左手に大きな黒い建物が見えた。
屋上には、ブロンズの彫刻が設置され、
たつやを見下ろしていた。

建物の門には、『朝倉彫塑館』と書かれていた。
どうやらここは有名な彫刻家のアトリエ兼住宅らしい。
お恥ずかしい話だが、その彫刻家、朝倉文夫のことは知らなかった。
看板の説明書きを読んでみると、
明治から昭和にかけて活躍した彫刻・彫塑家であった。
この建物は昭和3年に着工し、完成したのは昭和10年。
ということは完成まで7年を費やした?


朝倉彫塑館は美術館になっているので、
一般入館料500円を払って、中に入った。
昭和初期の建物の風情がそっくりそのまま残っている。
鉄筋コンクリート作りのアトリエの一階には、
朝倉文夫の作品が並べられている。

たつやは今までにじっくり彫刻を見ることはあまりなかったが、
これらの作品には本当に心魅かれた。
今にも動き出すかのような躍動感。
若い男の人や女性の裸像は、
ヒトとしてのカタチの美しさを伝えてくれる。
若い頃には感じなかった若いということへの眩しさを感じた。

鉄筋コンクリートの建物の内装は、すべて洋式である。
本が2階吹き抜けの高さまで、4つの壁に沿って、
並べられている部屋がある。
いったいどれだけの読書家だったのだろう・・・。
と同時に、
上の方の蔵書を取り出すにはどうやったのだろう?
という素朴な疑問も湧いてきた。

続いて、数寄屋造りの自宅を見学したのだが、
もうここはとっても文字で表現が出来ない。
最初に完成まで7年?と思ったことが、この造りを見て納得した。
贅を尽くした・・・という言葉があるが、
この建物以上の建造物を見たことがなかった。
いろいろと説明したいが、
建物の内部や作品の写真撮影は禁止されていることもあって、
とてもブログで伝えることは不可能だ。
もし東京に行く機会があれば、是非訪れてみて欲しい。
特に建築関係やデザイン関係、美術関係の人には見て欲しいと思う。

朝倉彫塑館は朝倉文夫のアトリエと住宅から成り立っているが、
朝倉自らが設計し、細部に至るまで様々な工夫を凝らしている。
設計士=施主=スポンサーだからこそ成し得た建物なのだと感じた。
朝倉はここを「朝倉彫塑塾」と命名し、芸術家の育成に力を注いだそうだ。
このアトリエには何人もの弟子が住み込みで勉強していたらしい。
こんな環境の中で素晴らしい先生に教えてもらえたお弟子さんは、
幸せだったろうなぁ。。。

また屋上は庭園になっている。
今では屋上の緑化とか菜園といったことも珍しくなくなったが、
朝倉は昭和初期から、家族や弟子たちの食べる野菜を作っていたらしい。
大きなオリーブの木が印象的だった。
さっき下から眺めたブロンズの像は、この位置から下を眺めていた。
この数寄屋作りの自宅を観終わって、
いったいどれくらいのお金がかかったのだろう?
その収入源はどこだったのだろう?
といういささか邪推な疑問を持った。

朝倉文夫という人は、人物彫刻を500とも600とも制作しているという。
その大部分がオーダーメイドというカタチで作っている。
当時、そういう依頼をすることが出来たのは、
実業家やハイクラスの暮らしをしていた人たちなのだろう。
例えば、一体500万円として、500体で25億・・・
だとすればこのアトリエと住宅で10億くらいかかっても大丈夫か・・・
最後はお金の話になってしまいましたが、
本当に素晴らしい建築物で感激しました。
朝倉彫塑館、
東京タワーもスカイツリーもいいけど、
お江戸に行かれたら、行ってみてください!

朝倉 文夫(あさくら ふみお)
1883年(明治16年)3月1日 - 1964年(昭和39年)4月18日
は明治から昭和の彫刻家(彫塑家)である。
号は紅塐(こうそ)。
「東洋のロダン」と呼ばれた。
舞台美術家・画家の朝倉摂(摂子)は長女、彫刻家の朝倉響子は次女。
朝倉彫塑館
東京都台東区谷中7-18-10
03-3821-4549
http://www.taitocity.net/taito/asakura/
頑張るたつやに愛のポチを^^;

記事:2523
さらに昔に、邸内のもっと広い範囲を見学した記憶もあるのですが。
ここへ行った時に、絶対にkikouchiさんは来ていらっしゃるだろうなぁ・・・と思いました。
2008年に訪れていたのですね。その後、改修で長い間、閉鎖されていたようです。
たまたま目的もなく、下町散策をしていて見つけたのですが、もしかするとお導きしていただけたかなぁと思っています。
撮影は禁止でしたが、建物内はほとんどの部分を公開しているようです。また谷中方面に行かれたら、覗いてみてくださいませ。
あの辺りはとっても風情があっていいところですね。
今度のお墓参りの時でも、是非覗いてみてください。
感動すると思いますよ。