

学校が終わってからの遊びは大抵が野球だった。
三角ベースと言われる一塁と三塁とホームしかない簡易野球で、
これなら人数が少なくても、それなりに試合になった。



ストライクはあったけどボールはなくて、
四球で塁に出ることはなくて、
好きなボールを打つだけの簡単ルール。
審判なんている訳もなく、アウトかセーフの微妙な判定も、
大抵は悪ガキの言う通りになった。


どう見てもアウトなのに、セーフと言うガキ大将には、
理不尽に感じながらも、仕方ない・・・という暗黙のルールもあった。
空き地はすべてが野球場で、狭い空間でボール

近くの家に飛び込んで「ガッシャーン」とガラスの割れる音・・・。
しばらくすると、「コラー


逃げろ〜という声で一斉に蜘蛛の子を散らすように消えるのだが、
ボールの持ち主は、ボールを無くしたと親に言うともっと怒られる・・・
と、迷いに迷って、その雷オヤジの元に謝りに行って、
延々と怒られた末にようやくボールを返してもらった。



そういう雷オヤジはどこにでもいた。
他人に怒られることは当たり前だったし、
ガラスを割っても、ゲンコツひとつもらって、
泣いて謝れば、許してもらえた時代だった。

井上陽水の「もどり道」というレコード。
ここのいいところはそこにあるレコードを好きにかけて聞けること。
レコードの傷の音をプチッ プチッ プチッと規則的に拾う辺りも懐かしいです。
厚生年金会館小ホールでのライブで、録音は1973年4月14日でした。

写真はすべて三国昭和倉庫館にて。
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ラベル:昭和
冷蔵庫もままならない時代でしたから、良く酒屋に冷えたビールを買いに行かされました。
当然冷えたビールは5円増しでした。
今では大型冷蔵庫は当たり前で、スーパーで冷えていようがいまいが、安く買えるようになりましたが、当時では全く考えられませんでした。
当時の放課後の遊びは野球でしたね。
その頃は空地も結構ありました。
子供ながらに不条理を体感し、子供なりの責任も取らされました。
遊びが社会勉強でした。
どれもこれも見覚えがあるのに すでに自分の周囲から消えたものばかりです。
三角ベースの草野球、懐かしい話や。 なんでか空振りなのに 「いまのチップや! チップしたがぁ!」て粘ってみたりね。(笑
カミナリ親父と聞くと進藤栄太郎さんのドラマを想い出す世代です。 憧れました。
PTAの現役執行部時代に、「俺は、他人の子にも説教垂れるカミナリ親父を貫くぞ!」と、呑むと豪語していましたが、いまはそれも夢のまた夢・・。
「他人になんの権利があって・?」と、その子の親に凄まれる モンスターペアレンツとか言う新生物が蔓延る白黒テレビを知る世代には住みにくい時代です・・。
ぼく,どう見てもアウトなのにセーフと言ってました(笑)。
僕がよく殴られていた当時の担任の先生がウチの子どもの学校の校長先生になっていて,
「あのころはよく殴られましたね」
って話をしたらニヤリとしてましたが複雑な心境でしょうねきっと。今はそんなこと絶対できませんから。
GWに三国昭和倉庫館へは行ってみようと思います。
確かに子どもの頃は不条理ばかり経験したように思えます。
今の親や子どもたちは、いかに不条理がないか!
を美徳としている感があって、
それが子どもたちの感性を小さくしてしまっているように思えます。
子どもの中での経験で、不条理を勉強するのもいいと思うのですが・・・
「ストライクアウト!三振や」
でぃ
「おめ、どこ見てるんやチップや!バットのボール当ったぞ」
たつや
「うそつけ〜、バットとボールひっで離れてたぞ」
でぃ
「チップちゅうたらチップなんや、はよ次の球投げよ」
たつや
・・・黙って投げて、でぃ空振り
ほら、やっぱ三振やったやろ!
きっとこんな不条理ばっかり言ってたんでしょうね^^でぃさん。
あの優秀なpoptripさんがセンセに殴られてたの?
意外や意外@@;びっくりです。
なんで怒られてたの?
スカートめくりか?
近いうちにあなたのブログで公開せよ!