それなのに毎日、たくさんの方が訪れてくださいまして、心より御礼申し上げます。
先月、26.27日と熊本県御船町へ支援物資を持って行って来ました。
往復2000km、0泊3日というハードスケジュールでしたが、
やはり行ってみないと、その現状はわからないと思いました。
これから何が出来るかを考えていきたいです。
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4月22日、福井県よろず支援拠点のチーフコーディネーターの
先織久恒さんから、たつやにメッセージが入りました。
越前市にある垣内産業さんが、今回の熊本地震の被災地の避難所に、
段ボール製の個室、段ボール製組み立て式ベッド、
段ボール製組み立て式丸椅子、段ボール製の畳などを、
トラック一台分送りたいという連絡が来ていますが、
何処へ贈ったら良いかわからず、
たつやくんならわかるのではないかと思って連絡しました。
今まで、阪神大震災の時は、鯖江の青年会議所に所属していて、
メンバーたちと一緒に被災地へ支援物資を届けました。
5年前の東日本大震災の時には、何か自分たちで出来ることはないかと、
「さばえもちつき隊」を結成し、岩手県大船渡市の避難所で、
もちつきをしたり、大船渡中学校を訪れたりしました。
そういう経験をしていたこともあってか、
先織さんからたつやに連絡をもらいました。
その時、たまたまたつやの友だちで、元県会議員の東角操さんが、
既に熊本の被災地にいたのを、フェイスブックで見ていて、
すぐに連絡を取ってみました。
5分も経たないうちに、どんな物資があるのかを聞かれ、
カタログの写真などを送りました。
東角さんは、熊本県上益城郡御船町田代にある
玉来簡易郵便局の局長、永野公夫さんを紹介してくださいました。
そして翌日、23日の土曜日の朝、
先織さんと一緒に、垣内産業さんを訪れました。
代表取締役社長の垣内勝美さんは、
とにかくある在庫はすべて現地に持って行きたい
しかしながらまだ最終仕上げをしていないものがほとんど、
なので、これから急いで仕上げしたい
ということでした。
とにかくこれらの支援物資は一日も早く送った方がいいと、
垣内産業さんの4トンロングのトラックで、
直接持って行くということになりました。
出発は26日火曜日の夕方に決まりました。
たつやも個人的なフェイスブックメッセージで、
熊本への支援物資の協力を呼びかけ、
わずか準備期間2日間という限られた時間にも関わらず、
たくさんの人たちから支援物資が届けられました。
また支援金としていただいたものもありましたが、
それらはすべてブルーシートの購入費に加えさせていただきました。
行くメンバーは、先織さんとたつや、
それに垣内産業の社長さんと常務さん、
加えて消防から鯖江市に出向している小林剛さんが、
一緒に行ってくれることになり、5人となりました。
今回、たつやが『垣内産業さんの支援物資を熊本に持って行く』
というフェイスブックでの発信を、鯖江市長の牧野百男さんが見て、
すぐに担当部署の藤田裕之さんから、
支援物資の協力、市職員(小林剛さん)の派遣、高速道路無料の申請書、
それに御船町町長宛ての牧野鯖江市長からの親書を早急に手配する
という連絡が入りました。
フェイスブックに載せた翌朝にはこんな連絡を受けたのです。
鯖江市というところは、本当にあったかい町です。
市長はじめ市民がいいことはすぐに皆でやろうとする気運に満ちています。
被災地からは、ブルーシートや土嚢袋の要請があって、
こちらで用意したものもあったのですが、それに加えて、
鯖江市からも大量に用意してもらうことが出来ました。
またメガネのまち、鯖江なので、東日本大震災の時も喜ばれた
老眼鏡を200本という数を贈ることも決めました。
当初は数十本しかないかもしれないということでしたが、
眼鏡組合や会社から、わずか2日で集めてくれたのです。
出発の寸前まで、垣内産業さんの社長も奥様も、
そして従業員さんも総出で、最後の仕上げをしていました。
お見送りに来てくださったはずの鯖江市の職員さんまで
手を貸してくださって、何とか組みあがりました。
4トンロングのトラックに積んで行くのですが、
これまたアクロバティックなほど見事です。
荷崩れしないように積まないといけないし、
降ろす時のことを考えて、
支援物資毎にある程度分ける必要もありました。
午後5時45分、予定より45分遅れての出発です。
これから片道950kmを熊本に向けて走ります。
震災の影響で、熊本インターまでは行けず、
植田インターで降りなければなりません。
そこから渋滞の道を抜けて、御船町を目指します。
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