この川の歴史をちょっと調べてみると、何と紀元前2世紀!
わかっているだけで2200年前ですが、
もっと古い時代から交通の要所として栄えたのでしょう。
以下はWikipediaからの抜粋です。
グアダルキビール川は、スペイン・アンダルシア州を流れる河川。
全長は657kmであり、イベリア半島では5番目、
アンダルシア州のみを流れる河川としては最長である。
流域面積は56,978km2。
名称はアラビア語で「大いなる川」を意味するWadi al-Kabirに由来している。
フェニキア人は最初の交易所を設立し、貴金属を取り扱った。
紀元前2世紀にヒスパリス(現在のセビリア)に入植したローマ人は、
この河川をBetis Baetisと名付け、ヒスパリスに重要な川湊を築いた。
紀元前1世紀までにはヒスパリスは城壁に囲まれた都市となり、
その造船所では小麦を運搬する大型船が建造された。
紀元1世紀にはヒスパリスがローマ海軍の艦隊全体の拠点となった。
鉱石、塩、魚など、様々な品物を積んだ船がローマに向けて出港した。
アンダルシア地方がイスラーム教徒の支配下にあった712年から1248年、
ムーア人は港の防衛を強化するために石造のドックと
トーレ・デル・オロ(黄金の塔)を築いた。
13世紀半ばにはキリスト教徒がイスラーム教徒からアンダルシア地方を奪還した。
13世紀にはフェルナンド3世が造船所を拡張し、賑わうセビリア港からは
穀物、オリーブオイル、ワイン、羊毛、皮革、チーズ、蜂蜜、蝋、ナッツ、
ドライフルーツ、干魚、金属、絹、麻布、染料がヨーロッパ中に向けて輸出された。
15世紀末にスペイン人がアメリカ大陸を「発見」すると、
セビリアはスペイン帝国の経済の中心地となった。
セビリア港は大西洋をまたぐ海洋交易を独占し、
カーサ・デ・コントラタシオン(通商院)が権勢をふるった。
グアダルキビール川の航行は次第に困難を増し、
セビリアが独占していた交易は
やがて大西洋のカディス湾に面するカディスに移行していった。
1794年にはコルタ・デ・メルリーナと呼ばれる人工的な運河が建設され、
セビリア港の近代化が開始された。
2005年から2010年の5年間かけて潮位調節のための作業が行われ、
2010年11月後半に新セビリア水門が稼働を開始した。
このワインのボトル欲しかったな〜!
水玉はフラメンコの柄ですもんね。
河沿いに大きなフードセンターを見つけて入ってみました。
スペイン料理って色鮮やかです。
ここは素通りしただけですが、とっても楽しかったです。
お昼時からかなり時間が経っていたので、
混雑はしていなかったのですが、
それでも、たくさんのセビリアの老若男女がいました。
時間があったらここだけでも一日が過ごせそうです(笑)
やっぱりたくさんの方にブログを見ていただきたくなりました。
再び、北陸のブログランキングに参加します。
応援のポチをよろしくお願いいたします。
こちらをクリックしてくださいませ^^
福井県ランキング
記事2843回目