらご指名での乗船だったようだ。

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川の流れは緩やかで、舟も櫓を漕ぎだすと、音もなく、す〜っと動き出した。
何でも、この舟の中ではいろいろとなことを要求されるので、
いろんな気配りや芸が必要なのだと言う。

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桜を川面から眺めるとその美しさは更に際立つ。
船頭さんの後ろにも桜、舟の前にも左右にも桜が今、まさに満開で、
たつやたちを歓迎してくれている感じがした。
舟に乗っていると、堤防沿いの人たちが写真を撮ったり、
手を振ってくれたりするのが、またちょっと楽しい。

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舟はゆっくり進み、右手に江沼神社長流亭を望む。
この長流亭は、大聖寺藩主の休息所として宝永6年(1709)に上棟、
藩邸の庭園の一隅に大聖寺川を臨むように建築された。
当初は「川端御亭」と呼ばれていたが
後に利直の雅名からとって「長流亭」と称された。
昭和25年文化財保護法の施行により重要文化財に改称された。

DSC_6083.jpg

そこから少し先の松島橋まで行くと、舟はUターンする。
そろそろ船頭さんの歌が聞きたい。
時折、ウグイスの可愛い鳴き声が川面に響くが、
舟に揺られて、船頭さんの歌を満開の桜の中で聴くなんて、
最高の贅沢だと思った。

DSC_6093.jpg

毎年9月には大聖寺十万石まつりというのが行われるが、
そこで踊られる歌『大聖寺小唄』を披露してくれた。
船頭さんもめちゃめちゃ気持ち良さそうに歌っているが、
また本当に上手で、日本の歌ってやっぱり素晴らしい。

もう一曲は、大聖寺川の上流にある山中温泉の山中節を、
男性用に作り直したという『船上山中節。』

DSC_6095.jpg

櫓を漕ぐ木が軋む音と、水の音と、鳥の声をバックに、
船頭さん、実に気持ち良さそうだ。
たつやもこんな歌が歌えるといいなぁ

DSC_6072.jpg

歌が終わる頃には船着き場に戻って来た。
ちょうど近くの保育園から帰る親子が堤防沿いを歩いていた。
たつやがカメラを構えて、手を振ってみた。
いいな〜、こんな環境で育ったら、いい子になるんだろうな。

DSC_6127.jpg

DSC_6132.jpg

舟の代金は大人1000円という良心的価格。
桜の時期に乗りたいと思っていたが、
想像を遥かに超えて、とても素晴らしく心地いい時間だった。
新緑の時期や紅葉の時期にもまた乗りたいと思う。

大聖寺流し船
http://po5.nsk.ne.jp/~shiseki/6662/







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2014年04月22日

大聖寺花見流し舟・前編

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10年ほど前に訪れて、すっかりその町に魅せられてからは、
四季を通じて、時々行くようになった。
石川県加賀市大聖寺は、加賀百万石の支藩として大聖寺十万石として栄えた町だ。
小さな地域ながら、海や丘陵、河川などの自然とともに、
城下町独特の文化や歴史を感じることが出来る魅力的な町だ。

DSC_5887.jpg

旧市内には大聖寺川が流れ、その一部を流し舟で観光することが出来る。
昔からあったわけではなく、町の有志が出資し合って舟を購入し、
この流し舟が運行されるようになった。
川沿いをカメラ片手に散歩していると、
のんびり船頭さんが櫓を漕いでいる姿を何度も見かけた。

DSC_5933.jpg

一度乗ってみたい、しかも桜の季節に乗ってみたいと思いつつ、
4.5年が過ぎてしまった。
そして今年はようやくその夢が実現することが出来た。

DSC_5912.jpg

一時期カヌーに乗っていたことがあって、
地上からの風景と、川面から見上げる風景とでは、
まったく違う世界が見えることを知っているので、
余計に流し舟からの花見を楽しみにしていた。

DSC_5952.jpg

九谷焼美術館の庭から、山ノ下寺院群を通り、
錦城小学校の前の桜並木をゆっくり歩きながら写真を撮った。
穏やかで暖かい日で、スケッチをしている人や、
おばあちゃん同士が散歩がてらに花見に来ていた。

DSC_5900.jpg

DSC_5894.jpg

子どもたちも桜並木の下で元気に走り回っている。
桜の開花と共に、皆が笑顔になっていく。

DSC_5972.jpg

大聖寺川の堤防を深田久弥山の文化館の方へ歩くと、
橋があり、渡るとそこが流し舟の八間道発着場がある。
古い電車が一両置かれていて、中で休憩することも出来る。

DSC_6038.jpg

何故か昭和のスチュワーデスの制服なんかが展示されていたりする。
時間があってここでゆっくりすることが出来たなら、
もっと面白いモノが発見出来そうな気がする。

DSC_6036.jpg

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事務所に行き、流し舟に乗りたいと言うと、
団体さんと一緒でもいいですか?と聞かれた。
もともと一人なので、一向に構わない。

後編に続く・・・

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2014年03月30日

近江の白髭神社

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10年ほど前、マイブームだったのが滋賀県、近江の国だった。
琵琶湖を中心に持つ滋賀県は湖東・湖西・湖南・湖北と言われ、
それぞれ気候や街並みや歴史が異なる旅をしていても楽しいエリアだ。

DSC_3118.jpg

琵琶湖の西を走る今の国道161号線は、福井県から京都に行くのに、
近くて便利な道となった。
以前は狭くて細く、片側一車線の国道だったが、
今では高架道路になっていたり、広い車線のきれいな道になったり、
以前は有料道路だった道が無料になったりと、様々な面でリニュアルされ、
京都までの道を快適に走ることが出来るようになった。

DSC_3115.jpg

今年の1月に買った新車、軽のエコカーは、思った以上にいい燃費で、
リッター当たり21kmほど走ってくれる。
瞬間の燃費が出たり、アクセルを踏み込んだり、急加速をするとランプの色が変わったり、
平均燃費が出たり、アイドリングストップ機能がついていたりして、
意識的にエコドライブをしなければならないという気にさせてくれる。

DSC_3141.jpg

実際に高速道路を走ってみると、80km程度で走行していると燃費がいいが、
100km以上で走ると極端に悪くなることがわかって、
最近では高速道路をなるべく使わないようにしている。
環境にも車にも財布にも優しい走りが出来るようになってきた。

DSC_3142.jpg

さて、その恩恵?で国道161号線で京都に向かう途中、
ずっと気になっていた琵琶湖の水中に立っている赤い鳥居の神社へ立ち寄ることにした。
何度かこの道を通っていたが、その都度、気になっていた神社だ。
湖面を渡ってくる風は冷たかったが、絶好の天気に恵まれた参拝日和だった。

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白髭神社、この神社は猿田彦命(さるたひこのみこと)を祭神とする近江の古社で
161号線の琵琶湖の中に赤い大きな鳥居がある。
この鳥居は昭和56年に再建されたもので、高さ12m、本柱の間隔 は7.8m。
古くはもっと小さな鳥居が湖岸にあったという。
それは、この神社にお参りするのに舟を使っていたことが伺える。

DSC_3114.jpg

DSC_3136.jpg

本殿は道路を挟んで向い側にあり、国の重要文化財に指定されている。
創建は古く、垂仁天皇の時代(約2000年前)と伝わり、1190年には源頼朝が鰐口(わにぐち)を奉納、
足利将軍もたびたび参拝するなど、戦国武将に広く信仰されていた。
本殿・若宮社・伊勢両宮及び八幡三社は、豊臣秀吉の遺命を受け、
豊臣秀頼が片桐且元を奉行に命じ、播磨の大工の手によって造営されたものである。
現在は延命長寿、子授け、開運招福の神様として人々の信仰を集めている。
国内にある白鬚神社の総社でもある。

DSC_3139.jpg

松尾芭蕉が琵琶湖で詠んだ石碑があった。
「四方より 花吹入れて 鳰の湖」

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一度、この白髭神社へ舟で参拝してみたいと思う。
水中の鳥居を舟でくぐって上陸し、本殿へ参拝したら気持ちいいだろうなぁ。







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2014年02月26日

神々の棲む國・出雲宍道湖

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旅先でのお天気にはいつも恵まれているたつやだが、
ここ出雲で過ごした2日間は、
11月の日本海側とは思えないような青空が広がって、
ここ出雲に集まった八百萬の神さまからも歓迎されているような気がした。

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宍道湖は実に穏やかな表情をしていた。
暖かい小春日和のドライブは最高に気持ちがいい。
宍道湖の湖面には太陽がキラキラ輝いている。
蜆漁?に出かける準備をしている風景に出くわす。
夫婦と思われる二人は、会話することもなく黙って漁具を積み込む。

写真00855.jpg

湖畔で写真を撮っているとピンク色のかわいい電車がやってきた。
ご縁電車・しまねっこ号」である。

写真00847.jpg

この電車は2013年9月21日より運行開始した新しいタイプの車両だ。
松江と出雲大社を結ぶ一畑鉄道の島根PRを担っている。
ホームページによると
「ご縁の国しまね」観光PRキャンペーンの一環であるこのラッピング車両は、
「しまね」の「ご縁」を感じる様々な仕掛けが施されている。
車体には、島根県観光キャラクターの「しまねっこ」をはじめ、
「しまね」にちなんだ8つのモチーフが描かれ、
車内には「しまねっこ」のオブジェや8つの「隠れしまねっこ」、
「ご縁あみだくじ」などの仕掛けが施されているという。
外装も内装もピンクを基調としており、なんとも可愛らしい車両である。


写真00848.jpg

立岩神社に向かう途中、小さな神社を見つけて訪問した。
島根では当たり前のように地域地域に神社があり、
当たり前のように住民が神社を守っているのがよくわかる。

写真00852.jpg

写真00853.jpg

写真00854.jpg

中学2年生の蒸気機関車撮影以来、40年ぶりに訪れた島根は、
たつやを魅了してやまない旅先となった。
また今年も時期を見て、じっくり出かけたいと思っている。






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2014年02月25日

神々の棲む國・八重垣神社

神々の棲む國・出雲の旅がまだ少し残っています。

神魂神社からほど近いところに、八重垣神社があることを知り、
足を延ばすことにした。

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スサノオノミコトが稲田姫と新居を構えたという神話が残る八重垣神社。
稲田姫が、八岐大蛇(ヤマタノオロチ)の難を避けるために
避難した場所といわれている。

写真00838.jpg

夕暮れが近づいていた時間帯にも関わらず、
大勢の参拝客で賑わっていた。
後からわかったことだが、この八重垣神社は
恋愛成就のパワースポットとか言われていて、
いろんなマスコミに取り上げられているらしい。
なので若い女性の参拝が多かったのだろう。

写真00833.jpg

社殿の奥の森には、稲田姫が鏡として使ったされる鏡の池があり、
ここで行う「鏡の池占い」が有名なのだそうだ。
たつやはそれを知らなかったし、時間もなかったので池までは行かなかった。
一説によると、硬貨を乗せた紙を池に浮かべ、
沈む速さや紙が移動する距離などで縁談を占う。
沈むのが早ければ早いほど出会いが近く、
また紙が遠くへ行くと遠方の人との縁が期待できるのだそうだ。
占い好きの女子には楽しいスポットなのだろう。

写真00839.jpg

写真00835.jpg

八重垣神社は荘厳とか厳粛と言った雰囲気ではなく、
明るく楽しい雰囲気が漂う神社だと感じた。
そういえば狛犬さんもユニークだ。
その前に行った神魂神社とはまったく違う空気感だ。

写真00840.jpg

別社には道祖神が祀られ、子孫繁栄や家庭円満の御利益があるという。
確かに子宝に恵まれそうな立派なのが奉納されていた。

写真00832.jpg

写真00843.jpg

暗くなる前にもう2ヶ所ほど行きたい神社があったので、
参拝だけを済ませて、足早にクルマに戻った。






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2014年02月07日

神々の棲む國・龍頭ヶ滝

須佐神社から雲南市を通って松江方面に出ようと思った。
お天気は相変わらず快晴が続き、
道はとても空いていて快適なドライブだ。
この辺りは杉の植林が少ないのか、どの山々も赤々と紅葉している。

ドリカムのCDをかけながら、鼻歌交じりにハンドルを切る。
11月だというのに太陽がまぶしく、ポカポカしてきて眠くなってきた。
少し窓を開けて涼しい空気を取り入れて走っていた。

その時だった。
看板が目に入った。
右矢印『龍頭ヶ滝』

写真00817.jpg

出雲大社近くで出会ったYさんに
地元の魅力を感じる場所を紹介してもらった時に、
立岩神社の次に勧めてくれたのが龍頭ヶ滝だったのだ。
その時には神社関係を中心に考えていたので、
滝には行かなくてもいいと漠然と思っていた。
なので、その滝が何処にあるかということは、
調べるつもりもなかった。

写真00818.jpg

ただたつやの地元、福井県には池田町に龍双ヶ滝という名滝があって、
その名前と似ているなぁ・・・という記憶があったので、
看板を見た時に思い出したのだ。

もうこれは行くしかない!
ハンドルを右に切って、その龍頭ヶ滝を目指した。
駐車場にはたつやの車の他は一台だけで、
ひっそりとしていた。

写真00711.jpg

滝までの道も人の気配がなく、寒々としている。
雄滝へは大きな杉の木の真ん中にある木製の階段を登らなくてはならない。
看板に従って、左に降りるとゴーというすごい水の音が聞こえた。
と同時に、眼の前に大きな龍頭ヶ滝が姿を現した。

写真00819.jpg

すごい!
とてつもない存在感の大きな岩の下の方がぱっくりと口を開けている。
その大きな岩の上から落差40mの大量の水が落ちてくる。
その圧倒的な岩と滝の存在感に、しばし動くことが出来なかった。
少し落ち着いてきて、その滝の左手に階段があることに気がついた。
どうやら滝の下に入れそうだ。
しかしながら辺りには相変わらず誰もいなく、
その洞窟のような場所に行くのが怖い気がした。

写真00820.jpg

と思いながらも結局はいつも行ってしまうのがたつや。
滝を真横から撮影が出来ると思い、階段を上がった。
中へ入ると左手上の方に観音様がおまつりしてあった。
これが真夏であれば、ここで休憩してお茶でも・・・という気分になれるが、
11月の滝の真下は寒くて暗く怖いので、足早に戻ることにした。

写真00822.jpg

雄滝の下の方に雌滝がある。
そこは雄滝に比べると穏やかな雰囲気の場所だった。
緊張感がやや緩んだのか、川の石を飛びながら滝に近づく時に、
滑って川の中に右半身がドボンと落ちてしまった。
カメラを持っていたので、とっさにカメラだけは濡れないように、
左手で持ち上げていたのは、不幸中の幸いだった。

写真00821.jpg

駐車場に戻るまでの間、スニーカーの中の水がクッチャクッチャ言って、
ジーンズはおろかパンツまでビショビショ・・・。
上半身も右側はベタベタ・・・
こんなことって昔あったなぁ、
まさかこんな年になってまた経験するなんて・・・。

まるで自分が小学生のたつやに戻ったかのようで、
思わず声をあげて笑ってしまった。

駐車場で誰もいないことを確認して、
全部脱ぎすてて、着替えをした。
神々の棲む國で申し訳ないと思いながら。。。

写真00712.jpg



龍頭ヶ滝(りゅうずがたき)は、雲南市掛合町松笠にある滝。
雲南市と出雲市の境界にある鳥屋ヶ丸(とやがまる)を源とする
斐伊川水系の三刀屋川の支流・滝谷川にある。
上流部の雄滝、下流部の雌滝からなる。
流域にはオオサンショウウオが生息している。

雄滝は落差40mの直瀑である。
下部は洞穴となっており滝観音が祀られている。
洞穴内部から滝を眺めることが出来る「裏見の滝」となっている。
雌滝は段瀑となっており、下部のみが見え上部は岩陰に隠れて確認できない。
ここには名馬「池月」を産し、京に献上したとの伝説が残っている。
池月は承久の乱における宇治川の戦いの先陣争いで佐々木高綱が騎馬し、
後に源頼朝に献じられたと伝えられる。

明治時代の詩人・大町桂月は
「出雲国中、滝は龍頭ヶ滝が第一なり。この滝日光に持ち行くも十番以内に有るべし。」
と評している。

wikipediaより抜粋






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2014年02月04日

神々の棲む國・神魂神社

出雲の旅をしようと旅のガイドブックを開いた時に、
ちょっと気になる神社があった。
『神魂神社』(かもすじんじゃ)と読むらしいが、
神様の魂の神社ってどんなにすごいところなのだろう?
ここは是非とも立ち寄りたいと思った。

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松江市内から神魂神社まではナビに従って、狭い道をくねくね走った。
郊外に抜けて、緑が多くなってくるにつれて、
何となく心地よい空気が漂ってきて、走っていても楽しくなってくる。

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やがて神魂神社に到着した。
下の鳥居の横にある紅葉が色付いていた。
鳥居をくぐり石段を登り、少し上がると右手にまた石段があり、
その上に神魂神社の本殿がある。

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本殿は現存する最古の大社造建造物であり、
昭和27年3月に国宝に指定された。
昭和23年の修理の際に、柱から正平元年(1346年)の墨書が見つかったが、
現在の社殿は天正11年(1583年)の再建と考えられている。

Wikipediaより

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神魂神社はずっしりとした感じの威厳があって、
国宝に指定されている建物は歴史を感じさせるモノクロームの世界だ。
しかしながら本殿左手の紅葉の木が見事に赤や黄色に色づいていて、
一転してカラーの世界。

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風もまったくなく11月とは思えない温かくて穏やかな一日だった。

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神々が澄む國、出雲への旅はまだまだ始まったばかりなのに、
もうどっぷりとその魅力にはまってしまった。

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2014年01月30日

神々の棲む國・須佐神社

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出雲市から184号線を南下し、雲南市方面に向かって走ると、
神話の舞台を旅している実感が湧く。
里山の景色が続き、奥へ入れば入るほど山々の木々が色づき、
紅葉がより一層鮮やかになって行く。
太陽の光を浴びて輝く山の赤が目立つようになる。

DSC_9193.jpg

途中あまりの紅葉の美しさに、クルマを停めて
何度も撮影したくらいだ。
だけどいくら撮っても同じような写真にしかならない。

DSC_9198.jpg

目指す須佐神社がどういうところなのかはまったく知らないが、
この道中の感じからすれば、本当にいい場所にあることが、
容易に想像が出来た。
184号線から雲南市方面に左折し、しばらく走ると
目指す須佐神社に到着した。

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出雲に着いてから、ずっといいお天気が続いていて、
まるで春のようなポカポカ天気に恵まれていた。
風がまったくないので、更に体感温度は上がる。

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鳥居をくぐり、神門の前に立った時に、
何と優しく穏やかな空気に包まれている神社なのだろうと思った。
その感格は拝殿に近づくに連れて強くなっていく。
ここ須佐神社は、須佐之男命をおまつりしている神社で、
古くからこの地に存在している。

DSC_9204.jpg

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須佐之男命と言えば、ヤマタノオロチを退治した神としてのイメージが強く、
もっと荒々しいエネルギーを感じるかと思っていただけに、
この何とも言えない心地よさが、いい意味で裏切られた感じがした。

この地方では当たり前の大きなしめ縄が飾られ、
紫の幕がわずかに吹く風に揺れていた。

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お参りしている間も、ずっとその穏やかな空気に包まれていた。

DSC_9217.jpg

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拝殿の後ろの御本殿は島根県の重要文化財されている。
裏手に回ると、樹齢1300年と言われる大杉がある。
社殿の西を流れる素鵝川にも降りることが出来る。
それにしても何と美しい川なのだろう。
好きな神社の特徴として、近くに川が流れていることが多いが、
ここ須佐神社もその特徴を持っている。

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参拝後、裏道を歩いていると一軒の食料品兼雑貨のお店を見つけた。
中に入ると美味しそうな豆腐があった。
小腹が空いていることを思い出し、
おやつ代わりにその豆腐を一丁食べることにした。
「すいません、ちょっとだけお醤油もらってもいいですか?」
親切なおばちゃんは、「生姜もすってきてあげるわ〜
と言って奥へ消えた。

DSC_9254.jpg

こんなに素晴らしいエネルギーに満ちた場所で、
美味しいお水を使って作ったであろう豆腐が不味い訳がない。
しかもおばちゃんがわざわざ生姜をすってトッピングしてくれた冷やっこ。
最高に美味しかったな^^

DSC_9247.jpg

須佐神社のホームページを見てみると以下のように記されている。

出雲国風土記に見える須佐之男命の御終焉の地として
御魂鎮めの霊地、又御名代としての霊跡地であり、
大神奉祀の神社中 殊に深い縁を有する。
須佐之男命の御本宮として古くより須佐大宮、
天文年間には十三所大明神という。
出雲の大宮と称え、農耕、殖産、興業、延壽の神として尊崇深厚あり、
朝廷をはじめ累代国守、藩主、武将の崇敬は申すに及ばず、
世人の尊敬あつく、社殿の造営は、武将、藩主によって行うのを例としてきた。
明治五年郷社に、同六年県社に、同三十二年国幣小社に列せられ、
第二次大戦の終戦後は別表神社として今日に至り、世人の尊宗あつい。












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2014年01月27日

神々の棲む國・稲佐の浜

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神無月は旧暦の10月。
ここ出雲ではその時期を神在月という。
日本全国の八百萬の神々が出雲の国に集まる月とされる。
他の土地では神様が留守になるので神無月という。

DSC_8998.jpg

そしてその神々が集まってくるのが、ここ稲佐の浜と言われている。
いろんな出雲の旅ガイドブックを見ていても、
必ず稲佐の浜が紹介されていて、
是非ともここだけは行っておきたいと思った場所だ。

写真00786.jpg

神話では、天照大神(アマテラスオオミカミ)より、
国譲りの使命を受けて高天原から下った建御雷命(タケミカヅチ)と、
出雲を支配していた大国主神(オオクニヌシノカミ)が、
砂に太刀を立て、国譲りの相談をしたといわれている。

写真00784.jpg

出雲大社からはクルマで10分ほどの距離で、
30台ほどが停められる駐車場があった。
満車だったが、たつやと入れ替わりのように
出ていくクルマがあって、すぐに停めることが出来た。

写真00783.jpg

少し雲が出ていたが、この時期としては明るい日だ。
目の前に弁天島が見える。
浜から吹く冷たい風に吹かれてながら、渚まで歩いた。
寒いけど、雲の間から射す日が心地よく、とても幸せな気分になる。

DSC_9020.jpg

この弁天島は古くは「沖御前」といい、遥か沖にあったといわれている。
昭和60年前後までは、島の前まで波が打ち寄せていたが、
近年急に砂浜が広がり、現在では島の前まで歩いていける。

弁天島の上には鳥居と小さな祠がある。
どのようにしてあの上に作ったのだろうか?

DSC_9004.jpg

海に向かって、目を瞑り両手を広げると
太陽だけではないエネルギーを感じる。

60年に一度の式年遷宮の年の神在月に
ここ稲佐の浜に来ることが出来たことを想うと
あらためて感謝の気持ちでいっぱいになった。

DSC_8999.jpg

こうしてブログに写真をアップしてみると、
稲佐の浜の上空からのエネルギーを感じますね。







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ラベル:島根県
posted by たつたつ・たつや at 21:11| Comment(0) | TrackBack(0) | 旅先にて・国内編 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2014年01月24日

神々の棲む國・立岩神社(立石神社)

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出雲大社近くにある命主社で出会ったYさんと、
いろんな旅の話で盛り上がった時に、
「Yさんの感覚でおすすめの場所はありますか?」と聞いた。

「どういったところですか?」

「出来れば神社とか・・・」

Yさんは数ヶ所のおすすめ場所を教えてくれた。
たつやはスマートフォンにメモをしてお礼を言って別れた。
「僕は大きな石とか岩に魅かれるから・・・、
 でも、たつやさんが好きな場所かどうかはわかりませんよ。」

という言葉が耳に残っていた。

写真00781.jpg

宿泊を松江市内にとっていたこともあって、
翌朝、いつもより早めにチェックアウトをして、
Yさんがおすすめしてくれた立岩神社へ向かった。
ナビに入れるとちゃんと出てくるので、
安心してアクセルを踏んだ。

写真00774.jpg

今日も実に美しい青空が広がっている。
宍道湖の美しい湖面を眺めながら走り、
やがて右に折れて、山道を上がり始めた。

だんだん紅葉が美しくなると同時に、
人家はほとんど見かけることがなくなってきた。
ナビを頼りにすると、どうやらこの辺りなのだが、
ただ林道があるだけで、神社らしくものはまったくない。
何度か行ったり来たりしてみたが、どうしても見つけることが出来ずに、
少し奥に入った小さな集落へ行って、人影を探したが、
誰ひとり歩いている人はいない。

写真00777.jpg

一軒の民家を訪ねて、中にいたおばちゃんに聞いてみた。
どうやらさっき通った道のようだ。
そういえば林道脇に『立石神社』という小さな看板は見た。
しかしながら、たつやが神社は立岩神社だったので、
立石神社はまた別の神社だと思って通り過ぎたのだった。

おばちゃん曰く、立石さんとも立岩さんとも言われていて、
その看板があった反対側のガードレールの下の竹やぶに降りていくのだという。

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言われた通りに道を戻り、
立石神社の看板がある路肩が少しだけ広くなっている場所にクルマを停めた。
その反対側に『立石神社入口』という看板があって、
そこには竹の杖が何本か置いてあった。

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たつやはその一本を持って、人ひとりやっと通れるような道を降りた。
竹藪が広がっていて、それが太陽の光を遮っていて、
辺りは夕暮れのような暗さになった。
湿気のある冷たい空気が身を包む。

写真00773.jpg

この辺りから、すごいところへ来た!という感覚と、
生半可な気持ちでは踏み込んではいけない神聖な場所という空気が漂っていた。
それに、子どもの頃に誰もいない森の中に入り込んでしまい、
得体の知れない恐怖感と似たような畏怖を覚えた。

写真00779.jpg

しばらく下へ降りていくと、桂の巨木があった。
巨木を右手に見ながら、時計回転で右側に回ると、
いきなり巨木の向こう側に、ものすごく大きな岩が現れた。
そのあまりの存在感に声を失い、しばらくその場を動くことが出来なかった。

更に回り込むと、その大きな岩はひとつではなく、
同じような大きな岩がもうひとつあって、
それらはまるで神様がそこに置いたのではないかと思われるくらい、
左右対称のかたちを成していた。

写真00776.jpg

圧倒的存在感。
圧倒的エネルギー感。

岩と岩の間には、5本の御幣(ごへい)が供えられていた。

神社という名前だから、当然建物があると思っていたたつやにとって、
この立岩神社は衝撃的だった。
ここに訪れた瞬間、数千年の時を瞬時に旅してきたかのような気持ちになり、
古代信仰がどんなものであったのか理解出来たような気になった。

写真00778.jpg

ここは宇宙とつながっている・・・
普段の生活の中では考えたこともないようなことが
自然に湧きあがってくる立岩神社だった。

写真00782.jpg






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ラベル:島根県 神社仏閣
posted by たつたつ・たつや at 19:49| Comment(0) | TrackBack(0) | 旅先にて・国内編 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2014年01月23日

神々の棲む國・旧大社駅編

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出雲そばを堪能した後は、クルマを停めたJR旧大社駅に戻った。
古い立派な駅舎は、元、鉄ちゃんだったたつやを引き止める大きな理由がある。
どう見ても、100年近い年月が経っているように思えた。
それにこの風格!今の建築にはない力強さを感じた。

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駅舎の中は、昭和時代の国鉄が運営していた当時の様子を
うかがい知れるようになっていて、
切符売り場の中にはマネキンがいて、とてもリアルである。
改札口を出ると長いプラットホームがある。

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線路もそのまま残っているので、
今にも汽車が走ってくるのではないかと思わせる。
向こう側のプラットホームには、何と蒸気機関車が静態保存されていた。
遠くからだったが、その車両がD51型機関車(通称デゴイチ)だとすぐにわかった。

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近づいてみると、間違いなくD51だったが、長年の風雨にさらされて、
かなり腐食が進んでいて、あちこちが痛んでいた。
と同時に心も痛んだ。

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たつやが蒸気機関車が好きだった大きな理由は、
生きている!感がとても強かった。
だから静態保存されている蒸気機関車を見ると、
その心臓の鼓動は止めたままで、
まるで蒸気機関車の死体を見ているかのようで、
悲しくなってしまう。

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数ヶ月前に大井川鐵道で、
きれいに整備され現役で走っている蒸気機関車を
目の当たりにしてきたばかりということもあったから、
余計、そう感じたのかもしれない。

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旧大社駅も当時の面影は残すものの、
全体的に寂寥感が漂う建物だった。
賑やかだった頃を知っている町の人にすれば、
もっとノスタルジックな想いになるのではないかと思った。

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戻って来てからwikipediaで調べてみると以下のように記されていた。

大社駅(たいしゃえき)は、島根県簸川郡大社町(現・出雲市)にあった
西日本旅客鉄道(JR西日本)大社線の駅(廃駅)である。
大社線廃止に伴い1990年4月1日に廃止となった。
廃止当時、島式・相対式ホーム2面3線を持つ地上駅であった。
なお、これら3線はホームの末端で1線に収束した後、
その先に車止めが設置されていたが、その引上げ線はかなり距離が長く、
道路と交差する部分もあり、踏切も設置されていた。
出雲大社の膝元であることから、1951年 - 1961年までの期間は
東京⇔大社間の直通急行列車「出雲」が運行されていた。
その後も1980年代まで「大社」や「だいせん」といった急行列車や、
参詣者の団体臨時列車などが乗り入れてきていたため、ホームは非常に長い。


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駅舎は中央本線高尾駅の北口駅舎を設計した曽田甚蔵が設計したもの。
伊東忠太がお墨付きを与えたとも言われている。
1924年(大正13年)2月28日に竣工した2代目駅舎で、
木造平屋441平方メートル、出雲大社を模したつくりである。
団体専用の改札口などもあったが、
廃止後もホームや駅の掲示などもすべて当時のまま残されている。
2004年に国の重要文化財に指定された。
また付近にある一畑電車出雲大社前駅とともに
近代化産業遺産に認定されている。


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posted by たつたつ・たつや at 22:55| Comment(0) | TrackBack(0) | 旅先にて・国内編 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2014年01月21日

神々の棲む國・命主社編

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旅先でのお天気はその日の行動を大きく左右すると思う。
出雲大社の参拝後、その近辺を散策してみることにした。
きっとこの辺り一帯が守られているエリアのような気がした。

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出雲大社を正面にして、右手の方にぶらぶら歩いていくと、
自然と人が少なくなる。
とても心地よい庭園を抜けると、北島国造館という建物があった。
この辺りに来ると、優しくも厳かな空気に包まれていた。
ちょうど家族連れが七五三のお祝いに訪れていた。

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この北島国造館は、出雲大社の宮司の千家家と北島家が
かっては同じ兄弟から別れたのだそう。
帰ってから調べてみるとこんな風に記されていた。

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千家家と北島家は南北朝時代1343年54代国造清孝の後、
その子の兄弟で国造家は二分し、以後は同格でした。
明治15年北島家76代が出雲教として独立しました。
出雲教は神道の宗教集団で出雲大社は神社で、
その在り方をわけ、出雲大社をお護りしているそうです。


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出雲大社は本当にたくさんの参拝客だったが、
ここは静かで優しく穏やかなエネルギーを感じた。
そのまま奥に進むと、「命主社」という看板を見つけ、
行ってみることにした。

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細い路地を進むと、いきなり巨木と小さな祠が見えた。
あ〜、ここ最高!
思わず立ち止まって、目を閉じて空気を大きく吸い込んだ。

命主社」とは変わった名前の神社だなぁと思って説明看板を読んでみた。

DSC_8969.jpg

神魂伊能知奴志神社(かみむすびいのちぬしのかみのやしろ)
[命主社](いのちぬしのやしろ)
御祭神 神皇産霊神(かみむすびのかみ)

由緒
神皇産霊神は天地万物の根本となられ、
大國主大神が危難に遭われた際にはお護りされ
国造りの大業を助成せられた神です。
元旦の朝には出雲大社の大御祭りに引き続き
國造り以下 神職参向の許、厳かに祭典が斎行されます。


ん〜、何だかよくわからないが、
すごいところには違いなさそうだ。
事実、この場のエネルギーは半端ないと思った。

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ここを出て歩いていると、
古い立派な民家があった。
へー、こんな素敵な家に住んでいる人ってどんな人なんだろう?
なんて立ち止まっていたら、何とその家の人が外に出て来られた。

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この辺りは、とても素敵なところですね。
と声をかけたのがきっかけで、いろんな話をさせていただくこととなった。
旅の話を中心に小一時間は話していただろうか。
地元の人に、地元の情報を聞くのが一番いいと思っているたつやだから、
その方がいいと思っている神社や場所を数ヶ所教えてもらうことした。
そこが観光地であっても、そうでなくてもそんなことは一向に構わない。

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たつやにすれば、出雲大社へは行ってみたいと思っての旅だが、
旅先での出会いによって左右される旅はもっといいと思っている。
今までも旅を思い起こしてみても、中学生だった頃の一人旅だって、
旅先で出会った人たちによって、どんどん変わっていった。

計画通りに行く旅もいいが、
たつやは旅先で立ち止まって、
そこでサイコロを振ってどこへ行くか決めるような旅が好きだ。

そして事実、ここからの旅は大きく変わるのだった。

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真名井の清水
出雲大社の神事に使われるお水です。
飲んでみましたが、本当に美味しい柔らかいお水でした。
500mlのペットボトル2本分だけいただいて帰りました。

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命主社の正式な名称は
「神魂伊能知奴志神社(かみむすびいのちぬしのかみのやしろ)」
で天地開闢(世界のはじまり)の造化三神の一柱、
神皇産霊神(かみむすびのかみ)が祀られています。
巨岩の前に建てられていることから、
古代の磐座(いわくら。神の御座所。自然の巨石をさす場合が多い)
が神社に発展した例として貴重な神社です。


八雲山には小さな神社がいくつもあります。
そのうちのひとつの祠に参拝させていただきました。
この山を中心に全体が守られている感じがしました。

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出雲での旅は始まったばかり。








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ラベル:神社仏閣 島根県
posted by たつたつ・たつや at 21:56| Comment(0) | TrackBack(0) | 旅先にて・国内編 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2014年01月20日

神々の棲む國・出雲大社編

おかげさまで数ヶ月ぶりに北陸ナンバーワンとなりました^^
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今年は出雲に行こう!(平成25年のこと)
何と言っても60年に一回の式年遷宮。
次回はない。

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出雲大社の位置はまさにレイライン上にあることも、
そこへ行く大きな理由だった。
日本列島を大きく横断するご来光の道のことだ。
千葉の玉前神社から皇居、寒川神社、富士山、七面山、伊吹山、
竹生島、元伊勢、大山、出雲大社は同じ緯度に位置し、
一直線上に並んでいるという事実を知ってからは、
どうしても行きたいと思うようになった。

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たつやにとって島根県は中学2年生で蒸気機関車撮影一人旅と
大学時代に友だちとの旅行、
そして専門学校時代のバイクツーリングの3回だけで、
実に30年ぶりになる。

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その間にいろんなことに興味を持ったが、
好奇心というものだけは、
当時も今も変わらないのだと思う。

今回、神々の棲む出雲では、どんな旅が待っているのだろう?

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出雲への第一目的は式年遷宮を終えた出雲大社にお詣りすることだった。
鯖江から敦賀に出て、国道27号線を南下して小浜から、
舞鶴若狭自動車道を経て、中国道、米子道、山陰道を通るルートだ。
片道500kmという久しぶりの長距離移動だ。

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旅先ではいつもお天気の神さまに味方したもらっているたつやだが、
この日も曇が多かった空が、出雲大社に近づくにつれて青空が広がって行った。
一大観光地で、しかも60年に一度の式年遷宮ということもあって、
インターを降りて間もなく渋滞につかまってしまった。
こういう時にナビを見ながら裏道、裏道を探しながら目的地に行くのは、
得意中の得意とするところで、畑の中や住宅地を抜け、
快適に出雲大社まで行くことが出来た。

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松の巨木が立ち並ぶ参道を歩いて、本殿に向かう。
松の真ん中は神さまが通る道ということで、
参拝客は松の両サイドを歩かなくてはならない。

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右側には古代の出雲大社が空中神殿だったという言い伝えが、
実証された神殿を支える3本の柱があった。
かつての出雲大社は、ビルの16階建てに相当する48mもあったという。
一説によると、その倍近い高さを誇った時代があったとも言われている。
また、百人一首に歌を残す寂蓮法師が1190年頃出雲大社を訪れ、
「本殿の裏の、八雲山(標高約100m)の半ばにたなびく霧が、
本殿の千木にかかる様は、この世のものとも思えない(意訳)」
と書き残している。

大国主大神(おおくにぬしのおおかみ)のブロンズ像

DSC_8941.jpg

お伊勢さんに行った日も遭遇した神事が、
ここ出雲大社でも行われていた。
式年遷宮なので、かなりの神事が行われているのだろうが、
こうして目の前にすると、やはり神聖で厳かな雰囲気が伝わってきて、
身の引き締まる想いになる。

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出雲大社は、やはり素晴らしい神社だとは思ったが、
あまりの人の多さに、じっくり場のエネルギーを感じることが出来なかった。
しかしながら、この地を最初に選んで旅したことが、
結果的に後々の旅に大きく影響を及ぼしたことになるのだった。

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ラベル:神社仏閣 島根県
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2014年01月06日

伊勢神宮・内宮2013

外宮の駐車場に戻った頃に降り出した雨は、
本格的な雨になった。
どこかでお昼のご飯を食べてるうちに雨は上がるだろうと、
楽観的に考えていた。
今までも行きたかった旅先では大抵雨が上がり、晴れ間が覗いたり、
イベントをする時もいつもお天気の神様には味方してもらっていたので、
今回も大丈夫なのだろうと勝手にいい方向に考えていた。

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しかしながら雨は降り続いて、このまま晴れるのを待っていると、
内宮の参拝は出来ないだろうと判断し内宮へ向かった。
有料駐車場にクルマを停めて、傘とカメラを持って歩き始めた。

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伊勢内宮への道はおかげ横丁という門前のお土産物やさんが軒を連ね、
美味しそうな匂いが漂って来たり、お店の人から声がかかる。
帰りにゆっくり見ればいいと先を急いだ。
内宮に行くには鳥居をくぐって、五十鈴川を渡らなければならない。
橋の上から見る五十鈴川の上手は、モヤが立ちこめていて、
より神々しく厳かに見えた。

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広い参道を歩いていくと、右手に五十鈴川の清流が流れている。
そこで手を洗い清めて、参拝に向かう。
この場所から五十鈴川の上流を眺めると、
まさにここは神々の住むエリアだと感じる。
100年前も500年前も、遷宮が始まったとされる1300年前も、
まったく変わりない光景なのではないだろうか。

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そこから少し進むと、左手の社務所のようなところに、
正装した神主さんたちがずらりと並んでいた。
何か神事が行われるのだろうか?
立ち止って中を伺おうとしたら、
警備の方から先に行くように促された。

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更に奥の方へ行くと、右手に参拝客がずらりと並んでいる。
不思議に思って警備の方に聞くと、
40分ほど後に祝詞奏上という神事が執り行われるとのことで、
皆は待っているということだった。
何も知らずにこの日、参拝に来たたつやとしては、
こんな幸運なことはないと、その列の一画に並ぶこととした。

相変わらず冷たい雨が落ちていたが、幾分小降りになっていた。
傘を差して待っている間に、細かい雨になっていたので、
ふと空を見上げるとちょうど真上の雲の真ん中が
ぽっかり開いて青空がほんの少し顔をのぞかせていた。
晴れるかもしれない!そんな期待が広がった。

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30分程待っていると、先ほどたつやが歩いてきた参道の鳥居の向こうから、
大勢の神官の行列が歩いてきた。
厳粛で荘厳な雰囲気の中だけど、どこか明るい雰囲気があると思った。
夢中でシャッターを切っていると、
いつの間にか陽が差していることに気が付いた。
ぽっかり空いた雲の中の青空が大きく広がっていて、
ついに太陽が顔を出したのだ。
内宮の主祭神は、天照坐皇大御神 (あまてらしますすめおおみかみ)
一般的には天照大御神さまなので、すごい力があるものだと感心した。

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祝詞奏上が行われる時には、さっきまでの雨が嘘のように青空が広がり、
雲一つない天気になって、秋の太陽が燦々と降り注いできたのだ。
これにはたつやだけでなく、周りにいた参拝客も驚いていた。
まざまざと目の前で奇跡が起きたことを見せられた感じがした。

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神事が終わり、いよいよ参拝へと向かう。
遷宮を終えたばかりの正殿は、美しい檜の建物がまぶしかった。
辺りに広がる檜の香りに包まれて、
さっきまでの雨によって屋根に浸みていた水分が、
太陽に照らされて湯気となって空に溶けていく様は、
この世界とはまったく別の世界にいざなわれた感じがして、
ただただその幽玄な景色を眺めながら佇んでいた。

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高貴なエネルギーを感じる場所では、
いつも眉間の少し上を押されるような、
何かシールのようなものをくっつけられたかのような感覚になるが、
この内宮では特に強烈だった。

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たまたま訪れた日に神事が行われて、
ずっと降り続いていた雨があっという間に晴れていく様を見せていただき、
参拝時は水蒸気が天に向かって悠々とそびえる大きな松の木の彼方へ
登っていく様子を見せていただくことが出来ました。

伊勢神宮はいいよ〜!と多くの人が口を揃えて言われますが、
それは本当でした。
福井から伊勢までは、思ったよりも近いし、日帰りも十分可能なエリアです。
出来れば、また今年も参拝させていただきたいと願っています。

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式年遷宮
神宮式年遷宮は、神宮(伊勢神宮)において行われる
式年遷宮(定期的に行われる遷宮)である。
原則として20年ごとに、内外両宮の正宮の正殿を始めとする
別宮以下の諸神社の正殿を造替して神座を遷し、
宝殿、外幣殿、鳥居、御垣、御饌殿など計65棟の殿舎といった全社殿を造替する他、
装束・神宝、宇治橋等も造り替える。
記録によれば神宮式年遷宮は、飛鳥時代の天武天皇が定め、
持統天皇4年(690年)に第1回が行われた。
その後、戦国時代の120年以上に及ぶ中断や幾度かの延期などはあったものの、
平成5年(1993年)の第61回式年遷宮まで、およそ1300年間行われている。
平成17年から第62回式年遷宮の各行事が進行中で、
同25年(2013年)には正遷宮(神体の渡御)が行われた。








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2014年01月05日

伊勢神宮・外宮2013

たつやの感性見聞録が新年を迎えるのは、もう8回目となりました。
本年も出来る限り綴っていきたいと思いますので、
どうぞよろしくお願いいたします。

しばらくなんやかんやでブログの更新が滞ってしまい、
2013年に行った旅のこととかも紹介し切れていないのが現状です。
昨年の春〜年末にかけて出かけたところを少しづつ紹介出来たらと思います。

2014年のスタートは昨年20年ぶりに式年遷宮を果たしたお伊勢さんこと、
伊勢神宮の日記で始めさせていただきます。

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たつやは数年前からレイラインという言葉を知ってから、
その不思議な位置関係やそこに流れるエネルギーに興味を持って、
そのレイライン上の拠点を歩くようになった。
もちろん伊勢神宮もそのひとつに入っているのだが、
興味を持ってから参拝に訪れることはなかった。

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2013年は伊勢神宮で20年ぶり、出雲大社では60年ぶりという
同じ年に遷宮が行われ、日本という国にとって節目の年だと感じ、
何とかその年のうちに行きたいと願っていた。

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そしてたまたま早朝に中国人研修生をセントレアまで送る機会があり、
その帰りにお伊勢さんに行く時間が取れた。
伊勢神宮の外宮に着いたのは、ちょうどお昼だった。
生憎お天気は曇り空で、今にも雨が降って来そうな感じだった。
傘を持って行った方がいいと思いながら、
カメラを持ち歩くことを考えると、邪魔に思えて、
結局、持たすに参拝することにした。

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伊勢神宮には過去に一度だけ来たことがある。
その時は、外宮だけ参拝し、伊勢の街歩きを優先させたため、
内宮に行くことはなかった。
お伊勢参りは外宮→内宮と聞いていたので、
外宮からお詣りすることにした。

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以前に来た時に感じた空気と同じ感覚もあれば、
まったく違う感覚もある。
駐車場から鳥居をくぐり、森の中に入っていく辺りから、
あの独特な気持ち良さがひしひし伝わって来るのだ。
植物の生育がここだけ全然違うのはどうしてなのだろう!
木々が瑞々しく、生き生きと輝いているのは、
きっと誰もが感じることなのではないだろうか?

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伊勢神宮のHPを見ると以下のように記されている。
遷宮(せんぐう)とは、神社の正殿を造営・修理する際や、
正殿を新たに建てた場合に、御神体を遷すことです。
式年とは定められた年という意味で、
伊勢神宮では20年に一度行われます。
第1回の式年遷宮が内宮で行われたのは、持統天皇4年(690)のことです。
それから1300年にわたって続けられ、平成5年には第61回が行われ、
昨年の平成25年に第62回目の遷宮が行われました。
神宮にとって永遠性を実現する大いなる営みでもあるのです。


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62回ということは62×20年で1240年間、
一度も途絶えることなく続いてきたという日本の歴史そのものだ。
昨日見ていたNHKの特番の中で、20年に一度建物だけでなく、
御装束神宝もまた古例に従って調製されるとのこと。
御装束とは、正殿の内外を奉飾する御料の総称で、525種、1,085点。
これに対して、神宝とは調度の品々で、189種、491点。
伝統工芸の優れた技術を守り伝えるという重要な意味もある。

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旧正殿では解体が始まっていました。

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そして新しくなった新正殿へお詣りさせていただくことが出来た。
正殿の正面の鳥居をくぐってからは、撮影は一切禁止となる。
遷宮後の伊勢神宮ということでたくさんの参拝客がいたが、
やはり厳かで、清々しい空気が流れている。
日頃の感謝をお伝えし、しばらくその空間の中の心地よさを味わいながら、
じっくり参拝することが出来た。
あぁ、何て素晴らしい空間なのだろう!
日本人としてのDNAからなのか?
細胞ひとつひとつが喜んでいるような感覚になった。

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この石のあるところはパワースポットのようで、
皆が石に向かって手をかざしていました。
もちろん、たつやもやってみました。
ハイ!確かにピリピリ!間違いなくエネルギー体だと思います。

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雨は落ちてくることはほとんどなかったが、
駐車場に戻る寸前からポツポツと降り出し、
車に乗り込んだ時には本降りとなった。

次回、内宮へと続きます。
ドラマティックな展開となりました^^





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2013年10月03日

長滝白山神社

秋晴れの休みの日に、大野から油坂峠を越えて、
白鳥・ひるがの高原辺りまで足を伸ばした。
9月下旬とは言え、日中は30度近く汗ばむ陽気だが、
空気が乾燥しているせいか、窓を開けていて、
ちょうどいいドライブ日和だった。

近場を出かける時は、あまり目的を持たないことが多い。
その方が旅先での勘が冴える。
どの方向に面白い出会いがあるか?
というアンテナが常に受信状態になっているからかもしれない。

写真00535.jpg

何時に何処へ行かなければならないという旅では、
アンテナをしまっておかなければならない。
途中で魅かれる町並みや案内看板を見つけても、
後ろ髪を引かれながらも目的地へ進まなくてはならない。

どちらも旅の醍醐味だと思うけど、
たつやは子どもの頃から寄り道大好きだったから、
前者の旅の方が自分には合ってると思う。

写真00541.jpg

さて白鳥からひるがの方面に向かっていると、
左手に大きな白山神社が見えた。
一旦通り過ぎてしまったが、
アンテナがびんびん反応するので、
Uターンして、その神社に立ち寄ることにした。

写真00536.jpg

表本宮 白山神社・・・
長良川鉄道白山長滝駅のすぐ目の前にある由緒ある大きな神社だ。
正式にはこの神社は、長滝白山神社(ながたきはくさんじんじゃ)と言い、
岐阜県郡上市白鳥町長滝に鎮座する神社。
日本各地に分布する白山神社の中心的な神社の一つであり、
白山信仰の美濃国側の中心であるとのことだ。

写真00512.jpg

長い参道を歩くと大きなお寺がある・・・
と思ったが、これが神社の拝殿だったのだ。
どう見てもお寺の作りだと思って近づいてみると、
正面に大きな鳥居があしらわれている。
こんな作りを見たのはここが初めてだ。
近づくにつれ、どんどん気持ち良くなってくる。
これは、いかにこの地のエネルギーが強いか
を感じることにつながっているのだろうと思う。

写真00537.jpg

そしてこの拝殿の後にある本殿が素晴らしい。
まさに神さまがいる聖地だと感じた。
いつも思うことだけど、空気が変わり、
心地よい風が吹いてくる。

写真00509.jpg

じっくりお参りをした後で、
参道左手にあるお寺、長瀧寺も参拝した。
明治維新以前は白山中宮長滝寺(はくさんちゅうぐうちょうりゅうじ)と称したが、
明治時代の神仏分離により、長滝白山神社と長瀧寺に分離されたらしい。
その名残で長滝白山神社長滝寺は同一境内にあり、参道も同じなのだろう。

もともと白山信仰の拠点は、美濃国の白山中宮長滝寺
加賀国の白山寺白山本宮(現白山比盗_社)、
越前国の平泉寺白山神社と3ヶ所あったようだ。
また江戸時代になってからは白山嶺上の管理を巡り、
この三ヶ所で論争が起きた。
日本全国の白山神社の半数以上が
この白山本地中宮長滝寺系統の白山神社であったという。
それほど由緒ある神社だったということだ。

写真00510.jpg

拝殿の前に現れたヤマカガシ
毒蛇らしく鎌首を持ちあげて威嚇しました。
でも本当に美しく、かわいい顔してると思いませんか?
たつやは歓迎してくれたものと思っています^^

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楽しそうな子どもの声に振り向くと、
幼い女の子の姉妹がこちらの方に向かってきた。
こんにちは〜と声をかえると、元気な返事が返ってきた。
大きな木に案内してくれて、その木に登って見せてくれる。
得意気な笑顔がとってもかわいい。

写真00543.jpg

近所に住んでるみたいで、この神社はまさに庭のようなものなのだろう。
こっちには〇〇があるよ!あっちはこんなのがあるよ!
と言いながら、元気良く参道を走り回りながら先導してくれる。
旅先での道案内はとてもありがたい申し出だ。

写真00546.jpg

ありがと〜、楽しかったよ。バイバーイと手を振ると、
ふたりは手を振りながら、また参道を元気に走って行った。
長滝白山神社の素晴らしい土地での体感と、
地元の子どもたちとの心温まるひとときは、
一生忘れることの出来ない旅となった。

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ラベル:岐阜県 神社仏閣
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2013年09月24日

知立神社

大井川鉄道に向かう途中に、愛知県内を少し散策してみることにした。
名古屋はそれなりに何度か行ったことがあるエリアだが、
三河方面はあまり足を踏み入れたことがない。

知立市もそのひとつ。
車で走っていて、知立神社の看板を見かけて、
そのまま矢印の方へハンドルを切ってたどり着いた。
不思議なことに、初めての町を訪れても、
どの方角に神社があるか見当がつく。
小さな神社は通り過ぎることも多いが、
大きな神社には、時間に余裕があればお参りしたいと思っている。

知立神社は式内社、三河国二宮で、東海道三大社のひとつだ。
駐車場に車を停めて外に出ると直射日光が容赦なく降り注いでいる。
自分の影が真下に小さく出来る。
日傘なんてものは持ってないけど、
そういうものがあるといいと珍しく思った。

写真00488.jpg

鳥居をくぐると右手に大きな二重の塔があった。
かなり古そうな建築物だ。
看板には『知立神社多宝塔』と書かれている。
よく読んでみると、この塔が建てられたのは1509年!
今から500年以上も前の室町時代の建築なのだ。
それにしても実に複雑な造り方をしている。
一階の四角形の建物に反った四角の屋根の上には、
円形の二階が作られ、再び反った四角の屋根が施されている。
こういう建物を見るのは、初めてのことで、
どうやったらこんな建物が出来るのか、まったく想像がつかない。
如何に日本建築が素晴らしいかをまざまざと見せつけられた感じがする。

写真00485.jpg

知立神社は夏の午後の陽ざしを浴びて、
穏やかな佇まいと空気感のお社だった。
大勢の人が訪れる訳ではなかったが、
人が途切れることなく、家族連れなどがお参りをしている。

社伝によれば景行天皇の時代、
日本武尊が東国平定の際に当地で皇祖の神々に平定の祈願を行ったという。
そして無事平定を終えた帰途、
その感謝のため皇祖神を祀ったのに始まるとされる


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そういえば昨年の誕生日に訪れた伊吹山で、
日本武尊の像を見て以来、
いろんな場所で日本武尊の話を聞く機会が増えた。
何かご縁でもあるのかしら?

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ここの狛犬は一角獣だ。
いろんな神社を回っているといろんな種類の狛犬がいる。
神社の裏手には下見板張りの古い洋館があって、
そちらを見学に・・・と思ったら、
その奥がとてもきれいな公園になっていた。
松尾芭蕉の句碑などもある。

DSC_0571.jpg 

丁度、屋根付きの休憩所があったので、
しばらく横になって、休んでいたら、
いつの間にか寝てしまった。

子どもの歓声で目が覚めた。
気持ちいい場所って、眠くなるなぁ。。。
知立神社、素敵な神社でした。

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その前に立ち寄った明治川神社

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ラベル:愛知県 神社仏閣
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2013年09月08日

大井川鐵道賛歌3

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大井川鐵道で感激したことのひとつに、職員さんに若い人が多いことでした。
額に汗しながら、真剣に仕事をこなし、その合間には記念撮影に応じたり、
家族連れの写真を撮ったり・・・
またたつやにも気軽に声をかけてくれたりと、
とても心地いい応対をしたくださいました。

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家に帰ってから、大井川鐵道のHPを見てみるとこんなことが書いてありました。

大井川鐵道を走るSL(蒸気機関車)は、いずれも昭和初期に製造されたもので、
自動車でいえば”クラシックカー”です。
そのSLにお客様を乗せて、安全に走行するため、
当社では昭和51年にSL復活運転を始めるとき、
蒸気機関車の運転・整備の知識・経験を持った旧国鉄OBの職員を招き入れました。
それから30年以上が過ぎその職員達は現役を退きましたが、
専門知識は着実に若い職員に伝承され、今日にいたっています。
大井川鐵道では、蒸気機関車保守のプロが、
万全の体制で整備・修繕にあたっております。


なるほど〜、納得です。

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C11227号機は、こんなかわいいSLに変身していました。
ま、これに関しては賛否両論あることと思いますが、
子どもたちに夢を与えるという意味ではありだと思いました。
つぶらな瞳の上に、かわいいまつ毛が^^
ブルーにお化粧した黒の機関車もかわいくていいのかもしれませんね。

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だけど、発車する時の迫力は当たり前ですが、凄いです。
たつやが蒸気機関車が好きな理由のひとつが、
五感を通じて感じる存在感です。
特に音と匂いです。

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発車する時にならす汽笛の音。
余分の蒸気を出す音と匂い。
煙突からリズミカルに吐き出される煙の匂い。
シリンダーが動いて、鉄の塊の車輪が動く音・・・。
それらすべてが幸せに導いてくれるのです。

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止まっている機関車には触れることが出来ます。
デフと呼ばれる排煙板が機関車全部の両サイドにあるのですが、
この触感も何とも言えない味があります。
ひんやりとした中にも、鉄の温もりを感じるのですが、
これは蒸気機関車を愛する人にしかわからない感覚かもしれません。

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機関室も見たり、撮影も大丈夫です。
中に入るにはもちろん職員さんの許可が要りますが、
親子連れには積極的に声をかけて、
子どもたちを運転席に座らせたりしていました。

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大井川鐵道は、たつやを38年前の少年たつやに会わせてくれました。
理屈でなく、感性で好きな蒸気機関車。
機関車でありながら、どこか人間臭くて生きてる感じがします。
その感覚は中学生だったたつやとまったく同じだったのです。

職員さんに撮っていただいた一枚。
54歳の少年です(笑)


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いい写真が撮れると、会社の暗室に閉じこもり、
赤い電球の下でネガを引きのばし機にセットし、
印画紙に焼き附け、現像液と定着液に浸けて、
乾燥させて・・・
そして父の元へ持って行くのでした。


写真00424.jpg

何十枚かの中の一枚を褒めてもらえるのが、
とてもうれしかったことを覚えています。


写真をやっていた父から、
「いい写真を撮れるようになったな」
と言ってもらえたのは、ブログを初めて4年目くらい(3年ほど前)のことでした。

大井川へはこれからまた何度も行って、
父に褒められるくらいの写真を撮りたいと願っています。







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