港町三国は実に面白い町だと思う。
歴史的な建造物だけでなく、
三国に息づく文化の香りを今尚感じることが多い。
三国の人は三国を誇りに思っていて意識が高く、
様々なまちづくりを仕掛ける人がいる。
これはやはり北前船で海路を通して各地と交流を持った
歴史的なDNAが今も脈々と流れているのではないかと思う。
江戸時代に始まった北前船での海運業は
当初は蝦夷地の昆布を運ぶためだった。
しかしながら荒れる日本海を蝦夷地に行くには舟を安定させる必要があった。
そのため船底に福井足羽山近辺で産出される
笏谷石(しゃくだにいし)を積んで北へ向かった。
蝦夷地で昆布などの海産物を積むと
当然のように笏谷石は不要となり、
舟から下ろしたことから重宝がられ商売が成り立つようになる。
そして北前船は往復で莫大な富を得ることとなる。
富が集まれば人も集まり、華やかな街も出来る。
三国湊には、当時京都の祇園や長崎の島原と肩を並べるくらいの花街があった。
たくさんの遊郭が三国の松ヶ下地区にあったという。
この地にある西光寺には三国小女郎の墓がある。
今年の三国まつりでは、三国小女郎花魁(おいらん)道中なる企画がなされた。
ただお祭で練り歩くだけでなく、きちんと西光寺の墓参りをし、
当時の花魁や遊女たちの絢爛豪華な衣装を披露してくれた。
後に聞いたのだが、花魁(一番上の写真の方)衣装の総重量は30kgという・・・。
皆さん、本当にゾクっとするくらいの美しさでした。
こういう企画をし、また運営した縁の下の方々のご苦労が
あってこそ成し得た三国小女郎花魁道中だったのでしょうね。
お疲れ様でした。それにありがとうございました。
後姿にドキッとします
三国は行く度に、新しい発見と出会いがある町で、
たつやの三国への憧れは募るばかりです。
※注これらの写真の方々への想いが
募っている訳ではございませんので悪しからず^^;
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驚きました!
京都で舞妓さんに出会ったりしますが、いたって普通のだったりしますからね〜
違うか!(笑)
ん!? 写真2枚目、笑顔の和服のよく似合う粋な旦那さん・・。
某お蕎麦屋さんのご主人と良く似てらっしゃるなぁ。。。
気のせいか??
いろんなところへ出かけますが、間違いないと思っています。
水がきれいだと、細胞レベルまで綺麗になるのかな?
また、福井にいらっしゃい〜
三国ファンのたつやとしては、まだまだ通います^^
観音様といい、花魁といい、あんたも好きね〜^^;
と言うたつやも見とれてましたよ。
できれば、このような方々が隣でお食事をしていただけるような
体験だけでもしたいものです^^;
今の社会ではどんどん料亭文化やお座敷遊びが
衰退して、いずれはなくなってしまうのではないかと思います。
お座敷遊びは、きっと面白いんやろな〜^^
イイですねぇ、みなさんお綺麗で羨ましいな〜。それにやはり、着物って日本人の粋を感じますよね!
気になって眠れないじゃないですかぁ!
最近、たつやは着物の美しさや立ち振る舞いが
とっても素敵だと思えるようになりました。
あ〜、世が世ならお座敷遊びに呆けていたでしょうね^^;