石徹白を訪ねた一番の理由は、
この地にある白山中居(はくさんちゅうきょ)神社を訪れることだった。
たつやの尊敬する聖地学の第一人者でレイライン研究家の
内田一誠さんを始め、何人かの友だちからも勧められていたからだ。
白山を取り囲むようにたくさんの白山神社があり、
その中でも有力な白山神社は4つほどあり、
その一つが白山中居神社だ。
白山市にある加賀一ノ宮 白山比盗_社。
http://onmyojitatsuya.seesaa.net/article/271496593.html
勝山市にある平泉寺の白山神社。
http://onmyojitatsuya.seesaa.net/article/276767032.html
そして郡上市白鳥町の長滝白山神社。
http://onmyojitatsuya.seesaa.net/article/376507395.html
これら三つの神社が、白山への加賀ルート、
越前ルート、美濃ルートと言われていて、
そのもう一つの越前ルートがこの白山中居神社だった。
残念ながら今は石徹白は岐阜県になってしまったので、
越前ルートとは言えないかもしれないが。
以下wikipediaより
白山中居神社(はくさんちゅうきょじんじゃ)は、
岐阜県郡上市白鳥町石徹白に鎮座する神社である。
白山神社の一つであり、白山信仰と関わりが深い。
白山信仰の美濃国からの道は、
白山中宮長滝寺(現長滝白山神社、長瀧寺)から、
越前国の白山中居神社を通り、白山へと向かっている。
鎮座地は石徹白川左岸、支流である宮川との合流部に位置し、
参道に橋が懸けられている。
※越前国の白山中居神社と記されている。
石徹白の入口からは更に奥へと車を走らせると、
6〜7分ほどで白山中居神社の前に着く。
銅板で覆われた立派な鳥居が迎えてくれた。
緑青で緑色をした雰囲気のある鳥居である。
鳥居をくぐると石段を下に降りる。
更に奥へ入ると、直径1メートルはゆうに超える
太い杉の木が左右にそびえ立っている。
そこから更に石段を下りて行くと、
美しい川『宮川』が流れている。
白山の雪解け水が流れる清流である。
橋を渡るだけでも身を清められるような感覚になった。
そこからはまた上に登っていく。
赤い屋根の白山中居神社の拝殿が見える。
今年の5月に訪れた時にはこちらで結婚式を行っていました。
御祭神は「菊理媛大神」で、御神徳は調和と結合の神、和解の神。
総てのものをくくり合はされるをご使命とされる仲直りの神様。
この拝殿の後ろには本殿に続く石段があるのだが、
上から圧倒的な気が流れてくる感じがして、
上を見上げずにはいられなかった。
本殿の周りにはたくさんの杉の巨木があり、
より聖地性の高い場所なのだろう・・・。
エネルギーの高い場所に行くと、
眉間を何かに押されるような感覚になるが、
ここはいつも以上に強く感じた。
5月に訪れた際には、
本殿前でお参りして、石段を下りている際に、
金色のトカゲがいるのを見つけて足を止めた。
何て美しい色のトカゲだろう。
これはニホントカゲで、成長の度合いによって、
色が変わっていく。
携帯電話のカメラで撮影するも、
まったく逃げようとはせずに、
ずっとモデルをつとめてくれた。
勝手に金運が良くなると信じて石段を降りた。
たつやはあまり目に見えないものに対する感覚はわからないが、
それでもこの地には他では経験できないような、
不思議な空気感とエネルギーを感じていた。
神恩感謝・国家反映・五穀豊穣をお祈りし、
この地を訪れることが出来たこと、
今自分が元気でいれることに感謝して、白山中居神社を後にした。
白山神社に関しては、たつやのブログに中にも結構登場しているが、
この白山中居神社は、もっとも好きな神社のひとつとなった。
出来れば四季を通じて通いたいと思っている。
石徹白(いとしろ)
石徹白は白山信仰が隆盛の時代には、
白山頂上と長滝寺との中間地点として栄えた村であり、
古くは天領として栄え、
藩政時代には神に仕える村としていずれの藩にも属さず、
名字帯刀を許された一種独特な村でした。
明治維新までは住民は社家と社人に別れ、
社家は神に仕えることを本職とし、
夏は白山参詣の道案内と宿坊を営み、
冬は全国各地の信者に御札を配ることを生業としていました。
こうした歴史の過程から
独特の文化や伝説、民謡などの貴重な民俗文化が数多く生まれ、
残された地域です。
やっぱりたくさんの方にブログを見ていただきたくなりました。
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