その歴史について学ぶ機会やそういう資料に触れる機会がなかったが、
この度、めがね会館の中に明治〜大正時代の眼鏡の製造工程を
知ることができる貴重な場所が出来た。
たつやはそれを知らずに、有名人の眼鏡コレクションを見に行ったのだが、
アンティークが好きなこともあって、
そこにあった古びた道具や機械、机などに興味を持った。
その道具などがどのように使われたのか?
実際にこんな設備でどうやって眼鏡を作っていたのか?
そこには一人のおじさんがいて、
興味深そうに見ているたつやに声をかけてくれた。
何しろ動力のない時代。
今では考えられない手仕事の連続で作られていたのだ。
最初の工程は金属枠の合金を作るところ。
金と銅を熔かして合金を作るのだが、
その熱源は炭。
そこにフイゴで空気を送り温度を1000度近くまで上げる。
しかし金は1064℃、銅は1084℃で熔ける。
炭だけでは温度が上がりきらないということで、
それにコークスと松ヤニを加えて最後の100℃を上げるのだそうだ。
熔けたものを型に流し込み合金の延べ棒を作る。
その後はハンマーで叩いて伸ばす。
ある程度の細さにまで仕上げた後は写真のような大型の木枠に、
約3mm角の穴に通して、反対側からテコを利用して引っ張り一定の線にする。
更に凹型の型を通してレンズをはめる溝を付ける。
その後、その金属をわらと一緒に燃やしてナマスのだそうだ。
こうすることによって金属を柔らかくして加工しやすくする。
説明してくれた水嶋実英さんの話によると、
眼鏡を作る会社?は必ず百姓もやっていたのだそうだ。
なぜならいつもわらが必要だったからだ。
そういえばこんな時代はどうやってあの小さなネジを作っていたのだろう?
と思って聞いてみると、
「じゃ、ちょっとこっせて(作って)みますか?」
えっ!?本当ですかぁ^^
ネジ山の上にマイナスの溝をカナのこで入れています。
ヤットコの間にネジを挟んでやすりをかけて仕上げます。
本当に出来ました。
直径2mmの小さなマイナスネジです。
机の下に置いてある木の鉢は高価な金属の削りくずを集め、
再度熔かして利用するためのものです。
ロウ付けです。
メッキの工程もまさに手作業です。
しかしながら時間を忘れてお話を聞き入ってしまった。
後から知ったのが、閉館時間をとうにオーバーしていたのだ。
それなのに、本当に親切にまた丁寧に説明していただき、
おかげで、いろんなことを知ることが出来た。
ご説明をいただきました水嶋実英さんは
鯖江の別司でおとうさんの時代から眼鏡を作り、
その時代の機械や作業場を保存していて、
資料的価値のある貴重な道具や仕掛品などが、
今回のめがね会館の資料として非常に役立ったのだ。
たつやの印刷会社(合資会社 藤田印刷所)も明治36年(1903年)創業で、
今でも多少の古い機械や材料、活字などが残っています。
何度か処分しようとも考えましたが、
資料的な観点から少しは残していきたいと思うようになりました。
鯖江の眼鏡枠は世界全体の2割、日本の9割以上を生産する産業ですが、
長年、先人たちの手仕事や日々の努力によって
その基礎が培われたことを知ることが出来ました。
それは鯖江市民のたつやにとっても、本当に良かったと思います。
鯖江にお越しになったら、是非めがね会館もご覧になってくださいませ。
他に有名人の眼鏡コレクションコーナーや、
メーカー直売のリーズナブルで質の良い眼鏡を販売するショップもあります。
めがね会館
福井県鯖江市新横江2丁目3−4
TEL.0778-52-9111
http://www.megane.gr.jp
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これはぜひ見に行かせてもらいます。
ありがとね。
へーへーへーって感心ばかりしてました。
職人技ってカッコイイですよね♪