ヴォーリズは日本名を一柳米来留(ひとつやなぎめれる)といい、
近江八幡市の名誉市民第1号になった。
1880年、アメリカで生まれたヴォーリズは、24歳の時に
滋賀県立商業学校(現在の八幡商業高校)の英語教師として近江八幡に赴任。
伝道活動を通じて教育や医療の分野に多大な功績を残したのはもちろん、
建築設計にも才能を発揮した。
全国に約1600ともいわれる建築物を残した。
人にやさしい、ぬくもりのあるデザインが特徴で、
大阪心斎橋の大丸百貨店、東京の山の上ホテルなども彼の作品。
ヴォーリズは近江八幡を終生愛し、83歳で亡くなるまで
この地を離れることはなかった。
代表的な建造物は近江八幡市にいくつか残されているが、今回は
ヴォーリズ記念病院のツッカーハウスの写真をアップしたい。
近江八幡市にあるヴォーリズ記念病院ツッカーハウス
左右対称に位置された八角形?の建物
入り口・内部は一般公開はされていない。
裏手から見たツッカーハウス
ヴォーリズは建築や近江兄弟社で得た私財を、公共の病院や学校、
などといった施設に費やした。
その彼に共感したアメリカ人ツッカー女史が遺産5千ドルを
寄付した建てられたのがこのツッカーハウスである。
現在も保存を訴える市民団体が結成されて、日々活動しているとのことだ。
ヴォーリズの精神もツッカー女史の想いも含めて、
この歴史的芸術的建物を是非、後世にまで残していって欲しいと思う。