それはあまり過去のことを書かないことでした。
十年ほど前に大好きな井上陽水さんがテレビのインタビューでこんなことを話していました。
僕らの世代になると、自分の中には圧倒的に過去が増えてきて、
同世代が集まると過去の話ばかりしている。
未来の話があまりない…
当時の陽水さんは今のたつやの年代だったと思います。
たつやにもたくさんの過去があって、そういうことをブログに書き始めると、
過去ばかり書いてしまいそうで、意識してあえてそうしていました。
ですが、最近は過去があって今につながることがあまりに多いことと、
いくつもの過去の経験が重なって起こる奇跡があることを実感しています。
今日のブログはたつやの中で起きた奇跡です。
偶然だというにはあまりにも数奇な出来事でした。
今日のブログは長い話になりますが、先日起こった奇跡の話を聞いてください。
9月10日に鯖江にある本山誠照寺の本堂にて、
5回目の鯖江市地域活性化プランコンテストが開催されました。
これは日本全国から24名の大学・大学院生が集まり、2泊3日お寺で寝泊まりし、
鯖江市長になって、鯖江を活性化させるためのプランを考え発表するというものです。
たつやも毎年、何らかのカタチで関わらせていただいているので、
今年もそのプレゼン発表会を見せてもらいました。
発表が終わり、帰ろうとしたたつやに、
その中の一人の女子学生が声をかけてくれました。
「私、藤田さんのことずっと前から知っているんです。
小学校5年生だった2002年に夏のみらい塾に参加していて・・・
藤田さんが実行委員長だったんですよね。
私、今はみらい塾のスタッフとしてお手伝いさせてもらっているんです。」
たつやにとって、みらい塾は10年も前のことで、
もう終わった過去のことだと認識していたのに、
知らないところで、こんな素敵な女の子が育っていたのだと、
正直とてもうれしかったのです。
その日の夜にたつやは本当に久しぶりに当時の写真や記録集、
そしてスタッフが持っていたファイルなどを眺めていました。
私が夏のみらい塾の実行委員長をした2002年は、
『いっしょにつくろうピカピカの思い出』をテーマに
子どもたちと池田の土合皿尾地区で地区の人を交えて、
昔の夏祭りを復活させようという企画でした。
そのため、婦人会のおばちゃんたちに
子どもたちと一緒に昔ながらの伝統料理を作るということをお願いしました。
その夏、私は池田に通うこと80回余り。
最初はそっけなかったおばちゃんたちも、本番前には
もうめちゃめちゃ仲良しになりました。
みらい塾が終わった後もおばちゃんたちとの個人的な交流が続いていたたつやは、
いつかおばちゃんたちに何か恩返しをしたい・・・と思っていました。
そして2009年、私が石窯を作った年におばちゃんたちを招待し、石窯ピザを御馳走しました。
その時にたまたま福井在住の音楽ユニットナナ・イロのふたりも一緒に参加し、
そこで池田のおばちゃんたちとも仲良しになりました。
その後も池田のDさんとナナ・イロさん、私とのお付き合いが続き、
毎年秋にはDさんの家に遊びに行って、皆でご馳走をいただいています。
そして昨年の秋には写真のように池田町の老人福祉施設『幸寿苑』で
ナナ・イロのライブを開催しました。
これはこの施設で、Dさんの今は亡きお姉さんがお世話になっていて、
その恩返しのためにDさんがプレゼントしたライブでもありました。
一昨日、今立に行った帰りに小腹が空いたので、
私が30年近く通っている大好きなお蕎麦屋さん『大福』へ行きました。
たまたま月曜日にあった地域活性化プランコンテストの話から、
大福のおばちゃんの実家がその鯖江のお寺「誠照寺」だということがわかりました。
たつやがおばちゃんの実家ってどこなの?って聞くと、
その老人福祉施設『幸寿苑』がある池田町の集落だったのです。
話をしていくうちにおばちゃんのご両親ともがこの施設にいて、
今は二人とも亡くなったということを知りました。
私が幸寿苑で昨年の秋にナナ・イロさんのライブをお願いしたという話をしたら、
その頃ならお父さん生きていた頃やね・・・と言いました。
そのライブの様子を一曲分『上を向いて歩こう』だけを、
アイパッドの動画で保存してあることを思い出し、
もしかして・・・とおばちゃんと一緒にビデオを見ていると、
何とそこには元気だった頃のお父さんが写っていたのでした。
しかも時々カメラの方を向いたり、歌に合わせてリズムを取ってる様子が写っていたのです。
何という偶然なのでしょうか・・・。
おばちゃんは奥さんは涙を流して、
あ、お父さ〜んと言ってアイパッドに向けて手を振りました。
そして「あ〜、元気だったお父さんに会えたぁ。。。ありがとう』
1985年に『かるちゃあがいどふくい』というミニコミ誌を発刊していて、
その中で越前そばの特集をして、そこから大福さんとのお付き合いが始まったこと。
2002年・2003年にみらい塾の実行委員長をしていたこと。
2003年に弊社100周年を記念して『萬福そば天国ふくい』出版したこと。
その一冊目は大福の亡き親父さんに捧げたこと。
2008年にナナ・イロさんと知り合い、
その秋にワンマンライブ〜あ・り・が・と・う〜を開催したこと。
2008年に石窯を作ったこと。
2008年から鯖江市地域活性化プランコンテストのお手伝いをさせてもらっていること。
いろんなことが重なり合って、今回の奇跡があったのだと思います。
そして家に帰ってその日のライブの写真を探したら、
まさにおばちゃんのお父さんとナナ・イロのみっちゃんが満面の笑顔で、
握手をしている写真が見つかったのでした。
この写真は大福のおばちゃんのところへ持っていきたいと思っています。
実は、その後またこんな偶然があるの?ということがありました。
というのは、お父さんが亡くなって、9月12日が49日だったのです。
たつやが大福さんを訪ねた日はその前日だったのでした。
斎藤一人さんの本『上気元の奇跡』に出会ってから、約3ヶ月。
たつやも毎日を上気元(上機嫌)で生きようと決めてから、
本当に毎日のように上気元の奇跡が起こっています。
毎日、幸せ〜幸せ〜って言ってると、本当にまた幸せがやってくるのです。
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そのきっかけはたつやさん。
素晴らしい出来事を聞いて僕もすっかり引き込まれました。
Ipadで再開ってなんだかいいですね^^;
ありがとうございます^^
人の縁を運んでくるのも、その人の力だと思うんですよね。
私がプランコンテストのことをたつやさんに相談しに行ったときに、もうその縁は作られていく運命だったのかも・・・
いろんなご縁がつながってのこんな素敵な奇跡が起きたのだと信じています。
確かにipadっていうのが、現代ですね^^
こんな風に神様からプレゼントされたような出来事を幸せに思います。
貴女の地域活性化プランコンテストの話を聞いた時には、絶対うまくいく!って確信していましたよ。
あれから5年、継続することで当初は予想も出来なかった奇跡がいくつも起こっていますよね。
一生懸命人のために動いた人には、奇跡が次々と起こるのだそうです。
mkiちゃん、感謝しています。