往復2000km、0泊3日というハードスケジュールでしたが、
やはり行ってみないと、その現状はわからないと思いました。
これから何が出来るかを考えていきたいです。
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今庄インターに入ったのは4月26日の午後6時でした。
北陸自動車道から舞鶴若狭自動車道、中国道、山陽道、九州道を通り、
ただひたすら熊本を目指します。
熊本県に入り植田インターから先は地震の被害で通行止めです。
そのため一般道は大渋滞という話でした。
目指す御船町はかなりの距離なので、どういうルートを通るか
いろいろとシュミレーションしたのですが、
実際その道が通れるかどうかわかりません。

しかしながら、たつやたちが到着した日から、
緊急車両または緊急支援物資を運ぶクルマに関しては、
植田インターの2つ先のインター、熊本空港インターまでが、
片側交互通行で走れるとの情報を得ました。
植田インターは出口が既に渋滞でしたが、
たつやたちは通行証を提示し先に進みました。
道路はこの辺りでも路面がくぼんでしまったり、
段差が大きなところもありました。



午前7時過ぎに。熊本空港インターを降り、そこから御船町を目指します。
ナビに従って走ると次第に傾いた電柱や半分壊れた民家が現れ、
さらに先に進むと完全に大屋根が地面についているような
倒壊してしまった家屋があちこちに現れました。
途中、渡れると思っていた橋が通行止めになっていて、
先に進むことが出来ず、迂回したのですが、
その道だけがこの辺りで走れる道のようで、大渋滞でした。



目指す上益城郡御船町田代にある玉来簡易郵便局まで行く道も
いくつか選択肢があったのですが、結局通れた道は一本でした。
トラックを見つけた郵便局長の永野さんが、
外に出できて、たつやたちを迎えてくださいました。
ホントに来てくれたんですね。
ありがとうございます。
遠いところを、本当にありがとうございます。
永野局長は目を潤ませながら、何度も頭を下げられました。
ホントに奇跡的なご縁がつながって、
今回お会いすることが出来たのです。


その頃から、本格的な雨になりました。
支援物資の一部をこの郵便局でおろしました。
この地区はまだ断水が続いているとのことで、
毎日給水車が来るとのことでした。
念のために積んできた飲料水をこちらでお渡しすることになりました。
御船町役場までは割と早く行くことが出来ました。
総務課の方が出迎えてくださいました。
そしてそのまま御船町町長の部屋へ案内されました。
こんな緊急時にわざわざ時間を取ってくださった
御船町町長、藤木正幸さんのご好意に感激しました。
町長はびっくりするくらい若くて、ある意味政治家っぽくない方でした。


いや〜〜、まさかこの日に福井からお客さんが来られるとはちょっと驚きました。
というのは私が町長に就任したのは、ちょうど一年前の今日なんです。
それに私が町長になると決めたのは福井県勝山市だったんです。
とおっしゃったのです。
福井県民のメンバーとしては何だかとてもうれしく親近感を持ちました。
毎日、被災現場をあちこち回っていらっしゃるので、
きっとかなりお疲れなのでしょうが、笑顔で迎えてくださいました。


町長室にあった花瓶は割れたままになっていました・・・。
お届けした物資をカタログを見ていただきながら説明させてもらったのですが、
ちょうど前日にいくつもの避難所を回り、
今一番必要なのが、このような段ボール製のパーテーションや簡易ベッドです
とはっきりおっしゃいました。
これらを4トントラックに満載してお届けしたことを知ると、
藤木町長も大変喜ばれ、すぐにでも使わせていただきますと
言われて、熊本まで走って来た疲れが一気に吹き飛びました。

町長室を出て、今回の物資が本当に喜ばれ、
タイムリーだったことが、垣内産業の社長をはじめ、
メンバー全員と誰彼なく話が出ました。

鯖江市の牧野市長よりお預かりした親書は、
本当に重要な役割を果たしてくれたことに
あらためて感謝すると同時に、市長の心配りに感心しました。
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記事:2641
走り、救援物資をお届けになった話、18日夜、
NHK深夜便で聞きました。
ホットな心にすごいパワー!感服しました。
思わず、お断りもしないで私のブログに書き込み
ました。「浜野巌治」でも検索できます。
実は私の祖父は鯖江、いまもまもなく卒寿の叔父
やいとこたちがいます。私の血の4分の1は福井です。
私もブログを書いて11年目です。