当時もうなくなると言われていた蒸気機関車だった。
そのどこか人間的な姿に魅せられ、カメラを持って写真におさめた。
福井県内ではかろうじて越美北線に貨物を引くSLが走っていたのと、
敦賀に機関区があって、その中に小浜線の数台が残っているくらいだった。
近辺では、能登半島の七尾線で客車を引くものがあった。
しかし、中学生になったころには、近辺のSLは次々と姿を消し、
東北や北海道、九州などの一部になり、必然的に出かけるのは、
そんな遠いエリアとなった。
夏休みや春・冬の休みを利用しては、山陰や信州、東北を回り、
その姿をカメラにおさめた。
中学3年生の卒業式を途中で早退し、
そのまま北海道行きの列車に飛び乗ったたつやは、
生まれて初めての北海道14日間のひとり旅にでかけた。
そして高校一年生の夏,国鉄は全線無煙化となりSLは姿を消した。
やがて、写真を撮ることからの興味も薄れ、
鉄道からもカメラからも縁遠くなっていった。
しかし、静岡県の大井川鉄道だけは、社をあげてSLを取り入れ、
無煙化される寸前の昭和50年に4台の導入をする。
いつしか時は流れ、30年の歳月を経て、今年の春、
たつやはSLに再会した。
大雨の中、カメラを片手にSLを待つ間は本当に少年のままだった。
汽笛が聞こえる。
やがて雨に煙った前照灯が見える。
煙突から煙をはいて近づいてくる。


駅で再び、間近でみたSLは、五感を通して思い出す。
30年前の感動と全く同じ感動に包み込まれて、涙が流れた。

大井川鉄道沿線は、お茶畑が広がる

道に迷ったたつやを迎えてくれた一本桜。
雨に煙る桜と茶畑、山にかかる白い霧・・・ゾクッとするくらいの美しさ

今は亡きおじいちゃんとおばあちゃんに連れられSLに乗りに私、行ったんです
ブログの最初の頃に大井川鉄道の記事がありましたよね
実はその時物凄く感動したんです
写真を見ながらね・・
おじいちゃんの温かい手
おばあちゃんのにぎったおにぎり
トンネルをぬけたら窓から出していた顔に真っ黒のすすがいっぱいついていたこと
なんだかいっぱい思い出しちゃった
私にも子供の頃があったんだなって思わせてくれる写真って凄いと思うよ!!
このタイプは貴婦人と呼ばれる
C-- でしょうか?
私の子供の頃は 北陸線が電化されておらず
北麓トンネルもありませんでした
線路周辺は煤煙で洗濯物も干せないと
クレームがいっぱい合ったそうです
トンネルのたび 窓を閉めたことや
自宅を出るときはいい服
汽車の中は普段着
親戚が汽車を降りる頃いい服
と着替えさせられた。と言っていました(カミサン談)
いまは 懐かしい 思い出です。
大井川 まだいったことありません
そのうち たつやさんツアーで
連れて行ってください。
こっちが感動します。おおきんの〜
蒸気機関車って、とっても人間くさい感じがしてました。
それに機関士さんが、我が子を愛するように手をかけて
整備し、運転していたように感じます。
遠くから聞こえてくる汽笛の音、
近づいてくる煙の吐く音、
ガチャガチャと動く動輪の音、
誇らしげなプレート、
前照灯、黒い塊が少しづつ近づく。
煙の匂い
通り過ぎた後の石炭の味。
プラスチック部品やICとは無縁の
鉄の塊は冷たいけど、どこか温かい・・・
本当に五感を通してはっきり思い出すことができます。
また、大井川には行きたいと思っています。
そのちょっと小さい風貌から通商ポニーと呼ばれていました。
勿論、貴婦人と呼ばれていたタイプもあって、
それはC57です。
有名なのではD51でデゴイチと呼ばれてました。
これらは駆動する大きな鉄の車輪がいくつあるか、
ということでその番号が決まりました。
動輪が2つのものは頭にBが
3つのものはCが、4つがD、5つがEという訳です。
このSLはC11227というナンバープレートですが、
動輪3個タイプの11型
(11とうのはどうしてついたのかわかりませんが)
で、このタイプの機関車としては227台目の車両ということです。
このナンバープレートが当時欲しくて欲しくて
たまりませんでした。
3万円でした・・・買えませんでした。
だけど今持ってたら20万は下らないでしょうね。
大井川鉄道と、浜松うなぎを楽しみながら、
柿の種を語る会、行きましょう!