2019年08月23日

たつやスペインへ行く・フードマーケット編

セビージャの街の真ん中を流れるグアダルキビール川。
この川の歴史をちょっと調べてみると、何と紀元前2世紀!
わかっているだけで2200年前ですが、
もっと古い時代から交通の要所として栄えたのでしょう。

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以下はWikipediaからの抜粋です。

グアダルキビール川は、スペイン・アンダルシア州を流れる河川。
全長は657kmであり、イベリア半島では5番目、
アンダルシア州のみを流れる河川としては最長である。
流域面積は56,978km2。
名称はアラビア語で「大いなる川」を意味するWadi al-Kabirに由来している。

フェニキア人は最初の交易所を設立し、貴金属を取り扱った。
紀元前2世紀にヒスパリス(現在のセビリア)に入植したローマ人は、
この河川をBetis Baetisと名付け、ヒスパリスに重要な川湊を築いた。
紀元前1世紀までにはヒスパリスは城壁に囲まれた都市となり、
その造船所では小麦を運搬する大型船が建造された。
紀元1世紀にはヒスパリスがローマ海軍の艦隊全体の拠点となった。
鉱石、塩、魚など、様々な品物を積んだ船がローマに向けて出港した。

アンダルシア地方がイスラーム教徒の支配下にあった712年から1248年、
ムーア人は港の防衛を強化するために石造のドックと
トーレ・デル・オロ(黄金の塔)を築いた。
13世紀半ばにはキリスト教徒がイスラーム教徒からアンダルシア地方を奪還した。
13世紀にはフェルナンド3世が造船所を拡張し、賑わうセビリア港からは
穀物、オリーブオイル、ワイン、羊毛、皮革、チーズ、蜂蜜、蝋、ナッツ、
ドライフルーツ、干魚、金属、絹、麻布、染料がヨーロッパ中に向けて輸出された。

15世紀末にスペイン人がアメリカ大陸を「発見」すると、
セビリアはスペイン帝国の経済の中心地となった。
セビリア港は大西洋をまたぐ海洋交易を独占し、
カーサ・デ・コントラタシオン(通商院)が権勢をふるった。
グアダルキビール川の航行は次第に困難を増し、
セビリアが独占していた交易は
やがて大西洋のカディス湾に面するカディスに移行していった。
1794年にはコルタ・デ・メルリーナと呼ばれる人工的な運河が建設され、
セビリア港の近代化が開始された。

2005年から2010年の5年間かけて潮位調節のための作業が行われ、
2010年11月後半に新セビリア水門が稼働を開始した。

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このワインのボトル欲しかったな〜!
水玉はフラメンコの柄ですもんね。

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河沿いに大きなフードセンターを見つけて入ってみました。
スペイン料理って色鮮やかです。
ここは素通りしただけですが、とっても楽しかったです。
お昼時からかなり時間が経っていたので、
混雑はしていなかったのですが、
それでも、たくさんのセビリアの老若男女がいました。

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時間があったらここだけでも一日が過ごせそうです(笑)







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posted by たつたつ・たつや at 22:10| Comment(0) | 旅先にて・海外編 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする