2008年11月12日

九谷焼窯跡展示館

一ヶ月ほど前に、鶴来方面に出かけた帰りに、
山中町を通り過ぎようとしたときに気になる建物を見つけて、
立ち寄ってみることにした。
九谷焼窯跡資料館、看板にはこう書いてあった。
写物の最高峰 大聖寺伊万里展

ん?たしか伊万里って九州じゃなかったっけ?
大聖寺伊万里ってなんなんだろ?


そんな疑問を持ちながら、その建物に入った。
日曜日の午後だったが、閉館時間に近かったこともあって、
たつや以外には3人のお客さんがいるだけだ。
陶器と磁器の違いさえよくわからないたつやに、
展示館の中にいらっしゃったおじさんは
懇切丁寧に説明してくれる。
他にも九谷焼に関してわかりやすいビデオも流れていた。

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実に風情のある建物は木造平屋建てで、
後から知ったのだが、築200年という。
歴史ある建物に行くと必ず感じる独特の匂いがある。
ここは、明治30年代に現在地に移築され、
以後九谷焼窯元の社屋や経営者の住居兼工房として使われてきた。
東からロクロ場・ハガシ場・絵付場・店の間と並んでいて、
現在はロクロ場から絵付け場にかけてはかつての姿に再現され、
店の間は常設展示室となっている。

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その展示室となっている座敷には文机があったり、
昔懐かしい流しがあったり、囲炉裏があったり、
心落ち着く素晴らしい空間だ。

こんなところでサロンコンサートや
落語や人形浄瑠璃などをやったら素敵でしょうね〜


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さて最初に思った疑問の答えはこうでした。
大聖寺伊万里とは、主に江戸後期から昭和の初めにかけて焼かれた物で、
加賀の大聖寺で焼かれたもののこと。
なので九谷焼のこの辺りで作られたもの。
当時、大聖寺で上手の古伊万里を写して作られ、
錦手のものが、多いが染付もある。


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九谷焼とは・・・同展示館ホームページより抜粋
江戸時代前期、加賀百万石前田家の支藩大聖寺藩によって、
山中町九谷で焼きはじめられた色絵磁器。
現在、世界的名陶といわれる“古九谷”から始まりました。
しかし40年あまりで廃絶。
以後約100年間日本での磁器生産は、九州伊万里焼の独占産業だったのです。
江戸後期にいたり、瀬戸で磁器生産が成功したことに触発され、
全国で磁器生産が始まり、加賀でも春日山焼や若杉焼がはじまりました。

若杉焼で磁器生産に成功したことを受け、
かつて古九谷を生み出した大聖寺藩でも、
もう一度あのすばらしい古九谷のような磁器を復活しようという動きが興りました。
その中心人物が大聖寺の豪商吉田屋伝右衛門だったのです。
彼は文政六年(1823)自らの私財と、借金をしてまで、
九谷村の古九谷窯跡の横に登窯を築き、翌年九谷焼を焼き始めました。

しかし、2年もたたないうちに山代温泉近くの越中谷に窯を移しました。
九谷の山は雪深く、交通が不便だったからです。
しかしこうした不便は開窯前からわかっていたはずです。
それなのに何故最初に九谷村で開窯したのでしょうか。
それは焼物の名称は最初に焼かれた場所の地名が付けられるのが一般的でした。
最初から山代で始めたのでは、山代焼になってしまい、
決して九谷焼の復活にはならなかったからだと考えられます。
こうした吉田屋伝右衛門の深慮によって九谷焼は復活し、現在まで続いてきたのです。

以後、この山代の窯が九谷窯といわれ、明治初年までは、
この窯を中心とした旧大聖寺藩領内で作られたもののみが、
九谷焼といわれたのです。


DSC_3940.jpg

九谷焼窯跡展示館
石川県加賀市山代温泉19の101の9番地
0761-77-0020 
休館日・火曜日(祝日は開館)・年末年始(12/31〜1/1)
開館時間9:00〜17:00 (但し入館は16:30まで)
入館料 一般310円 団体260円(20名以上)
    高齢者(満75歳以上)150円
    高校生以下及び障害者 無料

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ラベル:石川県 古民家
posted by たつたつ・たつや at 21:21| Comment(4) | TrackBack(0) | 旅先にて・国内編 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
吉田屋伝右衛門さんに男のロマンを感じます。
僕には投げ打つ私財もありませんが、そこまで心を奪われるような出会いに少し憧れます。

とか言いつつも、物欲に溺れている間は出会いがあっても気が付かないのでしょうね。(汗)
Posted by おーちゃん at 2008年11月13日 10:03
さすが文化の秋です
記事の内容には
たつやさんの写真と共に
文化の香りが漂っています

でも悲しいことに自分の脳には
なかなか手強いようで・・・
一番気になったのが「流し台」
トトロでさつきがお料理していた物と同じだ!
窓(戸?)のとこも一緒だ!
って気づいたこと・・・です
本当に悲しくなります
たつやさんの知性と教養を見習いたいです
これからもいろんなこと書いてくださいね
Posted by なる at 2008年11月13日 12:24
おーちゃん、江戸時代や幕末、明治にかけては、
すごい日本人がゴロゴロいた時代のような気がします。
自分の人生、自分の命さえ、世のため人のために、
惜しみもなく捧げたのではないでしょうか。
そういう偉人がたくさんいたことを、
今の私たち、日本人は知らなくてはいけないように感じています。
吉田屋伝右衛門、凄い人です。
もっとどんな人だったのか、知りたいですね。

今日はマジなたつやでした^^
Posted by たつや at 2008年11月13日 21:22
なるさん、文化の香りを感じてくださいましたか。
それは光栄です^^
たまにはいいでしょ!?

流し台が、トトロですかぁ・・・
なるさんは随分お若いでしょ?
たつやなんかは懐かしい感じがします^^;

たつやのことを良く知ってる人は、
知性と教養からは、かなりかけ離れているって、
思ってると思いますよ〜^^
Posted by たつや at 2008年11月13日 21:27
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