2016年06月07日

間人の立岩

いつも『たつやの感性見聞録』を見てくださいまして、
ありがとうございます。
いつの間にか、ブログを初めて、12年目に突入しました。
今日も訪れていただけましたこと、感謝いたします。

ご訪問ついでに、ここクリックしてね〜
北陸の人気ブログランキングの上位をいただき、ありがとうございます。


人気ブログランキングへ







丹後半島の日本海側を走っていると、
『立岩』という看板を見つけて、
そこへ行ってみたくなった。

この辺りは、間人と書いて、
「たいざ」と読む。
絶対読めない地名だ。

DSC_6092.jpg

もともと日本古来の信仰は、
山だったり、大きな岩だったりしたのだと思うが、
この立岩を見た瞬間に、
この地も間違いなく信仰の対象だったと確信した。

DSC_6083.jpg

駐車場に車を停めた時は、
砂浜の向こう側にある立岩までは
結構距離があるにも関わらず、
その存在感は圧倒的だった。

DSC_6086.jpg

砂浜を歩いて、だんだん立岩に近づく。
近くまで来るとその巨大さが
より臨場感を増してくる。

DSC_6091.jpg

福井の東尋坊や雄島にも見られる柱状節理の特徴があった。
周囲1kmにも及ぶ巨大な一枚の玄武岩から出来ている。
古代に大陸からの渡来船が漂着したところといわれる。
また、用明天皇の皇子で聖徳太子の異母弟といわれている
麻呂子親王の鬼退治伝説の地でもある。

DSC_6093.jpg

帰ってからネットで調べてみると、このようなことが書かれている。
立岩(たていわ)の由来
丹後町には多くの伝説・伝承が息づいています。
「間人」には聖徳太子の生母であり、
第31代・用明天皇のお后である間人皇后の伝承が残っています。
この立岩にも伝説が秘められています。
用明天皇の第三皇子麿子親王が
鰾古・軽足・土車という3匹の鬼を退治された時、
二匹は殺し土車だけはみせしめのため、
この大岩に封じ込めたといわれています。
今でも風の強い、波の高い夜などは、
鬼の号泣する声が聞こえるといわれています。
柱状玄武岩のそそり立っているところから立岩とも呼ばれ、
日本でも数少ない、自然岩の一つです。


DSC_6089.jpg




もうひとつの疑問、どうして間人と書いて、
「たいざ」と読むのかについても調べてみた。

丹後半島北西岸に位置し、やや日本海に突出している。
東部を竹野川が北流する。
聖徳太子の生母・間人(はしうど)皇后が蘇我氏と物部氏との争乱を避けて
丹後の当地に身を寄せ、のちに当地を去るに当たって
自らの名をこの地に贈ったものの、
住民は「はしうど」と呼び捨てにすることを畏れ多く思い、
皇后が退座(たいざ)したのに因み間人を
「たいざ」と読み替えた、との伝承が残る。
但し間人皇后が丹後に避難したとする記述は記紀に無く、
由来には他にも諸説がある。

死者を大陸に向けて埋葬する風習が長らく残っていた。



DSC_6079.jpg

福井県の若狭地方や丹後半島は古くは、
大陸からのまさに玄関口だった。
そのため様々な大陸からの影響を受けているのではないか。
まだまだたくさんの歴史や隠された伝説などが、
あるのではないかと思った。

DSC_6077.jpg

今回の丹後半島の旅はわずか2日間という
短い時間であったが、
その魅力の一部を垣間見ることが出来た。
また機会を見て、旅したいと思っている。






北陸のブログランキングに登録しています。
応援のポチリがたつやの元気の素です^^

人気ブログランキングへ

記事:2654



ラベル:京都府
posted by たつたつ・たつや at 23:38| Comment(0) | TrackBack(0) | 旅先にて・国内編 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
コメントを書く
お名前: [必須入力]

メールアドレス:

ホームページアドレス:

コメント: [必須入力]

認証コード: [必須入力]


※画像の中の文字を半角で入力してください。

この記事へのトラックバック