2015年10月01日

たつやのトウキョウ見聞録@谷中辺り

花のトウキョウは若い頃の感性と今の年齢になっての感性では、
楽しみ方も、興味をそそられる方向性も、まったく違うと思う。
若干20歳そこそこで、東京生活を数年経験したところで、
生きてる時間が短い分、
楽しみ方を知らなかったという方が正解かもしれない。

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最近になって、東京へ行く機会が何度かあって、
その度に、ちょっと知らないトウキョウを歩いてみようと、
思うようになった。
昔はなかったスマホの乗り換えナビを使って、
電車に乗って、感性の赴くままにまち歩きをしている。

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少し前にトウキョウに行った際には、
昭和を楽しみたいと思って、西日暮里から日暮里、谷中辺りを目指した。
西日暮里の駅を降りると山手線の外側が小高い丘になっている。
その坂を上ってみる。
思ったより高いところに出た。
ほどなく公園がある。
その隣の第一日暮里小学校の入口に、
高村光太郎直筆の書『親切正直』を象った石碑があった。

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やがて、その辺りは神社がお寺が密集するエリアとなる。
最初に訪れたのは、諏方神社。
東京という町は、思ったより緑の多い町だが、
この神社は、高台の一等地にあって、自然がたっぷり残っていて、
とてもいい波動を感じた。、
なので由緒のあるお社ではないかと思った。

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福井に帰って来てから調べてみると、こんなことが書かれていた。
諏方神社は、元久2年(1202)豊島左衛門尉経泰が
信州諏訪神社より勧請して創建したといいます。
江戸期には慶安2年(1649)には社領5石の御朱印状を拝領、
日暮里(新堀)村・谷中町の総鎮守として崇敬を集めただけでなく、
日暮の里<ひぐらしの里>として江戸有数の景勝地としても有名だったといいます。

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確かに諏方神社から、山手線や広がる関東平野を見下ろす景色は、
一見の価値があると感じた。
おそらく江戸の頃なら、
遥か彼方まで広がる江戸の町を一望できたのではないかと思う。
たまたま訪れた神社では、いつもココに来れたことを感謝してお詣りをする。
神様には一言お願いして、写真を撮ったりする。

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まだ町歩きは始まったばかりなのに、とても気になる看板を見つけた。
swiss mini・・・どんなところなんだろうと覗いてみると、
いきなりアルプスに来たような、立派なログハウスが見えた。
この店でお茶と手作りパンで、ちょっと遅めの朝食をいただくことにした。
ちょうどウッドデッキにもテーブルがいくつか並んでいて、
ちょっとしたオープンカフェを楽しむことが出来る。

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店内でパンを選んで、外で待っていると、
大変なことに気が付いた。
さっきまで持っていた携帯がないのだ!
えっ、どっかで落とした?
置いてきた?
お店の方に事情を話して、探しにさっき来た道を戻った。
諏方神社では写メを撮った記憶があるので、
多分、境内の何処かにあるはず・・・。

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しかしながら携帯は見つからない。
一旦、swiss miniに戻ることにした。
お店の方に電話をお借りし、鳴らしてみたが、
近くで音はしなかった。
何度目かのコールで、もしもしという声が聞こえた。
「もしかしてこの携帯の持ち主の方ですか?」

「はい、そうです」

「神社の社務所でお預かりしています」

あぁ、良かったぁ!
すぐに神社の社務所に行き、
無事に携帯が戻って来たのだった。
下町散策はそんなありたがいスタートとなった。

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昔ながらのやり方で一枚一枚手焼きしているおせんべい屋さんです。

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posted by たつたつ・たつや at 23:04| Comment(0) | TrackBack(0) | 旅先にて・国内編 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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