悪ガキだったたつやは、小学校から家までの間、まっすぐ帰ることは皆無だった。
今、考えたら立派な犯罪だが(当時でも犯罪かぁ・・・)
よそ様の家の庭になっていた果実をよく黙っていただいた。
のんびりした時代だったので、見つかっても、ちょっと怒られる程度。
たつや自身も、これくらいいいんでないんけ?と思っていたことも事実。
密かに学校周辺のどこの家に、どんな食べ物があるかの地図を作っていた。
栗、イチジク、柘榴、ナツメ、ビワ、柿・・・
そのどれもが、9月〜11月に集中していたので、
その時期がくるのを心待ちにしていた。
どこの家にどんな栗の木が・・・どうやってブッロク塀をよじ登ったか・・・
ということは不思議と今でもはっきり覚えている。

武生のそばやさんの帰り、立派な柘榴の木を見つけて車を停めた。
そこにいたおばちゃんに聞いたら、この木は100年以上経つらしい。
口に含んで、種の回りにわずかについた赤い実の果汁を吸って
その後、種を一気に吐き出した時の快感を思い出した。

柘榴の色、形、味、香り、食感、触感、
人間の思い出は、本当に五感とともに残っている。

最近は柘榴も見なくなりましたね。
私の思い出は、2000年に中国に行ったときのこと。
移動中の車中でザクロをもらって食べました。
食べかすはどうするのかな?と思っていたら、
ガイドさんが『こうするんです』と、
口から車外へプププププ、とはき出す。
皮も窓からポイ。
ちょっとできんなぁ、文化の違いかなぁ、
と感じた一幕でした。
やった人でないとわからないでしょうね。
柘榴の味より、種を出す方が楽しかったです。
中国の人もプププププですか^^;
ま、いいんじゃないですかね。
ちゃんとバクテリアが分解してくれますから。
柘榴の写真もきれいに録れていますね。
温かい日が続いていたので、私の所では紅葉もまだまだです。ここで、秋を見つけることができました。
柘榴の実は見たことがありますが、実がはじけているのを見たのは初めてです。食べたこともありません。
実がはじけている柘榴を見ていると、恋をしている女心を連想してしまいます。
花を咲かせて、愛情の実が成って、熟してはじけていく気持ち。情熱的な女性に思えます。
あのころは、「なりもん」(庭などの果実)は子供のオヤツやったがの〜〜
よその家のカキやザクロ・イチジク盗っても、あんまり怒られんかったし、僕も近所の「なりもん」網羅してた。
でも、やり過ぎはあかんの。
木を切り倒してイチジク取ったり、柿木から落ちたり、隣の家の柿を取りに上がって、屋根を壊してもたり・・・
あげくに小学校の5年生の夏に禅寺に放り込まれてもた(T_T)
わざわざ書き込みありがとうございます。
柘榴って、たくろって読んじゃうのは、拓郎ファンだけかな〜?
ちょい、似てますよね^^
柘榴から、恋する女心を連想する辺りが素敵ですね。
佐恵子さんのブログの文章は、心に響きます。
柘榴、一度食べてみてください。
ちょっと酸っぱいですが、粒ひとつひとつが、
宝石のように輝いているんですよ。
回りに誰もいなければ、種をププププププーって
飛ばしてみてくださいね、快感ですから。
なりもんって言うんやね。
柿と取ろうとして、屋根壊した???
秋は実りの秋やね!
だけど、熊さんたち、食べ物なくてかわいそー。
生きるために、怖い人間のところまで降りてくるんやもんな。
どんぐりをヘリコプター(リモコンのでもいい)かなんかで、
空からばら撒いたらどうやろ?