この年になると本当にそう思います。
過去に嫌だと思ってやっていたことが、今になって役立つことなんて、
普通にあるものです。
頑張ってブログを書いてるたつやに愛の手を〜♡
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何処かへいざなわれる時って、
必ずそれにつながっている過去があるのだということを気づかされます。
たつやは過去の自分を紐解くには、このブログがあるから、
何年前の何月にこんなことがあったと確認が出来ます。
それは今頃になって、便利だなと思っています。
今日の自分の行動がどういう道を通って辿りついたのかが、
より鮮明になってつながるので、
そこに来た意味をより真剣に考えるようになりました。
例えば、今日のブログですが、整理してみるとこんな流れでした。
先日、大津市坂本にある天台真盛宗本山の西教寺へ行って来ました。
とある日、鯖江市と福井市を結ぶ戸の口トンネルの福井側にあるそば店
『そば玄』でお昼ご飯を食べた後、通ったことのない山道を走っていたら、
「あけっつぁま」と書かれた看板を見つけて、立ち寄ってみると、
なんとそこは明智光秀をお祀りした明智神社という小さな祠があった。
http://onmyojitatsuya.seesaa.net/article/149895341.html
http://onmyojitatsuya.seesaa.net/article/185304075.html
そのわずか2日後に、福井市の放送会館で行われた
『中島道子作家生活25周年記念講演』というイベントに出かけた。
http://onmyojitatsuya.seesaa.net/article/151599907.html
目的はその日、同じ三国町出身のヒナタカコさんと横田はるなさんが、
ミニコンサートを開くというもので、
その時は中島道子先生のことは知らなかった。
しかしながら、中島先生のお話はまさに『あけっつぁま』の話で、
そのあまりにも偶然と言う言葉では言い表せないシンクロニティに驚いた。
その2年後に、たつやの会社が主催する『まちかど歴史浪漫コンサート』の
歴史講演会の部で、3年連続、中島先生に歴史講演をお願いするというご縁につながった。
http://onmyojitatsuya.seesaa.net/article/375880090.html
http://onmyojitatsuya.seesaa.net/article/375965276.html
http://onmyojitatsuya.seesaa.net/article/406877653.html
中島先生は、この「あけっつぁま」のことを調べて、本を出版され、
そのことがきっかけとなって、明智光秀の菩提寺である大津市坂本の西教寺の中に、
明智光秀顕彰会という組織が出来たのだそうだ。
350年もの間、福井市の外れにある小さな集落、東大味の住人が、
ずっと守り続けたという明智神社のことは、菩提寺でもある西教寺さえ、
知らなかった事実だったのだ。
以来、中島先生とは今でも懇意にしていて、
時折、お茶を飲みながら、歴史のお話を聞かせてもらっている。
その中島先生が、「西教寺には是非一度、行ってらっしゃい」と
たつやに何度も勧めてくださったことが、
今回の西教寺行きにつながったという流れだ。
西教寺は大津市でも少し琵琶湖の湖西を北に上がった坂本という場所にある。
駐車場に車を停めた時は、けっこうな雪が降っていた。
寒いな・・・つい口元をついて出た。
傘を差して歩くのは好きではない(カメラ片手だと余計に)が、
仕方のないことだ。
連休最終日だというのに、人影はほとんど見えない。
参道の緩い登り坂は、うっすらと雪に覆われていた。
坂の途中の右手に、『越前之國』という木製の看板を見つけた。
良く見る『福井教区宿坊 禅明坊』と書いてあった。
あらためて、福井は仏教王国なのだと感じた。
西教寺の宗祖大師殿の立派な門から、
下を眺めると、琵琶湖を一望出来る。
数百年前にも、明智光秀はここから琵琶湖を眺めていたのだろう。
門には、小鳥をあしらった彫刻がなされているが、
このシンメトリーなデザインの秀逸さに見とれてしまった。
本堂へ入るには入館料400円を支払って、入ることが出来る。
入ってすぐ右手の部屋に、
明智光秀公とその妻凞子夫人の木製の像が飾られていた。
本尊は、大きな阿弥陀如来さま。
ちょうど、ご住職がお経をあげられていました。
時折鳴らす鐘の音が、心地よく響きます。
※この写真はホームページで公開されているものを流用させていただいています。
本堂
総欅入母屋造。江戸時代 元文4年(1739)に上棟落成。
用材は紀州徳川家からの寄進、正面の欄間(十六羅漢)や須弥壇は
すべて欅の素木造で江戸初期の特色を表す豪華な装飾が施されています。
ご本尊は、重要文化財の丈六の阿弥陀如来(平安時代・定朝様式)が安置されています。
本堂から山側を見ると、雪景色した山の木々をバックに、
無数の古いお墓が並んでいます。
それ以外に、人工的なものは何もなく、
はたして今が本当に平成の時代なのかさえ、
わからなくなりそうな不思議な光景だった。
いろんなご縁がつながって、今回の西教寺を訪ねる旅となったが、
ここからまた次なるご縁がきっとあるのだろうと思っている。
西教寺は正しくは、 天台真盛宗総本山戒光山兼法勝西教寺
(てんだいしんせいしゅうそうほんざんかいこうさんけんほっしょうさいきょうじ)といいます。
聖徳太子が恩師である高麗の僧慧慈、慧聡のために創建されたと伝えられています。
その後、久しく荒廃していましたが、慈恵大師良源上人が復興、念仏の道場としました。
恵心僧都も入寺、修業されたところから次第に栄えるようになりました。
鎌倉時代の正中2年(1325)に入寺された恵鎮(円観)上人は、
伝教大師が畢生の事業として提唱された大乗円頓戒を復興、
その後百有余年を経た文明18年(1486)に真盛上人が入寺されるに至り、
堂塔と教法を再興、不断念仏の道場とされました。
以来全国に約四百余りの末寺を有する総本山となりました。
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