2015年01月15日

幻想的な若狭の雪景色

雪が降るのは嫌いじゃありませんが、量は要らないです。
雪の降り始めのあの独特の美しさは心が洗われます。
たつやのブログでも心が洗われたらうれしいな^^

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今年の正月は本当に大雪で、何処へも行くことが出来なかった。
その時は仕方ないと思っていたのに、しばらくして雪が少なくなってくると、
また旅気分が沸々と湧いてきて、じっとしていることが難しくなってきた。

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雪はほんの降り始め、木々にうっすらと雪化粧する頃が一番きれいだ。
雪化粧・・・なんて表現できる日本人の感性が素晴らしいと思う。
今年はドカンと来て、しばらくしてそれが消え、
また雪が積もる、と言ったサイクルで推移している。

毎週のように仕事で小浜へ行っているにも関わらず、
ハンドルを握って出かけた先は、気がついたら小浜だった(笑)

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小浜には不思議と何度も行きたくなるエリアがある。
何度かこのブログでも紹介しているが、
若狭でももっとも波動の高い場所だと感じるのが、
若狭姫神社、若狭彦神社、神宮寺、鵜の瀬エリアだ。

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雪のせいか、姫神社には他にも参拝に来られていた人はいたが、
彦神社と神宮寺はお人払いがされているかのように、
じっくり時間を過ごすことが出来た。

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特に神宮寺は昨年3月に、神事お水送りの際に来たことがあったが、
その時はお寺の外で待っていただけだったので、
今回は誰にも邪魔されることなく、
本堂の中で静かな時間を過ごすことが出来た。

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入口の古びた杉板で出来た箱の中には草鞋が入っていて、
それに履き替えて、本堂へ入る。
外は雪に覆われていて、本堂の中は息が白くなるような寒さなのに、
凛とした硬い空気感が心地よく、寒さを忘れてしまう。

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格子戸の向こう側にご本尊である薬師如来坐像が見える。
正面には畳が数枚敷いてあるので、その場に座ってみた。
何も音が聞こえない空間の中にいると、不思議な感覚がする。
時間という概念が変わっていくというか、
今がいったいいつの時代なのかがわからなくなるようだ。

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雪の中を、お水送り神事の源である湧水がある閼伽井(あかい)
まで、長靴に雪が入らないように注意して歩いた。
底からコンコンと湧き出る清らかな水。
この水を汲んで、この先にある鵜の瀬の川へ流すと、
奈良東大寺二月堂の若狭井へ届くという霊水。

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東大寺ではこの水を飲むと無病息災が約束されるという。
その源流の水をありがたくいただくこととした。

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そのすぐ横にある椎の木の巨木。
幹の部分が螺旋状にねじれているのがわかる。
よほどこの地のエネルギーが強いということなのだろう。
この木の横に目を瞑って立つと、地面が回転してるのがわかる。
神宮寺自体がエネルギー体なのではないだろうか。

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一か月半後の3月2日にはこの地区でお水送り神事があります。
たつやは今年も参加するつもりです。
興味のある方はご一緒しませんか?

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神宮寺
山号霊応山 天台宗。
若狭一の宮の神願寺として成立、縁起によれば元正天皇の勅命により
和銅7年(714)に泰澄大師の弟子沙門滑元の創建したといわれています。
鎌倉初期、若狭彦神社別当寺神宮寺と改名、
七堂伽藍二十五坊を誇りましたが、豊臣時代に寺領を没収され、
さらに明治初期の廃仏毀釈によって衰微しました。
本堂は、室町時代末期、天文22年(1553)越前守護朝倉義景が再建しました。
大きさは間口14.34m、奥行き16.60mです。
建築様式は、和様を主体にしたなかに、
木鼻に天竺様繰形、唐用束梁などの大陸の技法が用いられており、
妻飾も軒隅の反転とともに華麗な姿を表しています。

仁王門は、神宮寺北の玄関口で、間口6.37m、奥行き3.64m、棟高5.5mで
8本の柱の上にこけらぶきの屋根がのっていました。
構造や規模は簡素ですが、
珍しい形をした蓑束などの様式は室町建築の先駆とさえいわれています。
両端に安置されている木造金剛力士像には、至徳2年(1385)の墨書がみえます。
毎年3月2日、奈良東大寺二月堂に香水を送る「お水送り」神事を行っています。
若狭では、お水送りが終わると春が訪れるといわれています。
神宮寺所蔵の木造男神・女神坐像は、国の重要文化財に指定されています。
室町初期の作で、男神像は衣冠束帯(像高49.1cm)、
女神像は小袿姿(像高50.9cm)、若狭一の宮の神宮寺奥の院に伝えられたの神像です。






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ラベル:小浜市 神社仏閣
posted by たつたつ・たつや at 19:08| Comment(0) | TrackBack(0) | 旅先にて・福井県内編 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年01月10日

食材探しの旅・谷田部ネギ編

ありがとうございます。一位になりました^^
うれしくって眠い目をこすりながらも更新しま〜す。
でも今日のブログの写真はiphoneでの画像なんです。。。

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昨年の11月に京都のイタリアンレストラン『サルティンバンコ』
澤田勇シェフをお招きして、オール福井県産食材でイタリアンディナーを楽しむ会
主催したのですが、その際、いろんな食材を求めて、県内を走り回りました。

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小浜市には、小浜の伝統野菜「谷田部ネギ」があります。
そのネギは火を通すととても甘くなり、
昔から小浜の人たちに愛されています。
前もって、小浜の人に、その谷田部ネギがどこに売っているかを
リサーチしてから出かけたのですが、スーパーで買うのもいいけど、
出来れば農家さんから直接買えないかと思うようになっていました。

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ナビで谷田部を調べてみると、小浜市郊外の山の中の地区でした。
市内から車で10分程度の距離なので、
どんなところかとりあえず行ってみることにしました。

谷田部は集落の真ん中に川が流れていて、
自然豊かで美しいところです。
海からは少し離れているので、
ここが小浜だという感じはありません。

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クルマをゆっくり走らせていると、
あっ、第一村人発見!(笑)
おじいさんが小屋の前を歩いています。

驚かせないように、少し離れたところにクルマを停め、
「すいませ〜ん、この辺りで谷田部ネギを作っている農家さん知りませんか?」
と声をかけました。
おじいさんはちょっと不思議そうな顔をして、
「この辺りは皆、谷田部ネギだが・・・、うちも作ってるし」
と答えてくれました。
「えっ?そうなんですか。ちょっと見せてもらませんか?」
とお願いすると、畑に案内してくれると言うのです。
言われるがまま、おじいさんの後をついていくと、
思ったより小さな家庭菜園のような場所で、
谷田部ネギを栽培していました。

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見た目には普通のネギと変わりません。
でもそんなに大きくないなぁという印象でした。
おじいさんにこのネギを分けて欲しいと言うと、
「いやいやうちのは小さいし。。。隣のばあさんとこのは大きいな。
ちょっと聞いてみるさかい、一緒に行こう」

と隣のおばあちゃんの畑に案内してくれたのです。

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確かにおばあちゃんの畑には、立派なネギが並んでいました。
おじいさんが事情を話して、この谷田部ネギを譲ってくれるよう
おばあさんを説得してくれたのですが、
「そんなんしたことない!」と頑なに固辞するのです。
でも、僕が商売人でないこと、
この谷田部ネギの美味しさをたくさんの人に知ってもらうこと、
京都の有名レストランシェフに料理してもらうことなどを、
説明しているうちに、納得してくれたのか、
何も言葉を発することなく、畑に行くとネギを掘り始めたのです。

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お金を払おうとすると、要らないと言うのです。
しかしながら、そんな訳には参りません。
訳を話して、最後には何とか受け取ってもらうことが出来ました。
でもその気持ちがとてもうれしかったです。

谷田部のおばあちゃん、ありがとうございました。
おかげで美味しいディナーをいただくことが出来ました^^


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小浜市の谷田部地区で栽培されている「谷田部ねぎ」。
昔から小浜の冬場の料理には欠かせない食材であり、
曲がった根元と甘みが特徴。
通常のねぎは播種から収穫まで同じ場所で栽培するが、
「谷田部ねぎ」は2度植え換えを行う。
2度目に斜めに植えることで、根元は釣針状に曲がり、
土に埋まっている部分がよりやわらかく甘くなる。
小浜の名物の鯖とも相性が良く、
しめ鯖と谷田部ねぎを酢味噌で和えた「ぬた」は、
代表的な郷土料理の一つである。
他にも、すき焼き、鍋物だけでなく魚と煮付けてもおいしい。 
地元の小学校では、「谷田部ねぎ」を農業体験活動で栽培し、
調理実習時に使用したり、また学校給食の食材として使ったりするなど、
子どもたちからも大変親しまれている。
小浜市の地域ブランドである「若狭おばまブランド」に認証されており、
地元生産組合が中心となって保存・採種・普及活動を行っている。
平成19(2007)年8月3日には、国際スローフード協会主催の、
食の世界遺産といわれる「味の箱舟」にも認定された。







谷田部ネギを作ってるおばあちゃんが可愛い〜と思ったらココをぽちっとね^^ 

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posted by たつたつ・たつや at 22:53| Comment(0) | TrackBack(0) | 旅先にて・福井県内編 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年01月09日

晴明神社@敦賀市

ほんの一瞬だけですが、一位になれましたぁ^^
とってもうれしくて今夜もブログの更新です。

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15.6年程前に、まだたつやがブログも何もやっていない頃に、
Yahooのホームページの中に掲示板と言うものがあって、
いろんな人たちがそこに好きなことを書くというものでした。

いろんなカテゴリがあったのですが、
たつやは地域カテゴリの「福井県」の中にあった
「ふくいのおろしそばって・・・」という板(掲示板のこと)と、
「40代、今何を考える」というふたつの板に時折コメントをしていました。
当時は知らない人たちとのやりとりが楽しくて、
どこそこのそば屋は美味しいとか、
日々の出来事を面白可笑しくコメントしていたものです。

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ただその時に、自分の名前をそのまま出している人は誰もいなくて、
ハンドルネームといって、架空の名前を使っていました。
実はその時に考えた名前が「たつや」でした。
ただのたつやなら、日本全国には星の数ほどいるし、
何か頭に付けなくてはいけないと思い、
いろいろ考えた挙句、当時映画で流行っていた安倍晴明から、
陰陽師たつや』などという不届きなハンドルネームを作ったのです。

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その後、ブログを始めてからは、ずっと陰陽師たつやでやってきたのですが、
ここ数年、この名前のままでいると、本当にまずい?と思うことがあって、
一年程前に、陰陽師たつやの名前は辞めて、『たつたつたつや』に改名しました^^

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さてさて、前置きはそれくらいにして、
敦賀市内に安倍晴明を祀った神社があります。
海にほど近いエリアにひっそりと佇んでいて、
あまり目立たない小さな神社です。
敦賀市内を散策している時に、確かこの辺りだったはず・・・
と思って、角を曲がると、すぐにその晴明神社はありました。

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穏やかな陽が差す小春日和の一日です。
歩き回ると汗ばむほどの午後でした。
曲がりなりにも、その昔、しゃれでも陰陽師を名乗っていたので、
きちんとお詣りすることにしました。

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しっかり二礼二拍手一礼で、日頃の感謝をお伝えします。
平日の午後ということもあって、他には誰も来ません。
本殿には鍵がかかっていて、中に入ることは出来ませんが、
ご神体とされる「祈念石」が祭壇床下に安置されているのが見えます。
家に帰ってから、敦賀市観光協会のHPを見せてもらったら、
その「祈念石」の写真があったので、流用させていただきました。

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参拝が終わって、看板の説明文を読んでいたら、
「たつやさぁぁぁん」という声が聞こえて振り向くと、
車の中から、着物姿のNさんがニコニコ笑いながら手を振っていました。
昨年夏の福井新聞社主催の若狭フードキャラバンでご一緒した美人さんでした。

わぁお!もうご利益が^^

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ちょうどおもてなしの会?のミーティングの後とのことで、
素敵な着物姿。
折角ここで出会ったのだからと、記念に写真を撮ってあげることにしました。

晴明神社、またお詣りに行こうと思っています^^

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(以下は敦賀市観光協会のHPより抜粋)

晴明神社
南北朝時代の金ヶ崎戦、さらには織田信長と朝倉氏との戦火からあつく守られた神社―。
以来、防火の神として信仰を集める晴明神社。
賀茂忠行・賀茂保憲の親子に学び陰陽道(おんみょうどう)の
大家となった安倍晴明にちなんだこの神社。
拝殿には、陰陽道の研究に使ったとされる『祈念石』が鎮座しています。
10世紀末をこの地で過ごし、天文学・地文学の研究を重ねたといわれている安倍晴明。
なぜ彼はここで研さんを積んだのでしょう?
日本海に面し都にも近いことから、
当時の敦賀は大陸との交易の玄関口として栄えた港町でした。
当然ながら中国からの情報もひんぱんに届きます。
陰陽道が古代中国の「陰陽五行説」を基礎にした学問であることをふまえると、
敦賀は彼の研究に都合のいい場所だった…というのが有力な説です。


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安倍晴明とは
平安中期の陰陽師で、謎の人物とされています。
天文学を修め、3人の天皇に仕えながら物事の吉凶を占っていました。
母親は人間ではなく狐であったともいわれ、
幼いころから鬼の姿が見えたと伝えられています。
式神と呼ばれる鬼を操ったとされ
「今昔物語」や「古今著聞集」「大鏡」などに活躍が描かれています。


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謎の六角形の石「祈念石(きねんせき)」
晴明神社には、晴明が占いに用いたと言われている謎の石「祈念石」が
ご神体として祭壇床下に安置されています。
この石をどのような秘術に使ったのかは謎ですが、
晴明の霊力を宿すといわれています。
祭壇下の祈念石は、床下を望む小窓から覗き見ることができ、
賽銭を投げいれて石の上に載れば願いが通じるといわれていますが、
場合によっては石に賽銭がはじかれてしまうこともあるようです。


晴明神社
福井県敦賀市相生町8








上で押し忘れたらココで♪ 晴明神社のご利益があるかも〜
たつやもお詣りしてすぐにご利益がありましたからね^^

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記事:2420
posted by たつたつ・たつや at 22:53| Comment(2) | TrackBack(0) | 旅先にて・福井県内編 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2014年12月31日

羽賀寺の十一面観世音菩薩

ブログを書くのは久しぶりになってしまいました。
長い間、更新をしていなかったにも関わらず、訪問してくださったり、
ランキングへの応援クリックをいただいたりと、心より感謝しています。
なかなか更新出来ないのに、クリックボタンをお願いしますとも、
言えないのですが、エールを送ってくださる気持ちがあれば、
ほんのちょっとだけお力をくださいませ^^;


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ブログネタや写真はいっぱい溜まっているのです。
季節がバラバラの更新になっていくことと思いますが、
どうぞお許しくださいませ。







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さて、最近たつやのブログは小浜ネタが多いのですが、
それほど若狭地方は面白いし、本当に人情味豊かで、歴史があって、
食べ物が美味しく風光明媚で、神様に護られている地域だと思っています。

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小浜市の少し外れに羽賀という集落があり、そこに羽賀寺(はがじ)があります。
羽賀寺は、高野山真言宗の寺院で山号は本浄山と言います。
ご本尊は十一面観世音菩薩さま。
とにかくこのお寺へは是非行くべきだとたくさんの人から言われました。
それほどまでに勧められるのであれば、
きっと素晴らしいところなのだろうと思い、
羽賀寺を目指しました。

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初冬にも関わらず、穏やかな小春日和の日でした。
羽賀寺は、山間の小さな集落、羽賀の一番奥にあります。
駐車場に車を停めて、少し歩くと正面に立派な客殿があり、
最初はそこが羽賀寺の本堂かと思ったのですが、
本堂は、その左手奥の石段を登った上にありました。

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ちょうど観光で来られていた団体さんが、石段を下りてくるところでした。
たつやも若い頃は、神社やお寺に行くことはほとんどなかったのですが、
ここ数年前からは、そういう場所に興味を持つようになりました。
しかしながら、行った先では、まだまだたつやは若僧です。
この日も元気なお年寄りがわいわい楽しそうに話をしながら下りてきました。

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石の階段を上り切ると目の前に羽賀寺の本堂が見えます。
この時点で、勧められた訳がわかったような気がしました。
聖地で感じる波動の良さが伝わって来るかのようです。

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拝観料を払って、本堂に入ると、
はっとするほど美しい十一面観世音菩薩さまがこちらを見ていました。
その距離数メートルなので、表情や全体像がはっきり見ることが出来ます。
あまりの凛とした中に優しい表情に見とれて、声を失ってしまうほどでした。
正面からも、斜めからも、そして横顔まで本当にきれいな観音様です。
ご住職の奥さんが、お寺やこのご本尊の説明をしてくださいました。
どうやらこの観音様にはモデルがいて、その方は女性の天皇とのこと。
なるほどと納得させられた。

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以下、wikipedeiaより抜粋
羽賀寺は霊亀2年(716年)に、元正天皇の勅願によって創建されたと伝えられる。
最盛期には子院18を数えたが、天災などで消失し、近代以降は本堂のみが残る。
現在の羽賀寺本堂は、室町中期の文安4(1447)年の建立で、
桁行5間(13.74m)、梁間6間(14.63m)、棟高13.21m。
桧皮葺の入母屋造りで、軒の勾配がやや急に反る様式は北山文化の建築に多く見られる。
堂内は内陣・外陣が明確に区別されており、正統的な密教様式を残す。
1962年(昭和37年)、国の重要文化財に指定された。
1966年(昭和41年)9月に解体修理が完了した。


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木造十一面観音菩薩立像
羽賀寺の本尊で、10世紀初期の作。像高146.4cm。
元正天皇の御影との伝説がある。
檜の一木造、翻波式(ほんぱしき)衣文、膝に届く長い腕など、
いずれも平安前期の古様をとどめており、
瞑想的な眉目も弘仁・貞観文化の観音像に共通する。
本像の最大の特色は、造立当初の彩色がほぼ完全に残っていることである。
宝冠は代赭(たいしゃ)色、条帛(じょうはく)や天衣(てんね)は緑、
裳(も)は朱が用いられ、下地が5mmを越える厚さであることが
彩色の残存につながったと見られる。
この極彩色の像容から、若狭の仏像の中でも特に知名度が高い。
(「条帛」は左肩から斜めに掛けているタスキ状の布。
「裳」は下半身にまとうスカート状のもの)


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小浜のお寺巡りはもっともっと行ってみたいと願っています。
季節によっては限定で、普段は見ることの出来ないご本尊が公開されることもあって、
益々、小浜の魅力にどっぷりつかりそうなたつやです。

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2015年はもう少し自分の体のメンテナンスが出来る年にしたいと思っています。
またたくさんの人とのご縁をいただく機会にも恵まれそうです。
このたつやの感性見聞録を通して、出会う方もたくさんいらっしゃいます。
更新頻度は落ちてしまいましたが、時間がある限り、続けて行こうと思っています。
またお時間がありましたら、たつやのブログに遊びにいらしてくださいませ。
いつもご訪問、ありがとうございます。
心より感謝しています。

2015年もどうぞよろしくお願いいたします。

ココもよろしく〜^^

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記事:2415
ラベル:小浜市 神社仏閣
posted by たつたつ・たつや at 22:14| Comment(0) | TrackBack(0) | 旅先にて・福井県内編 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2014年12月09日

河内の赤かぶの里を訪ねて

いつも応援感謝しています。
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河内集落は、1200年前に栄えた牛ヶ原荘園の古文書に記載があり、
赤かぶ栽培も古く平家落人伝説とともに伝えられている。
焼畑でされるかぶで、そのためか、肉質はやや硬く、
ほろ苦さのなかに甘味と辛味があって山菜風の独特な風味がある。
かぶの内部も赤く、酢漬けなどにすると色鮮やかな仕上がりになる。
7月下旬に野刈りし、8月上旬に野焼きしてタネ播きする。
焼畑栽培では、施肥も農薬防除もおこなわない。
10月下旬から、直径8cmほどに育ったものを順次収穫する。
「河内赤かぶら生産組合」が採種しているが、
県の伝統地場農産物等原種供給事業で原種保存がされている。
美山町とJA越前美山で、町特産品として支援をおこない、
また過疎・高齢化が進むなかでの伝統農法、焼畑栽培の維持を
民間団体「福井焼畑の会」が支援している。

知られざる北陸の食材ホームページより抜粋

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ずっと前からその赤カブの存在を知っていたが、
実際にどんなところなのか、
どんな方たちが栽培しているのだろうか、
本当に焼畑なんていう伝統的な栽培をしているのだろうか?
などの疑問を解決することはなかった。

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しかしながら、ちょうど一か月前のたつやが企画した
プライベートイベント(後日、詳細をブログに書きます)で、
福井特産の伝統的野菜や、様々な食材を集めることとなって、
この河内の赤カブを生産している人を探していた。

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生産者を紹介して欲しいとフェイスブック上で呼びかけたところ、
何と茨城県の人(ご両親は福井)から連絡をもらい、
うまい具合に彼女のおばあちゃんから
知り合いのNさんを紹介してもらえることになった。

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電話連絡をして、赤カブを譲ってもらいに行った。
旧美山地区へは何度も行ったことがあって、
河内のすぐ手前の伊自良温泉までは行ったことはあったが、
河内までは行ったことがなかった。

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指定された家に行くと、実に美しく力強い赤カブが並んで、
たつやを待っていてくれた。
これが噂に聞く河内の赤カブだ。
ほんの数時間前までは、山の中腹の急斜面の畑で育っていた赤カブ。
あまりの美しさに見とれてしまうくらいだ。
手に持つとズシっとした重さと葉っぱの瑞々しさが心地いい。

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お礼を行って、車で帰ろうと思ったが、晩秋の河内の景色が気になって、
カメラ片手に、ほんの短い時間だけど散策することにした。
河内のシンボルという大ケヤキが見える。
遠くから見るとさほど大きな木だと思わなかったが、
近づいてみるとその巨木に驚く。

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白山神社にお詣りすることにした。
石段を上がっていく度にいい気が流れてくる。
これらの食材や作ってくれた方に感謝して、
翌日に控えたイベントの成功を祈願した。

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11月8日、晩秋のいい一日でした。








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2014年11月19日

飯盛寺(はんじょうじ)小浜市加斗

またしばらく間が空いてしまいました。
ネタはたっぷりあるのに、時間がなくって苦労しています。
よろしければ覗いたついでに応援してくださいね^^


只今5位。どこまで上がるかな〜?

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家に帰ってから調べてみると、福井の文化財というホームページに
以下のように説明されていた。

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飯盛寺は「若州管内社寺由緒記」によれば養老年間(717〜724)の草創と伝えられ、
文和年中(14世紀中期)に、後光厳院の勅願で再興されたという真言宗の寺院である。
本堂は、正面5間(12.84m)、側面5間(13.67m)、寄棟造桟瓦葺の建物であるが、
近世初期には茅葺であったようである。
3間×3間の内陣の四周に1間の庇を廻らし、正面は虹梁を用いて広く取る構成である。
構造は、和様を基調とし長押を用いて軸部を固め、三斗によって軒を支える。
中備は撥塚とする。
頭貫鼻に木鼻を付すほかは簡素で、全体に木割の太い、落ち着いたすぐれた建物である。
なお、保存修理に際して、屋根を茅葺に改めた。


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たつやが訪れた日は冷たい秋雨の中だった。
駐車場には他には一台の車もなく、本当に静かな山奥の寺院で、
たつやを迎えてくれたのは、赤い落ち葉と一緒にいる陶器の小鳥だった。

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ここからまっすぐ歩いて、左に折れると向こう側に石段が見える。
近づくに連れ、さらに地面からのエネルギーのようなものを感じて、
眉間を指で押さえられるような感覚が増していく。
石段の上には、雨に煙った本堂らしきものが見える。

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いったいいつごろに造られた石の階段なのだろう。
人が歩いて、擦り減ったような窪みがいくつも見られる。
石段の真ん中辺りには、右手に小さな石仏が固まって安置されていた。
こういう場所に来ると、この景色って
100年前も数百年前もほとんど変わらないのだろうと考えてしまう。
それにしても静かだ。
時が止まっているかのような空間だった。

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再び石段を上がると門の奥に見えたのは、
白い養生用のシートだということにようやく気付いた。
そういえば、ちょうど屋根の葺き替えをしていると聞いた。
なので、見てみたかった本堂の全容はベールに包まれたままだ。

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そして昨日のブログに記したご本尊や観音様との時間を楽しんだ。

ご住職からお寺のすぐ西側に滝があることを聞いていたので、
帰る前に行ってみることとした。
ちょうど紅葉の時期で、木々が赤や黄色に色づいていて、
地面には色とりどりの葉っぱが敷き詰められているようだ。
ちょっとした広場の真ん中には、丸い大きな石がある。
どう見ても意味のある置き方?をしているし、
石からはエネルギーが放出している感じがした。

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その奥に不動の滝がある。
上の方を見ると、不動明王さまの磨崖仏があった。
前方にはまっすぐ落ちる滝があり、
左手には小さな段差を落ちる滝があり、
夫婦滝のような感じだった。

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つい先日の出来事なのに、
なぜか遠い昔のようで、自分が撮った写真も、
随分前のことで、懐かしささえ感じてしまう。

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小浜とのご縁は、たくさんあるけれど、
こんなに素敵なところへ行けることって、
本当に有り難いことだ。
まだまだ小浜を堪能したいなぁ〜。

また民宿さわさんとこに泊まろうかな^^











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2014年11月18日

飯盛寺の千手観世音菩薩さま

またしばらく間が空いてしまいました。
ネタはたっぷりあるのに、時間がなくって苦労しています。
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只今7位。どこまで上がるかな〜?

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まさかご本尊や千手観音さまの写真を撮れる機会が訪れようとは、
思いも寄りませんでした。
たつやが小浜方面へ魅かれるのには、いくつもの理由があるのですが、
こんな風に偶然のようで、必然的な出会いがあるからかも知れません。

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小浜市加斗の山奥に飯盛(はんせい)と呼ばれる集落があります。
その一番奥にある由緒ある真言宗の古刹『飯盛寺』(はんじょうじ)があります。
国道27号線から、若狭湾とは反対側の山の方に上がる道に、
小さく飯盛寺という看板があります。

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小さな集落の中を抜けて、さらに山道を上がっていきます。
もうこの辺りから、神聖なエネルギーが満ちて来ているのがわかります。
霧雨のような雨の日だったから、余計にそんな感じがしたのかもわかりません。

詳しいことは、また次回のブログに飯盛寺については書きたいと思っていますが、
今回は感動したご本尊の薬師如来坐像と脇本尊の千手観世音菩薩さまとの出会いを
中心にして、書こうと思っています。

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ご住職は数年前までは神戸で建設会社を経営されていた方で、
お父さんが亡くなった後、すべてを捨ててこの小浜に帰って来たそうです。
お聞きしたところ、今のご住職でなんと70代目なのだそうです。
思わず声を上げてしまいました。
な、ななじゅうだい?ですか?


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一代20年と計算してみても、1400年です。
如何に若狭の歴史が古くから栄えていたことがわかります。
こんなに歴史があって、由緒正しいお寺が普通に存在しているのが
この若狭エリアなのです。

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飯盛寺本堂は、ちょうど屋根の吹き替え工事をしている真っ最中で、
本堂全体は工事用の養生シートで覆われて、
見たかった茅葺の屋根を見ることは出来ませんでした。

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そんな中を、ご住職が自らが本堂をご案内してくださいました。
真ん中にいらっしゃるご本尊が薬師如来さまで、
右脇には、木造の千手観音様がいらっしゃいます。
たつやは最初にこの千手観音様にすっかり見とれてしまいました。
実に穏やかなお顔です。
それに見事なまでの千手が作られています。

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あまりの美しさに、ご住職に恐る恐る、
「あの〜、写真なんてダメですよね」と聞いてみると、
「どうぞどうぞ、せっかくカメラをお持ちですし」
と、いとも簡単にお許しを得てしまいました。

両側には、日光菩薩さまと月光菩薩さまがいらっしゃいます。
他にもゆうに平安時代はあろうかという仏像がたくさんいらっしゃいました。

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ご住職は、ごゆっくりどうぞと声をかけてくださり、
本堂から下の方へ降りて行かれました。
いったいどれくらいの時間、ここにいたのでしょう?
ほんの15分程度だったかもしれないし、
1時間以上いたような感じもするし、
それ以上の時間、ここにいたのかもしれません。
何故か、時間の流れがここだけは違っているような感じがします。

DSC_7340.jpg

今、思い出してみても、
夢の中にいたような非現実なイメージです。

こんな幸せで幸運な出会いと時間に恵まれたことを、
心から感謝しています。
畏れ多くもご本尊や観音様の撮影が出来るとは思っていませんが、
これからも若狭の神社やお寺に行きたいと思っています。








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posted by たつたつ・たつや at 22:10| Comment(0) | TrackBack(0) | 旅先にて・福井県内編 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2014年10月16日

越前鉄道勝山駅

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中学生の時に熱中したもの。
その1.蒸気機関車(SL)の写真を撮って、自分で紙焼きすること。
その2.蜂に魅せられ、昆虫採集すること。
その3.吹奏楽部に所属し、トランペットを吹いていたこと。


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当時はまったく考えていなかったが、
今となっては、多少変わった少年だったのかも知れない。

何度かこのブログでも書いてきたが、
中学3年生の卒業を控えて、
蒸気機関車の写真を北海道に撮りに行く計画を立てていた。
その頃、日本国有鉄道から蒸気機関車が消えていくさ中で、
北海道が一番多く残っていて、SLマニアにとっての聖地だった。

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SLダイヤ情報という本は擦り切れるまで良く読んだ。
どこの駅を何時に通貨するとか、客車なのか貨物なのか、
勾配はいくつあるのか?
(坂がきついと煙を多く吐くので迫力ある写真が撮れる)
まだ見ぬ路線や駅名、そして時刻表は、
何の努力することなく、すべて記憶に入った。

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高校受験勉強と称して、夜、机の上に教科書とノートを出して、
引出の一番上に、その本を入れて、何度も何度も読んだ。
なぜ教科書やノートを出すかと言えば、
受験勉強をしなさいという母親に対するカムフラージュだった。

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たつやは一刻も早く北海道の地を踏みたかったし、
一分一秒でも北海道にいたいと思っていた。
そのため、行きの切符は、卒業式の日を選んだ。
福井駅から青森駅までの特急「白鳥」だった。
卒業式の日、最後までいることが出来ずに、早退した。

そして13泊14日の北海道SL撮影のひとり旅をしたのは、
今から40年前、1974年のことだった。






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さて、先日勝山へ行った時に、
ちょっと昔の撮り鉄を思い出して、越前鉄道の勝山駅へ行った。
駅の中に出来たというカフェが目的で行ったのだが、
たまたま定休日で、お茶をすることは叶わなかった。

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昔の方が格段にいい写真が撮れていたなぁ。
たまたま行って撮った写真だから仕方ないけど・・・


またいつか、カメラを片手に、
鉄道の写真を撮るのんびり旅行をしてみたいと思う。

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2014年10月09日

町家ギャラリー栖水舘(せいすいかん)

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グリーンカフェは『町家ギャラリー栖水舘』の一部を借りて、運営している。
たつやは、カフェの裏側にあった5つの蔵を見せてもらって、
150年の歴史と、そのあまりにも立派な蔵が並んでいる様子に驚いた。
お茶をした後、表側に回ってみると、
そこが栖水舘となっていて、一階にはこの家の家主さんが
描かれた絵が展示されていた。
東京で長い間、証券会社に勤めていた家主さんは、
今はこの小浜に戻ってきて、好きな絵を描いているらしく、
半分東京半分小浜という生活形態をとっていると言う。

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ちょうど放生祭の絵がたくさん展示されている。
感心して、絵を眺めていたら、そこにいた品のある女性から、
「2階も是非ご覧になってください。」と声をかけられた。

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2階は大きな座敷があって、そこには古い美術品や工芸品が並べられていた。
最初に目が留まったのは、古九谷の赤絵の焼き物だった。
以前に加賀市の九谷焼美術館で見たような繊細な赤絵が施されたものが、
表現はあまり良くないが、無造作に並んでいた。

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栖水舘の女性スタッフさんは、
「良かったらどうぞ手に取ってご覧ください。」
とったつやに言ってくれた。
「ホントに触ってもいいんですか?」
「はい、持ち主の方もそうおっしゃっていますから遠慮なく」

両手で包み込むように、そっとその器を手にした。
古美術品の良し悪しなんてほとんど分からないが、
持った瞬間に、すごくいいものだと感じた。

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次に心魅かれたのは、香遊びをしたという漆の小箱だ。
大きさと言い、カタチと言い、デザインと言い、実に可愛い工芸品だ。
こんなモノで遊んだ人はどんな人なのだろうか?
ちょっと想像するだけで、楽しくなってくる。

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地元、小浜の若狭塗の工芸品も手の込んだモノばかりで、
昔の職人の技と魂を感じるものがずらりと並んでいた。
いずれも、直接触れることが出来た。

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「どちらからお見えですか?」と聞かれ、
「鯖江からです」と答えると、
表情がさっと変わって、
「牧野さんはお元気ですか?」
と聞かれた。

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牧野さんとは、今の鯖江市長牧野百男さんのことだ。
小浜に来て、たつやが鯖江の人だと知ると、
かなりの確率で、百ちゃんは元気?とか百男さんによろしく!
とか言われることがあって、正直驚いている。

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牧野百男さんは、鯖江の市長をする前に、
2年間だけ小浜市の副市長をされていた時期がある。
たった2年間、しかも市長ではなく副市長という立場でありながら、
小浜の人たちのハートをがっちり掴んでいるのだ。

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たつやも牧野市長のことは大好きで、最も尊敬している人なので、
そういうことを聞く度に、誇りに思うと同時に、とてもうれしくなる。
この栖水舘の女性スタッフさんも、牧野百男ファンだと言ってくれた。
牧野市長の話になると、とても饒舌になり、想い出話をたくさんしてくれた。

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魅かれた入ったグリーンカフェ、そこから続く栖水舘、
築150年という町屋の良さと、家主さんの小浜の絵画、
そして古い伝統工芸品の数々・・・
益々、小浜に惹きこまれていくような気がする。

栖水舘(せいすいかん)
福井県小浜市酒井95-2
TEL:0770-52-1503







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2014年10月05日

放生祭(後編)@小浜市

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放生祭が小浜の人にとっていかに大切な行事なのかは、
町を歩いているだけで、ひしひしと伝わって来る。
老若男女誰もが、この日のために様々な準備をするのだろう。

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この祭ではそれぞれ山車、獅子、神輿、大太鼓、神楽という
5種類の異なる演し物が24の区に分別されていて、
中には江戸時代の祇園祭礼から300年以上続くものもあるという。
そのため、祭の演し物は子どもの頃から、
当たり前のように、練習を重ねて、祭を迎える。

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笛や太鼓を楽しそうに、しかも上手に演奏する子どもたちを見てると、
彼らは、理由もわからないまま、心と体の中に、
この歴史ある放生祭が刻み込まれるのだろうと思った。

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旧市内を歩いていると、たくさんの人やお店が並ぶが、
以前に比べたら、お祭もかなりさみしくなったという話も聞いた。
こんなところにも、少子化の影響がまざまざと映し出される。
昔は夜店がいたるところに出ていて、
一日中、大人も子どもたちも祭を楽しんだそう。
言われてみれば、子どもたちの姿が少なかったかも知れない。

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たつやも子どもの頃は、夜店が並ぶお祭が大好きで、
自転車に乗って、隣町の祭に出かけていたものだ。
裸電球の明かりと、祭の喧騒、神社の境内から聞こえてくる踊りの歌、
食べものよりもっぱらパチンコやスマートボールなどが好きだった。

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しばらく歩いていると、黄色や赤の衣装をつけた獅子の地区を見つけた。
カツラを被った若い子たちが、舞や戦いを演じるのだが、
これがなかなか面白く、興味深い。
午後の日差しが一番強くなった時間帯だったこともあってか、
出番でない獅子たちは、周りに座って休みながら、
他の獅子を眺めていた。

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ホームページを見るとこのように書かれている。

老若二匹の雄獅子と一匹の雌獅子が、笛と歌に合わせて、
胸につけた締太鼓を打ちながら舞う。
この三匹獅子舞は藩主酒井忠勝が
旧領地の武州川越から演者を連れてきたもので、
江戸時代の祇園祭礼には武家「関東組」の人々によって演じられていた。
明治維新以後、一番町(雲浜獅子)と、
この放生祭に奉納する4区が習い伝え伝統を守っている。


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玉前区
明治24年に旧関東組の人々から伝授を受け放生祭に獅子を奉納するようになった。
江戸時代には「大黒山」を出していたため、本陣飾りに大黒天の人形が残る。


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今年はようやく念願叶って、小浜の放生祭に初めて行くことが出来たが、
見ることが出来たのは、ほんの一握りだった。
時間があまりなく、途中で帰らなくてはならないことが残念でならなかった。

また来年とか再来年に、たっぷり時間をとって、再訪したいと思っている。

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2014年10月02日

放生祭(前編)@小浜市

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もう何十年も前からこの時期のテレビのニュースで
必ずと言っていいほど流れてくる小浜の放生祭(ほうぜまつり)
の様子を見る度に、来年は行こう!と思いつつ、
結局一度も行くことが出来なかった。

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立派な山車や獅子舞や歌や太鼓などの臨場感溢れる画面から、
やはりこの祭りを五感で感じてみたいと思っていた。
そして、今年念願叶って、歴史ある小浜の放生祭に出かけた。

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宿泊先は、少し前にこのブログで紹介した「若狭路の宿さわ」さん。
本当はめちゃめちゃ忙しい時期だったにも関わらず、
いつも通り、美味しいお料理でもてなしてくれた。
今年は澤さんの住んでいる地区、貴船区は祭りの出番なので、
本当に忙しい最中に、泊めてもらった。

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翌朝、朝食をいただいた頃には、澤さんは祭りの正装に着替えて、
旧道の地区の建物がある場所に行っていたようだ。
たつやも朝食後、すぐにカメラを持って出かけた。

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黄色の着物を着て、羽織袴の澤さん!
おお!かっこいい!
地区の人たちが皆集まっていて、
子どもたちは既に、山車の上に乗って、出発の準備を待っていた。

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さてここで放生祭の説明をホームページから抜粋して紹介したい。

放生(ほうじょう)とは、捕えられた魚鳥に法を修して山野、池水に放つ慈悲行で、
この放出を放生会(ほうじょうえ)といいます。
天武天皇5年(677)8月に初見されますが、
養老4年(720)の宇佐八幡宮放生会として
八幡神社で独自の法会として発展してきています。
小浜市の八幡神社は創建年代は不詳ですが、
諸々の記録から約1000年の歴史を有するものと推定されます。
中世室町時代には、流鏑馬、管弦、江戸時代は相撲や能などが奉納されていました。
放生祭りの出し物は江戸時代、市内にある廣峰神社の祇園祭りに出されていましたが、
明治以降、町名改編区制導入などにより、放生祭りとして定着するに至っています。
大太鼓5区、山車9区、獅子舞4区、神楽5区、神輿1区の24区が
交互に隔年で12区ずつ出陣して、伝統の神事芸能を演舞奉納します。
市の無形民俗文化財に指定されており、若狭路最大の秋祭りとして豪華絢欄、
風流を極める放生祭りは、地域の誇る伝統行事として
町衆の心意気によって受け継がれているのです。


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貴船区というちょっと変わった名前だと思っていたら、
それぞれ生玉区、日吉区、多賀区、住吉区、神田区、白髭区・・・
と言ったように、有名な神社の名前が付けられていることに気が付いた。
澤さんの奥さんに話を聞くと、小浜は江戸から明治にかけて、
何度も大火に見舞われ、甚大な被害をこうむったということで、
その時に、有名神社の名前をつけて、神様に守ってもらおうという意図で、
明治時代にこの地区の名前が付けられたのだそうだ。
以来、大火は一度も起きていないとのことだった。

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そういえば、2日間行われるこの放生祭は、どんなお天気の日でも、
どこかでちょっと雨が降るとも言われていたり、
〇〇区が出番の年は必ず雨が降る・・・などとも言われているらしい。
朝、海沿いを散歩した時には青空が広がっていて、
雨が降るなどとは、まったく思っていなかったが、
山車が出発する前の、ほんの数分間、雨が落ちてきたり、
お昼前、駅前の地区へ行った時に、
そのエリアだけ地面が濡れていたりしたりした。

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放生祭は延々と1300年も続いているというのが凄い。
最近は作られた祭り(イベント)が多い中、
こうした伝統的な祭が伝えられて来ていることに感動した。
また小浜の人たちの心意気がこの放生祭から伝わって来た。

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残念なことに、2日間のうち、半日ちょっとの滞在だったので、
来年こそ、じっくり腰を据えて、
どっぷり放生祭に浸ってみたいと願っている。

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ラベル:小浜市
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2014年08月26日

グッバイ・サマー

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海って、やっぱり夏のイメージ。
8月もお盆を過ぎて、暗くなるのが早くなったなぁ・・・と思う頃、
楽しかった夏休みがもう少しで終わってしまうという一抹の寂しさを
感じてしまうのは、たつやだけの感覚だろうか?
子どもの頃に染みついた感覚が残っている。

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あぁ、残っていた宿題をしなくちゃ!と思いつつ、
毎日、遊んでばかりで、結局夏休み終了間際になって、
慌てて、適当に仕上げる。。。
考えてみたら、今のたつやもあまり変わらないのかも。

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三国のサンセットビーチにずらりと並んでいた浜茶屋は、
一軒、また一軒と片づけを初めていた。
こんな風景を見ても、夏の終わりを感じて、
ちょっとセンチメンタルになったりする。

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9月になれば、何事もなかったのように、
砂浜ばかりのビーチに戻るのだろうな。

港町職人に行った時に、
その日は、キャンドルナイトが行われると言うことを知った。
本来なら、もっと早い時期に開催していたらしいが、
天候不順で延期になったのだそうだ。

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実はここ数年、この場所で開催されていた『』というイベントが好きで、
何度か顔を出していた。
ところが今年は開催されなくて、
そのことをとても残念に思っていたところだったので、
キャンドルナイトやライブペインティングがあることを知って、
とてもうれしかった。

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浜辺に行くと、キャンドルナイトの準備が始まっていた。
主催者の人たちだろう。
2000個以上ある紙コップを、ひとつひとつ砂浜に並べている。
その紙コップひとつひとつに、地元の小学生の絵が描かれていた。

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こういうイベントは、縁の下の力持ちがたくさん必要だ。
ここまで来るのに、すごい時間と労力を費やしているのだと思う。
外部の人たちの協力と、それをまとめるスタッフさんの苦労は計り知れない。

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浜辺ではたくさんのサーファーが波乗りをしている。
砂浜に座って、海を眺めている女の子や、
水際でじゃれ合うカップル。
揃いのプーさんのパーカーの仲間たち。
海って、やっぱりいいな!
絵になるよ。

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三国っていいな!
ずっと前から好きだった三国の砂浜で、
過ぎゆく夏を惜しむキャンドルナイト。

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とても残念だが、途中で帰らなくてはならなかった。
だけど点灯されて幻想的なキャンドルナイトもいいけど、
一生懸命、額に汗して頑張ってるスタッフさんに会えて良かったな。

グッバイ・サマー


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2014年07月14日

たつやの理想とする旅

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NHKの『鶴瓶の家族に乾杯』のような旅が僕の理想です。
いつしか日本中を旅しながら、いろんな人と出会い、一期一会のご縁を感じて、
毎日を過ごしたいとずっと思っています。

人の温かさに触れて、美味しいその地の食べ物と、
歴史・文化・風土を肌で感じて、また旅をする。。。

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20代最後に出会った旅する劇団の人たちが言ってたことを思い出しました。
僕らは風なんです。実行委員の皆さんは土なんです。
風が運んできた種を育ててくれるのが土なのだと。

当時、たつやは土だったのですが、
いつしかちょっとした旅を続けるうちに風になりたいと思うようになりました。
それは観光地を訪れるような旅ではなくて、
日本のどこにでもある小さな町がいいと思っています。

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久しぶりにカメラを持って、県内のとある湿原を訪れた。
ここに初めてきたのは中学2年の7月だった。
この地には湿原があって、珍しい昆虫がたくさんいるということで、
中学校の理科の先生と一緒に来たのだった。

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ここにはゼフィルスという宝石のように美しい小さな蝶々がいるということだったので、
特に楽しみにしていて、その日の雨を本当に恨めしく思ったこともはっきり覚えている。
当時はこの集落に小さな村の分校があって、
大雨に降られてこの学校の体育館でお弁当を食べたのを記憶している。

あの蒸し暑い空間と、窓の外に広がる緑の湿原と、それを遮るかのように降り続く雨・・・。
そしてその向こうにはあのゼフィルスがいるという憧れが入り混じって、複雑な心持だった。

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この地は今では、住んでいる人たちは年々減少の一途をたどっている。
たつやの子どもたちがまだ小学校に入る前くらいの二十数年前には、
湿地の一部は人の手が入る田んぼだった。
それはそれは美しい風景で、田んぼの原点はきっとこういうカタチだったのだろうと思えた。
その頃はまだ耕作地として湿地を使っていたのだが、
今では田んぼの面影をわずかに残すだけになってしまった。

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木陰に車を停めて、川が流れるところで一服していたら、
向こう側から犬を連れたおじいさんがやってきた。
こんにちわと挨拶して、しばらく村に残る古い神社について話を聞いてみた。
この向こう側に樹齢600年ともいわれる桂の木があるとか、
その上に大きなスズメバチの巣があるよ
、などと教えてもらったが、
たつやが昔、分校のあった頃からこの地を訪れているというと、
急に人懐こい笑顔になって、
ほうや、あの頃は先生が3人もおった時もあってな・・・
と空を見上げた。
あまり長い間引き留めていけないと失礼することにした。

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たくさんの蝶々が飛んでいるのを見かけて、集落内を散歩することにした。
どの家もまわりをきれいにしていて、きれいな花が植えられている。
種類までは特定できないがヒョウモンチョウの一種が数百という単位でいただろう。
この時期、よく見られるルドベキアの大きな花の上を次から次へと渡って、花の蜜を吸っていた。
モンシロチョウやミツバチや他のハチたちも訪れていた。

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少し歩くと向こう側からエンジン音が聞こえてきた。
さっきのおじいさんが草刈り機を回していた。
しばらく黙っておじいさんの仕事ぶりを眺めていたら、
向こうから気が付いて、エンジンを切って話しかけてくれた。

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ほんと、いいとこですね〜、僕はここが大好きです!
と言うと、うれしかったのか、
あんた町の人やろ?きゅうり持ってきなはらんか?
と言って、家まで案内してくれたのだ。
家の玄関には散歩で疲れた?わんこが迎えてくれた。

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中にいたおばあさんからきゅうりとレタスをもらった。
何かお礼するものがないかと車の中を探したら、
コンビニで買ったおやつが一袋だけあった。

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おじさん、これしかないんや〜。飲むんかどうかしらんけどおつまみにしての

たったそれだけのお返しに、おじいさんは、申し訳ないと何度も頭を下げてお礼を言ってくれた。
あぁ、いいな!おじいさんの最高の笑顔!
旅はやっぱりこんな出会いがあったら最高に幸せだな。
出会いは一期一会かもしれないけど、
このおじいさんにはまた会いに行こうと思っている。

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2014年06月17日

白山神社(勝山市大矢谷)

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年に一度か二度出かける勝山市大矢谷の白山神社。
ここは特別なエネルギーが満ちている感じが特にする神社で、
かつて泰澄大師が修行した聖地として、地元の人たちの間だけで知られていた。

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少し前のことになるが、まだ残雪が残る3月下旬に白山神社を訪れた。
以前にブログに書いた頃は、季節が初夏で
緑が眩しい美しい大矢谷の白山神社だったが、
この日は、春はまだ遠い寒々とした風景だった。

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ここを訪れた人は、鳥居をくぐるまでは、
田舎にある小さな神社というイメージだが、
一旦鳥居をくぐると、誰もが声を上げる。

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とてつもない巨岩が小さな祠の上に覆いかぶさっている。
正確に言えば、巨岩の下に祠を作ったのだが・・・。
緑が少ない分、余計にその大きさが強調される。
この日はいつものレンズではなく、
超広角レンズを持って行った。
その方が、この巨岩のすごさを分かってもらえるのではないか?
と考えたからだ。

DSC_5306.jpg

泰澄大師は、特殊な能力を持った人で、
特に地面の活断層から微妙に発せられる電磁波やエネルギーといったものに、
敏感だったと言われている。
この大矢谷の下に活断層があるかどうかは分からないが、
鳥居付近の木の生え方や根っこを見ても、
普通ではないことに気が付く。
前回も同じことを書いているので参考にしてみて欲しいが、
木が天地がわからなくなって、グニャグニャに伸びている。
http://onmyojitatsuya.seesaa.net/article/281542149.html

DSC_5334.jpg

それに確認した訳ではないが、
恐らくあの巨岩には、何かしら磁力のようなものがあるのではないだろうか?
次回行くことがあったら、コンパスを持って行って、
それがちゃんと作動するかを確認してみたい。

DSC_5308.jpg

パワースポットという言葉はあまり使いたくないが、
エネルギーが溢れてる神社だと思います。









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posted by たつたつ・たつや at 23:59| Comment(0) | TrackBack(0) | 旅先にて・福井県内編 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2014年04月11日

桜満開の入学式

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毎年、必ず桜の時期に越前市にある味真野小学校へ行く。
それは校庭のど真ん中にある圧倒的存在感の桜(エドヒガン)の巨木を見るため。
今年は思ったより開花が早く、満開になったという話を聞いて
出かけて行った日は、生憎の雨降りだった。

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校庭に雨がたっぷり浸み込んで、革靴で歩くのも辛い感じで、
傘を差しながらの短い時間で写真を撮り終わった。
カメラを持って来ている人もいたが、
その大部分は車から降りて、桜の近くまで行く人はなかった。

写真00031.jpg

何となく物足りないと思っていたたつやは、
天気が回復した4月7日の午後、再度味真野小学校を訪れた。
ちょうどこの日は入学式だったようで、
FBCやNHKが取材に来ていた。

写真00030.jpg

今日、入学したばかりのピカピカの一年生が、
仲良く肩を並べて、テレビカメラに向かって手を振っているところだった。
それにしても何とかわいい子どもたちだろう。
思わずこちらも笑顔になってしまう。

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それを着物姿のお母さんやスーツ姿のお父さんが見守るように、
回りを取り囲んでいた。

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一通りマスコミの取材が終わると、それぞれの親子が写真を撮っていた。
たつやも声をかけて、何組か撮影させていただいた。

写真00028.jpg

写真00035.jpg

写真00038.jpg

毎年同じようにここに来ているが、この桜の木の下で毎回違ったドラマに出会える。
でも一貫して共通しているのは、この桜の下では誰もが笑顔になることだ。
それこそ老若男女が、導かれるようにここに集まって来て、
桜を見上げて、目を細め、微笑む。

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一年のうち、たった数日、人々に愛される桜。
春の訪れと共に、花だけを一気に開花させ、
満開の花を披露したかと思えば、数日後には桜吹雪となって、宙に舞う。
その姿が潔く、儚く、美しいから日本人に愛されるのかもしれない。
風や水に運ばれて、無数の薄紅色の花びらが集まる様子も美しい。
数日すれば、その花びらさえも、土に還って行く。

写真00037.jpg

そういえば、お孫さんに連れられて来たおばあちゃんは、
車から降りると、桜に近づくことはなく、
その場で、桜に向かって手を合わせて拝んでいた。

手を合わせてお礼を言いたくなることは、たつやも同じだ。
いつも見事に咲いて、咲いて、咲きまくる桜に、
心から感謝をしたいと思う。

写真00029.jpg

また来年の味真野小学校の桜の下でのドラマを楽しみにしている。











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2014年03月29日

越前漆器の伝統工芸士『増井輝美』さん

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福井県鯖江市の東部に位置する河和田地区は越前漆器の産地として知られている。
ここにはうるしの里会館をはじめ、山車会館・職人工房があり、
この3カ所を見るだけで、越前漆器の歴史や工程などを知ることが出来る。
また産地ならではのお得な価格で漆器が販売されている。

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先日、たつやがうるしの里会館へ行った後に、職人工房へおじゃました。
この工房は、毎日のようにいろんな漆職人さんが入れ替わりで、ここで仕事をされている。
ガラス張りなので、外から見学することも可能だが、
出来れば中に入って、職人さんの伝統の技を目の前で見ることをおすすめする。
それに漆の職人さんと聞くと、硬いイメージがあるかもしれないが、
一度お話をしてみると、実に気さくで人間味あふれる方ばかりだ。

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この日は伝統工芸士でもいらっしゃる角モノ塗師の増井輝美さんが、
職人工房で仕事をされていた。
ちょうど研ぎの工程をされているところで、その説明をしていただきながら、
たつやは写真を撮らせていただくことにした。
増井さんの写真を撮るのは、この日が初めてではなかった。
後から気が付いたのだが、数年前にうるしの里会館の作業場で、
静岡県掛川市のある二輪屋台山車の塗りをされている増井さんの写真を撮ったことがある。
その時は、直径2m近くもある大きな車輪を塗っているところだった。
真剣な眼差しで仕事に取り組んでいた増井さんの顔を思い出した。

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一通り写真を撮って、ふと壁を見ると一枚の大きな写真が目に留まった。

え?ここは伊勢神宮?
増井さんの姿も写っていた。

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聞いてみると、その写真は昨年の伊勢神宮の式年遷宮の際の、
越前漆器を奉納した時の一枚とのこと。
伊勢神宮は20年に一度の式年遷宮には、建物だけでなく、
調度品や宝物までがすべて新しく作られると聞いてはいたが、
恥ずかしい話、地元の越前漆器が伊勢神宮に奉納されていることを初めて知った。

同時に鯖江市民として、とても誇りに感じて、
とてもうれしくなった。

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考えてみれば、伊勢神宮の式年遷宮は、日本の伝統的建造物だけでなく、
様々な伝統産業の技や魂の継承を支えていることなる。
あらためて、日本という国の素晴らしさを再認識した。

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増井さんは伝統の技はもちろん、増井さんの笑顔や、年季の入った手にはとても魅かれる。
仕事をする人の顔は、特にものづくりをしている職人さんの顔は魅力的だ。
また他の職人さんたちにも出会って、写真を撮りたいと思う。






うるしの里会館には、河和田塗りの職人たちの技と魂が込められた山車がある。
山車会館の中の大きな山車も見ることが出来るが、
この日展示されていたのは、高さ1.8mの小型山車。

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本物に比べれば大きさは小型サイズながら、
一切手を抜くことなく、大型山車とまったく変わらない工程で、
細部に至るまで、職人の技が施されている。

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これは越前漆器協同組合が製作したもので、
今後はもう一回り小さい山車を作り、新しい販路に向けて動き出した。
日本全国の中に漆の産地はたくさんあるが、
このような山車をひとつの産地だけで作ることが出来るところは、
河和田を置いて、他にはほとんどない。

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職人の高齢化や後継者不足は、河和田でも同じ問題を抱えているが、
こうした取り組みが職人を育て、産地が元気になるきっかけとなっている。

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鯖江のレッサーパンダやコハクチョウが描かれています。

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鯖江市民のたつやとしては、是非この地区を訪れ、
うるしの里会館、山車会館、職人工房(いずれも入館無料)を見て欲しいと思います。
そして職人さんたちとお話してみてください。
漆の素晴らしさを是非、ご覧になってくださいね〜

うるしの里会館
福井県鯖江市西袋町40-1-2
0778-65-2727








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2014年03月24日

お水送り神事・後編『鵜の瀬』

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お水送りは修験者たちが大護摩の火を巨大松明に移し、
その後、予約の人が担ぐ中松明が15組ほど続く。
たつやが参加したパムコのツアーも希望者四人で担ぐこととなる。

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中松明と言っても4m近い長さでかなりの重量がある。
大護摩で火をつける時に、
顔の眉やまつ毛が燃えてしまうこともあるとは聞いていたが、
決して大袈裟ではなく本当に燃える。

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そして手松明を持っている人たちが少し火力が落ち着いた大護摩の火から
手松明に点火する。
そうして神宮寺から遠敷川沿いに歩いて1.8km先の鵜の瀬を目指す。
たつやはちょうど真ん中辺りだろうか。
普段は外灯もなく真っ暗な道は、人々が持つ松明の明かりが延々と続いている。
前を見ても、後を見ても松明が続いていて、
なぜ今、自分がこの場にいるのかがわからなくなってしまう。

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杉の木の松明は当たり前だが段々短くなってくる。
道沿いは松明が燃えて落ちた炭が落ちていて、煙っていた。
鵜の瀬の近づいたころには、ほとんどの人の松明が燃え尽きてしまい、
消した手首ほど短くなった松明を持って、鵜の瀬の階段を下りる。
河原には大護摩が焚かれていて、そこで手松明を投げ入れる。

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たつやは対岸の方から、お水送りのクライマックスを見ることにした。
既に大勢のアマチュアカメラマンが三脚をセットし、場所を取っている。
毎回思うことだが、夜の祭でフラッシュをバシバシたくのはやめて欲しい。
神聖が祭がイベント化されてしまうようで興醒めしてしまう。

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対岸では白装束の修験者たちが大護摩の火や大松明に赤々と照らされて、
粛々と神事を進めていく。
般若心経を唱えた後、いよいよクライマックスのお水送り神事が行われる。
御香水と書かれた竹製の器に入れられた
神宮寺『閼伽井(あかい)』で汲まれた水が遠敷川に注がれる。

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鵜の瀬から注ぎこまれた香水は、10日を経て、
奈良東大寺二月堂若狭井に湧き出す。
この水を汲み上げて、あの有名な『お水取り』が行われる。
巨大松明を二月堂の中で振り回す『達陀(だったん)』の儀式が
よくテレビのニュースでお水取りの様子が放映されるが、
お水送りの神宮寺でも同じ『達陀(だったん)』が行われている。

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若狭と東大寺とは、果してどんな関係があったのだろう?
と不思議に思っていたたつやにとって、驚くべき事実を内田一成さんが教えてくれた。
東大寺の初代別当は、この若狭出身の「良弁」という僧だったのだ。
それはあまりにも直接的な関係で実に明快で快適な答えだった。

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このお水送り・お水取りの二つの神事は、
インドから渡来した「実忠」が752年に大仏開眼供養に創始したと伝えられている。
実忠という人は、一説にはペルシャ人であるとも言われ、
この二つに儀式の中にゾロアスター教の作法を取り入れたとも推測されている。
ゾロアスター教の中でも、もっとも重要な拝火の儀式はやはり「ダッタン」と呼ばれる。
このことからも、お水送り、お水取りの二つの神事は
ゾロアスター教の影響が強い
と思われる。

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また東大寺初代別当となった良弁の補佐をずっとしていたのが、
この実忠だったという事実関係がある。

内田さんの話によると、この火を祀る神事は、
常神半島先の御神島から真南に一直線のレイライン上にだけ存在するのだそうだ。
そう言えば、たつやが2012年5月に行った鞍馬寺のウエサク祭に於いても、
最後は大護摩に火を入れて祈りを捧げたことを思い出した。

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今ではお水送りは誰でも参加が出来て、
一部を覗いては、どういう儀式が行われるのか公開されているので、
さほど驚くことも、畏怖を感じることも少ない。
しかしながら、つい最近まで、ごくごく限られた地域の人たちだけの神事だった。
1200年以上ベールに包まれたまさに秘儀として代々伝えられてきたのだ。

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それを想うと、もしたつやが旅の人で、公開されていない時代に
もしこのお水送り神事を目撃したのであれば、
驚愕と恐怖と畏怖とで、木の影に隠れて震えながら眺めて、
一生忘れることが出来ない光景となったであろう。

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来年も3月2日に神宮寺〜鵜の瀬でお水送り神事が開催されます。
また来年も内田一成さんが講師&ツアーガイドを務めるお水送りツアーが、
三方五湖の湖上館パムコさん主催で行われるはずです。
また絶対に参加しようと今から思っています。
興味のある方、一緒に参加しませんか〜?
今から準備をしておきましょう♪

それと来年は許されれば、お水取りにも行ってみたいと思っています。

もっと詳しいことを知りたい方は是非、
内田一成さんのレイラインハンターを読んでみてください。
すごい面白い内容で、一気に引き込まれてしまいます。










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posted by たつたつ・たつや at 22:58| Comment(0) | TrackBack(0) | 旅先にて・福井県内編 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2014年03月22日

お水送り神事・前編『神宮寺』

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3月12日に奈良東大寺二月堂で行われる「お水取り」に先がけて、
毎年3月2日に行われる小浜市神宮寺の「お水送り」は、
奈良と若狭が昔から深い関係にあったことを物語る歴史的な行事です。

奈良のお水取りが終わると春が来る。
関西の人々は、毎年この春の兆しを待ちわびます。
この奈良東大寺二月堂のお水取り(修ニ会の「お香水」汲み)は
全国にも有名な春を告げる行事ですが、
その「お香水」は、若狭鵜の瀬から10日間かけて
奈良東大寺二月堂「若狭井」に届くといわれています。

(小浜市のHPより)

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お水送り神事は3月2日辺りがどっぷりと暗くなった午後6時から始まった。
神宮寺とはちょっと変わった名前で、神宮と寺が一緒になっている。
その昔、神仏が同じように祀られていたことがよく分かる。

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たつやたちが神宮寺に着いたのは午後5時。
すでに大勢の観光客が手松明を求め、その神事に参加する準備を進めていた。
例年であれば雪が降っていたり、みぞれ混じりの雨が降っていることもあるらしいが、
今年のお水送りは比較的穏やかな曇り空のお天気だった。

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神宮寺境内にある霊水『閼伽井(あかい)』
ここで汲まれたお水が東大寺に送られる。
このあかいという言葉も赤・朱に関連付けられている。
つまりここも水銀鉱脈があるということだ。

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前もって、このお水送りツアーを企画されたパムコの田辺さんや、
レイラインハンターの著者、内田一成さんから、
お水送りは寒いことと、当たり前のように火の粉が降ってくるから、
それに対応する格好で来るように言われていたので、
ある程度の覚悟はしていたが、
その後あらためてその言葉が大げさでないことを
嫌と言うほど知らされることとなる。

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午後6時、ホラ貝が鳴り響くと、白装束の修験者や山伏たちが、
列を成して神宮寺の本堂の中へと入って行く。
もちろん誰も中に入ることは出来ない。
中で唱えられている般若心経や、祝詞のような声が聞こえてくるだけだ。
神宮寺に集まった人たちは、真っ暗な中でじっとその時を待っている。

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午後7時。
本堂の中が赤くなる。
信じられないことに、本堂の中で大松明に火が点けられたようだ。
しばらくするとその大松明が堂内を左右に駆けめぐる。
その長さは7mはあろうか。
本堂の屋根が燃えてしまうのではないかと心配になるほどの火力だ。
常に消防の人たちが待機し、水を撒きながら命懸けの仕事だ。

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やがてその大松明は、人々の中を通って、
大護摩がある結界が張られたエリアに入ってくる。
修験者や山伏たちは、斧や弓矢で結界の四方を回り、
四方固めを行う。

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そして大護摩に点火が行われる。
しばらくすると白い煙がもくもくと空に上がって行く。
やがて真っ赤な火が巨大な火柱となって空を焦がす。
たつやが立っている場所は大護摩からかなり離れているが、
その熱が顔に伝わってくるほどだ。

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今までいろんな祭や神事を見て来たが、
これほどまでに厳かで神秘的な神事は初めての体験だ。
人は巨大な火を見ると、一種のトランス状態になるのではないかと思っているが、
まさにここ神宮寺で行われるお水送り神事はそんな感じがした。

以下、後編に続く

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2014年03月20日

お水送り神事・不老不死伝説と若狭彦・若狭姫神社

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若狭には昔から不老不死の伝説がいくつか存在する。
一番有名なのは人魚の肉を食べたがために、
不老不死になった八百比丘尼の伝説だろう。

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たつやがこの話を知ったのは20年近く前のことだった。
当時「誇りの国創造運動・デザインコミュニティ」という団体に所属し、
広報を担当していた頃に、嶺南の宝さがしをする中で、
この八百比丘尼の話を知った。
取材をするのに八百比丘尼が修行するために籠ったとされる洞窟へ行ったが、
怖くて入れなかった記憶だけがある。
その後も数回この地を訪れたことがあったが、
その洞窟へは一度も入ったことがなかった。

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八百比丘尼の伝説内田一成さんがかかれたレイラインハンターの中では
こう記されている。(一部省略してあります)

若狭の遠敷という山間の里に、高橋長者という裕福な庄屋があり、15歳の娘がいた。
ある日、どこからともなくこの地にやって来て、大きな屋敷を構えた老人があった。
白髪白鬚の老人は様々な国の言葉を操り、いったいどこの国の出身なのか、
歳はいくつになるのか定かではなかった。
ある時、老人は若狭の長者たちを宴会に招待する。
見たこともない山海の珍味が並ぶ食卓に招待された長者たちは目を見張る。
そして、老人の歓待に誰もが心を許す。
ところが一人の長者が屋敷の中で迷い、たまたま厨房を覗いてしまう。
そこでは、頭と上半身は人間の女の子で下半身は魚の「人魚」が解体されていた。
それを見た長者は、血相を変えて仲間にそのことを耳打ちする。
その話を聞いた長者たちは誰も珍味に手を出さなかった。
「せっかく世にも珍しい人魚の肉を振る舞ったのに、残すとはもったいない」
と老人は長者たちに土産として持たせる。

長者たちはそれを海に捨ててしまったが、高橋長者だけは持って帰った。
翌日に捨てるつもりで厨房に置いておいた。
老人の宴が気になっていた高橋長者の娘は、
厨房でこの肉を見つけ、こっそり食べてしまう。
その肉はこの世のものとは思えぬ美味で、娘はすべて平らげてしまった。
この日から娘は歳をとらなくなる。

他の者たちが老いてこの世を去り、さらにその子孫たちがこの世を去って行っても、
彼女には老いは訪れない。
いつまでも若狭の海のような美しさと輝きを保ったまま、
彼女は朽ち果ててゆく人と物の定めを哀しく見送り続けるしかなかった。
ただ彼女の心だけが、疲れ果て枯れていった・・・。

少女は自らの肉体の死をひたすら追い求め、諸国を行脚する。
そしていつしか比丘尼となって、
死に行く定めの人々に安らかな彼岸への引導を渡すようになる。
比丘尼となって八百年の間、そうして諸国を巡りながら、
また生まれ故郷の若狭に辿り着く。
そしてこの洞窟に籠ることにする。
大好きな白の椿を植え、青い若狭の海とを愛でるながら暮らすうち、
比丘尼は止まっていた時間を取り戻し、老い、肉体が朽ち、風に飛ぶ砂と化した。


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この悲しい少女の物語を内田さんが聞くと、
この八百比丘尼の入定洞に入ることが出来た。
怖さよりも、ちゃんとお参りをしようと思ったからだ。

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その後、お水送りの舞台となる鵜の瀬から更に山奥に入った民家の畑の一画にある
八百比丘尼のお墓を訪れた。
ひっそりと佇む八百比丘尼のお墓の前で手を合わせた。

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その後、たつやが大好きな若狭彦神社・若狭姫神社へ行った。
何度訪れても、清々しい神聖な空気が満ち溢れている。
それに大地からのエネルギーを感じる。

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若狭の開祖とされる若狭彦・若狭姫を祀る神社がこのふたつだが、
この二人の神は、海からやって来て、
不老で少年のようであったという伝説が残っている。
ここでもまた不老不死の伝説が出てくるのだ。

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2014年03月19日

お水送り神事・空海が求めた水銀鉱脈

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秦の始皇帝が中国大陸を征服した時、欲しいものはすべて手に入れた。
そして最後に求めたものは不老不死だった。
始皇帝に使えていた徐福は、東の海の向こうにある国に、
不老不死の薬があると聞き、3000人とも言われる民を連れて、
丹後半島の伊根に上陸した。
紀元前219年のことである。

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連れて来たのは陰陽師や風水に長けた人、ものづくりの職人、
土木や建築技術者、錬丹技術者、漢方薬の職人など、
一台頭脳集団を引き連れて日本にやってきた。

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その話を内田さんから聞いた時に、
もしかすると徐福は、秦に(始皇帝に)見切りをつけて、
不老不死の薬を探すという理由をいいことに、
一族を連れて日本に亡命したのではないかとさえ思った。

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不老不死の妙薬を作るのに欠かせないものが水銀だった。
若狭にはその水銀鉱脈がいくつもある。

さてこの水銀を求めたのは徐福たちだけでなく、
日本で一番有名な僧、空海もそうだった。

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三方石観音は国道27号線を走っていると大きな看板が見える。
雲谷山の方に急坂を上って行くと、上の方に観音様のお堂が見える。

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昇り口に大きな岩があって、その上に赤いトサカの石の鶏が迎えてくれる。
水銀のことは、赤、朱、丹と言い表すことが多いらしく、
まさにこの鶏のトサカが水銀を表しているということを知った。

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すぐ横に不動明王が祀られている湧き水がある。
内田さんの話によると、
水銀鉱脈が近くにある水場の岩が赤い色をしているのだそうだ。
確かにここの石は赤っぽい色をしている。

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この雲谷山の中腹に大きな花崗岩の一枚岩を発見した空海は、
それに一夜で聖観音を掘ろうと決意し、鏨を振るった。
しかし後は右手首を残すのみというところで、夜明けを告げる鶏が鳴いたため、
そこで空海は手を止めた。
後にそれは片手観音と呼ばれ、
手足の怪我や萎えに霊験あらたかと言われるようになった。


この岩に掘られた聖観世音菩薩は33年に一度、御開帳される。
次回は2026年10月だ。

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手足の病にご利益があるとされ参拝者が絶えない。
本堂の中に吊られた提灯をよく見ると金田正一さんや五木ひろしさんの名前がある。
祈願者は木で作られた手や足(御手足型)を本堂で借受けて持ち帰って、
朝夕患部を「南無大慈大悲石観世音菩薩」と唱名を唱えながら
軽くさすって病気の回復を祈願すると病が治るとのこと。
快癒した後に借受けた御手足型を返納するが、
その際に更に新しい御手足型を一本添えて奉納する習慣になっている。
そうやって奉納された御手足型が御手足堂に山となって積まれている。

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お堂の裏側に回ってみると、
空海が観世音菩薩を掘った花崗岩の一枚岩の一部が見える。

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内田さんがGPSを使って、この花崗岩が何処を向いているかを調べてみた。
お寺や神社は大抵が真南や真東を向いていることが多く、
たまに違う方向を向いていたとしても、夏至や冬至に関する方向だが、
ここ三方石観音はまったく違う方を向いていることがわかった。
いったい何処を向いているのだろう?
内田さんが手にしたGPSが指す場所は、何とこれから行く瓜割りの滝だった。
瓜割りの滝は空海ゆかりの霊水が湧き出る場所だ。

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瓜割り滝は数年前まで湧き出る水のところまで行くことが出来た。
たつやも随分前にこの水を汲んで帰ったことがある。
しかしながら心ない観光客が犬を連れて来て、この神聖な場所で、
放して遊ばせたことが地元の人たちの怒りをかった。
その後、柵が設けられて水場に近づくことが出来なくなっている。
豊富な水量の瓜割りの滝は、ピリピリする程、神聖な空気に包まれている。
この辺りも水銀鉱脈があったのだそうだ。
やはりこの辺りの岩も赤い色をしていた。

DSC_3627.jpg

水銀は鉱床では硫黄と結びついて硫化水銀というカタチで存在する。
硫化水銀は見事な朱色が特徴で、古来日本では「辰砂」や単に「朱」と呼んで来た。
そしてこれが含まれた鉱脈を通って湧き出した水は不老長寿の水と考えられてきた。

DSC_3628.jpg





もっと詳しいことを知りたい方は是非、
内田一成さんのレイラインハンターを読んでみてください。
すごい面白い内容で、一気に引き込まれてしまいます。










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2014年03月18日

お水送り神事プロローグ

覗いたついでに応援してくださ〜い。
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もう随分前から、毎年3月2日に福井県小浜市の鵜の瀬で行われる
神事「お水送り」に行ってみたいと思っていた。
テレビから流れるお水送りの神事は
白装束の山伏たちが松明を持って、神宮寺から鵜の瀬まで歩き、
ご聖水を遠敷川に流す様子はとても厳かで神聖な儀式に思えた。
いつかはお水送りに行ってみたいという想いは日増しに強くなって行った。

DSC_3576.jpg

一方、20年以上前から若狭にある常神半島に出かけて
何度もここの心地良さを不思議に感じて、たどり着いたレイラインの地図

map.jpg

この地図を知ってからたつやの旅の目的地が変わった。
この不思議な近畿の五芒星やレイライン上の聖地を訪ねることが多くなった。
このレイラインハンターという本の著書は内田一成さんという方で、
バイク雑誌のライターとかもされていて、どうやらたつやと同世代の方らしい。

DSC_3562.jpg

内田一成さんには2年前に一度連絡を取ったことがあった。
それは白山周辺のレイラインを調べていた
旧今立町の故渡邊光一先生の研究データについての話だった。
その後、ご丁寧にお返事をいただいた中に、
内田さんが毎年小浜のお水送りに来ているので、
是非お会いしましょうと書かれていた。
残念ながら、昨年はその夢は叶わなかったが、今年になってようやく実現した。

DSC_3565.jpg

DSC_3563.jpg

それはレイラインハンターの著書、内田一成さんが案内してくれるお水送りツアー
三方五湖にある湖上館パムコさんが企画されていることから実現した。
たつやにすれば、内田さんに会えることと、お水送り神事に行くことが
一度に叶う絶好の機会なので、このチャンスを逃す訳にはいかないと思った。

DSC_3588.jpg

パムコさんの地ビールは最高です!
(たつやは飲めないので内田さん談です)

DSC_3582.jpg

今までも何度かたつやのブロクでも紹介しているが、
常神半島の一番先にある御神島から真南に一本の線を下ろすと、
その線上に平安京、平城京、飛鳥京、熊野本宮が位置していることや、
この線を中心としてきれいな近畿の五芒星が現れることや、
日本を縦断するご来光の路など、偶然とは思えない聖地が
一直線上に綺麗に並んでいることに驚かされる。

DSC_3567.jpg

さてパムコさん主催のお水送りツアーは
お水送り当日の朝の常神半島の常神社参拝から始まった。
この神社も実は別のレイライン上にある。
御神島から琵琶湖の竹生島に至るラインで、
そのライン上には、たつやが好きな神子神社や
空海が開いた三方石観音がある。
このラインは竹生島から見て、夏至の日に太陽が沈む方向と一致する。

DSC_3568.jpg

内田さんの話を聞きながらの神社参拝から始まったこのツアーは、
なんか特別な意味があるような感じがした。
これから始まるお水送りツアーは、
三方石観音、瓜割の滝、若狭彦神社・若狭姫神社、八百比丘尼の洞窟、
鵜の瀬、八百比丘尼の墓、そして夜のお水送り神事へと続く。

DSC_3569.jpg

DSC_3572.jpg

湖上館パムコ(PAMCO)
福井県三方上中郡若狭町海山64-9-1
0770-47-1727
http://www.pamco-net.com/index.html





レイラインハンター ~日本の地霊を探訪する~ [単行本(ソフトカバー)] / 内田 一成 (著...



荒俣宏の世界ミステリー遺産 (祥伝社黄金文庫) [文庫] / 荒俣 宏 (著); 祥伝社 (刊)









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2014年03月12日

龍泉刃物のステーキナイフ

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星野リゾート軽井沢ホテル・ブレストンコートの浜田統之シェフが
フランス料理のワールドカップと言われる
ボキューズ・ドール国際料理コンクールに出場が決まった時に、
越前市にある打ち刃物の老舗、龍泉刃物の増谷社長にステーキナイフの開発の相談をしました。

写真00881.jpg

浜田シェフの得意な料理のひとつに
薄くスライスしたキノコや野菜のミルフィーユ仕立てがあり、
市販されているナイフで切ると潰れてしまったり
切り口がボロボロになってしまうことに不満を持っていて、
良く切れるステーキナイフを探していました。

写真00880.jpg

以前から厨房で使う包丁は龍泉刃物のものを使っていた浜田シェフは
その品質の良さに絶大な信頼を持っていたからです。
増谷社長は、良く切れるナイフならお手の物と、
すぐにミルフィーユをつぶすことなくスーっと一度引いただけで切れるナイフを試作し、
浜田シェフに送りました。
戻ってきた答えはNGでした。
それは切れ過ぎることにありました。

写真00884.jpg

たつやも時々やってしまうことがあるのですが、
ナイフとフォークを使って食べる際に、
ソースをナイフの上に乗せて舐めることがあります。
お客さんがどのように使うか分からないので、
口の中を切ってしまうようではいけないのです。

そこから増谷社長の試行錯誤が始まりました。
そして刃を付ける場所を限定したり、角度を調整したり、
様々な試作品を作り、1年以上の年月を経て、ようやく完成しました。

写真00885.jpg

そして第14回ボキューズ・ドール国際料理コンクールに於いて、
日本代表の浜田シェフは日本人として初めて第3位になりました。
その時に使用されたのは龍泉刃物のステーキナイフでした。
その時に各国から24名の審査員がいたのですが、
何とその半数がステーキナイフを持ち帰ってしまったのだそうです。
(ある意味、そっちの方が驚きますが・・・)

写真00875.jpg

その後、このステーキナイフは「ガイアの夜明け」やNHKの「先よみ」などの番組でも紹介され、
一本19800円という価格に関わらず、限定600本を数日で完売しました。
毎日のように問合せや注文が相次ぎ、追加注文は3ヶ月待ち、6ヶ月待ち、
ついには1年待ちという状況になり、
今年に入って注文を打ち切らざるを得ない状況になりました。
たつやが龍泉刃物さんへ遊びに行った時には、1年待ちという状況でしたが、
今は残念ながら買うことが出来ません。

写真00877.jpg

さて、もともと龍泉刃物は打ち刃物でも包丁がメインです。
刃物好きなたつやにとって工場見学は夢のような時間でもありました。
増谷社長に説明していただきながら写真に収めていく・・・。
日本刀を作る技術がそのまま越前の刃物に残されていました。
真っ赤に焼いた鉄に鋼を貼り付けてハンマーで叩いて金属同士をくっつけます。
このスピードや温度が刃物の切れ味や強さを決定してしまうのだそうです。

写真00879.jpg

これが出刃庖丁になります。

写真00883.jpg

一本一本、こうして叩き成形し、粗砥ぎを繰り返し仕上げていく工程を見ると、
包丁一本が数千円、数万円しても当たり前、むしろ安いとさえ思えました。
しかも自分で砥ぐことが出来れば、一生モノです。
例え砥ぎに出したとしても安いものです。
龍泉刃物で作った包丁であれば、いつの時代に作られたものでも砥いでもらえます。
(有料ですが)

写真00876.jpg

たつやはステーキナイフ開発の原型とも言える
このぺティナイフ(一番下)を一本分けて貰いました。
実にカッコイイぺティナイフです。

写真00872.jpg

家に帰ってからミニトマトを切ってみて驚きました。
厚さ0.3mmくらいでトマトが切れるのです。
1mmあれば3枚切れます。
目には見えませんが細胞までスパッと切れる感じがします。
料理をしていて包丁が切れないのはストレス以外なにものでもありませんが、
これを使えば楽しくて仕方ありません。

写真00878.jpg

わが福井県にはこの丹南地区には実にたくさんの伝統産業があります。
どこも素晴らしい技術と歴史がある素晴らしい産業であるにも関わらず、
後継者不足や安い中国製品に押されて売り上げが落ち込んでいます。
しかしながらそれぞれの産業のポテンシャルは限りなく大きく、
何かのきっかけで世界に売る事が出来るのだと思います。

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たつやももっともっと地元のことを知って、
少しでも多くの人にその良さをお伝えしたいと強く思いました。






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2014年01月17日

冬の散歩道『森の龍神』

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少し前に三国方面に行く機会があったので、金津創作の森へ立ち寄ってみた。
たまたま休館日だったようで、駐車場には一台の車も停まってなかった。
だけどあまりにもお天気が良かったので、
外に降りてみることにした。
風がなくて、太陽が差しているので、
体感温度はさほど寒く感じない。

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日頃、運動をほとんどしていないし、
たまにはお散歩もいいだろうと思い立って、
長靴に履き替えて、カメラ片手に創作の森を歩くことにした。
休館日の冬の創作の森には、人っ子ひとりいない。

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雪の上には動物の足跡があちこちにあって、
この場所にはいろんな生き物が生活していることを知った。
ちょっと見ただけでも数種類の足跡が見つかる。

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創作の森には川が流れていて、その真ん中に池がある。
その池の中に大きなオブジェがある。

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以前からその存在は知っていたが、
誰もいない森の中で、この日は一際存在感を増して見えた。

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これは國安孝昌さんの『森の龍神』という作品で、
金津創作の森で間伐されたヒノキ1400本と、
陶ブロック20000個を使って2007年に作られたもの。

DSC_1185.jpg

森の龍神は、見る角度によって様々な表情を持つ。
たつや的には、やはり湖面に映るこの位置がベストだと思う。
聞こえてくるのは流れる水の音と、遠くの鳥の声。
いつも聞いているデジタル一眼レフカメラのシャッター音が
森の中に響くような音に聞こえた。

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雪を踏む感触を楽しみながら、ゆっくり散歩するのも、
子どもに返ったみたいで、気分はウキウキしている自分に気が付いた。

DSC_1179.jpg

帰ってから調べてみると、國安さんは素晴らしい経歴の方でした。
筑波大学の准教授で専門分野は総合造形、現代美術。
研究テーマ:造形の総合的なインスタレーションの研究

学歴:北海道教育大学教育学部特設美術学科
筑波大学大学院芸術研究科デザイン専攻

主要作品:
1988 青森EXPO‘88記念現代野外彫刻展<大賞受賞>
1989 第13回現代日本彫刻展<兵庫県立近代美術館賞受賞>
1990 A Primal Spirit(ロスアンゼルス カランティ美術館 他)
    第4回オーストラリア彫刻トリエンナーレ(ヴイクトリア国立美術館/オーストラリア)
1991 第5回バングラデッシュビエンナーレ
1992 廃墟としてのわが家一都市と現代美術(世田谷美術館)
1993 Cultual Landscape AKERSVIKA展(リリハンメルオリンピックカルチャープログラム)
1997 Le Japon Mondt - de - Marsan Sculptures(デスピオ=ウェレリック美術館/フランス)
        International Art Exhibision INSIDE(カ-ルス公園/カッセル市)
1999 彫刻の森美術館開館30周年記念展「森に生きるかたち」
    第18回現代日本彫刻展 <大賞受賞> <神奈川県立近代美術館賞受賞>
    第3回「雨引の里と彫刻」展(大和村羽田山/茨城県大和村)
2000 Summer at Toolonlahtiy Bay Art Garden HELSINKI 2000
     - Cultural Capital of Europe
    越後妻有アート・トリエンナーレ(城山公園キャンプ場広場/新潟県松代町)
2001 Cime et Racines - International sculpture symposium
    (Saint-Etienne-des-Gres/Quebec, Canada)
2002 個展「静かに行く、遠くへ行く。」(村松画廊/東京都中央区銀座)
    個展「The Inner Kingdom」(MACA GALLERY/東京都世田谷区北沢)
    「5つのかたち-自然への提示」開館一周年記野外彫刻展(国際芸術センター青森)
2006 個展「静かに行く、遠く帰る」:(ギャラリーなつか/東京都中央区銀座)
2007 個展「森の竜神」:(金津創作の森/福井県あわら市)









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2014年01月15日

若き女性職人 越前漆器『前田智子』さん

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今回の企画では、昨日紹介した矢島里佳さんが、
年齢も経歴も性別もまったく違う職人さんに出会うものでした。
ずっと塗り師として、50年以上に渡って職人の世界を続けて来た畠中さんと、
もう一人はとってもチャーミングな若き女性職人、前田智子さんです。

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前田さんは昨年5月に鯖江市河和田地区にある株式会社土直漆器
職人として就職した女性です。
前田さんは横浜市生まれ。
千葉で育った女性で鯖江とはまったく無関係な方です。
京都の伝統工芸の学校で3年間、その後輪島で漆器の研修を2年学び、
職人になりたくて株式会社土直漆器に就職をしました。
お聞きしていて面白かったのは、
あくまで作家ではなく職人になりたかったということです。

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矢島さんが、「どうして鯖江だったんですか?」と質問したところ、
「就職する前にうるしの里会館を訪ねたのですが、
その時に、職人さんたちが集まって山車の制作をしていました。
その時に、皆さんがとっても楽しそうだったんですよ。」

と笑顔で答えていたのが、とても印象的でした。

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今では土直漆器で下地や塗りを中心に様々な工程に携わっています。
前田さんは別れ際にこんなことを話してくれました。
「職人の世界って厳しいというイメージがあったのですが、
周りの人皆がとっても親切なんです。
私はここに来れて本当に良かったと感謝しています」


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鯖江市民のたつやとしては、何だかとても心が温かくなりました。
県外から来た人たちから、こういう言葉をもらうと、
本当にうれしくなります。
またこの言葉が越前漆器のひとつの魅力なのではないかと思います。

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土直漆器代表の土田東直さんが、笑いながらこんなエピソードを話してくれました。
前田さんが面接で鯖江に来た日は、高速バスで来たため、
午前中の時間が空いていたそうです。
「午後の面接までの間に、何をしていたと思います?」

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え?何ですか〜?

住む場所を探していたんです。
不動産屋さんへ行って、いい物件を見ていたのだそうです。
まだ就職出来るかどうかも決まってないのに・・・

これには一同爆笑していました。

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越前漆器の産地に、こうした若い職人さんが育っていることを知り、
本当にうれしく思いました。
前田さんには、ずっと鯖江にいて、
いい漆職人さんになって欲しいと思います。

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2014年01月14日

伝統工芸士 越前漆器『畠中昭一』さん

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たつやが住む福井県鯖江市には1500年の歴史を持つ越前漆器があります。
仕事柄、職人さんや漆器店や組合会社の方とお会いする機会が多く、
今はカタログ製作の特集ページの企画をしています。

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株式会社aeru代表の矢島里佳さんが越前漆器の職人さんと出会う!
という企画を立案し、その撮影を行いました。
矢島さんとは2年前の鯖江市地域活性化プランコンテストで出会いました。
当時、彼女は慶応大学大学院の学生さんでした。

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鯖江市地域活性化プランコンテストとは・・・
「鯖江市地域活性化プランコンテスト  市長をやりませんか?
- Be a Mayor of Sabae City - 」
全国の大学生に参加を募り、書類や電話面接といった選考を通過した
24名の学生が鯖江に集結し2泊3日の合宿を行います。
3名1組でチームを組み、市長の講義や市内各地の聞き込み調査を行いながら、
鯖江をより良い街にするためのプランを考え、
最終日には市中心地にある誠照寺にて、
市長・商工会議所会頭・地元企業の社長・市民の前で
プレゼンテーションを行い、プランを競い合うものです。
これまで、めがねギネスやさばえブランド大使(さば男・さば子)など
いくつものプランが実現しました。
運営は、鯖江商店街の有志や地元学生(学生団体with)、
市職員などで組織される実行委員会が行っています。
2008年から毎年開催されています。


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矢島里佳さんは2011年のこのコンテストに慶応大学大学院在学中に参加し、
発表した『さばえブランド大使(さば男・さば子)』が見事、最優秀賞となりました。
たつやも地域活性化プランコンテストには立ち上げからお手伝いをさせてもらっていて、
たまたま矢島さんのグループの応援をしていたことから、ご縁がつながりました。
その後、矢島さんは現役学生でありながら、株式会社aeruを立ち上げました。
aeruは日本の伝統産業の製品を0歳から6歳までの赤ちゃんに対して商品化し、
世界に向けて発信し、販売することを目的としています。

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今回は矢島さんが、越前漆器の産地である福井県鯖江市河和田地区の伝統工芸士、
塗師の畠中昭一さんの工房を訪ねました。
畠中さんはこの河和田の地で50年以上に渡って塗り専門で携わってきました。
以前は漆器の制作工程の塗りの部分だけを担当して、
それを沈金や蒔絵師さんに渡して商品にするという形態をとっていて、
結果的に最終製品を見ることはほとんどなかったそうです。
ところが最近では塗りで最終製品にするものも増えてきたと言います。
塗りの作業は木地師さんが挽いたものに漆を塗っていく作業ですが、
塗りと砥ぎを20回以上繰り返すのだそうです。

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最初、少し緊張されていた畠中さんでしたが、
矢島さんの伝統産業に対する思いや知識、
それに人懐っこい性格と明るい笑顔にすっかり打ち解けて、
終始笑いの絶えない楽しい時間となりました。

写真00675.jpg

最後のツーショットはりかちゃん&しょうちゃんです。
「しょうちゃんって呼んでもいいですか?」
と笑顔で問いかけるりかちゃんには、イヤと言える訳がないようです^^

畠中さんには3人の息子さんがいて、
そのうち2人が今では畠中さんと一緒に塗りの仕事をするようになりました。
後継者不足は河和田でも深刻な問題ですが、
こういう話は私にとってもとてもうれしいことでした。

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仕事としてこういうカタチで伝統産業や職人さんと出会えることは、
とても幸運なことです。
家業が印刷会社であったことに誇りを感じる瞬間でもあります。





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2013年03月26日

憧れの寝台特急列車

トワイライトエクスプレス(Twilight Express)・・・
もうネーミングだけで憧れてしまうような
寝台特急列車があります。
その存在はもちろん知っていたし、走っている姿を見たこともありますが、
恥ずかしながら、駅のプラットホームで見るのは初めてでした。

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遠い昔、中学時代に消えゆく蒸気機関車に魅せられたたつやは、
中学3年間と高校1年間の春・夏・冬休みには、必ずと言っていいほど、
撮影旅行に行ってました。
いつもひとり旅でした。
ひとりが好きという訳ではなかったのですが、
誰もそんな変わった?たつやに付き合ってもらえなかったということです。

先月亡くなった父は、そういうたつやを自由にさせてくれました。
それだけでなく、さりげなく応援をしてくれました。
撮影旅行に出かける前日に、何かあった時はこれを!と言って、
2万円をくれたり、カメラに夢中になっていたたつやに、
本格的一眼レフカメラと望遠レンズ、
そして引き伸ばし機(自分で写真をプリントする機械)などを
買ってくれたりしました。

それは大人になって、たつやにも子どもが生まれてから、
父がしてくれたことがいかに稀なことだったか、
いかにありがたいことかを痛感しました。
今のカメラ好きなたつやや、自分の感性は、
そんな家庭でなければいなかったことに他ならないと思います。

撮影旅行から帰ってくると、撮ってきた写真を見て、
客観的な感想や、撮影のアドバイス、旅はどうだったのかなどの話、
そしていい写真をとても誉めてくれました。
写真を貼る木製のパネルも東京の写真専門店から、
通信販売で取り寄せてくれました。


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さて、この寝台特急列車トワイライトエクスプレスは、
大阪から札幌まで1500kmを23時間弱かけて走ります。

東海道本線(JR京都線)・湖西線・北陸本線・信越本線・羽越本線
・奥羽本線(日本海縦貫線)・津軽線・海峡線・江差線(津軽海峡線)
・函館本線・室蘭本線・千歳線
の12線区を経由します。
また牽引する機関車はこのEF81形電気機関車(敦賀地域鉄道部敦賀運転センター車両管理室所属)が大阪駅〜青森間を、
ED79形電気機関車(函館運輸所青函派出所所属)が青森駅〜五稜郭駅間を、
DD51形ディーゼル機関車(函館運輸所所属)が五稜郭駅〜札幌駅間を担当します。

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高校2年生以来、一度も電車で北海道に行ったことがありません。
いつかはこのトワイライトエクスプレスで北海道へ行きたいと思います。
ホームページを見ていたら、スイートルームがこんな感じなので、
行くなら思い切って、これがいいな!と思っています。

imgsuite.jpg

imgpreiades.jpg

さて、気になる料金を調べてみました。
福井駅から札幌駅往復でのスイートルームでの料金は、168200円でした。

いつかはトワイライトエクスプレスで!





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ラベル:鉄道 蒸気機関車
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2013年03月06日

早春の越前海岸

正月用の水仙の出荷が例年の十分の一とかいうニュースが年末に流れた。
最近の異常気象はもう慣れっこになりつつあって、
異常気象が通常気象という感じがしないでもないが、
今年の冬は極端に雪が少なかった。
それが影響したのかどうかはわからないが、
今が越前海岸の水仙が見頃となっている。

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例年であれば年末から2月頃にかけて、
越前町から福井市にかけての越前海岸は、
至るところで水仙畑が広がって、
冬の越前海岸の風物詩ともなっている。

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先日、今年になって初めて越前海岸を訪れた。
今がちょうど水仙が見事に咲いている。
日が西の海の方に傾く時間帯で、
景色も次々と変化をもたらしてくれた。

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水仙は香りがいいので、花瓶に入れて置くと、
帰ってくる度に水仙の香りが広がって、
瞬時に幸せな気持ちにさせてくれる。

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四季が確実に巡っています。
少しずつ陽が長くなってきているのは嬉しいですね。
これから三寒四温を繰り返し、段々本格的春を迎えます。
カメラ片手のお出かけが益々楽しくなります。
父が残してくれたコンデジも持ち歩こうかと思っています。

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ラベル:福井市 風景
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2012年12月19日

敦賀市阿曽の風景

国道8号線を越前市から敦賀市に向かう道は、
たつやが子どもの頃から、さほど道が変わっていない。

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小学生だった頃は、夏休みの海水浴は敦賀の赤崎海水浴場と決まっていた。
年に一度だけ父が車で赤崎まで送っていってくれて、
夕方にまた迎えに来てくれるという感じだった。
たつやの家は稼業が印刷屋だったので、
父がゆっくり海で一日を過ごすということが出来なかった。

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武生の町を過ぎて山越えの道を走ると、
いくつものトンネルがあって、そのトンネルの数を数えながら
敦賀まで行くのが楽しかった。

DSC_3415.jpg

そんなことを思い出しながら、敦賀に向かったある日、
阿曽という小さな集落で、寄り道をしてカメラ片手に散策してみた。
この阿曽には今まで何度か来たことがあるが、
敦賀湾に面した穏やかな海を臨む景色の美しいところだ。

DSC_3423.jpg

DSC_3397.jpg

人気がほとんど感じられない午後だったが、
ここだけ時間の流れが止まっているかのような錯覚さえ覚える。

DSC_3421.jpg

DSC_3412.jpg

阿曽の集落にある『利椋八幡神社』(とぐらはちまんじんじゃ)
歴史のある神社のようで、ずっとこの村人たちによって祀られている。
式内社と明記されているところを見ると、千数百年の歴史があるのだろう。

平安時代の康保4年(西暦867年)に施行された三大式の一、延喜式が在るが、
其の中の延喜式神名帳に記載された神社を特に式内社と呼ぶ。


最近は狛犬の写真を撮る機会が増えたが、
ここの狛犬がまた面白い。

DSC_3399.jpg DSC_3403.jpg

DSC_3401.jpg

DSC_3410.jpg

いい天気だったが、風が冷たくて体が冷えてしまい、
早々に車に引き返した。
やっぱり散策は夏がいいなぁと思う。

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ラベル:敦賀市 神社仏閣
posted by たつたつ・たつや at 00:30| Comment(4) | TrackBack(0) | 旅先にて・福井県内編 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年12月11日

岩本観音@越前町

越前陶芸村にあるそば店「だいこん舎」
大好物のくるみそば大盛りを食べていた。

うん、相変わらず旨いなぁ〜とひとり感激していると、
観音様とか、磨崖仏などという単語が耳に入ってきた。
それはだいこん舎の店主、南さんとお客さんが
カウンター越しに話をしているところから聞こえてきた。

DSC_6437.jpg

ちょっぴり気になる話だったので、箸を止めて、
聞き耳を立てていたら、どうやらこの近くに磨崖仏があって、
しかも、そのお客さんの家のすぐ目の前にあるということだった。
学生の頃にバイクツーリングで大分県の豊後高田市に行った時に、
熊野磨崖仏を見たことを今でも鮮明に覚えていて、
その映像がすぐに脳裏に浮かんだ。

写真01740.jpg 写真01726.jpg

あの〜、その観音様ってどこにあるんですか?
とついつい会話の中に入ってしまった。

え?観音様?うちのすぐ前ですよ、ここから車で5分ちょっとです。

今日、寄ってみてもいいですか?

写真01727.jpg 

という訳で、越前町(旧宮崎村)江波にある岩本観音を訪れた。
福井県内では、磨崖仏とすれば、ここ一ケ所らしい。
だいこん舎でお会いした方のご自宅を訪ねると、
目の前の岩肌がむき出しになったところに案内してくれた。
全部で11体の観音様が横に並んで彫られている。
左側の4体は比較的、わかりやすいが、
右側の7体は腐食や岩に生える苔やカビのようなものが目立ち、
ちょっとわかり辛い。

写真01728.jpg 写真01729.jpg 

ちょうど夕日が西から差して、逆光となり
ちょっと見にくい写真になってしまったが、
雰囲気はお伝え出来るのではないかと思う。

写真01735.jpg

写真01737.jpg

旧道沿いに小さな看板があるだけで、車で走っていては、
なかなかわかりずらい場所かもしれないが、
一見の価値ありの岩本観音です。

写真01739.jpg

DSC_6423.jpg

越前ふるさと見つけ隊!のホームページより抜粋
本地区は昔「岩本地区」と呼ばれ高さ14m、幅47mになる岸壁の東側に、
高さ79cm、幅27cmの観世音菩薩の像が11体1列横隊に彫刻されています。
彫刻者は元禄11年(1698)8月7日に亡くなった、同地区の木下茂平氏だと云われています。
また、一説には、
「むかし大飢饉で餓死者が続出し、腐臭があちことに充満していたとき、
たくさんの屍を岸壁に刻んで、霊を弔った。」とも云われています。


写真01741.jpg






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ラベル:越前町 神社仏閣
posted by たつたつ・たつや at 22:28| Comment(2) | TrackBack(0) | 旅先にて・福井県内編 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年11月27日

たつやのフォトスケッチ『晩秋のふくい(前編)』

3連休の最終日はとってもいいお天気になって、
久しぶりにカメラ片手のぶらり旅に出た。
この季節に外をのんびり歩いていると、
風邪を引いてしまうようなお天気が多い福井だが、
珍しく青空が広がり、穏やかな一日となった。

写真01679.jpg

この日の一番のお気に入りのショット。
陽だまりの中で、まっかな紅葉の葉っぱを集めて掃除をする女の子。
パパのおっきな長靴を履いてのお手伝い、えらいなぁ〜♪


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(上)勝山方面から見る白山。
(下)落ち葉を燃やした煙が漂います。


DSC_3099.jpg

美しい赤い実、南天。まるで赤い真珠のような輝きです。

DSC_2866.jpg

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風もなく、穏やかな里山。

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鮮やかな赤と黄色です。

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生命力溢れる大杉。
エネルギーが満ち溢れている大木です。


DSC_3067.jpg

外で一服出来るのも、こんな日だからこそ。

DSC_3111.jpg


またまた長い間、ブログ更新を怠ってしまいました。
でもこれからは、もう少し短い間隔で書いて行けると思います。
「もうやめるんか?」と言われることもありますが、
まだまだそのつもりはありませんので、また応援よろしくお願いします。

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posted by たつたつ・たつや at 23:44| Comment(0) | TrackBack(0) | 旅先にて・福井県内編 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年07月25日

常神半島の風景

福井県嶺南地方の敦賀と小浜の真ん中に、
常神半島というありがたい名前の半島がある。
たつやが一番最初に行ったのは、もう20年以上前のことで、
その次に行ったのは10年ほど前のことだった。
以来、何度かここを訪れているが、
いつ行っても神秘的で神々しく、気持ちいいというか、
とにかくたつやにとって居心地のいい土地だと思っている。

DSC_9942.jpg

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以前に書いたレイラインのことを知るきっかけになったのが、
この常神半島の一番先の集落、常神の沖になる小さな無人島
『御神島』のことを調べていたことだった。

http://onmyojitatsuya.seesaa.net/article/265157310.html

DSC_9932.jpg

そしてレイラインのことを知ってからは、初めて常神半島を訪れた。
最初に立ち寄ったのは神子(みこ)の集落だ。
春先にここを訪れた時には、山桜が満開で、山そのものがピンク色に染まっていたが、
今ではすっかり緑に覆われて、どこに桜の木があるかどうかはわからない。

http://onmyojitatsuya.seesaa.net/article/264939256.html

DSC_9900.jpg

DSC_9934.jpg

民家や民宿が並ぶ集落の中の道は、人が歩くだけの広さしかなく、
以前に行って特別な場所と感じた神子神社に行くにも、
その家々の軒先を通っていくことになる。

写真00630.jpg

DSC_9923.jpg

レイラインの本を読んでわかったことだが、
御神島から琵琶湖の竹生島までにもレイラインがあって、
そのライン上に、この神子神社がある。
他には三方石観音がある。
このラインは竹生島から見て、
一年中で一番太陽の力が強い、つまり夏至の日に太陽が沈む方向が、
まさに、この御神島ということらしい。

DSC_9916.jpg  

途中の民宿で見つけたツバメの巣。
宿という字の上だけが、空き家となっていた。
宿のご主人と話をしていたら、玄関の中のこんなところにもあるよ
と言って見せてくれたのが、コレ!
え〜、阪神タイガースの応援グッズ、バットの上にツバメの巣が・・・。
こんな不安定な場所にも巣を作るのだと感心した。

写真00633.jpg

写真00634.jpg

常神半島では普通に見られるニホンザル。
カメラを構えても、のんびり欠伸なんぞしています。

写真00631.jpg

常神半島の一番奥にある集落、常神は海岸線の岩の上を歩いて、
半島の一番先端まで行くことが出来る。
ただし、滑らないような運動靴で行くことをお勧めする。
先端には小さなプライベートビーチのような空間があって、
その手前には小さな古い祠が祀られている。

写真00632.jpg

1000年前も2000年前も同じ風景が広がっていたのだろう。
神々が降り立つ土地、常神半島はたつやを魅了して止まない。





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2012年07月17日

白山神社@勝山市大矢谷

何年か前に、気功教室に通っていた頃に、
勝山市平泉寺の白山神社へ何度かお参りしたことがあった。
その時に、勝山の方から教えてもらった別の白山神社があった。
平泉寺からかなり山道を進んだという記憶しか残っていなかったが、
その白山神社のことは鮮明に覚えていた。

DSC_9721.jpg

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それはどこにでもあるような小さな神社だったが、
驚くべき光景が広がっていて、
ただただ圧倒的な存在に立ちすくんでいたことを覚えている。

最近は神社巡りが楽しくなってきたこともあって、
あの白山神社にもう一度行きたいと思い、
勝山に住む友人(ぐっつあん)に電話をかけて、
その白山神社の場所を教えてもらうことにした。
地籍は勝山市大矢谷
さっそくナビに住所を登録して、その神社を目指した。

DSC_9700.jpg

ところがその近辺に来てることだけは確かなのに、
記憶が曖昧で、その場所にたどり着くことが出来ない・・・。
行き過ぎてしまったり、通り過ぎてしまったり、曲がる道を間違ったりしながらも、
何人かの人に道を聞き、ようやくその白山神社に到着した。

DSC_9701.jpg

少し離れた田んぼ道にクルマを停めて、
カメラと小銭を持って白山神社に向かった。
夏至の頃だったので、6時を回っても十分に明るかった。
鳥居をくぐるまでは、その神社のすごさはまだ分からない。

DSC_9711.jpg

前回も同じだった。
誰もがここで立ち止まるだろう!
圧倒的存在感の巨大岩塊が神社の社に覆い被さっているのだ。
ひしひしと伝わってくる巨石のパワー。
崇高で重厚で威厳があり、荘厳・・・
畏敬の念が自然に湧いてくる。

DSC_9723.jpg

5階建てのビルくらいの大きさはあるだろうか?
巨大岩塊の真下に入ると、その圧倒的な存在感とは反して、
穏やかで安心できるような感覚になった。
お参りをして、しばらく目を瞑っていると、
ゆらゆらと揺れてきてしまう。
それがまた気持ちいい。

DSC_9715.jpg

行く時には、その巨大岩塊に気を取られていて気がつかなかったが、
境内にある木の根っこが大きな石に絡みつくように伸びていたり、
木がまっすぐに育たなく、ぐちゃぐちゃに曲がっている様子に驚いた。
5月6日に鞍馬山の奥の院「魔王殿」に行く途中にも同じような木を見た。
こういう場所には、天地を感じさせない何かがあるのだろうか?
やっぱり普通じゃない空気が流れている白山神社だ。

DSC_9719.jpg

帰り際に田んぼの草取りをしているおじさんと話が弾み、
今年の新米が取れた頃には、そのお米を譲ってもらう約束をしたのだ。
こんなに美しい田んぼで、しかも白山神社に守られた土地で、
収穫されたお米を食べることが出来ることは、本当についてる!
2ヶ月後には、たつやの食卓でこのお米が食べられると思うと、
それだけで幸せだし、そういう出会いがあったことに心より感謝している。

DSC_9726.jpg

神社を巡っていても、最後は食べものに結び付く辺りが、
やっぱしたつやらしいかな^^
ありがとう!感謝しています。

アイパッド画像 1903.jpg

この日の夕焼けは一際美しかったな。



自宅のパソコンがかなりヤバいことになってまして、
ブログがなかなか更新出来ずにいました。
数日中に新しいパソコンと入れ替えたいと思っています。
お休みしている間も、ランキングへの応援をしてくださいまして、
本当にありがとうございます。
心より感謝しています。




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ラベル:神社仏閣 勝山市
posted by たつたつ・たつや at 19:30| Comment(4) | TrackBack(0) | 旅先にて・福井県内編 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年07月09日

若狭彦神社@小浜市

今年も常神半島を訪れて、毎回のそのあまりの心地よさはいったいなぜなのだろう!?
と疑問に思ったことから、レイラインという存在を知り、
そのあまりにも面白い事実と、2000年も前の日本人が、
地図もパソコンもGPSもない時代に、どうやってその場所を選定したのか?
という歴史浪漫がたつやを駆り立てる。

DSC_9962.jpg

常神半島の一番先にある小さな島『御神島』から、
真南に線を下ろしていくと、そのライン上に位置するのが、
今回、ご紹介する若狭彦神社、そして5月に行った京都の鞍馬寺、
他には京都御所、平安京、平城京、飛鳥京、熊野本宮など、
歴史上でも代表的な都や重要な建物が並んでいる。

DSC_9957.jpg

たつやは福井県に住みながらも、この若狭彦神社へは初参拝となった。
最初の鳥居をくぐった時から、空気感が変わった。
参道の両側にある狛犬は、愛嬌ある顔とたくましい肉体が特徴で、
ピンと張り詰めた空気の中にも穏やかな気が流れているような気がした。

DSC_9954.jpg DSC_9956.jpg

参道を進み、右手に折れると門があって、
そこをくぐると、正面に本殿がある。
圧倒的な存在感!
気を抜くと、後ろに押されてしまうかのよう。

DSC_9960.jpg

明らかにまたステージが上がったような空間が広がる。
あまりの空気感に、しばしその場で立ちすくんでしまい、
動くことがもったいない感覚になった。
手と口を清めて、お参りさせていただいた。

DSC_9964.jpg

特に先を急ぐ訳ではなかったので、
しばらく誰もいないこの空間を楽しませていただいた。

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若狭彦神社(わかさひこじんじゃ)は、福井県小浜市にある神社。
式内社、若狭国一宮。旧社格は国幣中社で、現在は神社本庁の別表神社。

上社・下社の2社からなり、上社を若狭彦神社、下社を若狭姫神社(わかさひめじんじゃ)という。
別称として郡名から遠敷明神とも呼ばれる。

社伝では、二神は遠敷郡下根来村白石の里に示現したといい、
その姿は唐人のようであったという。
和銅7年(714年)9月10日に両神が示現した白石の里に上社・若狭彦神社が創建された。
翌霊亀元年(715年)9月10日に現在地に遷座した。
白石の前鎮座地には、若狭彦神社境外社の白石神社がある。
下社・若狭姫神社は、養老5年(721年)2月10日に上社より分祀して創建された。

『延喜式神名帳』には「若狭国遠敷郡 若狭比古神社二座」として名神大社に列している。
上社が若狭国一宮、下社が二宮とされた。

元々は上社が祭祀の中心であったが、室町時代ごろから下社に移った。
中世には社家の牟久氏が京の官人や有力御家人と結びつき、広大な社領を有した。


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ラベル:神社仏閣 小浜市
posted by たつたつ・たつや at 22:43| Comment(0) | TrackBack(0) | 旅先にて・福井県内編 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年06月22日

平泉寺白山神社@勝山市

自分ではまったく信心深いと思ってなかったし、
それこそ若い頃には、まったく神社仏閣に興味を示さなかったたつやだが、
ここ数年、特に今年の春から、そういう場所に好んで出かけるようになった。
常神半島の御神島から真南へのレイラインに興味を持ってから・・・
特にそういう感じになったという方が正しいかもしれない。
http://onmyojitatsuya.seesaa.net/article/269440937.html

DSC_8623.jpg

写真01170.jpg

ま、どういう理由にせよ、
神社やお寺に行くことは何故か落ち着いたり、
理屈抜きに気持ちよかったり、ほっとしたりすることがあると思う。
それはきっと日本人のDNAの中に記憶された何かが、
反応するのではないかと考える。

DSC_8628.jpg

写真01171.jpg

6月10日に主催したマルシェワンダーランドでは、
今までに経験したことのない不安やプレッシャーの中で、
押しつぶされそうな精神状態の中で、
何故か神社へ行くと、そういうものがなくなるような感覚になった。

写真01169.jpg

神社ではあまりお願いごとをするべきでない、日頃の感謝をお伝えするように・・・。
ということを聞いたことがありました。
こういうことにチャレンジさせていただけることへの感謝はもちろんですが、
どうしてもお天気のことだけが頭から離れず、
やっぱり最後はお願いをしてしまいました。

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ここ3ヶ月ほどの間に行ったのは、京都の鞍馬寺や石川県の白山比盗_社、金剣神社、
福知山の元伊勢の皇大神社、豊受大神社、三田市の三輪神社、岡崎市の岩津天満宮、真福寺、
そしてここ勝山市平泉寺にある白山神社、もうひとつの白山神社、敦賀の気比神宮・・・。

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ここ平泉寺は寺という地名がつくため、お寺があるのではないか?
と勘違いする人も多いようですが、事実たつやもそうでした。
ここにある歴史あるすばらしい神社が白山神社です。
鶴来市の白山比盗_社さんも本当に感動した神社さんでしたが、
この白山神社さんは、参拝客も少なくひっそりしていますが、
やはり特別な場所だという感覚がありました。
以前にも何度か訪れたこともありますが、
夕方時刻での参拝は初めてのことで、西に大きく傾いた太陽が、
ちょうど神社の鳥居から本殿までを
正面から照らすかのような光の加減がより一層、美しい景色を演出してくれました。

DSC_8645.jpg

花びらが散るのではなく、花ごとポトッと落ちるこの白い美しい花ですが、
よくよく見ると白い花びらが4辺のものもあれば5辺も6辺もあるのです。
何気ないことなのに、新しい発見をしたかのようで、ちょっとうれしいひと時でした。


写真01101.jpg

神社入り口近くにあった小さなお寺の境内には、
色とりどりの花が咲いていて、カメラに収めるのですが、
名前が分からず、こういうときはいつも花の勉強しておけば良かったと反省します。
虫の名前はある程度分かるのですが、植物はさっぱりでして・・・。
ブログを見て、花の名前がわかったら教えてくださいね。

DSC_8653.jpg





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2012年05月30日

あの日の神社にて。

子どもの頃、何が好きだったかと思い起こせば、
近所の神社でのお祭りが好きでした。
学校から帰るとランドセルを投げ捨てて、
祖父にお小遣いをせびって、神社まで走って行きました。
あの屋台が並んだ風景を見てるだけで、血が騒ぐのです。

DSC_8104.jpg

決まってスマートボールや射的、パチンコなどの遊戯屋台が好きでした。
あまり食べものには興味がなく、食べるとしてもたこ焼きくらい。
当時は薄い木を削ったような舟のカタチをした器に、
3個のたこ焼きが乗ってました。

写真01076.jpg

あのお祭り独特の雰囲気が大好きで、
秋祭りの時期には、自転車に乗って、遠くの神社まで出かけて行きました。
そういえば高校時代も、友人の地区の祭りがあると聞くと、
何人かでその友人の家に泊まりに行って、
ご馳走をいただいたり、お酒を飲んだりしていたことを思い出します。

写真01077.jpg

話はちょっとずれますが、
たつやの高校3年生のクラスには『ぼた餅友の会』という組織が存在しました。
それはメンバー誰かのばあちゃんがおはぎを作ると、
メンバーの数だけ学校に持ってきて食べる!
というものです。
お祭りにはおはぎがつきものなので、秋にはしょっちゅういただいていました。
●●君のばあちゃんのぼた餅は最高やぁ!
と言って、勝手にランキングをつけたりしてました(笑)

DSC_8097.jpg

DSC_8115.jpg

お祭り好きで育ったたつやは、今でもお祭り好きだったりします。
先日、福井市内を走っていたら勝美地区にある神社でお祭りをやっていました。
夜店の明かりを見ると、やっぱり血が騒ぎます。
気がつくと、クルマは神社裏の道に停めてありました。(他人事みたい^^;)
最近は神社づいているので、最初にちゃんとお参りです。
折角の機会なので本殿の中まで入って、
神主さんからこの神社の歴史や神様の説明を話を聞かせていただきました。

DSC_8101.jpg

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帰り際に神主さんが、
「そこの社務所で人形展をやってますよ、良かったらどうぞ」
と声をかけてくださいました。
ま、時間もあるしちょっと覗いてみようかなぁ。

中に入るとたくさんの人形が飾られていました。
この手の作品を見る機会はあまりないのと、
人形に関しては、何も知らないので、
真っ白のまま、お人形を見せていただきました。

写真01075.jpg

あまりの見事さに、ただひたすら感心するばかりです。
それぞれの人形には魂が込められています。

DSC_8132.jpg

これらの人形を作られた方とお話をさせていただきました。
ご出身が今庄とのことで、いろんな話をしていくと、
驚いたことに、たつやの今は亡き伯母の嫁ぎ先である今庄の旧家と
その先生のご実家が目の鼻の先だったことを知りました。
他にもたくさんの繋がりがあったことを確認しました。
これも何かのご縁なんですねぇ・・・

写真01074.jpg

夜店がつないでくれた素敵なご縁でした。
そう言えば帰り際にたこ焼きを買いました。
最後のお客さんだったみたいで、2パック買うと、
もう1パックおまけでつけてくれたのです。

そのオジサンの優しさがうれしくて、
何だかとっても幸せな気持ちになれました^^
(自分も十分オジサンだけどね^^;)




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2012年04月17日

神子の風景

神子の千本桜の写真を撮った後、
集落を歩いて、町の風景を眺めていた。

写真01009.jpg

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お土産に干物でも買おうかと、民宿の軒先を覗いていたら、
小さな看板を見つけた。
それはこの神子の集落はクルマでは入れない小さな路地の奥に、
民家や民宿があって、それを案内するためのものだった。

写真01010.jpg

写真01011.jpg

よく見れば、神子神社という文字が見て取れた。
福井県内をあちこち旅をしていると、必ずと言っていいほど、
小さな集落には、神社とお寺を見かける。
ここ神子の集落にも由緒正しき神社があるのだ。
『神子神社』と四文字から伝わってくるタダならぬ雰囲気に、
細い路地を歩きながら、集落の一番奥にある神社を目指した。

写真01013.jpg

古い狛犬が迎えてくれる。
姿勢がちょっと面白い。

写真01014.jpg

その石段を数段上がると、意外に大きな境内が広がった。
す〜っと深呼吸をしたくなった。
巨木が立ち並ぶ風景は、その地が持つエネルギーを知らせてくれる。
実際、この境内に踏み入れた時から、
理屈では説明できない空気感というか、地力みたいなものを感じた。

写真01016.jpg

たつやは特別、神社マニアという訳ではないが、
昔に比べると、随分神社やお寺を訪れることが増えた。
その都度お参りをして、日頃の感謝をお伝えするようにしている。
今回は日頃の感謝と共に、ささやかなお願いごとをお参りをした。
静まり返った境内で、聞こえてくるのは鳥の声だけ。
時折風が吹いて、枝がざわめくけど、
この神社が出来た1000年前も、
そのずっとずっと昔も今もまったく変わらないであろう。

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先人たちが歩んだこの日本という国の歴史と伝統文化。
我々は勝手に今の現代人が文明、医学や科学、生活レベルが発達して、
今が人類史上一番!と勘違いしている。
だけどよくよく考えてみれば、それは大きな間違いだ。
1970年の大阪万国博覧会で太陽の塔を手がけた岡本太郎氏は、
万博のテーマ『人類の進歩を調和』に対して、猛反対した。
何が人類の進歩だ!むしろ後退している!と言って、
猛烈な批判を込めて、そのテーマのアンチテーゼとして
あの太陽の塔を作った。


何故か、そんなことを思い出させた神子神社だった。

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いよいよ2000記事へのカウントダウンです!
このまま休みナシで突っ走ります!
応援益々よろしくね♪






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ラベル:三方町 神社仏閣
posted by たつたつ・たつや at 21:47| Comment(2) | TrackBack(0) | 旅先にて・福井県内編 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年04月11日

信洋舎製紙所

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信洋舎製紙所は、福井県越前市の今立定友集落の山際にあった。
ここが製紙工場だとは、案内されなければ誰も気がつかないだろう。
古い木造2階建ての工場は、
うっかりすると廃工場とも間違われてしまいそうな佇まいだ。

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門?から中を覗きこむと遠慮がちながらも、
存在感のある『信洋舎』という看板が見えた。
前もって信洋舎の代表である西野正洋さんに
この工場を案内してもらっていたので、
この門?をくぐることが出来たが、
そうでなければ中に入っていく勇気がわかない風情だ。

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工場の中には、西野さんがひとりで作業をしていた。
彼はこの信洋舎の代表でもあり、たった一人の社員でもあり
たった一人の職人でもあり、たった一人のプロデューサーだ。
広い工場の中は、3月というものの冷え切っていて、
長靴や厚手のジャケットを着込んでいないと我慢出来ない寒さだった。
そんな厳しい寒さの中での水を使う仕事は尚更、過酷な作業だ。
こんな環境の中で、西野さんが開発したフォト和紙が作られる。

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最近デジタルの一眼レフカメラが普及し、
自分で撮った写真を自前のプリンターで印刷することは、
誰もが簡単に楽しめる時代になった。
そういう人たちをターゲットとしてインクジェットプリンター対応の
手すき和紙のハガキを商品化したのがフォト和紙だ。
もちろん画質や色の鮮やかさだけを求めるのであれば、
印画紙出力が一番いい方法だが、そういう写真に飽きてしまった人や、
クリエイティブな人たちの間でフォト和紙は密かに支持されつつある。
これは完全なデジタルと完全なアナログの合体から生まれる
新しい写真の世界の表現方法を作り出すのではないかと思う。

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たつやも自分が撮った写真がどのような表現になるのか?
どんな画像がフォト和紙写真に合うのか?
近いうちに西野さんと一緒に実験してみたいと思っている。

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それにしても信洋舎の工場は一貫して昭和の世界です。
どこをどう切りとっても、まるっきり昭和なのですが、
こういう環境だからこそ、味わい深い手すき和紙が生まれるのだと思いました。
信洋舎さんへはまた来週行く予定です。
その時にもブログで紹介できればと考えています。

信洋舎製紙所
福井県越前市定友町2−13
0778-42-0021
http://washiden.ocnk.net/






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posted by たつたつ・たつや at 23:59| Comment(0) | TrackBack(0) | 旅先にて・福井県内編 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年04月03日

石川製紙の風景と紙

越前和紙の機械透きの工場をまともに見学することは、初めてのことだ。
たつやの仕事は印刷関係なので、多品種の紙の質や色を扱っているが、
こうして紙を作っている工程を見ると、
簡単に色や質を変えることは出来ないと思った。

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なので紙を作る計画はきちんと立てられているようだ。
和紙を作る工程は、そのほとんどが機械によって大量の紙が生産されるが、
最後の発送する前段階は、職人さんや社員さんが、
すべて人力で行っているのが、とても興味深かった。

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石川製紙さんではかなりの種類の和紙を生産している。
コンスタントに生産しているものもあれば、
その時一回だけの生産で終わる場合もある。
また歴史的書物の日本書紀や万葉集などの複製本を作る場合、
石川製紙で作られた紙を使う場合が多い。
たつやの印刷会社でも古い巻物を複製した時に、
ガンピで漉かれた特殊な紙を使わせていただいたことがある。
これは非常に強い紙で、中性なので、数百年の保存か可能だろう。

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また石川製紙さんでは、和紙や和紙小物を販売するサイトを持っていて、
そこで様々な和紙や和紙小物、ステーショナリーなどを扱っている。
http://www.echizenwashi.net/

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昔ながらの和綴じのノートは、色合いが美しく、
ちょっと手元に置きたい一品でもある。

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1500年の歴史を誇る越前和紙。
手漉きの和紙も、そして機械漉きの和紙もそれぞれの個性が生きている。
今立地区を訪れた際は、うだつの工芸館というところで和紙漉きを見学出来るが、
もしかすると一般の和紙工場を見学出来る機会が得られるかもしれない。
これからは産地の商品を売るだけでなく、
その製造している会社やお店を見学して、
観光とミックスした販売が必要なのではないかと思う。


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石川製紙株式会社
福井県越前市大滝町11-13
TEL:0778-43-0330 FAX:0778-42-0770
http://www.echizen-washi.jp/
http://www.echizenwashi.net/





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ラベル:越前和紙 今立
posted by たつたつ・たつや at 20:44| Comment(0) | TrackBack(0) | 旅先にて・福井県内編 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年04月02日

石川製紙株式会社

青年会議所という団体に所属していた頃に、
知り合い意気投合した友人、石川浩さんがいる。

彼は現在、今立地区で越前和紙を作っている会社の代表で、
和紙組合や地元で活躍する経済人だ。

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たつやもめちゃめちゃ感激した映画『HESOMORI』でも
いろんなお手伝いをしていたらしい。
この映画は、今立が舞台になっていて、
福井の歴史と文化、自然の美しさをうまく引き出し、
人間味溢れる登場人物のそれぞれの生き方を、
笑いあり、涙あり、感動ありの素晴らしいストーリの秀作だと思っている。
そんな映画に石川さんが関わっていたというのはちょっぴりうらやましい限りだ。
会社のオフィスには映画関係者のサインが誇らしげに飾られていた。

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さて、最近は今立地区の和紙関係の方とのご縁がつながり、
和紙について今まで以上に興味を持ったこともあり、
石川浩さんの会社、石川製紙株式会社さんの見学させて欲しいとお願いしてみた。

ちょうど一ヶ月ほど前のの地方新聞に紹介されていたのが、
こちらの工場にある紙の神様(川上御前)だ。
石川製紙工場の一番奥の真ん中に祀られている。

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たつやが想像していた和紙の工場とはかなり違っていて、
広大で大きな機械が動く会社だった。
そして常に大量の水を使うことにも驚かされた。

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今立の五箇と呼ばれる地域には和紙関連の会社がたくさんあるが、
どの会社も山から引いた水や、川の水を使っていて、
いかに今立エリアが水に恵まれた地域であるかがうかがい知れる。
どんな水不足の時でも水が枯れることはないという。

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完全機械化とはいかない部分もかなりあるようで、
現場の最終仕上げは完全アナログの作業工程でもある。
大きなロール紙のまま、出荷するのであれば問題ないが、
実際に出荷する場合は、そのほとんどが四六判(788mm×1091mm)
菊判(636mm×939mm)にカットする。
その作業がすべて人力なのだ。

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大きなロール紙をセットして、六角柱の形をした機械にその先端を巻き付け、
グルグルと回転させ、ある程度巻き付けると、それを鎌でカットするのだ。
そうすると四六判が3枚取れる大きさの紙となる。
今度はそれを一枚一枚、職人のおばちゃん二人組みが肉眼で検査し、
それに合格したものだけが、大型断切機にかけられ、
四六判の越前和紙として出荷されるのだ。

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わずかなゴミが入っていても、はねられるが、
それらの紙は違う用途に使用されたり、
再び原材料とすることが出来る。

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おばちゃんは時折、ストーブの上にかけてある
ルクルーゼの鍋が気になるのか、時折覗いているのが微笑ましかった♪
たつやも覗かせてもらったが、美味しそうな煮豆が入っていた。

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石川製紙さんの2階倉庫は何と紙のシーズニングを行っていた。
もちろん出来上がった和紙はヒーターで強制乾燥されるのだが、
それからわざわざ手間隙をかけて、一枚一枚をこうして天井から吊るして、
半日から1日ほど乾燥させて、製品を安定させてから出荷するのだ。

外から入る光が和紙に反射したり、時折風で揺らぐ和紙たちを見てると、
どこかアーティストのアトリエにでもいるかのような錯覚さえ覚えた。

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もう少し紹介したいので、次回に続きます・・・。

石川製紙株式会社
福井県越前市大滝町11-13
TEL:0778-43-0330 FAX:0778-42-0770
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ラベル:越前和紙 今立
posted by たつたつ・たつや at 22:42| Comment(0) | TrackBack(0) | 旅先にて・福井県内編 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年03月26日

やなせ和紙の景色

たつやにとっての和紙工場は、
とても魅力的に写った。
それはひとつひとつが
歴史と伝統を重んじている上で成り立つ風景だからだ。

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職人のおばちゃんの動きまでが美しかったし、
和紙の繊維を洗い、細かい塵を取り除く姿に感動し、
そのひとつひとつの技に感激した。

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人が働く姿というのはかくもこのようにカッコイイのだろうか!
やなせ和紙ではたくさんのショットを撮影したが、
どれもお気に入りだ。
古い工場も、使い込まれた道具も、出来上がっていく和紙も、
工場2階にある作業場も、出来上がる小物も、
そして何よりそこで働く人が良かった。

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無駄な動きが一切ないのも、職人さんの特徴なのだろう。
恐らく本人にはまったく気がついていないところで、
省力化に至ったのだと思う。

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やなせ和紙では完全オリジナルの和紙をオーダーで制作している。
これは極端な話、一枚からのオーダーでも可能なのだ。
職人の手によって作り出される世界で一枚だけのオリジナル和紙だ。

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1500年の歴史を持つ越前和紙ですが、
これからも100年、500年と連綿と続いて欲しいと願っています。


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やなせ和紙
福井県越前市大滝町24−21
TEL0778-43-0639
http://www.washikko.jp/





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2012年03月25日

和紙の小物たち@やなせ和紙

昨年末に地方紙で見た記事の中に、
今立の和紙漉きの会社で、干支の龍の生産で大忙し!
という見出しを見たときから、
この会社ってどこだろう? どんな風に作っているのだろう?
一度見てみたいなぁ
と漠然と思っていた。
しかも熟練した職人が頑張っても一日に80枚程度という話だったから、
その手作業がどんな様子なのかも知りたかった。

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それがこんな風に実現するなんて、たつやは何てラッキーなのだろう。
紹介してもらった会社が、ふすま紙を漉いているやなせ和紙さんで、
そこで、この色紙を作っていたのだった。
色鮮やかな龍の色紙は、
印刷ではなく和紙漉きの技術で作られるということだが、
果たしてこの工程がどんなものなのだろうか?

やなせ和紙で生産されているのはこの手の色紙と、
同じ技法で作られるタペストリー和紙っこと呼ばれるものがある。

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最初、和紙を色紙の大きさの型に流し込み土台を作る。
その上に金枠を乗せ、上から色を入れていく。
そして乾燥・・・という工程なのだが、
それは超アナログな世界で、
決してまったく同じモノが出来るとは言えない。

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この日はかわいいフクロウの色紙と新春用のお目出度い太陽の色紙を制作していた。
フクロウの型は、やなせ和紙の社長自らが制作したものだ。
後からこれらの型を作っている部屋を見せていただいたが、
下絵を描き、それにあわせて真鍮の板を組み合わせて、溶接して仕上げるのだそう。
なので、社長は和紙職人でもありながら、こうした金枠職人でもあるのだ。

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金枠は何十種類とあるが大きなものはこうして壁に掛けられていた。
きっとふすま紙などにもこうして色や文様をつけていくのだろう。

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色紙を担当していたのは北海道出身の若い女の子で、
聞くところに寄れば、和紙が好きでこの世界に入ったのだそうだ。
京都の綾部の和紙産地でも勉強していたこともあるようで、
こうして若い人たちが今立の伝統産業に携わることは、本当に素晴らしいことだと思う。
たつやは今までにもいろんな伝統産業の方にお会いする機会があったが、
どの業界でも後継者不足、職人の高齢化と職人の成り手がいない、
作る技術はあっても売り方がわからない・・・

などという声を聞いていた。
なので、余計にこういう光景を目の当たりにすると、ちょっとうれしくなるのだ。

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色を入れた後は一日乾燥室で乾かして完成する。
しかしながら、すべて手作業なため量産はなかなか難しいようだ。
たつやにすれば、大量生産できないことに魅力を感じるので、
それはそれとして付加価値となるのではないかと思う。

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両手を挙げた招き猫や、こんな美しい桜のタペストリーなどもある。

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1500年の歴史を持つ越前和紙。
まだまだ大きな可能性を秘めている伝統産業だと思います。


やなせ和紙
福井県越前市大滝町24−21
TEL0778-43-0639
http://www.washikko.jp/





今日のブログ、2時間半かけて書いてたら、何かパソコンがおかしくなって、
全部消えてしまってました(涙)
気を取り直して書いたら、文章はちっとはマシになったかも^^
それにしても寒い日でしたね。鯖江ではアラレが降ってましたもん。。。

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2012年03月24日

紙漉きの風景@やなせ和紙

たつやが住む福井県丹南エリアには、
越前漆器・越前和紙・越前打ち刃物・越前焼
といった伝統産業が盛んで、
越前と頭に付かないがガネや繊維などの歴史の長い産業があります。

その中でも、旧今立地区で発達した越前和紙は1500年を誇ります。
今立の五箇と呼ばれる五つの集落で、
今でも和紙製造会社や和紙産業に関わる人がたくさんいます。

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最近は今立の和紙関係の方との出会いがあって、
しばらくブログでも越前和紙の魅力を発信できたらと思っています。
それに少し前に観た映画『HESOMORI』が、
あまりにもいい映画で感動してので、
その舞台になった今立だったというのも付け加えておきます^^




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先日、旧今立町大滝にある『有限会社やなせ和紙』さんを訪問した。
やなせ和紙は、昔ながらの手漉き和紙専門の会社で、
たつやが訪れた時にも、大きなふすま紙を漉いていた。
3月に入ったとは言え、今立にはまだ軒先に雪が残っていて、
広い工場はかなり温度が低かった。
しかも常に水を使うので、コンクリートの床は常に濡れているため、
足元から、冷えてくる。

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ふすま紙を漉くのは、女性職人ふたりのコンビだ。
大きな和紙の原料を溶かしたプールに、紙を漉く木枠を吊り下げ、
二人が呼吸を合わせて、紙を漉いていく。
最初はかなり深く木枠を傾け水に汲み上げるようにする。
そして振り子のように何度も水を汲み上げ、
和紙の繊維質が平らになるまで行われる。

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これは職人とは言え、完全な肉体労働だ。
寒くて冷たい水を使う環境での、女性の労働はかなり大変だろう。
その一連の動きには、まったく無駄な動きがなく、
ただ淡々と紙漉きを続けている。
言葉を発することなく、阿吽の呼吸で、二人のリズムを合わせる。

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おばちゃんらって、いっつもそんな無口で仕事してるんか?
とちょっと意地悪な質問をしてみたら、
ほら、今日は写真撮ってなるで・・・
やっぱりいつもはおしゃべりをしながら作業をしているのだそうだ。

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それにしても見事な手さばきだ。
ふすま紙という特殊な大きさなので、すべての工程で、
人間がふたり必要なのだ。

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紙は漉かれると、竹簾ごと先に漉いた和紙の上に重ねられる。
更にその上には、一枚一枚布を広げて重ねられる。

やなせ和紙さんでは他の工程も見せていただきました。
400枚近いシャッターを切ったので、
今回はふすま紙の紙漉きについてだけ、ご紹介しました。
この後、和紙は板に貼られ、乾燥室に運ばれ、
乾き切ると大きな一枚のふすま紙となります。

続く・・・。

有限会社やなせ和紙
福井県越前市大滝町24−21
TEL0778-43-0639





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2012年03月04日

気比神宮

敦賀へはたまに行くことがあるが、
気比神宮をゆっくり歩くことは今まであまりなかった。

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その割りに気比神宮歴はそれなりに長くて、
クルマの免許を取った頃は、仲のいい友だちと4人で、
初詣に来たり、ドライブのついでに立ち寄ったりしたので、
かれこれ30年くらいになるかもしれない。

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本殿の天井の柱は昭和20年7月の福井空襲の折りに、
気比神宮も焼失したが、その時に燃えずに残った柱を一部使用している。
なので朱塗りされた部分は新しく、
塗られていない部分は以前のものということになる。


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天皇家を祀った神社なので、賽銭箱にも扉にも
あちこちに菊のご紋が見られる。


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それなのに、ちっとも気比神宮のことを知らない。
少し前にちょっと空き時間があったので、
気比神宮を歩いてみた。
お天気は良かったのだが、空気が冷たい日だった。

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以前に敦賀市の老舗の和菓子店『森本』さんの
水ようかんの作る様子を見せていただいて、
ブログに書いた時に、森本さんの水ようかんの箱の蓋には、
『気比神宮の長命水使用』と書かれていたのを思い出した。
何度もココへは来てるはずなのに、
普通の手洗い場所は知っていても、
ひっそりのその片隅にあるこの長命水の存在は知らなかった。
飲んでみると甘くて柔らかい水だった。
この水を一杯飲むと寿命が3年延びるとも伝えられている。

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敦賀は意外にも水どころで、
その昔はどこでも井戸水を使っていたらしい。
この日は、観光ボランティアの方がいらっしゃって、
いろんな説明をしてくださった。
その時に教えていただいたのが、この神社の屋根の意味だ。

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拡大してあるが、地面に平行に並んだ柱のことを堅魚木(かつおぎ)といい、
その数によって、男の神様か女の神様かわかるとのこと。
因みに偶数は女の神様、奇数は男の神様ということになる。
また斜め上に突き出た柱を、千木といい、
地面に対して直角(縦)に切れていると男の神様、
地面に対して平行(横)に切ってあると女の神様なのだそうだ。

よって気比神宮は7本で奇数、縦切りなので男の神様ということになる。

こんなことはガイドさんに教えていただかなければ、
絶対に知り得ないことだけに、とても興味深く楽しい一時だった。

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また気比神宮にはいくつかの摂末社があり、
その祭殿前に、一風変わった狛犬を見ることが出来る。

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これは一角獣の狛犬で、なかなか他の場所では見ることが出来ない。
左右の狛犬の大きさが全然違っていたのも、ちょっと不思議な気がした。


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猿田彦神社の狛犬、見事に苔むしています。

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ガイドさんに寄れば、狛犬マニアが結構訪れる聖地?とのことで、
今まであまり意識してみていなかった狛犬も、これからの散策で楽しめそうだ。
福井県内でも、まだまだ知らないところばかりで、
これから春を迎えて、温かくなって日が長くなったら、
またいろんな土地を訪ねてみたいと思う。





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2012年02月17日

勝山の左義長

ここ数年、毎年のように勝山の左義長に行く。
昨年も出かけて行って、数日に渡ってブログに紹介しようと
思っていた頃に、あの東日本大震災が起ってしまい、
ついついタイミングを逸してしまった。

撮った写真がこのままお蔵入りするのも少し残念なので、
今年の左義長を紹介するつもりで写真を添付したいと思う。

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もともと勝山の奇祭である左義長のことは知っていたが、
初めて出かけたのは、10年ほど前だろうか。
当時はブログもツイッターもフェイスブックもなくて、
インターネット上の掲示板というのが結構流行っていて、
たつやも2.3の掲示板に書き込みをしていた。
そこで勝山在住の方と知り合い、
左義長に誘われたのがきっかけだった。

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話がちょっと飛ぶが、時折こんな質問をもらう。
「たつやさんって、本名はJさんなのに、どうしてたつやなんですか?」
実はこの掲示板に書き込みするのは、誰もが本名ではなく
所謂、ハンドルネームという別の名前でコメントしていた。
そのハンドルネームを考えた時につけたのがたつやだった。
ブログを始める時も、本名ではするつもりがなかったので、
その頃の名前を使ったというだけのことだ。

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勝山へは左義長へ行く以前にも、
そばの食べ歩きをしたり、古い町並みを歩いたりしていて、
結構馴染みの町だったが、この祭りを見て、
更に勝山ファンになった。

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それは本当に地元の方たちが祭りを心底楽しんでいること。
最近流行りのイベント的祭りではなく、
歴史と文化と生活の上に成り立つ本当の祭りであること。
もうひとつは左義長をすることで、
勝山の人が地域に誇りを持つこと。
年配の方から子どもたちまでが世代間を超えて、
一緒に祭りを楽しむこと。
地域に連帯感が出来て、活性化していくこと。
などなど本当に素晴らしいことだと思っている。

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勝山の左義長には12地区
(上郡区・立川区・元町2丁目区・上後区・中後区・上袋区・
 下袋区・下後区・上長渕区・下長渕区・芳野区・沢区)

あって、それぞれの地区で櫓や飾り物や振る舞いなどがある。
たつやはその中でも芳野区が何故か気に入っている。
『ちょっとよっ亭』という屋台も雰囲気がいいし、
地区の人たちの温かさを感じる。
今年もやっぱり芳野区は外せないかな^^

今年の勝山左義長は、今月2月25日(土)26日(日)
勝山市内にて、開催されます。


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以下はwikipediaより抜粋

勝山左義長(勝山左義長まつり)は、
福井県勝山市で毎年2月最終土日にかけて行なわれている左義長であり、
福井県を代表する祭りである。
平成20年2月に福井県の無形民俗文化財に指定。

概要
福井県勝山市では市内最大の祭りである。
「お囃子」「絵行灯」「作り物」「押し絵」「短冊」
などが2日間かけて行われる。

お囃子は「勝山左義長ばやし」とよばれ、
市内に12基の高さ6mの見事な櫓が建ち、
その上で色とりどりの長襦袢を着てお囃子を行う。
お囃子では三味線、しの笛、鉦で
「蝶よ花よ花よのねんね まだ乳のむか 乳くびはなせ」
という特徴のある唄にあわせて太鼓を打つ。


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起源
古来より全国で行われている左義長であるが、
勝山では小笠原氏が勝山藩に入封(1691年)より盛んに行われたとある。
ただし慶長8年(1603年)の文献にはすでに左義長についての記述がされている。
勝山町史稿説より

勝山左義長の行われている地区
旧勝山町の、上袋田区、下袋田区、上郡区、上後区、中後区、下後区、上長渕区、
下長渕区、富田区、沢区、芳野区、立川区、元町2丁目区、の13地区が行い、
そのうち富田区を除く12地区が櫓(やぐら)を建てて、勝山左義長ばやしを行っている。


写真00803.jpg

まつりの概要
勝山左義長ばやしは、三味線、しの笛、鉦で
「蝶よ花よ花よのねんね まだ乳のむか 乳くびはなせ」
という特徴のある唄にあわせて太鼓を打つ。
いわゆる「浮き太鼓」が特徴
絵行灯は、その時代を風刺した川柳と絵を組み合わせて行灯に描き町内に掛ける。
ユーモアと洒落が大切で、過去にはかなり卑猥な表現もされた。
作り物は、身近にある品物で、その年の干支などを「にわか」的につくる。
昔の農機具や古道具などが使われる。
いかに単純に作って表現するかが重要とされる。
押し絵は、綿をつめた布張りの飾り物で、
過去には女性の花嫁修業として盛んに行われていた。
短冊は、主に緑、黄、赤の短冊をまつりを行う地区に飾り付ける。
ドンド焼は、まつり最終日の夜、各町内にある御神体(松飾り)を
九頭竜川河原に集めていっせいに点火する。


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ラベル:勝山市 祭り
posted by たつたつ・たつや at 18:27| Comment(10) | TrackBack(0) | 旅先にて・福井県内編 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年02月13日

旧大和田銀行本店@敦賀市

比較的若い頃から、古い西洋建築物が何となく好きだった。
たつやが共通して魅了されるのは、やはり新しいものではなく古いもの。
建築物でもやはり昔の建物に魅かれる。
例えば、小学校の木造校舎や古い西洋建築。
このブログでも滋賀県を中心に見て回ったヴォーリズ建築や、
旅先で出会った古い西洋建築や学校なども紹介している。

DSC_4881.jpg

たつやが記憶しているだけでも
10年前には残っていた建物が、今は取り壊されてしまった・・・
という建築物は片手では足りない。
取り壊すのは一瞬だけど、もうそれを取り戻すことは出来ない。
だから何とかして保存していって欲しいものだが、
民間とすれば維持管理がかなり大変なことも理解できる。
そこで行政が関わっての保存となることが多いが、
近年の財政圧迫で、それもなかなか難しくなっているようだ。

DSC_4934.jpg

さて、福井県内にもいくつか好きな建物があって、
敦賀市にある旧大和田銀行本店
現、敦賀市立博物館もそのひとつである。
実はこの写真を撮ったのは、だいぶ前のことだが、
なかなか紹介しきれずに、そのまま放置していた。
外観もさることながら、中の天井や柱などが
古い西洋建築の特徴的な作り方となっている。
漆喰を使った天井飾りはいろんなところで見てきてるが、
やはりここも職人の魂を込めた仕上がりとなっていた。

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専門的知識がないのが残念だが、
建物を作る上で、設計する人も、それを作りあげる人にも、
プライドをかけた装飾やデザインに技を施す・・・
それは決して建築構造上、必要なものではないが、
あえてそういうところに
コダワリと細密さを盛り込んでいるように感じる。

DSC_4941.jpg

明治終りから大正、昭和初期に至る西洋建築物は、
戦災や災害を乗り越え、誰かが大切にすることで
今に続いている。
これからもひとつでも多くの歴史ある建造物を
後世に残して行って欲しいと思う。

DSC_4942.jpg

wikipediaより抜粋
大和田銀行は、1892年(明治25年)に、
敦賀の大商人であった大和田荘七によって設立。
1918年(大正7年)に株式会社組織に改組。
福井県内において福井銀行と並ぶ有力銀行として、
大阪市内にも支店を有し、大正7年には大阪のコール市場にも進出。
その後、大和田氏関係の銀行や嶺南地方の銀行を合併しながら拡大するも、
福井県全域で幅広く合併を繰り返した福井銀行との格差は拡大。
戦時下における一県一行政策に基づき、大蔵省、福井県は、
大和田銀行と福井銀行の新立合併を勧奨するも、
福井銀行が吸収合併を譲らず、
大和田銀行は1945年(昭和20年)10月
三和銀行に吸収合併される道を選び、歴史の幕を閉じた。

合併直後に敦賀市を除く福井県及び石川県内の旧大和田銀行店舗は、
福井銀行に営業譲渡された。
本店は、しばらくのあいだ三和銀行敦賀支店として存続したが、
その後同店は廃止となり、
結局福井銀行へ営業譲渡されることとなった。
一方大阪市内にあった2店舗ついては、
近隣店への統廃合を経て現在は、
三菱東京UFJ銀行として営業している。

敦賀市蓬莱町にある明治25年竣工の当行本店建物は
現在敦賀市立博物館別館として保存。
二代本店-昭和2年竣工の本店建物は、
京都の西陣会館、長崎の香港上海銀行とともに、
昭和初期を代表する建築物の一つ。
現在は敦賀市指定文化財に指定され、
敦賀市立博物館として活用されている。


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沿革
1892年(明治25年)11月1日:福井県敦賀町で個人経営の形式で設立
          (三和銀行史では明治27年7月設立)
1918年(大正7年)6月:株式会社に改組
1920年(大正9年)9月:大和田貯金銀行を合併
1936年(昭和11年)3月10日:敦賀二十五銀行を合併
1941年(昭和16年)3月:三方銀行を合併
1943年(昭和18年)12月1日:大和田貯蓄銀行を合併
1945年(昭和20年)10月1日:三和銀行に合併


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敦賀市立博物館
福井県敦賀市相生町7−8

開館時間:午前10時〜午後5時(入館は午後4時30分まで)
休館日:毎週月曜日(休日に当る場合はその翌日)
      休日の翌日(日曜日に当る場合はその翌々日)
      年末年始(12月28日〜翌年1月3日)
入館料:一般200円





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2011年12月26日

アキアカネの日向ぼっこ

ちょっと出かけた先で撮った写真をブログに載せようと思っていたら、
あっという間に時が過ぎて行ってしまう。

気がつけば2011年も後5日となってしまった。
たつやのこのブログの記事もついに1900という数字になって、
2006年4月から5年半が過ぎた。
ずっと自分の感性の赴くままに、好き勝手に書い綴ったブログが、
まさかこんな数字になるなどとは想像もつかなかった。

写真00668.jpg

また逆にブログをしていなかったら今の自分がどうなってるのか?
ということも想像が出来ない。
ブログをしていなかったら知り合えなかった人の数はすごく多いし、
日頃の仕事も生活も含めて、全然違うものになっていたに違いない。

まぁ、それくらい生活に入り込んでいるということにもなる。

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「毎日見ていますよ〜」という方もいらっしゃいますし、
「あ、そのブログ見たことありますよ」という方にもお会いします。
こうして見てくださる方がいるからこそ、
このブログもたつや自身も、その存在意義があると思っています。
あらためて、ここに来てくださいまして、
本当にありがとうございます。

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最近はfacebookもやっていて、
書き込みをするとすぐにコメントが入ったり、
いいね!というボタンが押されたり
すぐに反応があるので、ついつい時間が取られたりします。
ですが、やっぱりたつやの原点はこのブログ

少しでも長く続けられるよう、
見てくださった人が、笑顔になったり、楽しくなったり、
おいしそう、面白そう、行ってみたい
と思ってもらえるブログを頑張りたいと思います。

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わずか1ヶ月ちょっと前の風景です。
鷹巣方面から二枚田幹線林道の方面に車を走らせていると、
海を見渡せる小高い丘の上に、
小さな神社があって、そこにこんこんと湧き出る水源がありました。
車から降りてみると、すごい水量です。
そこにあったコップに水をくんで飲んでみると、
冷たくて、甘く本当に美味しいお水でした。

DSC_1938.jpg

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たつやは車の中にいつでもコーヒーが飲める道具?一式が積んであるので、
そのお水で一杯の珈琲を入れることにしました。
お湯を沸かしている間に神社のまわりを散策しましたが、
残る秋を、暖かい陽の光を惜しむかのように、
アキアカネがたくさん集まっていました。

写真00518.jpg

福井県にはたくさんのおいしい水場がありますが、
それらは今の世の中では本当に貴重でありがたいことだと思います。
先祖代々守ってきたこんな豊かな自然を、
自分たちの子どもたちや子孫に残していかなければならないと思います。






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posted by たつたつ・たつや at 21:53| Comment(2) | TrackBack(0) | 旅先にて・福井県内編 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年12月07日

百笑『山本農園』@小浜市

安心安全で美味しい野菜を食べたいと思う人は
近年益々増えてきているようだ。
かくいうたつやもそのひとりだが、
先日野菜ソムリエの友人から紹介してもらった
小浜の若きトマト農家『山本農園』山本聡さんを訪ねた。

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お会いする前から山本さんの作るトマトの話を聞いていたが、
それはあまりにも興味深いものだった。

ミシュランの3つ星レストランで使われている。
作ったトマトは全量買い取られるので、入手が困難だとか…


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訪ねた時に山本さんはハウスでトラクターに乗っていた。
たつやを見つけるとエンジンを止めて笑顔を見せてくれた。
聞いてはいたが、本当に若くてかっこいい青年だ。
はじめまして。百姓の山本です。百に笑うで百笑なんですがね。

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あ〜、何かこの瞬間にこの人の作ったトマトは絶対に美味しいはず。
いや山本さんが手がけた野菜を食べてみたいと思った。


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最初のハウスではキュウリを見せてもらった。
収穫は朝一のみ。
太陽が出て光合成を始めると水分量が減少するからという理由。
その場で翌朝、収穫予定のキュウリを一本食べさせてもらった。
朝の方が断然美味しいですよ、とのことらしいが、
ポリっと食べてみて驚いた。
口の中で弾けるキュウリの甘味と食感!こりゃ旨い。

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だけどこれはまだ序章に過ぎなかった。

続いてトマトのハウスでは更に驚きと感激の連続だった。
山本さんはハウスでトマトの栽培法を語ってくれるのだが、
それはまるで自分の子どもを語るときのそれと同じだ。
いかに野菜と真っ正面から取り組んでいるかが伝わってくる。

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赤、オレンジ、黄色、丸いもの、ボウスイ形いろんなトマトたち。
そのどれもが本当に美しい。
でもとても小さいのだ。
山本さんによればキュウリは細心の注意を払いストレスを与えず過保護で育て、
トマトはその逆でいじめていじめぬいてスパルタで育てるのだそうだ。
そうすることでトマトは甘味を蓄え、味をギュッと実の中に凝縮するのだそうだ。

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どうぞ、食べてみてください。

わぉ!トマトだぁ!
当たり前な表現で申し訳ないが、
ドライトマトにも通じる甘みと旨みを感じた。
ギュッと締まった堅い実をかじった瞬間、
口の中に瞬時に広がるトマトの濃厚な味。
酸味と甘味のバランスが絶妙なのだ。
糖度計で計ると11度を示すというのも納得だ。

すごい!

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山本さんは某種関係会社で野菜の研究を一年して、
四国の高知県でトマト栽培を勉強し、地元の小浜に帰って農業を始めた。
以来、毎日が試行錯誤の繰り返しで野菜作りに真摯に取り組んでいる。

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最初に会った印象そのままに、
たつやは美味しいトマトが食べたいのではなく、
こんな山本さんが作る野菜を食べたいのだとあらためて思った。

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山本農園
福井県小浜市生守37-23
0770-56-0113





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posted by たつたつ・たつや at 23:08| Comment(6) | TrackBack(0) | 旅先にて・福井県内編 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年11月29日

みのや泰平閣@芦原温泉

寒くなったし温泉でも行きたいなぁ〜
なんてフェイスブックで呟いていたら、旅行会社の社長の宇野ちゃんから
たつやさん、いいとこありますよ〜。
そういえばそこの専務さん、たつやさんにも会いたがっていましたよ。

なんてメッセージが来た。
そういうご縁なら、そこにしましょう!とお願いした。

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いつか話した温泉です。

そう芦原温泉の『みのや泰平閣』
折角の機会なので、
久しぶりにナナ・イロのあいちゃん夫妻とみっちゃんを誘って一泊してきた。
駐車場に車を停めて、門をくぐると玄関先までが幻想的な雰囲気の石畳が続く。
石畳を歩くうちに一歩ずつ非日常へ誘われるような気がした。

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玄関を入ると女将さんや仲居さんがたつやたちを迎えてくれた。
たつやたちはあまり贅沢も出来ないので
リーズナブルなプランをお願いしたにも関わらず、
平日ということもあってか、一番奥にある立派な部屋を用意してくれた。

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温泉旅館の楽しみと言えば、食事とお風呂。そして宿の風情。
食事前にひと風呂浴びることにした。
最近は暗くなるのが早いので6時には真っ暗になってしまうが、
温泉宿の露天風呂は暗い方が風情があっていいかもしれない。

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夕食は洗練された料理が次々に運ばれる。
冷たいものは冷たく、熱いものは熱く。
こんな季節にはやっぱり温かい料理がうれしい。
たつやはお酒は飲まないので、出された料理にはすぐに箸をつけてしまう。

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でもナナ・イロのあいちゃん夫妻は大のビール党!
ここで登場したのが、旅行会社の宇野ちゃんが開発、商品化した
『どこ生(どこでも生ビールサーバー)』
20年来の友人である宇野ちゃんは福井市内で
Mトリップコーポレーションという旅行会社を経営している人なのだが、
なかなかのアイディアマン、しかも超グルメ。

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旅行会社をする前にはイタリアへ料理修業に行ったり、
福井で本格的イタリアンレストラン開業を真剣に考えて、
食材やワインまで大量に取りよせた・・・
といった経歴を持っている。

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そんな宇野ちゃんは生ビールが大好き。
いつでもどこでも生ビールを飲みたい!
と思っていて作っちゃったのが、この『どこ生』という商品らしい。
重さがわずか9kgということで、
バスや電車の中にも持ち込めるし、
アウトドアでも手軽に生ビールを飲むことが出来る。
面白いのは電源もいらず市販のミニガスカートリッジがあればいいのだそうだ。

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あいちゃん、「これはマジに欲しい!」と言ってたくらいだ。

みっちゃんもどこ生にチャレンジ。
「すいませ〜ん、あい先輩、泡ばっかりになっちゃいましたあせあせ(飛び散る汗)

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温泉は朝のお風呂が気持ちいい!
お庭を散歩しましたが、めちゃめちゃいい天気で気持ち良かったぁ!
それに朝ごはんがまた美味しい!
皆、大満足で宿を後にしました。

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みのや泰平閣さんのプランは
『十人十色ぷらん』ひとり10500円というお得なプランでした。
これにどこ生をプラスしたプランが大人気なんだそうです。
たつやは飲めないので、あまりわかりませんが、
生ビール党にはたまらないプランなんでしょうね。

お風呂も料理も雰囲気も含めて、これは大満足!
テレビコマーシャルで流れていた
「いつか話した温泉です」
といって両親を連れてくるシーンを思い出しました。

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温泉いい気分(温泉)って今からの季節、ホントに気持ちいいですよね〜。
日本人に生まれたことを幸せに思います。


みのや泰平閣
福井県あわら市舟津50-1-1
TEL.0776-78-5566
http://minoya.biz/
泉質:ナトリウム・カルシウム塩化物泉
(中性低張性温泉)

株式会社エムトリップコーポレーション『どこ生』
http://mtripco.jp/dokonama.html
福井県福井市北四ツ居2丁目18−37
0776-50-1212





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posted by たつたつ・たつや at 20:56| Comment(4) | TrackBack(0) | 旅先にて・福井県内編 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年10月25日

嫁威肉附面@吉崎御坊願慶寺

たつやが小学校低学年の頃、
印刷会社に勤めに来ていた米谷さんという活字を拾う職人さんがいて、
お昼休みには、いつもいろんな話をたつやに聞かせてくれた。
米谷さんは、煙管に刻みタバコを詰めて、マッチで火を点けて
うまそうに煙草を吸っていた。
何度か吸うと、煙管を逆さまにして灰皿に叩いて灰を落とした。

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米谷さんの話はそこから始まった。
タバコのヤニで黄色くなった歯を見せ、ニヤリと笑うと、
福井県に纏わるあちらこちらの伝説のような話をしてくれた。
たつやは怖がりだったにも関わらず、
米谷さんにいつもせがんだのは、おどろおどろしい話だった。

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今でも鮮明に覚えているのは武周ヶ池の大蛇伝説と、
吉崎御坊(多分)の嫁威しの肉附きのお面の話だった。
他にも怪談じみた話や、面白い話を聞いたはずだが、
みんな忘れてしまった。

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いつしか時が流れて、米谷さんもかなり前に鬼籍の人となったが、
今年の夏に、ふらりと出かけた吉崎御坊
あの話に出てきたお面を実際に見ることが出来たのだ。

このお面があるという願慶寺に入ると誰もいなかった。
ごめんくださ〜い!と声をかけると別棟から、
ご住職が来られて、どうぞどうぞと招き入れてくれて、
この嫁威し肉附き面の話をしてくれた。

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たつや的には、このお面はどこか収蔵庫に保管されているか、
ガラスケースに展示されているかと思っていたのだが、
それは意外にも、古い桐箱に入っていて、
ご住職が目の前で見せてくださるのだ。
写真撮影も大丈夫とのこと。

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最初にこの伝説について簡単にお話をされ、
その後、ご住職がその嫁威し肉附き面の講話をしてくれた。
しかも、お面を自分の顔の前に置いて、
声色を変えて説明されるので、かなりの迫力があるのだ。

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しかしながら、実に納得が入った話は、
嫁と姑の話は今も昔も変わらない・・・。
人の嫁と人の姑の噂話は仲良しより仲が悪い方が面白い!
娯楽の少なかった時代では、
お坊さんの話は楽しみのひとつのようなもので、
この肉附きの面の話は、格好の面白い話だったのだろう。
村人を集めこの話をして、そして浄土真宗の信者を増やしていく・・・
という布教のため戦略的に作られたお話だったとか。

な〜るほど!こりゃ納得だわ^^

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願慶寺には他にも古い地図や掛け軸などが、
結構無造作に展示されていたりする。
たつやが興味を持った地図。
鯖江・舟津・白鬼女・府中などの文字が見られます。

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福井には歴史あるお寺がたくさんあり、
それらにまつわる様々な伝説やいわれがあります。
こんなテーマを持って出かけて、
ちょっとした旅気分を味わうのも楽しいかも^^






嫁おどし肉附き面縁起(吉崎御坊願慶寺HPより抜粋)

抑この面の由来を尋ぬるに、文明年中蓮如承認(上人の間違いでは?)
当山在住の砌、近在十楽村の農民与三次という者あり。
このもの昔日山の城主山治部右衛門の家臣吉田源之進なる者、
日山城没落の後、十楽村に止まり百姓となり、当世の家主を与三次という。
妻あり清と名づく。
 
子息二人ありける与三次ならびに二子病にかかりいずれも死去す。
実に恩愛愁傷かぎりなく度々の別離に遇い頼みなき世の有様思い当り、
先立ちし者の菩薩のため後世を願い、
未来はかかる苦しみなき浄土に参り共に楽しみ受けんものと、
幸い其頃蓮如上人吉崎に御在住にて貴賤群集す。


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 我も参詣し御教化聴聞せんと夫の命日に吉崎に詣り、
即ち上人に御対面申し右の仕合せ段々もうしあげ御歓代をいただき、
立所に信心決定して無二の信者となりき。
 しかるに其家の姑の婆、実に類なき慳貪邪見(けんどんじゃけん)にして、
子に別れ孫に離れ、かかる厳しき催促に遇いながら、
未来のことはすこしも傾くこころなく嫁の毎度吉崎へ詣るを憎み、
なにとぞして吉崎詣りを止めさせんと種々巧らむといえども、
さすがに無二の信者なればただ姥の機嫌をとり、
百姓なれば忙がわしく昼野の仕事を仕置き夜なよね吉崎へ詣る。

 或る時姥思よう、往来のものすごき谷へ出て、鬼の形となり餘目を威嚇(おど)し、
吉崎詣りを止めんと功み、祖先累代持伝えたる秘蔵の面を取り出し
白髪のかみをおっさばき面をかぶり、身には白きを着し、
草木茂る深みたる小谷に、今や遅し待居たり。

 かくとはしらず嫁の清、念仏申し吉崎へ急ぎける。
松吹く風も凄く小谷よりずっといずる鬼、まこと恐ろしく身の毛よだちしが、
流石二にかねて聴聞に験(しる)しにや、心をしずめ驚かず
「食まば食め 喰わば喰え金剛の 他力の信はよもやまじ」と口ずさみ、
南无阿弥陀仏南无阿弥陀仏、と称名をとなえ吉崎へ詣る。

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 姥は、嫁の帰らん内に我家にかえり面をとらんとせしに、
悲しや面は顔にひっつき、とらんとすれば顔の皮をへぐごとく痛み、
これわいかにせんともがけば詮方なく、今に嫁の帰らばなんと言い訳せん、
とても生きて居ること叶わず、自害せんとするに手足しびれもはや動くこともならず。

 とやせん角やせんとするうちに刻限(じこく)うつりて嫁は吉崎より帰り、
家に入りみれば小谷にて遇いたる鬼、これはいかにと驚けば姥は大音あげて、
ああはずかしやと泣きしづむ。
 立ち寄りいかがなされたと尋ねれば、かねがねの心中腹蔵なく語り、
小谷の鬼は我なりと、ありのままに件の趣ものがたれば、嫁は泣く泣く申すよう、
是非なき御事に候えども、上人の仰せには如何なる者も弥陀を頼み
念仏申せば仏になると聴聞仕り候らえば早く念仏したまえと、
孝行深き心より涙と共に勧むれば、姥は余りの恥ずしさに
生まれてより初めて嫁の勧めにより南无阿弥陀仏と一声称えれば、
真に不思議や面はすぐさま落ち、手足も元の如くになり、
誠に夢のさめたる如く、さしもの姥も改悔の心を起こし、
我もなにとぞ吉崎に参り、御教聴聞せんと嫁に同道にて
参詣し御教化をいただき、共に無二の信者となれり。
 その時、この面は蓮如上人へ差上げるに、
末代のみせしめにせよとて当寺開基裕念坊に授与し給う。
世に名高き肉附き面とはこれない。
往来には嫁威の谷と名を残し、面は当山に止めたまえり。
 先車の覆りは後車のいましめとかや。
かかるいわれを聴聞して日ごろの悪心をひるがえし、
仏法にもとづき念仏相続あらるるが肝要なり。


吉崎御坊願慶寺
福井県あわら市吉崎1丁目302
0776-75-1956





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2011年10月18日

月の顔 by 岡本太郎

1970年、大阪で行われた世界万国博覧会(EXPO'70)
国際博覧会史上アジアで初めて開催された。
1970年の3月14日に開幕し、同年9月13日まで183日間、
「人類の進歩と調和」をテーマに掲げ、総入場者数は6,400万を超えた。
日本の総人口の約6割以上がこの万国博覧会に行ったことになる。

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かくいうたつやもEXPO'70には、家族で1回、会社の慰安会で1回、
確か父が所属する団体の家族会で1回、計3回行っている。
とは言え、当時は11歳、小学5年生だった。
そのEXPO'70で鮮明に覚えている場面がいくつかあるのだが、
シンボルタワーとなった太陽の塔の不思議なカタチは印象に強く残っている。
このタワーを制作したのが、あの岡本太郎氏だ。

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人類の進歩と調和・・・とんでもない!
文明の進歩に反比例し、人の心がどんどん貧しくなっていくことを、
その太陽の塔にアンチテーゼとして表現した作品となった。

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岡本太郎氏は様々な分野で積極的に関わったこともあり、
福井県との縁も結構あるようだ。
昨年、勝山の左義長に出かけた際には、
老舗旅館で氏のサインを見せてもらったことがあったし、
旧宮崎村の陶芸村の中に岡本太郎氏の作品がある

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以前から何度か見に行っているが、
先日、久しぶりにその作品『月の顔』を見た。
ちょうど太陽が南から西へ傾きかけた時間帯だったこともあって、
今まで見てきた表情とは、ちょっと変わって見えた。

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当たり前だが正面から見る月の顔と、
右側から見る月の顔、左から見る月の顔は、
時間帯に寄って刻々と表情を変えていく。
大きな公園の中にあるので、四季に寄っても顔が変わる。

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身近なところに、こんな素晴らしい作品があることを
意外に福井県内の人さえ知らない人が多いようだ。
世界でも有数の芸術家、岡本太郎氏の作品が、
ココ陶芸村にあること自体、誇りに思います。

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すぐ近くにたつやお気に入りのそば店『だいこん舎』があります。

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『太陽の塔』(Wikipediaより抜粋)
1970年(昭和45年)に大阪で万国博覧会が開催されることが決まり、
主催者(国)は紆余曲折の末、シンボル・タワーの制作を岡本太郎に依頼した。
太郎は承諾し「とにかくべらぼうなものを作ってやる」とひたすら構想を練った。
そうして出来上がったのが巨大なシンボル・タワー『太陽の塔』である。

これは、当時の知識人たちから「牛乳瓶のお化け」「日本の恥辱」
などと痛烈な批判を浴びた。
しかし太郎は、「文明の進歩に反比例し、人の心がどんどん貧しくなっていく
現代に対するアンチテーゼとしてこの塔を作ったのだ」と反論した。
「国の金を使って好き勝手なものを造った」という批判に対しては、
「個性的なものの方がむしろ普遍性がある」と反論した。

主催者が塔の内部に歴史上の偉人の写真を並べるつもりだったのに対し、
太郎は「世界を支えているのは無名の人たちである」として、
無名の人々の写真や民具を並べるよう提言し、実現させた。

塔の目の部分をヘルメット姿の男が占拠し、
万博中止を訴えたアイジャック事件の際には狂喜して、
居合わせたマスコミに対し
イカスねぇ。ダンスでも踊ったらよかろうに。
自分の作品がこういう形で汚されてもかまわない。
聖なるものは、常に汚されるという前提をもっているからね」と言った。

日本万国博覧会は成功のもとに終了。
1975年(昭和50年)、『太陽の塔』は永久保存が決定。
現在も大阪のシンボルとして愛されている。


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posted by たつたつ・たつや at 23:54| Comment(4) | TrackBack(0) | 旅先にて・福井県内編 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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