一週間が瞬く間に過ぎて、
一ヶ月が風のように過ぎて、
一年は加速度的に早く過ぎていきます。

つい先日、正月の準備をしたばかりという感じがするのに、
もう今日は新しい正月を迎えようとしています。
たつやの大晦日は、毎年同じことの繰り返しです。
創業以来、あまり変わらないのかもしれません。
ただ曽祖父も祖父もこうして正月の準備をしていたのだと思います。


ただたつやが子どもの頃の正月は、
一年でも最も楽しく賑やかな日でした。
うちは印刷業という商売をしていたので、
親戚や社員さんや、近所の人や友だちが、
大勢集まって、わいわい過ごしていました。


子どもながらに、大人の言う会話を覚えてしまい、
「旧年中は大変お世話になり、誠にありがとうございました・・・」
などという挨拶を真似したりしたものでした。
さて父に言わせると、うちの正月準備も随分簡素化したようですが、
ここ20年くらいは同じように準備をします。
誰もいない工場の中はしんと静まり返り、
今日のような天気だと、南側から光が差して、
いつもと様子が違います。


今日は部署ごとに小さなお餅のお重ねを添えて回るついでに、
誰もいない印刷工場の中を撮影することにしました。
弊社、合資会社藤田印刷所は創業が明治36年、1903年です。
そのため活版印刷全盛期の名残が残っていて、
写真を撮るには、ちょっと面白い場所かもしれません。

今年はさばえまちなかウォークラリーというイベントで、
80人近い一般の参加者が弊社を訪れ、
50年前の印刷と今の印刷を見学していただきました。
活字やその組版用の道具や材料は、
今、実際に使っているものはほとんどありませんが、
わずかに残してあります。

今ではパソコンで、『人』という文字を打てば変換されて、
好きな書体や好きな大きさで表現することができますが、
50年前は全部活字を使っていました。
なので同じ『人』という文字は、明朝体、ゴシック体、
教科書体、正階書体、太明朝体、太ゴシック体・・・など、
七書体ほど持っていなければなりませんでした。
しかも活字は6ポという小さな活字から、初号という大きな活字まで、
約9種類の大きさがありました。
ですから『人』という書体だけでも、7×9=63
63もの活字を持つ必要がありました。
それだけではありません。
活字は何度か使うと擦り減ったり、傷がついてしまうため、
良く使う活字は数十本単位で持っていたのです。

もちろん日本語にはひらがな、カタカナ、漢字が必要ですし、
アルファベットや数字も必要でした。
だからこそ、印刷物は高価であったし、
職人さんがいなければ生産できないものだったのです。
数千という種類の文字、その書体、大きさなど、
活字を置いてあった活字室で、文選と呼ばれる職人さんは、
原稿を片手に小さな活字の箱に、活字を拾います。
ベテランの職人さんになると、目をつぶっていても、
その字を拾うことができたそうです。

平成23年の大晦日は、毎年同じことを繰り返しています。
曽祖父も祖父も、そして父もたつやも、
108年に渡って、続けさせていただいていることを、
感謝し、また新しい年を迎えたいと思います。


本年もたくさんの方にここを訪れていただき、
また実際にブログを通してお知り合いになり、お会いしたりと
本当にご縁をたくさんいただいたことを、
深く深く感謝すると共に、
来る平成24年も、どうぞよろしくお願いいたします。
好き勝手なことばかり書いているブログですが、
ちょっと疲れた時に訪れてもらって、
少しばかり元気が出るような、
それはささやかなオアシスのような存在でいられたなら、
たつやとして、そんなにうれしいことはありません。
ありがとうございました。
実はたつや、毎日短くて1時間、最近は2時間かけてブログを書いているんです。
だからお願い!って言う訳じゃないんですが、
応援クリックは面倒だけど多分2〜3秒くらいで出来ると思うんです。
ご苦労さ〜んって感じで押してもらえたらやっぱ、うれしいです。
いつもありがとうございます。
アナタ様の応援クリックがたつやのエネルギー源なんです

ココ


1904記事目
あのラジオで話されていた方がもしかしてたつやさん?
今年もたつやさんのブログを見るのが
毎日の楽しみでした(^-^)
来年もたつやさんのペースで更新して
楽しませてくださいね
宜しくお願いしま〜す(^-^)
先日のラジオでお話しさせていただいた内容とおんなじです。
FMふくいでは通信員というお手伝いをしていて、
一ヶ月半に一回くらいは、鯖江の話を電話で話しています。
自分のペースで続けていくのも、
やっぱりそれないりにルールを決めないといけませんね。
2000まではこのペースで頑張るね♪