雪の降り始めのあの独特の美しさは心が洗われます。
たつやのブログでも心が洗われたらうれしいな^^
今年の正月は本当に大雪で、何処へも行くことが出来なかった。
その時は仕方ないと思っていたのに、しばらくして雪が少なくなってくると、
また旅気分が沸々と湧いてきて、じっとしていることが難しくなってきた。
雪はほんの降り始め、木々にうっすらと雪化粧する頃が一番きれいだ。
雪化粧・・・なんて表現できる日本人の感性が素晴らしいと思う。
今年はドカンと来て、しばらくしてそれが消え、
また雪が積もる、と言ったサイクルで推移している。
毎週のように仕事で小浜へ行っているにも関わらず、
ハンドルを握って出かけた先は、気がついたら小浜だった(笑)
小浜には不思議と何度も行きたくなるエリアがある。
何度かこのブログでも紹介しているが、
若狭でももっとも波動の高い場所だと感じるのが、
若狭姫神社、若狭彦神社、神宮寺、鵜の瀬エリアだ。
雪のせいか、姫神社には他にも参拝に来られていた人はいたが、
彦神社と神宮寺はお人払いがされているかのように、
じっくり時間を過ごすことが出来た。
特に神宮寺は昨年3月に、神事お水送りの際に来たことがあったが、
その時はお寺の外で待っていただけだったので、
今回は誰にも邪魔されることなく、
本堂の中で静かな時間を過ごすことが出来た。
入口の古びた杉板で出来た箱の中には草鞋が入っていて、
それに履き替えて、本堂へ入る。
外は雪に覆われていて、本堂の中は息が白くなるような寒さなのに、
凛とした硬い空気感が心地よく、寒さを忘れてしまう。
格子戸の向こう側にご本尊である薬師如来坐像が見える。
正面には畳が数枚敷いてあるので、その場に座ってみた。
何も音が聞こえない空間の中にいると、不思議な感覚がする。
時間という概念が変わっていくというか、
今がいったいいつの時代なのかがわからなくなるようだ。
雪の中を、お水送り神事の源である湧水がある閼伽井(あかい)
まで、長靴に雪が入らないように注意して歩いた。
底からコンコンと湧き出る清らかな水。
この水を汲んで、この先にある鵜の瀬の川へ流すと、
奈良東大寺二月堂の若狭井へ届くという霊水。
東大寺ではこの水を飲むと無病息災が約束されるという。
その源流の水をありがたくいただくこととした。
そのすぐ横にある椎の木の巨木。
幹の部分が螺旋状にねじれているのがわかる。
よほどこの地のエネルギーが強いということなのだろう。
この木の横に目を瞑って立つと、地面が回転してるのがわかる。
神宮寺自体がエネルギー体なのではないだろうか。
一か月半後の3月2日にはこの地区でお水送り神事があります。
たつやは今年も参加するつもりです。
興味のある方はご一緒しませんか?
神宮寺
山号霊応山 天台宗。
若狭一の宮の神願寺として成立、縁起によれば元正天皇の勅命により
和銅7年(714)に泰澄大師の弟子沙門滑元の創建したといわれています。
鎌倉初期、若狭彦神社別当寺神宮寺と改名、
七堂伽藍二十五坊を誇りましたが、豊臣時代に寺領を没収され、
さらに明治初期の廃仏毀釈によって衰微しました。
本堂は、室町時代末期、天文22年(1553)越前守護朝倉義景が再建しました。
大きさは間口14.34m、奥行き16.60mです。
建築様式は、和様を主体にしたなかに、
木鼻に天竺様繰形、唐用束梁などの大陸の技法が用いられており、
妻飾も軒隅の反転とともに華麗な姿を表しています。
仁王門は、神宮寺北の玄関口で、間口6.37m、奥行き3.64m、棟高5.5mで
8本の柱の上にこけらぶきの屋根がのっていました。
構造や規模は簡素ですが、
珍しい形をした蓑束などの様式は室町建築の先駆とさえいわれています。
両端に安置されている木造金剛力士像には、至徳2年(1385)の墨書がみえます。
毎年3月2日、奈良東大寺二月堂に香水を送る「お水送り」神事を行っています。
若狭では、お水送りが終わると春が訪れるといわれています。
神宮寺所蔵の木造男神・女神坐像は、国の重要文化財に指定されています。
室町初期の作で、男神像は衣冠束帯(像高49.1cm)、
女神像は小袿姿(像高50.9cm)、若狭一の宮の神宮寺奥の院に伝えられたの神像です。
波動を上げたい人はココをクリック〜〜
記事:2424