冬休みを選んで、北海道で出会った同い年で、SLマニアの
気仙沼4人衆に会いに行くことにした。
4人全員が集まってくれて、たつやを歓迎してくれた。
その頃、東北でさえ蒸気機関車は姿を消してしまっていたが、
宮城から岩手へ行けば、珍しい機関車に会えるという話を聞いて、
何人か(はっきり覚えていない)で、宮古まで行った。
気仙沼駅から、リアス式海岸を北上する路線を乗り継いで、
山田線に乗り換え、海岸線を北上し、宮古まで行った。
宮古駅からほど近いところにラサ工業という会社があった。
駅からラサ工業まで、引き込み線があって、
その時、工場内で働いていた珍しい蒸気機関車があった。
C10型機関車。
製造番号8
C10-8というナンバープレートを付けたロートル機関車だった。
人を乗せることはなく、会社構内の貨車を引くだけで、
ちょっぴり悲しげな機関車に思えた。
ラサ工業では、入る際に名前と住所などを書けば、
誰でもが、構内に入って写真を撮ることが出来た。
やっぱりこの時代はすべてがのんびりしていた時代だったのだろう。
たつやたちは、時間を忘れて、機関車の写真を撮った。
冬の東北の工場内はまさにモノクロームの世界。
蒸気機関車もまさにそうだった。
カンカンカンカンという鉄を叩く音と、
機関車の吐く蒸気の音が、工場の中で木霊していた。
さて、大井川鐡道では、まさかのこの車両、C10-8と再会した。
それこそ40年近い歳月を経て、あの東北の海沿いの小さな町の工場の中で、
少し悲しげに働いていた機関車が、ここではピカピカに磨かれて、
今でも現役バリバリで仕事をしていたのだ。
運転している機関士さんも機関助手さんも、たつやよりぐっと若い。
笑顔を絶やさず、お客さんに声をかけ、運転台を見学させてくれたり、
写真を撮ってくれたり・・・
仕事とはいえ、本当にここが大好きなのだろうというのが伝わって来る。
夏の蒸気機関車の運転台はきっと摂氏60度以上あるだろう。
そんな過酷な環境の中にあっても、仕事への誇りと愛情を絶やさない。
1930年生まれの幸せなC10-8機関車。
仲間はすべていなくなったけど、御年86歳のスーパースター。
大井川鐡道マンの愛情をたっぷり受けて、
第3、第4の人生がこの地で育まれている。
千頭駅から、この機関車が牽引する車両に乗った。
あの懐かしい木製の客席。
窓は自分で上げ下げが出来る。
汽笛がなって、ガタンという音と同時にゆっくり動き始めた。
どうしてだろう。
こんなに幸せなのに、涙が流れた。
ありがとう!大井川鐡道。
ありがとう!C10-8機関車。
まさかここで再会するなんて・・・
C10蒸気機関車(Wikipediaより抜粋)
C10-8が動態保存されており、1997年10月14日から
大井川鐵道で保存運転を行っている。
この機関車は、廃車後に岩手県宮古市のラサ工業に譲渡され、
同社宮古工場専用線で使用されていたもので、
専用線の廃止後は宮古市内で1987年7月19日から
1989年10月11日の期間、「SLしおかぜ号」として保存運転が行われていた。
しかし専用線は海沿いを走るとはいえ、
実際には堤防沿いを走るので海はほとんど望めず、運行休止後は休車となった。
その後、適当なタンク機関車を探していた大井川鉄道と
譲渡先を探していた宮古市と意見が一致したため1994年に譲渡されたものである。
外観はC11形・C12形と同様のタンク機関車だが、
リベットを多数使用しているので、古典的な雰囲気が出ている。
同機はC11-227と同じく単機では客車4両まで牽引できる。
なお、同機の大井川鉄道への譲渡話は、ラサ工業時代から度々あったというが、
最後までなかなか結論が出なかったという経緯を持っている。
現存するC10形はこの8号機が唯一で、それ以外の車両は廃車後、すべて解体処分された。
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