神事、お水送りに参加している。
http://onmyojitatsuya.seesaa.net/article/392223072.html
http://onmyojitatsuya.seesaa.net/article/392537753.html
これは有名な奈良、東大寺二月堂で毎年3月12日に行われる
神事、お水取りとつながっている。
お水取りに関しては、全国的ニュースなどで知られ、
毎年、何万人という人が訪れるという一大神事でありがなら、
たつやは今までに行ったことない。
いつかは行ってみたいと思いつつ、
人混みがあまり好きでないこともあってか、
何故か未だに足が向かないという感じかもしれない。
しかしながら、せっかく奈良に来たのであれば、
二月堂そのものはちゃんと見ておきたいと思った。
二月堂は広い東大寺の敷地の一番上の方にある。
既に数時間歩きっぱなしのたつやには少々きつかったが、
石段を登る辺りは、特に新緑が美しく、
この時期に来られたことを嬉しいと思った。
坂道を上がっていくと、
左手前方に大きな建物が見えた。
坂道に建てられた二月堂は基礎の部分が、
手前は長く、後ろに行けば短く、
複雑な基礎の上に建っていた。
手前の舞台部分にはたくさんの観光客がいて、
景色を眺めている。
あの高い舞台の上で、お水送り神事と同様、
大きな松明を持って、舞台を走り回る『韃靼(だったん)』が
行われるのだろう。
ここまで来ると、やっぱり3月の本番に来てみたいという想いが強くなる。
上に上がってみると、奈良市内が一望できる。
この2月堂は、たつやのブログでも時々紹介している
近畿の五芒星の中心線の上に位置している。
そのため二月堂の真北に若狭神宮寺があるということになり、
その辺りの不思議な関係性も面白いと思っている。
それに神仏習合の名残も若狭神宮寺と同様で、
普通は神社でしか見られない鏡が仏様と一緒に祀られている。
二月堂の左手一番奥は、お水取りに関する資料が置いてある
無料休憩所となっていた。
温かいほうじ茶が置いてあって、セルフサービスで飲むことが出来る。
飲んだ湯呑みは自分でちゃんと洗って、元へ返すシステムだ。
お水取りに関しては、もっと勉強する必要があるかもしれませんが、
勉強嫌いのたつやは、先にお水取りを経験してからになる可能性が高いですね。
やっぱりお水送りだけではなく、お水取りまで、参加することに、
大きな意義があるように思いました。
お水取りに関しては、東大寺のホームページに寄ると、
以下のように説明されているので、添付しておく。
二月堂縁起に、
「実忠和尚二七ヶ日夜の行法の間、来臨影向の諸神一万三千七百余座、
その名をしるして神名帳を定(さだめ)しに、若狭国(わかさのくに)に
遠敷(おにう)明神と云う神います。
遠敷河を領して魚を取りて遅参す。
神、是をなげきいたみて、其をこたりに、道場のほとりに香水を出して奉るべきよしを、
懇(ねんごろに)に和尚にしめし給ひしかば、
黒白二の鵜(う)、にはかに岩の中より飛出(とびいで)て、かたはらの樹にゐる。
その二の跡より、いみじくたぐひなき甘泉わき出(いで)たり。
石をたたみて閼伽井とす」
とあり、魚を採っていて二月堂への参集に遅れた若狭の国の遠敷明神が
二月堂のほとりに清水を涌き出ださせ観音さまに奉ったという、
「お水取り」の由来を伝えている。
「お水取り」は、12日後夜の五体の途中で勤行を中断してはじまる。
「お水取り」の行列は灑水器と散杖を携えた咒師が先頭となり、
その後に牛玉杖と法螺貝を手にした北二以下五人の練行衆が続く。
13日の午前1時過ぎ、南出仕口を出ると咒師童子が抱える咒師松明が行列を先導し、
篝火(かがりび)と奏楽の中、堂童子、御幣を捧げ持つ警護役の講社の人たちや、
汲んだ水を入れる閼伽桶を運ぶ庄駈士(しょうのくし)も同道して、
「お水取り」の行列はしずしずと石段を下り、
途中興成神社で祈りを捧げ、閼伽井屋(若狭井)に至る。
「お水取り」の井戸は閼伽井屋という建物の中にあり、
当役の者以外は誰も入ることもうかがうことも出来ない。
行列が閼伽井屋に到着すると咒師、堂童子等が中に入り水を汲む。
これが二荷ずつ、閼伽井屋と二月堂の間を三往復して、お香水が内陣に納められる。
「お水取り」が終わると閼伽井屋に下っていた練行衆等は再び行列を組んで二月堂へ戻り、
中断していた後夜の「時」が再開される。
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