改札を抜けて、左へ行けば海。
右へ行くと住宅街になっている。
たつやが行く予定していたライブまでの間、
短い時間だけど、しばらく塩屋の町を歩くことにした。
といっても塩屋駅からの道は車が通ることが出来ない、
一般的に言えば、路地のような細い道が駅前のメインロードになっている。
駅から歩いて2分も経たないところに、
シャッターが半分閉まっているとうふ屋さんを見つけた。
中を覗いてみると、大量のアゲを揚げていた。
いい香りが外まで漂って来て、
店の入り口で立ち止まって、中を見ていた。
もしかするとお店はお休みだけど、
中で仕事だけされているのかなという感じだった。
お店の人も、たつやの視線に気が付いたのか、
こちらを見て、にこりと笑った。
一目見て、この人いい人〜!というのがわかった。
「あの〜、その揚げてるやつ、売ってもらえますか?」
とちょっと遠慮がちに聞いてみると、
「あぁ、ええよ。いくつ?」
一個お願いしますと言ったが、
おじさんは揚げたて熱々のアゲを手で三つくらいに割って、
パックに入れてくれたが、またもう一個取って、また三つに。
そこに醤油をかけて出してくれた。
言われる通り60円を支払ったが、
その価格はどう考えても一個の値段だろう。
100円玉で払って、お釣り40円をもらったが、
その40円は油でいい感じに輝いていた。
そこに座って食べてよ。
店の反対側に小さな椅子がふたつ並んでいた。
たつやが一生懸命?写真を撮っていたら、
「大事なカメラに油ついたらあかんから」と言って、
ペーパータオルを持って来てくれた。
揚げたてのアゲが食べれる機会なんて滅多にないし、
こうして旅先で出会ったお豆腐屋さんと世間話をしながら、
外でいただくのは、何とも言えない幸せを感じる瞬間だ。
まだ湯気があがっていて、口の中でハフハフしながら、
食べたが、その美味しさに思わず笑ってしまった。
(結局、もっと食べてと4ついただいてしまいました^^)
どうやらこの日は学校の給食用にアゲを大量に作る日だったようで、
その作業をしながら、いろんな話をしてくれた。
おじさんは沖縄、沖永良部島出身で、種子島育ち。
関西に出てきて、豆腐やで修行をし、独立。
この道40年の豆腐屋さんだ。
40年前にはこの神戸地区辺りだけでも
豆腐店は350軒以上あったのだそうだが、年々減って、
阪神淡路大震災後に一気に減ってしまい、
現在では17軒になってしまったのだそうだ。
大量生産の充填豆腐などが出回ってきて、
こうして完全手作りのお豆腐屋さんは貴重な存在なのだと思う。
昭和大好きたつやにとっては、
たまらなく好きな風景だ。
震災の話を聞くと、目の前のうちの壁に大きな割れ目が出来たとか、
お店の横にもヒビが入ったりしたのだそうだ。
確かにそこを補修した後が残っている。
「アレとかヘタクソやろ?あれボクがやったからな」
ちゃんとパテ埋めして、補修してあって、
さぞかしその家の人は喜んだだろうなぁと感心した。
田仲とうふ店、この塩屋の町にはなくてはならない存在。
田仲さん自身も地域の人に愛され、大切な人なのだろうと感じた。
福井から来たと言うと、
田仲とうふ店宛てに来た年賀状の中から、
この人知らんか?と武生の若い家族の年賀状を見せてくれた。
結構交流の幅が広いたつやだけど、さすがに知らない。
田仲さんの話だと、武生の打ち刃物が好きで、
その職人を目指して、兵庫から武生に移り住んだ方のようだった。
もしかすると、これからまたご縁が繋がるかもしれない。
田仲さんの笑顔がとってもいいので、
写真を撮らせてください!というたつやに、
照れながらも写真を撮らせてくれた。
撮ってる最中に田仲さんの顔なじみのお客さん?
お琴を持った女性が歩いてきて、
ツーショットも撮らせてもらった。
帰ってきて田仲とうふ店のことを調べていたら、
こんなことが書かれていて、ますます田仲さんのファンになった。
質の良い大豆を使用し、凝固剤以外、添加物は一切使わず、
厳しい姿勢でとうふ作りにこだわる一方、
地元の小学生考案の「とうふスティック」を商品化するなど、
職人としてのチャレンジ精神も旺盛。
またおいでや〜
うん!絶対来るわ♪
田仲とうふ店
兵庫県垂水区塩屋町3丁目9-22
078-753-2346
営業時間:9時〜19時
定休日:日・祝日
北陸のブログランキングに登録しています。
応援のポチリがたつやの元気の素です^^
記事:2567