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放生祭が小浜の人にとっていかに大切な行事なのかは、
町を歩いているだけで、ひしひしと伝わって来る。
老若男女誰もが、この日のために様々な準備をするのだろう。
この祭ではそれぞれ山車、獅子、神輿、大太鼓、神楽という
5種類の異なる演し物が24の区に分別されていて、
中には江戸時代の祇園祭礼から300年以上続くものもあるという。
そのため、祭の演し物は子どもの頃から、
当たり前のように、練習を重ねて、祭を迎える。
笛や太鼓を楽しそうに、しかも上手に演奏する子どもたちを見てると、
彼らは、理由もわからないまま、心と体の中に、
この歴史ある放生祭が刻み込まれるのだろうと思った。
旧市内を歩いていると、たくさんの人やお店が並ぶが、
以前に比べたら、お祭もかなりさみしくなったという話も聞いた。
こんなところにも、少子化の影響がまざまざと映し出される。
昔は夜店がいたるところに出ていて、
一日中、大人も子どもたちも祭を楽しんだそう。
言われてみれば、子どもたちの姿が少なかったかも知れない。
たつやも子どもの頃は、夜店が並ぶお祭が大好きで、
自転車に乗って、隣町の祭に出かけていたものだ。
裸電球の明かりと、祭の喧騒、神社の境内から聞こえてくる踊りの歌、
食べものよりもっぱらパチンコやスマートボールなどが好きだった。
しばらく歩いていると、黄色や赤の衣装をつけた獅子の地区を見つけた。
カツラを被った若い子たちが、舞や戦いを演じるのだが、
これがなかなか面白く、興味深い。
午後の日差しが一番強くなった時間帯だったこともあってか、
出番でない獅子たちは、周りに座って休みながら、
他の獅子を眺めていた。
ホームページを見るとこのように書かれている。
老若二匹の雄獅子と一匹の雌獅子が、笛と歌に合わせて、
胸につけた締太鼓を打ちながら舞う。
この三匹獅子舞は藩主酒井忠勝が
旧領地の武州川越から演者を連れてきたもので、
江戸時代の祇園祭礼には武家「関東組」の人々によって演じられていた。
明治維新以後、一番町(雲浜獅子)と、
この放生祭に奉納する4区が習い伝え伝統を守っている。
玉前区
明治24年に旧関東組の人々から伝授を受け放生祭に獅子を奉納するようになった。
江戸時代には「大黒山」を出していたため、本陣飾りに大黒天の人形が残る。
今年はようやく念願叶って、小浜の放生祭に初めて行くことが出来たが、
見ることが出来たのは、ほんの一握りだった。
時間があまりなく、途中で帰らなくてはならないことが残念でならなかった。
また来年とか再来年に、たっぷり時間をとって、再訪したいと思っている。
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