2015年12月18日

江島神社

仁さんと別れた後は、ぽかぽか陽気に誘われて、
江ノ島へ渡って、江島神社へ行くことにした。
カフェから裏通りを抜けて、地下道から島へ渡る橋に向かった。

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田舎者のたつやにすれば、あまりにも人が多いので、
初詣に来ているような感覚だった。
「なんか初詣みたいやなぁ。。。スゴイ人いっぱいやし。。。」
つい独り言をブツブツ言ってたら、
N川も、「そんな感じだね」と笑った。
11月とは思えない穏やかな日のせいか、
サザンの勝手にシンドバッドの一フレーズ、
「えのしまぁがみえーてきたぁ、おれの家も〜・・・」
鼻歌まじりで、橋を歩いた。

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江ノ島って来たことがあったっけ?
記憶の紐を手繰り寄せてみると、
大学生の頃に来ている(はず)
鎌倉や海のことは覚えているが、江ノ島の記憶がほとんどない。
もちろん見た記憶はあるのだが・・・。

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島に渡って、参道から鳥居を見た時に、
あぁ、確かここに来たことがあるなぁと思った。
それにココどこかに似てるな〜とも思った。
あ、そうだ!琵琶湖の竹生島に何となく似てる!
やっぱり島だからかな?と思ったのだが、
それだけでなかったことが、一番上まで行ってわかった。

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江島神社は結構な石段を上がらないといけない。
本殿について説明書きを見て知ったのだが、
ここ江島神社は日本三大弁天のひとつである。
たつやが似ていると思った竹生島(都久夫須麻神社)と
広島県にある宮島(厳島神社)そして江の島(江島神社)が
日本三大弁天と呼ばれている。
なんとなく似ているという感覚はまんざらでもなかったのかも。

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こういう場所に行くと、明治に入ってからの廃仏毀釈は、
今になって考えればとんでもない悪法だったと感じる。
我々は神社とお寺が一緒ということに違和感を持つ時代に生きているが、
数千年の歴史の中で自然に培われた神仏習合は、
日本人にとって当たり前の文化として根付いたはずだ。
この江島神社に弁天様があるのは、当然のこと。

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ちょっと調べてみるとこのような記述があった。
江戸時代までは弁財天を祀っており、江島弁天・江島明神と呼ばれた
明治元年(1868年)の廃仏毀釈により、
三重塔の他多くの仏教施設や仏像などが破壊された。
明治6年(1872年)には、仏式を廃して神社となり
「江島神社」へ改称、県社に列せられた。
同時に僧侶は全員僧籍を離れて神職となり、
岩本院は参詣者の宿泊施設としても利用されていたことから、
旅館となり「岩本楼」へ改称した。

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辺津宮の本殿でお詣りをして、
右手にある八角形の奉安殿に入った。
ここには、神奈川県の重要文化財に指定されている
八臂弁財天(はっぴべんざいてん)と、
日本三大弁財天のひとつとして有名な
裸弁財天の妙音弁財天(みょうおんべんざいてん)が安置されている。
江戸時代には、この江島弁財天への信仰が集まり、
江の島詣の人々で大変な賑わいを見せたという。
その時代からいったいどれくらいの人たちが
この弁天様にお詣りをしたのだろう?
奉安殿の中で、そんな風なことを考えていた。

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それにしても何と気持ちのいい日だったことだろう。
島から帰る橋の上から下を覗くと、
ワンちゃんが気持ち良さそう?に泳いでいました。
富士山も向こうに見えました。

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posted by たつたつ・たつや at 22:55| Comment(0) | TrackBack(0) | 旅先にて・国内編 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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