2006年06月23日

ヴォーリズ建築その1

102年前に来日し、日本全国に優れた建築物を残した。
ヴォーリズは日本名を一柳米来留(ひとつやなぎめれる)といい、
近江八幡市の名誉市民第1号になった。

1880年、アメリカで生まれたヴォーリズは、24歳の時に
滋賀県立商業学校(現在の八幡商業高校)の英語教師として近江八幡に赴任。
伝道活動を通じて教育や医療の分野に多大な功績を残したのはもちろん、
建築設計にも才能を発揮した。

全国に約1600ともいわれる建築物を残した。
人にやさしい、ぬくもりのあるデザインが特徴で、
大阪心斎橋の大丸百貨店、東京の山の上ホテルなども彼の作品。
ヴォーリズは近江八幡を終生愛し、83歳で亡くなるまで
この地を離れることはなかった。

代表的な建造物は近江八幡市にいくつか残されているが、今回は
ヴォーリズ記念病院ツッカーハウスの写真をアップしたい。

ツッカーハウス1.jpg

近江八幡市にあるヴォーリズ記念病院ツッカーハウス

ツッカーハウス3.jpg

左右対称に位置された八角形?の建物

ツッカーハウス2.jpg

入り口・内部は一般公開はされていない。

ツッカーハウス4.jpg

裏手から見たツッカーハウス

ツッカーハウス5.jpg

ヴォーリズは建築や近江兄弟社で得た私財を、公共の病院や学校、
などといった施設に費やした。
その彼に共感したアメリカ人ツッカー女史が遺産5千ドルを
寄付した建てられたのがこのツッカーハウスである。

現在も保存を訴える市民団体が結成されて、日々活動しているとのことだ。
ヴォーリズの精神もツッカー女史の想いも含めて、
この歴史的芸術的建物を是非、後世にまで残していって欲しいと思う。
posted by たつたつ・たつや at 13:15| Comment(0) | TrackBack(0) | 旅先にて・国内編 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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