2020年03月20日

1974年思い出の額

1974年3月
高校受験が終わり、
中学の自分の卒業式を早退して、
福井駅から青森行特急『白鳥』に乗った。

生まれて初めて行く北海道に、
わくわくしていた。
SLダイヤ情報を隅から隅まで読みあさり、
行ったことのない北海道の地図と
蒸気機関車が走っている路線図、
そして撮影ポイントはすべて頭に入っていた。

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受験勉強という名の、
夜遅くまで部屋にこもる時間は
たつやにとって、誰にも邪魔されずに
ずっとこの情報誌を読んでいた。
蒸気機関車の写真を撮りに出かける旅は、
それまでに何度か一人で出かけていたが、
北海道を丸々2週間旅することは、
多少不安があったかもしれないが、
それよりも蒸気機関車の天国だった
憧れの北海道に行けるワクワク感の方が、
何十倍も何百倍も上回っていた。

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この旅行に出る1週間ほど前に、
父がこんなことをたつやに言ってくれた。
「いい写真を撮るためには、いい機材が必要や。
これ使うといい」
手には箱に入った新品の一眼レフカメラと、
135mmの望遠レンズを持っていた。

ASAHI PENTAX SP-F
本格的一眼レフカメラと
専用の望遠レンズだった。
もちろん当時はアナログカメラで、
ピントは手で合わせなければならないし、
露出とシャッタースピードも
自分で設定しなければならない。
そして当たり前だが、
モノクロフィルムかカラーフィルムを買って、
カメラにセットしなければならなかった。

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フィルムはやはり父が買ってくれたが、
まだカラーフィルムは高価だったこともあり、
メインはモノクロフィルムを使っていた。
1本36枚撮り。
ようするに1本のフィルムで36枚の写真が撮れる。
モニターなんてないから、
ちゃんと写っているかどうかは、
現像して、紙焼きしてみないとわからない時代。
なんとも不便な時代だったが、
それが何とも言えないドキドキ感と、
現像が出来るまでの間の楽しみでもあった。

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近所にある恵美写真館へ
北海道で撮ったフィルムを現像に出して、
出来上がるまでの10日間は
待ち遠しくて、それこそ指折り数えて待っていた。










あれから45年。
先日、家の中を片付けていたら、
高校2年生の学校祭で、、
友人と二人で開催した写真展で展示した
1974年3月に北海道で撮影した
たつやの写真のパネルが出てきた。
懐かしい写真・・・。
もう色あせて、写真の一部は破れている。

裏を見て思い出した。
このパネルは家にあった板切れを使って
自作したものだ。
その額に水にぬらした印画紙を貼って、
四方をホチキス止めし、
その上から、印刷屋で伝票に使う
黒のクロスを貼ってそれっぽく仕上げた。

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どうしようか迷った。
捨てようかと思ったが、燃やすことにした。
せめて燃やす前にカメラでデジタル保存。
しばらくその額を眺めていたら、
その当時のことをいろいろ思い出した。

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7年前に亡くなった父が
いかにたつやを愛していてくれたのか・・・
言葉にすることはなかったけれど、
何をするにしても黙って応援してくれたなぁ。

今日はお彼岸。
あらためてご先祖や父に感謝です。
おとうさん、ありがとう!








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記事2954回目
posted by たつたつ・たつや at 23:58| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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