2012年02月13日

旧大和田銀行本店@敦賀市

比較的若い頃から、古い西洋建築物が何となく好きだった。
たつやが共通して魅了されるのは、やはり新しいものではなく古いもの。
建築物でもやはり昔の建物に魅かれる。
例えば、小学校の木造校舎や古い西洋建築。
このブログでも滋賀県を中心に見て回ったヴォーリズ建築や、
旅先で出会った古い西洋建築や学校なども紹介している。

DSC_4881.jpg

たつやが記憶しているだけでも
10年前には残っていた建物が、今は取り壊されてしまった・・・
という建築物は片手では足りない。
取り壊すのは一瞬だけど、もうそれを取り戻すことは出来ない。
だから何とかして保存していって欲しいものだが、
民間とすれば維持管理がかなり大変なことも理解できる。
そこで行政が関わっての保存となることが多いが、
近年の財政圧迫で、それもなかなか難しくなっているようだ。

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さて、福井県内にもいくつか好きな建物があって、
敦賀市にある旧大和田銀行本店
現、敦賀市立博物館もそのひとつである。
実はこの写真を撮ったのは、だいぶ前のことだが、
なかなか紹介しきれずに、そのまま放置していた。
外観もさることながら、中の天井や柱などが
古い西洋建築の特徴的な作り方となっている。
漆喰を使った天井飾りはいろんなところで見てきてるが、
やはりここも職人の魂を込めた仕上がりとなっていた。

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専門的知識がないのが残念だが、
建物を作る上で、設計する人も、それを作りあげる人にも、
プライドをかけた装飾やデザインに技を施す・・・
それは決して建築構造上、必要なものではないが、
あえてそういうところに
コダワリと細密さを盛り込んでいるように感じる。

DSC_4941.jpg

明治終りから大正、昭和初期に至る西洋建築物は、
戦災や災害を乗り越え、誰かが大切にすることで
今に続いている。
これからもひとつでも多くの歴史ある建造物を
後世に残して行って欲しいと思う。

DSC_4942.jpg

wikipediaより抜粋
大和田銀行は、1892年(明治25年)に、
敦賀の大商人であった大和田荘七によって設立。
1918年(大正7年)に株式会社組織に改組。
福井県内において福井銀行と並ぶ有力銀行として、
大阪市内にも支店を有し、大正7年には大阪のコール市場にも進出。
その後、大和田氏関係の銀行や嶺南地方の銀行を合併しながら拡大するも、
福井県全域で幅広く合併を繰り返した福井銀行との格差は拡大。
戦時下における一県一行政策に基づき、大蔵省、福井県は、
大和田銀行と福井銀行の新立合併を勧奨するも、
福井銀行が吸収合併を譲らず、
大和田銀行は1945年(昭和20年)10月
三和銀行に吸収合併される道を選び、歴史の幕を閉じた。

合併直後に敦賀市を除く福井県及び石川県内の旧大和田銀行店舗は、
福井銀行に営業譲渡された。
本店は、しばらくのあいだ三和銀行敦賀支店として存続したが、
その後同店は廃止となり、
結局福井銀行へ営業譲渡されることとなった。
一方大阪市内にあった2店舗ついては、
近隣店への統廃合を経て現在は、
三菱東京UFJ銀行として営業している。

敦賀市蓬莱町にある明治25年竣工の当行本店建物は
現在敦賀市立博物館別館として保存。
二代本店-昭和2年竣工の本店建物は、
京都の西陣会館、長崎の香港上海銀行とともに、
昭和初期を代表する建築物の一つ。
現在は敦賀市指定文化財に指定され、
敦賀市立博物館として活用されている。


DSC_4939.jpg

沿革
1892年(明治25年)11月1日:福井県敦賀町で個人経営の形式で設立
          (三和銀行史では明治27年7月設立)
1918年(大正7年)6月:株式会社に改組
1920年(大正9年)9月:大和田貯金銀行を合併
1936年(昭和11年)3月10日:敦賀二十五銀行を合併
1941年(昭和16年)3月:三方銀行を合併
1943年(昭和18年)12月1日:大和田貯蓄銀行を合併
1945年(昭和20年)10月1日:三和銀行に合併


DSC_4880.jpg

敦賀市立博物館
福井県敦賀市相生町7−8

開館時間:午前10時〜午後5時(入館は午後4時30分まで)
休館日:毎週月曜日(休日に当る場合はその翌日)
      休日の翌日(日曜日に当る場合はその翌々日)
      年末年始(12月28日〜翌年1月3日)
入館料:一般200円





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posted by たつたつ・たつや at 22:31| Comment(4) | TrackBack(0) | 旅先にて・福井県内編 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
小浜市では芝居小屋をどう扱うと議論中ですが、たつやさんがおっしゃるとおり、壊すのは一瞬。もし壊した後で同じものを作ろうとするとレプリカですから、改修以上のお金がかかります。耐震の方法がネックなんでしょうか。うまく解決してほしいと思います。ただ、小浜市のことなので外の者は口出ししてはいけません。内政干渉になりますから。
三国の旧森田銀行本店の保存は、市民の強い意志が福井銀行の取り壊し計画を覆しました。当時、小浜の洋風銀行は取り壊されたので、福井銀行の記事で、三國は保存・小浜は取り壊しと写真を並べて書かれ、小浜も残されなかったのかなあと思ったことがありました。森田銀行本店の保存が決まってからの、改修工事と運営方法の決定は僕が担当しました。運営方法における僕の方針はただ二つ。建物の美しさこそ売りなので、建物の良さを損なわいことと、リピーターが訪れる施設にすることでした。その結果として、オープンギャラリーとし、パネルは立てないという約束で運営を考えました。今はおかげさまで5万人ほど訪れています。事前学習で敦賀の建物を見に行ったときに、旧森田銀行本店は資料館にはしないと決心したことを覚えています。
Posted by 三国湊のスー at 2012年02月21日 09:07
三国湊のスーさん、すごいですねぇ。
そんな凄い方とはつゆ知らず、森田銀行ファンのたつやでした。
おかげで、あんなに素晴らしい建物が三国の町に残ったのですね^^
あらためてお礼を言わなくちゃ^^;です。
ありがとうございます。

さて、小浜の件は内政干渉と言わず、どんどん意見を言うべきだと思います。
そういう声が上がることで、地元の人の意識が変わっていくのではないでしょうか?
特にスーさんのような実績を持っている方が、
保存運動から今に至るまでの経緯を知る貴重な存在として、
意見を出されることにこそ、意味があるように思います。
それを小浜の人たちがどうするかは、わかりませんが・・・。
Posted by たつや at 2012年02月26日 14:13
僕はちっともすごくないです。ただ、博物館の学芸員が、文化課という総合的に文化を眺める仕事に就いて、音楽が好きだから文化未来館ホールを建てて企画運営の仕事をしたり、旧森田銀行本店や岸名家の整備では学芸員としての見識が役に立ったというだけです。三国の文化政策を展開する時代にたまたま僕が居ただけです。公務員としてできることを一生懸命に取り組んだだけですから、すごくないんです。
それで、僕はただ今、坂井市の市議会議員上出純宏という公的立場にあるため、他市のことは発言をしないことにしています。もちろん自分ならこうするというアイデアはもっていますけど。
外からおせっかいなアドバイスは、当該の地域の人たちのためにならないと思います。地域の人も耳を貸さないと思います。
どうしたいのかということを当該地域の人が真剣に悩むなら、自主的に学習して賢くなる努力をしなければいけません。民間の人は、誰に頼らず、自分で道を開かないといけないじゃないですか。行政は、もっともっと情報を集める必要があります。あの手の運営の成功例は全国に山ほどあります。上手くやってほしいと願うばかりです。
Posted by 三国湊のスー at 2012年02月27日 15:39
三国湊のスーさん、ありがとうございます。
公人なのですね・・・。
だとしたら、何となく理解できます。
いずれにせよ、大切にして運営して欲しいと願っています。
Posted by たつや at 2012年03月01日 00:04
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