2007年09月05日

池田晩夏その2

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田んぼの緑が少しずつ黄金色に変わってきている。
3週前の日曜日に、池田を走っていて、
田んぼの風景に見とれてバイクを止めた。
稲に実った米が晩夏の太陽を浴びて、
最後の結実のときを迎えようとしている。

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ふと反対側の家を見ると、
おばちゃんが豆を干しているのが見えた。
そのお家の前に、見たことのない
白い可憐な花が咲いている。

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よくよく見れば、その花はすべて、
コンクリートの割れ目から生えているのだった。

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「こんにちわ〜、これ変わった花やね。
なんていう名前なんですか?
それになんでこんなとこから生えてるんですか?」


おばちゃんの話によれば、昔この場所に蔵があって、
その頃から、ここに生えていた花らしく、
蔵を壊して、コンクリートにしたが、
その後も、割れ目から毎年顔を出すとのことだった。

不思議なことに、ここから植え替えても、
根付くことはほとんどないらしい。

名前もわからない。

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悪い豆を取り除きながら、
おばちゃんは淡々と説明してくれた。

孫に食べさせるのに、安心安全な食べ物を!
という思いで、豆を作っている。

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悪い豆はどうするのか聞いてみた。
芽が出ないように、茹でて畑に、肥料として撒くのだそうだ。
本当の意味で、ちゃんと自然のサイクルの中
活かされている気がした。

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池田では、必ず何かに出会える

ブログランキングの応援、たくさんいただいてます。 
 書いていく気持ちを後押ししていただけるようで、
 とても励みになります。
 
 ありがとうございます。
ラベル:池田町 自然
posted by たつたつ・たつや at 22:46| Comment(7) | TrackBack(0) | 旅先にて・福井県内編 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年09月02日

池田晩夏

2002年の夏に、池田町の土合皿尾という集落にある
コムニタという施設で、
『夏のみらい塾2002一緒につくろうぴかぴかの思い出』
を企画実行した。

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以前にも一度か二度、みらい塾には書いたこともあるが。   

http://onmyojitatsuya.seesaa.net/article/38395957.html

http://onmyojitatsuya.seesaa.net/article/22572178.html

この年は小中学生50名、スタッフ80名、地元の協力者20名、
盆踊り保存会の方々30名、総勢200名近い人たちが集まって、
すべて自分たちで企画運営の夏祭りをやった。

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その時に土合皿尾の婦人会のおばちゃんたちに、
めちゃめちゃ世話になった。

子どもたちと一緒に、昔ながらの祭りのご馳走を作って食べる、
というものだったが、
その年の春に、説明に行った時には、
どこの馬の骨か知らんが、何を面倒なことを…
というような冷たい態度を取られた。

しかし、毎週のように池田に通い、
細かい打ち合わせをするようになってからは、
日に日におばちゃんたちは優しくなっていく。

そして祭りの当日には自分たちの保存食として持っていた
春先の山菜や野菜を惜し気もなく出してくれた。

祭りの当日、子どもたちやスタッフ、
池田の地元の人たちが踊る盆踊りをうれしそうに見つめていた
おばちゃんたちの姿は一生忘れることが出来ない

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あれから五年の月日が流れた。
だけどたつやとおばちゃんたちとの交流は、細々と続いているのだ。

大雪の日に、雪かきに行ったこともあるし、
バイクでちょっと走りたくなると、ここに来てしまう。

あら〜(^o^)あんたよ〜きとっけたのぅ。
寄っとっけるのがかわいらしいわ


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いつもおばちゃんはそう言って迎えてくれる。

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バイクで冠峠まで

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2007年08月28日

今庄の夏の日

今庄の山奥の小さな集落を歩いていたら、
向こう側から、おばあちゃんと犬が歩いて来た。

あまりにもフォトジェニックに思えてカメラを構えた。

ばあちゃんの歩く速度にあわせてワンコも遠慮がちに歩く。

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近くまで歩いてきたばあちゃんは、
嬉しそうな笑顔を見せてくれたが、
ワンコは最後までたつやと目を合わせることなくすれ違った。

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すれ違う瞬間、ワンコのやつ、緊張してたわん。(笑)

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ばあちゃんの後ろ姿を見えなくなるまで見送って、
バイクのエンジンをかけた。

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2007年8月26日 南越前町瀬戸にて

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2007年07月11日

昭和の町・敦賀(後編)

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歩くと川沿いに古い立派な建物が続いている場所に出た。
川側は建物の後ろになっているようだったので、
反対側にまわって見て、驚いた。

その通り自体が、たつやが生まれる前の時代に
タイムスリップしたみたい・・・。

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とりあえず、バイクを取りに行き、その地に戻った。

夕暮れ真近のその町は、人通りもなく静かだが、
どこからか生活の匂いがしてくる。
ゴーストタウン化した昭和の町ではなく、
ちゃんと人々が生活している場所なのだ。

このままちょっとした時代ドラマの舞台にもなりそうだ。

後に、ネット関連でこの地について調べてみたが、
行政の観光案内にも、民間のそれにも、ほとんど
掲載されていなかった。

こんな素晴らしいエリアがあるのに、
観光案内コースにも、観光マップにも
載ることもなく、もったいない。


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折角の敦賀の宝をもっと活かせることはできないのだろうか。
以前のこの建物の時にも感じたが・・・(記事バッド(下向き矢印)

http://onmyojitatsuya.seesaa.net/article/40803433.html

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ちょっとした出先で旅の感覚を味わうことができることは
とても幸せなことだと思います。
その地で、短い時間だけでもあまり目的を持たずに歩くこと、
それがいろんな発見や出会いに繋がり、
感性を刺激してくれるのだと感じている今日この頃です。


昭和を探す旅は、まだまだ続けていきたいと思っています。

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2007年07月10日

昭和の町・敦賀(前編)

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バイクでふらりと出かけたある日。
敦賀の町中で、太陽が少し西に傾きかけた頃に、
裏通りで気になる建物を見つけ、エンジンを切った。

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邪魔にならないように、バイクを停め、その建物に近づいてみた。
石を積み重ねて作った壁の古い洋風のそれは、
もろ昭和の香りを漂わせていた。

いったい何の建物なんだろう? 

裏手に回ってみると、高校生らしき女の子が数人いたので、
聞いてみたところ「パン工場です」という答え。
ちゃんと現役のようだ。

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そのまま感性赴くままに、更に裏路地を歩くと、
長屋や古い懐かしい建物が続く。
日曜日の夕方の町は静かで、人影もまばらだ。

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さすがにこの長屋には、今は誰も住んでいないようだった。

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ゆっくりゆっくり歩く。

匂いが昭和、
空気が昭和、
音が昭和、
見えるものが昭和・・・


いつしかたつやの心も昭和に戻っていた。

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2007年06月23日

ちひろの生まれた家

数年前に、長野の安曇野にある
いわさきちひろ美術館に行く機会があった。
彼女の絵はたつやが子どもの頃から何故か良く知っていた。
優しく柔らかなタッチで描かれる色彩鮮やかな子どもの絵は、
万人に愛される温かさがあると思う。

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さて、武生の旧市内にいわさきちひろの生家がある。
あまり車の通らないひっそりとした道にあって、
訪れる人もまばらだ。
数年前までは、ただ「いわさきちひろの生家」
とだけ明記されていたのだが、最近は中を改装して、
ちょっとしたギャラリー兼資料館になっている。
「ちひろの生まれた家」では
担当のボランティアさんが説明をしてくれる。

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昔はお豆腐やさんだったらしいが、
今は中をちひろが生まれた当時の生活を再現した部屋や
年表などが飾ってあるギャラリー、
そしてちひろのリトグラフが展示されている。

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この辺りは、昭和の匂いをぷんぷんさせる町並みで、
たつやのお気に入りのエリアである。

いわさきちひろプロフィール

1918年12月、雪の降りしきる朝、福井県武生市に生まれました。
父正勝は建築技師、母文江は武生で
女学校の教師(博物・家事)をしていました。
武生といえば、紫式部が都を離れて越前国守となった父と
1年暮らしたことでも知られる北陸の文化都市。
紫式部が源氏物語を書くにあたって
武生での経験が貴重だったように、
生後わずか3か月の暮らしながら、ちひろにとって武生は
「なぜか懐かしく思える」心のふるさと。
のちに「ゆきのひのたんじょうび」という絵を描いています。
 
誕生の翌年に東京に移り、三姉妹の長女として育ちます。
母の勤める府立第六高等女学校(現・都立三田高校)を卒業。
藤原行成流の書を学び、
絵は岡田三郎助・中谷泰・丸木俊らに師事。
岡本帰一・初山滋・武井武雄が好きだった少女が、
岡田三郎助に師事したのは14歳のとき。
池袋モンパルナスこと長崎アトリエ村に若者が集まり、
仲間同志がモデルとなってデッサンの勉強をしていた時代には、
その勉強会にちひろも加わっていました。
「彼女を描いたころのデッサンが私のものでは一番いい」
と丸木位里氏(「流々遍歴」より)。

ちひろは1950年松本善明と結婚し、翌年長男猛を出産。
愛息をモデルに修練を重ね、
デッサンの力をめきめきつけていきました。
絵本画家として精力的に活動を展開するようになるのも
このころです。
 
1950年文部大臣賞、55年小学館児童文化賞、
61年サンケイ児童出版文化賞、
73年ボローニャ国際児童図書展グラフィック賞等を受賞。
代表作に「おふろでちゃぷちゃぷ」「あめのひのおるすばん」
「ことりのくるひ」「戦火のなかの子どもたち」、
画集に「ちひろ美術館」全12巻、
「いわさきちひろ作品集」全7巻など。

1974年原発性肝ガンのため55歳で亡くなりましたが、
没後上井草の自宅兼アトリエ跡にちひろ美術館が建ち、
遺作が公開されると、ちひろファンが続々訪れるようになりました。
20年後の1997年には、両親の出身地でちひろの心のふるさと、
信州安曇野に「安曇野ちひろ美術館」がつくられました。
北アルプスを背景にゆったり絵と対峙できるこの美術館は、
周りの公園ともみごとにマッチし、訪れる人々の心を癒しています。


ちひろの生まれた家
福井県越前市天王町4-14
入場料 中学生以上100円
連絡先 (0778)66-7112

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 おかげさまで、すっと上位です。
わーい(嬉しい顔)


posted by たつたつ・たつや at 23:19| Comment(2) | TrackBack(0) | 旅先にて・福井県内編 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年05月21日

三国祭り その2

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どこの路地を曲がっても、家家には祭の提灯とお札が飾られている。
本当にこの町の人たちは三国祭を大切にし、
楽しみ、誇りに感じているかが伝わってくる。

やがて三国の町は徐々に祭に向けて動き出す。
九時半を回ると、地区の人たちが通りに出て、
山車を迎える準備を始める。

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前方から瀧本区の山車が二本の太い縄に引かれてやってきた。
老若男女誰もが誇らしげだ
電線に引っかからないように、
竹の棒を持ったふたりが上手に電線を持ち上げくぐり抜ける。
山車の下の方には太鼓を打つ子どもが二人。
後ろで三味線や笛を吹く大人が四人乗っている。

三国祭の醍醐味はこの山車にあるのは間違いないと思うのだが、
重い山車を左右に振り、狭い露天商が並ぶ旧道を
神社まで進むところが圧巻だ。

左右のことをオモ・トリと言う辺りは海の町ならではかもしれない。
若者たちが額に汗しながら、
セーノッの掛け声と同時に山車を直角に回す辺りは感動ものだ。

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それに露天商が屋根のテントを山車にぶつからないように
持ち上げる様も見ていて飽きることはない。

山車の後には大八車が続き、町内で集めたお酒やジュース、
お菓子類が積まれていく。
道中でひとつ、またひとつと増えていく。

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そう言えば、どの商店にも祭のお祝い品が山積みされていた。
この祭は町の経済発展にも大いに貢献しているのだろう。
もちろん料理屋や飲食関係は総じて大忙しのようだ。

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各地区を出発した山車は、やがて三国神社前に集合する。
一基、また一基と集まってくる様は迫力満点で、
最も人が集まってくる場所となる。

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祭で出会った紙屋の営業マン(たつやの印刷会社に出入りしている)は、
めちゃめちゃの笑顔わーい(嬉しい顔)だった。

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大欅をバックに誇らしげな継体天皇の山車。

祭の余韻に浸りながら帰路に着いた。

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posted by たつたつ・たつや at 21:01| Comment(3) | TrackBack(0) | 旅先にて・福井県内編 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年05月20日

三国祭り その1

北陸三大祭りのひとつ、三国祭りは、毎年日にちが決まっていて、
5月の19.20.21日の3日間である。
今年の三国祭りは中日の20日がちょうど日曜日と重なった。
中日は、山車が各町内から三国神社までを、
往復し、最も賑わう祭りのクライマックスだ。

昨年は、3日目に出かけた。
山車の巡行を見ることは出来なかったが、
その分、街中の散策をゆっくり楽しんだ。

ちょうどブログを始めて、一ヶ月くらいで、
たつや自身の旅の楽しみ方を再確認したような、
ミニトリップだった。

http://onmyojitatsuya.seesaa.net/article/18181883.html

グッド(上向き矢印)昨年の記事です。この日から4回に分けて書きました。

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今年の三国祭りには是非中日に行きたい!と思っていたが、
今日の20日は、午後から予定が入っていた。
しかし、その予定というのは、延期になった
自衛隊鯖江駐屯地でヘリコプター体験搭乗というもの。
天候次第では、安全確保のため中止の可能性もあった。

どうなるかわからないが、やっぱり三国には行きたくて、
午前中に帰ることも想定し、朝8時前には、家を出た。

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まだ三国の街は、祭りの喧騒とはほど遠く、
三国神社の前も、ほとんど人がいない。
朝一のうちに記念撮影を、という家族連れや、
祭りの準備をしている町内の人たちがチラホラ。

神社の前にある圧倒的な欅の大木が、
緑鮮やかに、立っていて、
この時期の祭りの景色とマッチする。

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神社の入り口で、手を清め、口を漱ぎ階段を上がる。
境内にはたくさんの巨木があり、実にいい気に囲まれている。
三国神社を中心として回りに沢山ある神社仏閣のこのエリアは
大地からのエネルギーが違うような気がする。
歩いていても、実に心地いい。

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継体天皇御即位1500年の垂れ幕が下がる本殿にお参りをし、
三国港や竹田川を見下ろせる丘に上がった。

まだ下を走る車の数も、そう多くない。

丘の上から、下の山車が通る街までは、
裏路地をゆっくり歩く。

右の角から、賑やかな声が聞こえてきて、
なんだろうと立ち止まると、
角を曲がって、大勢の子どもたちが手作りのゴミ箱を
抱えてやってきた。

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「おはよーございます!」みんな元気で楽しそうだ。

これから三国神社の境内に設置するのだろう。
そういえば、昨年来たときにも、彼らが作ったであろう
ゴミ箱をカメラに収めた記憶が蘇った。

祭りの準備をこうしたカタチで楽しみ、
環境問題を考え、友だちと協力しあって、
作った手作りゴミ箱・・・。

いつまでも、彼らの記憶に刻まれ、
街をきれいにしようとするのだろう。


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子どもの頃から地元の祭りに親しんで、
地域の大人たちと一緒になって準備や練習をし、
親戚や友人たちが集まるこの街は、
自分たちの住む町に誇りを持つ大きな原動力になるのだろう。

三国祭りの期間は、三国の小中学校は休みになる。
もちろん、地元の会社はお休み。
お客様をお迎えし、ご馳走を振舞い、お土産を持たせる。
祭りのため、町内行事に備え、
三国の人は、お祭り貯金をするという。
地元の銀行マンや郵便局員は、祭り貯金獲得のため、
営業してまわる、という話もどうやら本当のことらしい。

やはり三国は、三国の人たちは魅力に溢れている。

ランキングの応援クリックありがとうございます。
 一番驚いたのは、一位になった途端、ランキングからアクセス
 していただける方が増えたことです。
 県外の方が見られて、福井に遊びに行きたいな〜と
 思ってもらえたなら嬉しいです。
 
 


posted by たつたつ・たつや at 23:28| Comment(6) | TrackBack(0) | 旅先にて・福井県内編 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

100年前の神輿

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子どもたちの歓声と祭りの屋台に
引き寄せられるように行った上総社
※正式名称は神明神社

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左右の屋台を眺めながら本殿の方へ歩いていくと左手に、
古いお神輿が置かれていた。
近づいて見ると、装飾の細かさと、美しさに目を奪われた

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写真に切り取ると、まるで小さな神社があるように見える。

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鳥居にも屋根にも、金属の装飾されたものが貼ってある。
四方の屋根中央の獅子の目は今にも動き出しそうな雰囲気だ。
一枚の写真が飾られ、それによるとこの神輿が作られたのは
明治38年5月14日になっていた。
今から102年前のものだ。
当時の職人の技と魂を垣間見ることが出来る。

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城勝湯でも出会ったおじさんに話を聞いてみた。

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この神輿は神社の倉庫に長年眠っていたらしく、
今年数十年ぶりに祭に出してきたとのことだ。
このまま、誰の目にも触れることなく、また神社の倉庫に
眠ってしまうには、あまりにもったいない。

この神輿を担ごうexclamationという話も出ているとのことで、
来年以降、期待したいところだ。
posted by たつたつ・たつや at 00:41| Comment(2) | TrackBack(0) | 旅先にて・福井県内編 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年05月18日

子ども相撲

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太陽が西の空に落ちかけた六時から子ども相撲は始まった。
町内のお世話係の進行で小学一・二年の部からスタートだ。
豆力士たちがオガクズ(城勝湯から運んでいた)
を敷き詰めた土俵の回りを囲み、
その後ろにお父さんやお母さん、
じいちゃんばあちゃんが陣取る。

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西陽に照らされて、うれしそうな子どもたちの顔が、尚一層輝く。

歓声が上がり、友だちや親たちの応援が響く。
勝っても負けても、笑顔の子どもに混じって、
負けてお父さんのところに帰り着いた途端、
悔し泣きをする子がいた。

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こんな光景に出くわすことも久しぶりのような気がする。
微笑ましい姿に、こっちの心まで、温かくなった。

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新緑の中で、出会った子どもたちの輝く笑顔が、
来年も十年先も百年先も続いて欲しいと願った。

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おじいちゃんも太陽に照らされて笑顔でした^^

たつやの家から、わすか15分の旅先で出会った素敵な時間でした。


お陰さまで、ブログランキング一位になってしまいました。
  ちょっとプレッシャーですが、今までと変わらず、
  楽しみながら続けていければいいな〜と思います。

みなさん、おひとりおひとりの応援に感謝いたします。
posted by たつたつ・たつや at 23:00| Comment(2) | TrackBack(0) | 旅先にて・福井県内編 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年05月17日

城勝湯(武生)

武生の旧市内は、昭和の町並みがいろんなところに残っていて、
歩くと楽しい街だ。
たつやは通っていた高校が武生市内にあったため、
友だちの家や近所の食堂とかに行った思い出も合わせて、
今でも街歩きをしていても心がウキウキしてくる。

日曜日の午後は、市内も割りと静かなたたずまいだが、
その一角だけは子どもたちの歓声が上がっていた。
上総社さんのお祭りだ。
そういえばここに近づくにつれて祭の幟が増えてきた。

六時から子ども相撲が始まるという立て看板を見つけたが、
それまでにはまだ一時間以上ある。

この辺りを歩いてみようと裏通りを行き、
角をふたつ曲がると目の前に銭湯があった。

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ちょうど、銭湯から出てきたこどもがふたり、
いかにも風呂上りといった感じで、気持ちよさそうに帰っていく。

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折角だから、時間もあるし、お風呂に入っていこう。

番台にはおばちゃんが座っていて、そこで料金370円を払う。
天井にはお決まりのでっかい扇風機が。
「貴重品は番台へ」財布を預かってもらう。

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昭和33年開業のこの銭湯は、当時としては最新の設備を
整えた立派なお風呂で、それは今でも十分通用する
気持ちのいいお風呂だ。

湯船は3つ。
薬湯と泡の出る湯船、そして少し深い湯船。
奥にはスチームサウナも完備されている。

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明るいうちに入るお風呂はなぜか優越感がある。
ぽかぽかの身体で外に出ると、外の風が気持ちいい。

ちょうどこの銭湯のおやじさんが外で仕事をされていたので、
「あ〜、いい風呂でした。ありがとうございます」
と声をかけると、いろんな話を聞かせてくれた。

燃料は?と尋ねるとオガクズとのこと。
「焚き場を見なさるか?」
是非是非!わーい(嬉しい顔)

これがお風呂を焚くオガクズボイラー
(勝手にそうたつやが呼んだだけ)
木工所で出る大量のオガクズをここへ運んでストックする。
ボイラーの上にある漏斗(じょうご)状のものに、
オガクズを入れ、時折手で掻き混ぜる。
そうすることで、穴から少しづつオガクズが炉に落ち、炎となる。

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オガクズは杉のものより、松や硬い木の方がいいらしい。
例えば5度お湯の温度を上げるのに、杉なら1に対して、
松や堅木ならば、半分とか4割の量でいいとのことだった。

そういえば、たつやも薪ストーブを使っているが、
杉の薪は、よく燃えるが、すぐに燃え尽きてしまう。
その点、硬木だと、火持ちが全然違うのだ。

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「銭湯は焚き場にひとり、番台にひとり、
絶対にふたりいないとやっていけない。
もう武生にもふたつしかない・・・。
ほやけど、ありがたいことに、市からも県からも、
少し補助金がもらえるんや。
銭湯がなくなってもたら、寂しいでのぅ」


人懐っこい笑顔で親父さんはそう言った。

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城勝湯
福井県越前市若竹町10−18
電話:0778-22-2317
時間:15:00-22:30 月曜定休
料金:370円

だんだん少なくなる昭和の風景をこれからも
ブログで紹介できれば、と思うようになりました。


ランキングはついに2位になりました。グッド(上向き矢印)
本当にありがとうございます。
これからも応援クリックお願いいたします。
posted by たつたつ・たつや at 19:43| Comment(16) | TrackBack(0) | 旅先にて・福井県内編 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年05月04日

旧農商務省獣類検疫所神戸支所敦賀出張所

敦賀半島を湾に沿って北上すると、
左手に水色の古い洋風建築が建っている。
これが旧農商務省獣類検疫所神戸支所敦賀出張所
大正五年に建てられたものだ。

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右手は敦賀湾、建物の後ろは広いオートキャンプ場となっていて
GWや夏休みのシーズンにはその管理棟として使用される。

但し老築化がかなり進んでいて屋根の一部が落ちかけている。
現在は東京に本社がある民間企業の所有となっている。

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たつやが立ち寄った時は、ちょうどGWだったこともあって、
管理をされている戸代澤さんという方に
お会いすることが出来た。
しかもご親切に、内部を案内して下さったり、
建物の歴史について話を聞かせていただいた。

大正時代から戦前にかけては、
朝鮮半島からたくさんの肉牛がこの港に陸揚げされた。
その牛の検疫をしたのがこの建物
一階には事務室らしき部屋や獣医さんの部屋が、
二階には大きな会議室が残されている。

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二階に上がる階段の手摺やギボシにも、彫刻がなされ、
二階会議室天井中央の照明の土台には
見事な漆喰の装飾が残されている。
天井の四隅にはやはり組木の装飾がなされ、
当時の建築のセンスや技術を垣間見ることが出来る。

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しかしながら外から見て屋根の損傷がわかるように、
内部の天井も、歪んで落ちかけてきている。

今までにも幾度となく保存の話が出たことがあるらしいが
敦賀市としては保存の意思がないらしい。
予算がないことがその主な理由とのことだが…。

一民間企業としては、保存は難しいらしく、
このまま朽ち果てるか、取り壊しになることになるのだろうか。

建物の図面を含めて、調査は終わっているので、
行政としてはひとつのピリオドを打った
という認識なのだろうか。

壊すことは簡単だ。
だけど福井県内でも裕福な行政区域なのだから、
予算のやりくりをして保存の方向に進んでもらいたい
と願うのはたつやだけではないはず。

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大正時代に作られた桟橋。
ここからトンネルを潜って行くと旧検疫所の建物となる。

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今はのんびり釣りを楽しむ人しかいない。

しばし桟橋に佇んでみると、
当時の風景が目の前に浮かんできて、すぐに消えた。


旧農商務省獣類検疫所神戸支所敦賀出張所
(現オートキャンプ場管理棟)
福井県敦賀市縄間(のうま)
posted by たつたつ・たつや at 23:55| Comment(4) | TrackBack(0) | 旅先にて・福井県内編 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年05月02日

銭湯

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敦賀市内を走っていると銭湯の暖簾が目についた。
たつやが子どもの頃は当たり前の風景として銭湯があったが
最近はそれも珍しくなった。

一緒にいた娘に「風呂入って帰ろか?」と聞く。
風呂好きの娘は即座にうなずいた。

銭湯の前には近所の人の自転車や乳母車が止まっている。
暖簾をくぐると番台に座っていた親父さんが「まいど〜」
銭湯代金380円を払う。

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天井にはシーリングファン、床には藤で編まれた脱衣籠、
木製のロッカー、大きな鏡…

レトロ感いっぱいだ。

湯船は真ん中にふたつ、奥に薬湯がひとつ。
洗い場は10位。

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シャワーもお湯の水栓もいい味を出している。
古き良き時代の銭湯はなくなって欲しくないなぁ。

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見習いたいのは、
使った椅子や洗面器はきれいに洗って、片付けること。
次の人が気持ちよく使えますね。


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こんな当たり前の光景が
公共のお風呂や温泉で見られなくなってます。

心も身体も温まって、幸せを感じる銭湯は、いいね♪

貴重品は必ず番台へ

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やっぱお風呂の後は牛乳でしょ!?
ん?フルーツ牛乳はないかな〜

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千鳥湯
福井県敦賀市川崎町2-18
0770-22-1274
posted by たつたつ・たつや at 23:04| Comment(17) | TrackBack(0) | 旅先にて・福井県内編 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年03月03日

勝山・左義長その3

祭りの最中は、面白い写真が結構撮れていたりする。
やっぱり人々の表情にも、楽しさや幸福感が現れる。

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それに、子どもたちが街中を走り回っている様子や
楽しそうな歓声が聞こえることは、
たつやがこの年齢になったから感じるのかもしれないが、
うれしく微笑ましく感じる。

たつやが子どもの頃は、みんなが外で遊んでいたし、
外に行けば、遊び場も遊ぶ友達にも事欠かない時代だった。
そんな子どもだけのコミュニティで遊んだり、ケンカしたり、
生き物の大切さや儚さを知ったように思える。のだが・・・


祭りの喧騒とは少し離れた八百屋で買い物をするおばあちゃん。
吊るした干し柿やたかのつめが、傾きかけた太陽に照らされています。

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市内でたくさんの川柳が見られる。思わずウマイ!とシャッターを切った。

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絵行燈には、辻行燈と大行燈の2つがあります。
辻行燈は、江戸時代の藩主小笠原公が、左義長まつりの
「無礼講」として庶民の気持ちを川柳や狂歌にして
行燈に託すことを許し、町内の辻々や櫓の周りに飾られました。
現在も同様に、世相風刺や庶民の哀歓がうたわれ、
ユーモアと皮肉をおりまぜ、それにあわせた絵が描かれています。
大行燈は、絵行燈の大きさの3倍ほどあり、櫓の下に掛けられます。
また、狂歌が主体で描かれ、絵行燈と同じように
絵とダジャレがおりまぜられています。

(勝山市ホームページより)

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お清水は、大野が有名だが、この町、勝山にもあった。
きれいに整備されて、ちょっと散策するには気持ちがいい。
橋の下をくぐろうとしたら、反対側から少年が顔を出した。

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また、行きます!勝山の街ハートたち(複数ハート)


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2007年03月02日

勝山・左義長その2

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勝山の町をぶらぶら歩くのは、もう何度か来ているが、
その度毎に、新しい発見や出会いがあって飽きない。

旧市内は、さほど広くないので、歩いて回ることが出来る。
もっとも、たつやは路地→路地→路地裏→裏道→空き地とかを
選んで歩くので、時間はかなりかかる。

どこへ行くかなんて、たつやの感性まかせ
両手や三方に分かれた路は、勘だけが頼り。
そうして知らない方向に行って出会った店や人は、
勝手に運命的に、とか、お導きされた、などと解釈する。

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お祭りで賑わう界隈も、ひっそりとした住宅街も、
大きな古い花街跡も、廃工場跡も、みんな面白い。

歴史を感じたり、昭和の匂いを嗅ぎわけたり、
祭りの歓声を遠くで聞いたり、街の人と話したり・・・。

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勝山の街、たつやは好きだな。
posted by たつたつ・たつや at 21:36| Comment(2) | TrackBack(0) | 旅先にて・福井県内編 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年03月01日

勝山の奇祭左義長その1

初めて勝山の左義長祭りに出かけたのは、4年前のこと。
当時、ヤフーの掲示板で、『40代、今なにを考える』
という板があって、たつやも
そこに書き込みしていたのがきっかけだった。

掲示板というものも、その板がデビューだったし、
板が無くなってしまってからは、
その手のものとも縁が切れてしまった。

そこのトピ主(その掲示板の責任者みたいな人)や常連さんが、
勝山の人だったこともあって、
「こんな面白いお祭りがあるよ〜」
と誘ってもらったのだった。

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さて前置きはいいとして、先週土日に
勝山の奇祭「左義長」がありました。
たつやは日曜日に久しぶりにバイクを引っ張り出してきて、
行ってきました。

ま、とにかく羨ましいです。
自分の住む街に、大きなお祭りがあって、
遠くからも、親戚や友人知人が集まって、祭りを楽しむ。

今回はお祭りの素敵な笑顔をご紹介します!わーい(嬉しい顔)

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蝶よ〜 花よ〜 

花よのネンネ

まだ乳のむか

乳くびはなせ〜

乳くびはなせ〜


左義長ばやしが街のあちらこちらから聞こえてきます。

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勝山市のホームページより

全国各地で行われている「左義長」ですが、
「勝山左義長」の記述が初めて登場する文献のは、
小笠原公の勝山入封時(1691年)にさかのぼります。
つまり、「勝山左義長」の歴史は、
少なくとも300年以上前から行われていたのです。

また、赤い長襦袢で女装した太鼓の打ち手が
三味線、笛、鉦による軽快なリズムで
お囃子に合わせて太鼓をたたく様や、
カラフルな色彩の短冊による町中の装飾は、
全国で「勝山左義長」だけの特徴です。


「太鼓櫓」は総檜作りで、市内全部で12基あります。
本体は大きいもので幅約4メートル、
高さ約6メートルにもなります。
櫓は入母屋造りで、2階の舞台で左義長太鼓が披露されます。

また、上袋田区・上長渕区・下長渕区の3基の櫓は、
平成7年より市の有形文化財に指定されています。


左義長太鼓には必ず2人の奏者がつき、
1人は単調な“地”のリズムを刻み、
もう1人は踊るように浮いて独特の演技を見せます。
太鼓を打つとは言わず、“浮く”と言います。
浮き手には決まった演奏方法はなく、
滑稽な仕草や表情で浮かれて、
“地”のリズムにのりながら独自の間合いでバチを操ります。



posted by たつたつ・たつや at 21:43| Comment(0) | TrackBack(0) | 旅先にて・福井県内編 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年02月22日

敦賀の赤煉瓦倉庫

敦賀へは時々仕事上で出かけることがある。
ちょっと時間があれば、港に行って海を眺めたりする。
そんな敦賀の街に、やっぱりたつやが
惹かれる建物がいくつか残っている。

そのうちのひとつが、この赤煉瓦倉庫
夕陽が当たる時間に行くと、その魅力は倍増する。

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この日は、親父の車を借りて行ったので、ちょい撮影気分で。

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以下は敦賀観光協会HPより抜粋。

敦賀港の東側に2棟並んで建っている『赤レンガ倉庫』は、
福井県内でも有数のレンガ建築物。
外国人技師の設計によって1905年に建てられた当時は
石油貯蔵庫として使われ、数年前までは昆布貯蔵庫としても
使用されていた。
今現在、倉庫としては使用されていないが港町敦賀の
象徴的建築物のひとつとして有名。
柱の内側に壁を設け、内壁に柱のない空間に
なっているのが大きな特徴。


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もう少し歴史的背景とかを知りたいですね
posted by たつたつ・たつや at 23:55| Comment(4) | TrackBack(0) | 旅先にて・福井県内編 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年01月25日

萬慶寺(ばんけいじ)

2000年に鯖江の国際交流委員としてイタリアからやってきたモニカ
日本語はほぼ完璧に話すし、たつやと似た感性の持ち主だったから、
すぐに友達になった。

一緒にそばや巡りをしたり、渋い温泉に行ったり、
料理を教えてもらったり。

結局、鯖江にいた期間はわずかに一年だったけど、
濃い付き合いができたと思っている。
その後彼女は東京で2年間仕事をし、帰国した。

ここ数年はそれこそ一年に一、二回のメール交換するくらいの
付き合いになってしまった。
そんな彼女から久しぶりにメールをもらった。
『今月末に日本に友達と一緒に遊びにいくかも?行ったら泊めてもらえる?』

そして5年ぶりに彼女と再会した。
ずいぶん会っていないのに、そんなブランクがあったように感じない。

数日うちに泊まり県内をいろいろ散策して楽しんでいる。

たつやも、ごく近所にある萬慶寺を案内した。

ここだけの話、ここの住職さんはたつやが高校生の頃の指導部の先生。
しかも、試験を抜け出して、タバコを吸ってるところを見つかり、
5日間の停学になった時の担当の先生だ・・・。


ちょっぴりドキドキしながら、ベルを押すと、
ちょっと怪訝な顔をして住職さんが出て来られた。

「○○高校でお世話になった陰陽師たつやです」

「それはそれはようこそ!」と急ににこやかな顔になられた。

懇切丁寧に説明してくださる久我住職とモニカとエマちゃんバッド(下向き矢印)

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このお寺の本堂の天井には、すごい絵があるのだ。(鯖江市の指定文化財
それらがこれ!風神

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周りに太鼓を持ってる雷神 

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雷神アップ

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龍神

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この絵を描いたのが鯖江7代目藩主の間部詮勝(まなべあきかつ)公。
1846年に書かれたという記録が平成8年の修復に寄って発見された。
中国で作られた竹紙を使って描かれている。


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古くから天災は、これらの神様による人々への警鐘だったようだ。
今、まさに人間による地球温暖化の異常気象は、天からの警告にも思えた。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

モニカは今、ベネツィアで観光ガイドをしていている。
少し前に、案内した日本人のグループの中に福井県の人がいて、
どこですか?と聞いたら鯖江!
なんとその人は、この住職さんの息子さんだったのだ。

ええええ!?世界は狭い!

そんな縁もあって、先生は快く私たちを迎えてくれたのでしたわーい(嬉しい顔)

萬慶寺
曹洞宗大本山永平寺の直末寺で鯖江藩主、間部公の菩提寺。
7代藩主間部詮勝(まなべあきかつ)の筆による天井墨絵
「風神」・「龍神」・「雷神」は有名で指定文化財にもなっている。

鯖江市深江町6-14  (0778)51-0481 見学は要予約
ラベル:鯖江市 神社仏閣
posted by たつたつ・たつや at 23:57| Comment(8) | TrackBack(0) | 旅先にて・福井県内編 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年11月19日

不老神社

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旧今立町に不老(おいず)という地区がある。
古くから和紙の産地として知られているところ。

2週間前の日曜日にカメラを片手に、秋の一日を歩いた。

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ありがたい不老神社グッド(上向き矢印)できれば年はとりたくないもんね・・・
こんなに立派な鳳凰?がバッド(下向き矢印)

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由緒正しい不老神社下の湧き水についての説明
なになに目ひらめき199歳までぇexclamation&question

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秋の夕陽晴れを背に受けて、気持ちよさそうなお地蔵さん

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田んぼで一服できるのもあったかいから。
2週間前は温かかったんだね。

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posted by たつたつ・たつや at 00:32| Comment(2) | TrackBack(0) | 旅先にて・福井県内編 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年11月17日

味真野小学校・中居分校

越前市の味真野小学校校庭のど真ん中にある桜の話は以前書いた。
その学校に分校があることは知っていたが、先日初めて訪れた。

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秋の夕暮れ時のまた温かい日曜のこと。

五分市から池田方面に東に向かって、旧道をしばらく走ると
左手に小さな小学校がある。
ここが味真野小学校・中居分校だ。

夕陽を浴びて、校舎はほのかにピンク色に見える。

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ちょうど3人の子どもたちが校庭で遊んで帰るところだった。
最近はカメラを持ってるだけで不審者扱いになる可能性があって
簡単に声をかけることができないのが辛いとこ・・・。

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玄関口を覗いてみると、十数個の下駄箱?が見える。

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窓から書道で使った?雑巾が・・・

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いいね〜、学校は子どもがいてこそ、存在意義があるよね。

こんな分校が日本からどんどん姿を消していく・・・。
その後は取り壊されるところもあるし、
違った使い方をされて残る学校もあるけど、
やっぱり、こどもたちの声が聞こえて、生活感があってこそ、
学校の本来の姿だと感じるのはたつやだけではないと思う。

越前市 味真野小学校中居分校
福井県越前市中居町19-2

http://map.yahoo.co.jp/pl?lat=35%2F52%2F45.155&lon=136%2F16%2F35.944&layer=1&ac=18209&mode=map&size=s&pointer=on&sc=5

分校フェチ、木造校舎フェチ、古い洋風建築フェチのたつやに
いい情報があったら教えてくださいませんか?
せめて写真で、ブログで残せたらいいと思うたつやです。

posted by たつたつ・たつや at 22:31| Comment(2) | TrackBack(0) | 旅先にて・福井県内編 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年10月10日

旅の途中で(1)

以前から一度行ってみたいと思う場所に、
山陰本線の兵庫県と鳥取県の県境に近い餘部鉄橋(あまるべ)がある。

今回の旅の目的は、この鉄橋の写真を撮ること。

だけど、道草少年がそのまま道草おんさんになったたつやは、
適度に寄り道をしながらの旅をするのが好きだ。

伊勢屋に着くちょっと前の小さな集落を通りかかったときに、
向こうから歩いてきたばあちゃんと孫の組み合わせに
惹かれてハートたち(複数ハート)思わず車を停めた。

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写真を撮らせてもらっていいかと聞くたつやに
ばあちゃんは笑顔で応えてくれる。

詳しい説明はヌキで、この写真をアップしたいと思いますわーい(嬉しい顔)

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なんか今見ても、いい写真が撮れたな〜と思い出に浸っちゃいました。

心あたたまる風景でした^^ ありがとー!ばあちゃん揺れるハート

posted by たつたつ・たつや at 23:08| Comment(6) | TrackBack(0) | 旅先にて・福井県内編 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年09月19日

水仙の里温泉

旧越廼村(現福井市)の小さな小学校の跡地に、
小さな公営の温泉いい気分(温泉)がある。

バイクで海まで走りに行って、ここのお風呂に入って帰る、
なんてことも結構ある。

日本海を左手に見ながら北上すると左側に水仙ドームがある。
その前をUターンする感じで山の方に上がっていくと、
神社と小さな学校のような建物がある。
ここが『水仙の里温泉』だ。

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もともとは、下岬小学校という小学校だった。
二宮金次郎の銅像があるのも、その名残。

ninomiyakinjirou.jpg

薪を担いで、仕事をしながらも本を読み勉学に励む
という彼の姿もあまり見る機会がなくなったように思う。
ま、今なら交通事故にあってしまう、
ということになってしまうのだろうが・・・。
関係ないけど、最近は携帯見ながら自転車に乗ったり、
歩いている学生が多いなぁ・・
。(これも実に危ない)

玄関を入ると入り口でお風呂代金300円を払う。

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講堂を通り、渡り廊下を行き、右に曲がるとふたつのお風呂がある。
正面が男湯とあれば、ラッキーるんるん(たつやにとってはだけど)
逆に女湯とあれば、アンラッキーたらーっ(汗)

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というのは、正面のお風呂は大きく、窓を開けると日本海が見えるのだ。
右手のお風呂は小さく窓を開けても何にも見えない・・・。
残念ながらたつやとこのお風呂との相性はあまりよくなく、
7割がた正面は女湯になっている。
(一週おきに交代となるらしい)

湯質は無色透明ながら、肌がすべすべになるとてもいいお湯だ。
源泉は少し温度が低いため、ボイラーでお湯を温めて出てくる。
湯量も多いのか、常に出しっぱなし。

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旧越廼村の役場近くに立派な温泉施設が出来てからは、
ここのお客さんも減って、営業時間も午後4時から8時まで
という短い時間になってしまったが、
地元のお年寄りたちの憩いの場となっている。
講堂にあったステージを畳を敷いた和室に変身しているのも面白い。

地元の方々は本当にこの温泉を大切にしている。
村の人は他人が使ったイスや風呂桶をちゃんと直して出て行く
見習いたいものだ。

お風呂から出て、外で涼んでいたら、下の広場で親子が野球をしていた。
後ろに見えるのは

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posted by たつたつ・たつや at 22:01| Comment(6) | TrackBack(0) | 旅先にて・福井県内編 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年09月18日

瓢箪

2日間の休みがあると、どちらか一日はどこかへ出かけたくなる。
お天気もイマイチで、遠くへ行くことはやめ、
とりあえず蕎麦屋のスタンプラリーの店がある福井方面に向かった。

いつもは三国方面に行くのに、大きな道を選んで行くのだが、
目的がある訳でもないから、わざと小さな集落の中を抜けていくような
細い道を走ることにした。

今までの経験上、そういう道沿いに物凄い旧家を見つけたり、
無名の神社やお寺が立派だったり、昭和の匂いのする菓子店に出くわす。

旧春江町の田んぼの中にあった数十軒の集落の細い道を走っていたら、
大きな家の玄関脇にこんなものが置いてあった眼鏡

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なんだぁ?瓢箪だ!それもでかい!
興味津々のたつやは、カメラを持って、家の奥で作業していたおんちゃんとおばちゃんに
「なにぃ、これすごいの〜、ちょっと写真撮らせてもろていいかぁ?」

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近くで見せてもらうと本当にでっかい!しかもメチャメチャ重い。
これがあの軽いひょうたんになるなんて信じられない。
(とは言っても、実際にマジマジと仕上げられたひょうたんを見たことはないが・・・)

おんちゃんはドリルで瓢箪の先っちょに直径15mmほどの穴を開けている。
「ここまでは、誰でもできる!」

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と言うことはこれから後の作業は、誰でもできんぞ〜!というプチ自慢か?

その後一ヶ月、水の中に漬け、中の部分を腐らせて空洞にするらしい。
その腐敗した匂いがまたひどいらしく、
「これはぁ、なんともいえんいや〜なカザ(匂いのこと)がするんや。
なんちゅうか、アッパ(うん●)臭いカザやのダッシュ(走り出すさま)

どんな風に仕上がるのかという話から、おんちゃんは座敷にあるから、
上がって見て行け
、という。
これも何かの縁だなぁ・・・おばちゃんの案内で中に上がるとがく〜(落胆した顔)

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なんじゃ〜これ!す、すごーい目
これ、全て瓢箪???
後ろに小さく写っている鶴も瓢箪で作ってある。

おばちゃん曰く「どもならんのぁ、こんなにようけ(たくさん)」
だけど、うれしそう!ハートたち(複数ハート)

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こんな風に加工して完成されているのもあって、ただただ驚き!
いろんな趣味があるが、これもきっとハマルと面白くてやめられないのだろうなぁ。
下の写真の瓢箪は知事賞を受賞した作品バッド(下向き矢印)
カタチが本当に美しい。

hyoutan chijishou.jpg

見ず知らずの人間を座敷まで上げていただいて、親切にしていただき、
本当にうれしかった、心が温まった。
やっぱり小さな旅だけど止められない。

このブログを見ることはないだろうが、春江のIさん、ありがとうございましたわーい(嬉しい顔)

「最近は温暖化かどうかわからんけど、天気が不順や。
今はいい瓢箪ができん。
昔はいい瓢箪がいっぱい採れたんやがのぅ・・・」


温暖化の影響はいろんなところで影響を及ぼしているということを
こんなに自然の豊かな地方でも感じてしまいました。

posted by たつたつ・たつや at 10:56| Comment(4) | TrackBack(0) | 旅先にて・福井県内編 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年09月10日

大野 朝市

海外に行って友人にアンティークが好き!と言ったたつやに、
じゃあ、うちのばあちゃんをアゲル・・・がく〜(落胆した顔)なんて言われたことがある。

思わずNO THANKYOU!と言ってしまったが、
意外にたつやは、ばあちゃんに人気がある。
それにあまり大きな声では言えないが、結構ばあちゃんは好きだハートたち(複数ハート)

先日、かみさんと富山の氷見で食堂に入った時は、
80近い店のばあちゃんから、

「あんた色白いなぁ〜きれいな肌してる、
それになんて福福しい顔してるの、いっぺん拝ましてや
ムード

と言って手を合わせられてしまうイケエ面(イケ面とちゃう)のたつや。


さて、今日、順和堂のいもきんを買った後、
うろうろ歩いていて目についたのがこれバッド(下向き矢印)

takanotume.jpg

たかのつめの鮮やかな赤い色が、わらの間に上手に編み込まれていて、
思わず足を止めた。
「これ、おばちゃん(どんなばあちゃんにもおばあちゃんとは呼ばない)
が作ったんかぁ?かわいいの〜」

「はい、私が作ったんです。ナスはいらんけの?」
「ナスがあるんやってぇ。ほやけどササゲもらうわ。ほれにこれも」
「え?なんですって?耳がとおなってもての〜」

かわいいおばあちゃんでしょ!

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ほんのひと時の会話を楽しみながら歩く大野の街は、楽しい。
150円で買ったたかのつめは、どこに飾ろうかな。
posted by たつたつ・たつや at 21:56| Comment(6) | TrackBack(0) | 旅先にて・福井県内編 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年06月29日

常神半島ツーリングその3

トンネルを抜けると眼下に初夏の太陽を受けて
キラキラ光る美しい海が広がる。

常神1.jpg

小さな島が点在し、本当に神秘的な海だ。
ほんの数十年前までは道路がなかったため、この辺りは陸の孤島だった。
小さな集落は神子(みこ)遊子(ゆうし)常神(つねがみ)
などという名前で、常神の先にある島を御神島(おんがみじま)という。
本当に神々が住むエリアのような気がする。

常神2.jpg

常神までの片道20キロ以上の道のりは
海岸線をくねくね走らなくてはいけないが、
バイクだとかえってそれが楽しい。

途中、野生のサルが出迎えてくれる。

さる2.jpg

常神半島にある集落は民宿をしている家がほとんどで、
新鮮で美味しい海の幸を格安で楽しめる。

その最期の集落、常神の中に国の天然記念物に指定されている
樹齢1350年とも言われている大蘇鉄がある。
(大正13年に指定されている)

蘇鉄説明.jpg

普通の民宿の庭にあるそれは地面から5本の幹に分かれ、
そこからまたいくつかの幹が出て、天に向かって伸びている。
近くではカメラの広角レンズを使っても入りきらないため、
裏山の崖を登って撮ったのがこの写真。

大蘇鉄.jpg

ここは空気が違う。
地からエネルギーが吹き出てくるような感覚を覚えた。

干物作り1.jpg

集落に戻ると、おばあちゃんが黙々と干物を作っている。
こぶりのアジをちびた包丁を使って、
あっという間に開いて内蔵を取り出す。
一匹7〜8秒だろう。
きっと何十年も同じ仕事を繰り返しているのだろう。
その手が歴史を物語っていた。

干物作り2.jpg

この風景は何百年も前から同じなんだろう。

おばあちゃんの手作りの干物がこれ
しかも、これだけ入っていて1パック500円!
(家に帰って食べたら、マジで激ウマでした♪)
アジのみりん干しとトビウオの干物
お土産干物.jpg

バイクと海は不思議に絵になる。
帰り道は、海と太陽をずっと左手に見ていた。

三方の海1.jpg

三方の海2.jpg

敦賀の夕陽.jpg

走行距離230km 燃費はリッター当たり33kmと抜群に良かった。
う〜ん、息子に渡すのがだんだんもったいなくなってきた・・・^^;

日帰りツーリングはやっぱり楽しいと再認識した一日だった。

posted by たつたつ・たつや at 00:33| Comment(5) | TrackBack(0) | 旅先にて・福井県内編 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年06月27日

常神半島ツーリングその1

どこへ行くか?
何にも決めずにバイクのエンジンをかけた。
とりあえず、北か南か?
お天気に誘われて、南に走らせた。
今庄のスキー場から敦賀に抜ける道は、日曜日ということもあって、
交通量は少なめで、とばすには快適な道だ。

敦賀に入ってから、常神を目指すことにした。
午前中をダラダラと過ごしてしまった関係で、
時計は12時近くを指している。

27号線から梅街道に入ると、少し曇っていた空が
明るくなってきて、更に快適なツーリングとなる。

ホンダの250cc単気筒エンジンはストレアなく回り、
軽い車体は、ちょうど80km/hくらいが一番心地よい。
初夏の香りを感じながら、風を切って走るのは本当に気持ちがいい。

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信号待ちで止まっていると、ふと左手の看板が目に入った。
「天然温泉・虹岳島荘」右にsoonが出てる。
急ぐ訳じゃないし、ハンドルを右に切ることにした。
三方五湖の湖に沿って走っていくと、小さな集落を過ぎたところに
その『虹岳島荘』はあった。

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折角きたのだから、風呂にでも入るかいい気分(温泉)
カウンターでおかみさんらしき人に、ここは入浴だけが可能かと
尋ねると、「はい、1000円いただいております」

階段を下りて左奥に、風呂はあった。
日曜の正午にはだれひとり入っていない。
こりゃ、貸切だ!と真っ裸になったままカメラを持ってウロウロ。
これが他にお客さんがいると、そうはいかない。
仮に湯船を撮ったところで、それなりの言い訳が必要だ。

内湯と露天風呂。
露天風呂は水風呂とお湯のお風呂のふたつで、目の前は水月湖が広がる。
洗い場は10ヵ所で、そう大きなお風呂ではないが、
少し温めの露天風呂はゆっくり景色を楽しみながら、過ごせる。

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30分程すると、大型バイクの中年(初老?)ライダーの団体が
どどーっと入ってきた。
聞けば、名古屋方面から14・5台でやってきたそうだ。
しばらくバイク談義をして、先に失礼した。

ラウンジで一杯500円のコーヒーを飲んで、
(いくらか知らずに注文して、勘定の時にちょいビックリがく〜(落胆した顔)
虹岳島荘を後にした。

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あ〜、腹減ったぁ・・・ご飯食べに行かなくっちゃ!

虹岳島荘  福井県三方上中郡若狭町気山(切追)334-1-8
        虹岳島直通TEL・FAX 0770-45-0255


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2006年06月22日

三国・旧森田銀行その2

明治から昭和の初期に建てられた洋風建築は、
100年近く経つこともあって、老築化が理由で取り壊されるものも多い。

かの有名なメレル・ヴォーリズの設計した滋賀県の豊郷小学校も、
取り壊しが決定し、それを阻止する住民が
町長のリコール運動にまで発展したことは記憶に新しい。

また近江八幡市のヴォーリズ記念病院のサナトリウム「ツッカーハウス」
さえも、取り壊し問題が浮上している。
このどちらの建物も見学に行ったことがあるが、
計算されつくしたデザインと、細部にまで渡るこだわり、
内装の機能美、どれをとっても今の建築物より魅力的に映る。
たつやにとっては・・・だが。

今回の旧森田銀行も福井銀行に移行し、営業店として使われていたが
やはり老築化が原因で、取り壊しが決定した。
しかし、町の人たちが保存を呼びかけ、行政をも動かし、
直接、福井銀行の頭取にまで陳情に行ったという。

もし、その時に取り壊されていたなら、三国はおろか福井県、日本の
大きな損失だったと思う。

こんな素晴らしい建物を保存し、修復し、公開、
しかも無料というのは地元の誇りだし、
また保存運動をされた方々に感謝したいと思う。

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2階の会議室から吹き抜けを撮った

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照明ひとつ取っても、美術工芸品!

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暖炉・大理石と鉄のオブジェ?マーク?彫刻がアールデコの世界だ

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暖炉上の鏡。

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カーテンを付けるのに、この豪華さ、まるでヨーロッパのホテルのよう。

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壁に施された象嵌。絵ではなく種類の違う木材をはめ込んで作る。

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組み木で作られた床!これ床なんです!

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屋上にある左右対称のシンボル

いつしか、小さくていいから、こんな家を建ててみたいなぁ・・・
三国に行くと必ず新しい発見と感動がある。
しばらくの間、通ってしまいそうだ。








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三国・旧森田銀行その1

先月の三国祭りの最終日に三国の散策を楽しんだたつやは
ますます、三国の魅力にとりつかれてしまった。
その時には時間がなく、さっと通り過ぎてしまった旧森田銀行
もっとじっくり時間をかけて見学してみたいと思ってた。
http://onmyojitatsuya.seesaa.net/article/18317686.html

それにこのブログを見てくださったブログ先生も、また興味を持って、
三国の一日を楽しまれたそうで、たつやとしても、うれしい出来事だった。
先生の三国散策はここで。
http://shigeshi.sblo.jp/article/810250.html

先々週の日曜日に、再び旧森田銀行を訪れた。
あまりの贅を尽くした美しい内装に感動しながら、当時の職人さんの技、
設計を依頼した森田氏の想い、設計をした山本七五郎のロマンを
感じながら、撮った写真を中心にアップしようと思う。

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天井下につく窓、風通しをよくするために開閉は手前に開く

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この部分がギヤになっていて窓の開閉が行われる

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一階の大理石柱の上部・アールデコの影響をもろ受けた見事な細工だ。

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天井中央の漆喰・シンメトリーの完成された美しいデザイン

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二階にあがる階段の手すり部分・彫刻

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照明を吊るすベースの漆喰・ここまでやる?

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照明

1.三国は北前船の中継港として繁栄し、豪商が軒を並べたといわれる。
  その中の一人、森田家は、その三国湊を代表する豪商・大廻船問屋であった。

1.森田家は、廻船業が斜陽の中、陸上輸送の進展に対応するため、
  陸上での倉庫業や金融業に活路を見出す。

1.そして森田家は明治27年3月27日個人経営で銀行業業務に進出、
  明治36年11月17日に株式会社に移行する。

1.この建物は、大正8年(1919年)新本店として竣工したもので、
  福井県内に現存する鉄筋コンクリート造の最古のものである。

1.設計は横浜市開港記念会館も手掛けた山本七五郎、
  大工は地元の西折豊という人である。


開館時間 午前9時〜午後5時
休館日 毎週月曜日、年末年始(12/29〜1/3)
入場無料

その2もアップします。

 

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2006年05月24日

三国散策ラスト

おばあちゃんに御礼を言い、再び通りに出た。
かわいい男の子が口のまわりにいっぱいクリームをつけて、
シュークリームにかぶりついている。
思わず写真を撮った。(おかあさんに一応許可を得て)

シュークリームこども.jpg

屋台で一番小さいカステラを買い、種やのおばちゃんに根付の御礼も兼ねて届けた。
あまりに戻ってくるのが遅かったので、店の場所がわからなくなったか
心配してくれていたそうだ。
だけど、ここから始まって、ここに戻ってくるまでの間の出来事を
簡単に話をしたら、おばちゃんも喜んでくれたのだった。

以前から気になっていた建物がある。
旧森田銀行・・・明治・大正の西洋建築の様式の建物だ。
いろいろと調べてみると、いくつかのことがわかった。

森田銀行.jpg

1.三国は北前船の中継港として繁栄し、豪商が軒を並べたといわれる。
  その中の一人、森田家は、その三国湊を代表する豪商・大廻船問屋であった。

1.森田家は、廻船業が斜陽の中、陸上輸送の進展に対応するため、
  陸上での倉庫業や金融業に活路を見出す。

1.そして森田家は明治27年3月27日個人経営で銀行業業務に進出、
  明治36年11月17日に株式会社に移行する。

1.この建物は、大正8年(1919年)新本店として竣工したもので、
  福井県内に現存する鉄筋コンクリート造の最古のものである。

1.設計は横浜市開港記念会館も手掛けた山本七五郎、
  大工は地元の西折豊という人である。

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それにしても見事な建築だ。
アールデコの様式を伝えたこの頃の西洋建築は、贅を尽くしたものだった。
ここまで手間と金銭をかけて、作られた建物は、
当時の設計士や建築に関わった人たちにとっても名誉でやりがいのあった仕事だったことだろう。
たつやは滋賀県の近江八幡市でヴォーリズというアメリカ人建築士(101年前に来日)
の建物を見て以来、明治・大正の西洋建築に興味を持つようになった。
県内には、いくつか残っているが老築化が進み、取り壊されるものもある。
この三国のように、取り壊される運命にあった旧森田銀行を
保存に結びつけたことは、住民の熱い思いがあったからだろうと思う。

今日の旅は終わった・・・。
バイクの元に帰りついたら、ふたりの女子高生がピースサインを送ってくれた。

バイクと女子高生.jpg


posted by たつたつ・たつや at 20:06| Comment(2) | TrackBack(0) | 旅先にて・福井県内編 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年05月23日

三国散策その3

更に進むと、右手に古い金物店があった。
外のショーウインドウから覗いてみると、昭和の匂いのする商品が並んでいる。
中に入るが誰も出てこないので、しばらく見学することにした。
ガラス製のレモン絞り、アルマイトの蒸し器、
昭和のキャラクターの箸入れなど懐かしいものが置いてある。
そこで変わったモノを見つけた。

焼き印だ。

焼き印.jpg

20センチほどの鉄の棒の先に直径2センチほどのやはり鉄製のハンコのようなものがついている。
もちろん文字は様々で、逆文字。
かなり錆が出ていて、戦後間もない頃に作られたものではないかと思われる。
焼き印を見ているうちに店の奥で物音が聞こえたので
「こんにちは〜」と声をかけると奥からおばちゃんが出てきた。
この焼き印はいくらかと尋ねると、昔は一本500円だったが、
古いし文字も揃っていないため、200円でいいと言った。
暗くて文字が見にくいだろうからと懐中電灯を貸してくれる。
自分の名前や家族の名前の一文字を探して全部で11本を買うことにした。
おばちゃんは、こんなものを買う人は珍しいと、2000円でいいと言うのだった。

写真は実際に娘の太鼓のバチに焼き印を入れてみたもの。

焼一Dタ.jpg

高見潤の生家の前を通り、風情のあるそばや森安のところで海側に降り、戻ることにした。

鉄線.jpg

この辺りは人通りもなく、ひっそりしているが、きれいな鉄線が植えてあったり、
面白いステンド風のガラスがあったり、港町独特の建物に出くわしたり、と全く飽きることがない。

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裏通り.jpg

そういえば三国焼のご主人が近所に『鬼久』の人形が置いてあるおうちがあると、
言っていたのを思い出して、ずうずうしくも訪ねてみた。
その家はもともとは麹屋をしていた旧家で、140年前に作られたその三体の人形は
三国出身の有名な人形作家『鬼久』の作品ということだった。
あまりにも見事な人形で、そのいきいきとした表情は、今にも動き出しそうに見える。
髪の毛とかは多分人毛を使っているのだと思う。

鬼久作人形.jpg

人形.jpg 

中にいらっしゃったもうすぐ80になるというおばあさんに
いろんな話を聞かせてもらった。
浅学菲才のたつやにはチンプンカンプンの話もあったが、
改めて三国の文化のレベルの高さに感心することとなった。

続く
posted by たつたつ・たつや at 22:52| Comment(3) | TrackBack(0) | 旅先にて・福井県内編 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年05月22日

三国散策その2

種やのおばちゃんの店で荷物とバイクジャケットを預かってもらい、再び外に出た。
相変わらずの人と屋台が続く。
ほんの少し歩くと右手に大きなお寺があった。
立派な山門をくぐると青空をバックにひときわ美しいお寺(西光寺)が見えた。

西光寺.jpg

よく見ればその寺の屋根は微妙にカーブしている。
恐るべし日本建築!たつやは少しばかり木工をかじっているから、
その作り方がいかに大変かは容易に想像できる。
屋根勾配を直線にするのと曲線にするのとでは手間や計算、精度、材料などは、
倍や三倍ではきかず十倍以上ではないかと思う。
だけどなぜゆえこのようなカタチにしたのだろうか。
たつやの勝手な想像だが、三国はかつて北前船で栄えていた頃、様々な産業があった。
有名なところでは三国箪笥、それに仏壇なども盛んに作られていた土地柄。
だからこそ、三国の大工は、このような複雑な屋根のカタチを可能にしたのではないだろうか。
三国の職人の技と魂をこの屋根に表現したのではないか・・・?
空想がどんどん広がっていく。

こんな風に昔のことを想像するのも旅の楽しみのひとつだ。

西光寺をあとに、今度は旧道から一本山側の道を歩いてみた。
ほどなく左手にペン習字・三国焼という看板が目に止まった。
店の前にご主人らしき人がいたので挨拶して中を見せてもらう。
八畳くらいの店の中には、ビッシリ焼き物が並べられている。
その中にあったホントに小さい一輪差しがかわいくて、連れて帰ることにした。
それも「え〜、そんなに安くていいんですか?」と聞いたほどの価格で。

三国焼.jpg

奥様がペンで書いた階書の漢詩を見せていただいたが、
黒い紙に白の絵の具をペンで書かれていた。
見事なまでに揃った、美しい書体で、思わず写真を撮らせていただいた。

三国焼・楷書.jpg

そもそも三国焼という焼きものがあったのは1600年代後半。
北前船の衰退と共に、その窯元もなくなっていったが、
明治30年にこの店のご主人のおじいさんが復興したのだそうだ。
この横山藤介という方は、大変な文化人で、当時東京で流行していた
変形朝顔」(別名変化朝顔)の栽培をしていた。
朝顔の遺伝子の組み合わせでひとつとして同じ花や葉の形がない
という特徴に魅せられた人たちが同好会を作っていた。
その会員はそれぞれが変形朝顔の栽培をして、その花のスケッチを描くというもので、
大正五年に出版された画集を見せていただいた。
会員のほとんどは東京の旦那衆であったが、当時の三国の人が3人この会に
入っていたというのも、当時の三国の文化の高さを物語っている。

そんな高尚な話が聞けるのも、やっぱり旅の楽しみだ。

再び、少し歩くととても風情のある和菓子やさんを見つけた。
大和甘林堂http://392akinai.com/html/ymtk.htmlという看板が
旨そうな雰囲気を醸し出している。

大和甘林堂.jpg

「ここの名物は何ですか?」と尋ねると、店のおばちゃんは
鶯餅です。ほやけど、今日は祭りで全部売り切れてしまいました」
と申し訳なさそうに答えた。
そして、続けてこう言った。
「初めて来られた?でしたら中にひとつだけ残ってます。どうぞ食べてってください」

蜥餅.jpg

お代を払いますと言ったが、おばちゃんは首を横に振り、
「また来れれる機会がありましたら、お買い求めください」
と言って微笑んだ。
その場で開けて、写真を撮り、口に入れた。
最初、黄粉の香りが広がり、とても柔らかい口当たりのお餅と
甘いあんこが絶妙のバランスで和菓子の奥深さを味わった。

今度来た時には、お土産用にたくさん買って帰ろうと思った。

続く
posted by たつたつ・たつや at 22:52| Comment(0) | TrackBack(0) | 旅先にて・福井県内編 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年05月21日

三国散策・その1

また三国?そうなんです。またまた三国に行ってきました。

金・土・日とちょうど週末にかかった今年の三国祭り。
最終日の今日、あまりの天気の良さに誘われて、バイクに乗って昼から出かけた。
坂井平野の田んぼは田植えが終わり、
緑のきれいな苗が規則正しく植えられている。
田んぼの中の爽やかな風を切って走るのは、
バイク乗りにとっても一番気持ちのいい季節だ。

三国祭りは、驚くほど盛大で、三国神社から旧道をサンセットビーチ方面に向かって、
おそらく延べ2km近く様々な屋台が数百軒続く。
祭り本番は中日で、今年は昨日だった。
生憎の雨降りだったが、各地区の山車が神社まで引かれ壮大な景観だったという。

山ヤ.jpg

神社までブラブラ歩いて参拝を済ませて、裏山まで登ると九頭竜川が見渡せる。
裏通りから再び屋台の並ぶ旧道を歩くと、たくさんの被写体が見つかる。

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チョコバナナ.jpg

喉が渇いたからお茶を買おうと、古びた種やさんに入った。
人の良さそうなおばちゃんが出てきて、「ハイ130円です」
・・・自販機で買ったら、150円するのにな〜・・・。
「暑いですから、一服してください」とおばちゃんはたつやに椅子を出してくれた。
ふと、手元を見ると大小様々な枡が置いてあるのを見つけ、聞いた。
「これって、何号枡?かなり使い込んでますね」
これが一升枡、これが五号枡、五尺枡、こっちのが2リットル枡・・・
小さな金属の匙まで見せてくれた。

枡.jpg

DSC_0095.jpg

種を売るときは、特に高価なものはこの匙1杯を種の袋につめて、市販するのだそうだ。
普段、見るのはそういった紙袋入りの種だ。
一緒に写っている缶は大根の種とかぶの種で、一缶4000円も5000円もする。
普通の人はそんなに必要ないから、小分けされた紙袋を買えばいいようになっている。
しかしながら、今では、お客さんも減ってしまい、店を閉めるかもしれないなどと話をしてくれた。
帰り際に、私には遊びがあると言って見せてくれたのが、「押し絵」
(と言ったように記憶しているが・・・)

さしえ.jpg

切り抜いた紙の上に綿を乗せて、それを古い着物や帯の布を使って包む。
それらのパーツを組み合わせて、綺麗な絵にしていくというものだった。
古いものが好きなたつやとは結構話が弾んで、たくさんの押し絵を見せてくれた。
おばちゃんは本当に楽しそうだ。

たねやのおばちゃん.jpg

そして帰り際に、おばちゃん手作りの今年の干支の根付をくれた。

根付.jpg

130円のお茶を買った店で、もらった手作りの根付。
旅の思い出と、ちょっとした宝ものをもらった気分だ。
だから、知らない街を歩くのは面白い。
人やモノとの出会いがあるから、それも予期できないから。
このおばちゃんとの出会いが三国散策のプレリュードだった。

続く・・・・





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2006年05月18日

またまた三國〜

明日から3日間、三国祭り。
今年は見事に金・土・日に重なって、例年以上の観光客で賑わうだろう。
つい先日、三国についてのブログをアップしたが、
別の日に、また面白いスポットを見つけた。

mikuniminatoza.jpg
 
『三國湊座』ちょうど祭りの山車が通るメインストリート、
旧森田銀行のすぐそばにある。
軽食・喫茶を兼ねた観光休憩所みたいな感じだが、
面白いのは、その建物が小さな劇場になっていることだ。
一番奥がステージ、手前のかなり広いスペースが観客席になり、
中二階もあって、雰囲気はなかなかだ。
平日なら貸切も可能らしい。
ちょっとしたライブなどを仲間内で企画するのも楽しいかもしれない。
中には古いレコードが置いてあったり、オリジナルのコーヒーカップがあったり、
オシャレな本がディスプレイしてあったり、と楽しい空間だ。

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こんなスゲーレコードジャケットも発見!@@

70srecord.jpg

お抹茶をいただいたが、これは・・・
はっきり言ってひどかった。
抹茶をただのまずいお湯でといだだけ、という感じで、
あの竹でできたお抹茶を混ぜるやつ(茶筅だっけ?)で本当に混ぜたの???
お箸でシャカシャカかき混ぜた感じ。
雰囲気は結構いいのに、カフェとしては失格だね〜。

でも、その隣にあった材木商の旧家を保存した建物は
雰囲気も風情もあってすばらしいものだった。
特に、地元のボランティア?の案内をしてくれるおじさんが
親切丁寧に説明してくれて、好感を持った。

DSC_0062.jpg

やっぱり三国って面白いな〜。
お祭りは渋滞がひどいからバイクで行こうかな〜?
posted by たつたつ・たつや at 23:27| Comment(2) | TrackBack(0) | 旅先にて・福井県内編 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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