2015年01月18日

天台真盛宗総本山『西教寺』@大津市坂本

やったことに無駄なことなんてひとつもない・・・

この年になると本当にそう思います。
過去に嫌だと思ってやっていたことが、今になって役立つことなんて、
普通にあるものです。
頑張ってブログを書いてるたつやに愛の手を〜♡
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何処かへいざなわれる時って、
必ずそれにつながっている過去があるのだということを気づかされます。
たつやは過去の自分を紐解くには、このブログがあるから、
何年前の何月にこんなことがあったと確認が出来ます。
それは今頃になって、便利だなと思っています。

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今日の自分の行動がどういう道を通って辿りついたのかが、
より鮮明になってつながるので、
そこに来た意味をより真剣に考えるようになりました。

例えば、今日のブログですが、整理してみるとこんな流れでした。
先日、大津市坂本にある天台真盛宗本山の西教寺へ行って来ました。

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とある日、鯖江市と福井市を結ぶ戸の口トンネルの福井側にあるそば店
『そば玄』でお昼ご飯を食べた後、通ったことのない山道を走っていたら、
「あけっつぁま」と書かれた看板を見つけて、立ち寄ってみると、
なんとそこは明智光秀をお祀りした明智神社という小さな祠があった。

http://onmyojitatsuya.seesaa.net/article/149895341.html
http://onmyojitatsuya.seesaa.net/article/185304075.html

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そのわずか2日後に、福井市の放送会館で行われた
『中島道子作家生活25周年記念講演』というイベントに出かけた。

http://onmyojitatsuya.seesaa.net/article/151599907.html

目的はその日、同じ三国町出身のヒナタカコさんと横田はるなさんが、
ミニコンサートを開くというもので、
その時は中島道子先生のことは知らなかった。
しかしながら、中島先生のお話はまさに『あけっつぁま』の話で、
そのあまりにも偶然と言う言葉では言い表せないシンクロニティに驚いた。




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その2年後に、たつやの会社が主催する『まちかど歴史浪漫コンサート』の
歴史講演会の部で、3年連続、中島先生に歴史講演をお願いするというご縁につながった。

http://onmyojitatsuya.seesaa.net/article/375880090.html
http://onmyojitatsuya.seesaa.net/article/375965276.html
http://onmyojitatsuya.seesaa.net/article/406877653.html



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中島先生は、この「あけっつぁま」のことを調べて、本を出版され、
そのことがきっかけとなって、明智光秀の菩提寺である大津市坂本の西教寺の中に、
明智光秀顕彰会という組織が出来たのだそうだ。
350年もの間、福井市の外れにある小さな集落、東大味の住人が、
ずっと守り続けたという明智神社のことは、菩提寺でもある西教寺さえ、
知らなかった事実だったのだ。




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以来、中島先生とは今でも懇意にしていて、
時折、お茶を飲みながら、歴史のお話を聞かせてもらっている。
その中島先生が、「西教寺には是非一度、行ってらっしゃい」と
たつやに何度も勧めてくださったことが、
今回の西教寺行きにつながったという流れだ。






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西教寺は大津市でも少し琵琶湖の湖西を北に上がった坂本という場所にある。
駐車場に車を停めた時は、けっこうな雪が降っていた。
寒いな・・・つい口元をついて出た。
傘を差して歩くのは好きではない(カメラ片手だと余計に)が、
仕方のないことだ。
連休最終日だというのに、人影はほとんど見えない。
参道の緩い登り坂は、うっすらと雪に覆われていた。

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坂の途中の右手に、『越前之國』という木製の看板を見つけた。
良く見る『福井教区宿坊 禅明坊』と書いてあった。
あらためて、福井は仏教王国なのだと感じた。

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西教寺の宗祖大師殿の立派な門から、
下を眺めると、琵琶湖を一望出来る。
数百年前にも、明智光秀はここから琵琶湖を眺めていたのだろう。
門には、小鳥をあしらった彫刻がなされているが、
このシンメトリーなデザインの秀逸さに見とれてしまった。

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本堂へ入るには入館料400円を支払って、入ることが出来る。
入ってすぐ右手の部屋に、
明智光秀公とその妻凞子夫人の木製の像が飾られていた。

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本尊は、大きな阿弥陀如来さま。
ちょうど、ご住職がお経をあげられていました。
時折鳴らす鐘の音が、心地よく響きます。

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※この写真はホームページで公開されているものを流用させていただいています。

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本堂
総欅入母屋造。江戸時代 元文4年(1739)に上棟落成。
用材は紀州徳川家からの寄進、正面の欄間(十六羅漢)や須弥壇は
すべて欅の素木造で江戸初期の特色を表す豪華な装飾が施されています。
ご本尊は、重要文化財の丈六の阿弥陀如来(平安時代・定朝様式)が安置されています。


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本堂から山側を見ると、雪景色した山の木々をバックに、
無数の古いお墓が並んでいます。
それ以外に、人工的なものは何もなく、
はたして今が本当に平成の時代なのかさえ、
わからなくなりそうな不思議な光景だった。

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いろんなご縁がつながって、今回の西教寺を訪ねる旅となったが、
ここからまた次なるご縁がきっとあるのだろうと思っている。







西教寺は正しくは、 天台真盛宗総本山戒光山兼法勝西教寺
(てんだいしんせいしゅうそうほんざんかいこうさんけんほっしょうさいきょうじ)といいます。
聖徳太子が恩師である高麗の僧慧慈、慧聡のために創建されたと伝えられています。
その後、久しく荒廃していましたが、慈恵大師良源上人が復興、念仏の道場としました。
恵心僧都も入寺、修業されたところから次第に栄えるようになりました。
鎌倉時代の正中2年(1325)に入寺された恵鎮(円観)上人は、
伝教大師が畢生の事業として提唱された大乗円頓戒を復興、
その後百有余年を経た文明18年(1486)に真盛上人が入寺されるに至り、
堂塔と教法を再興、不断念仏の道場とされました。
以来全国に約四百余りの末寺を有する総本山となりました。






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ラベル:神社仏閣 滋賀県
posted by たつたつ・たつや at 23:16| Comment(4) | TrackBack(0) | 旅先にて・国内編 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

天孫神社@大津市

福井はほんのうっすらと雪が積もりましたが、今日はいいお天気です。

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京都に旅する時に、京都市内での宿泊先が高価なことに加えて、
駐車場料金があまりにも高いので、
比較的リーズナブルな大津市内のビジネスホテルを利用する。
元々、どこでも寝れるし、旅先ではただ寝るだけ・・・なので、
そこにお金はかけたくないのが本音だ。

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それに京都の夜は必ずと言っていいほど、
山科にあるお好み焼きや『わい亭』さんへ行くので、
そこから大津市内までは15分程度なので、便利だ。

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翌朝、大津市内にあるお茶屋さんへ
大津名物『あかちゃん番茶』を買いに行った。
そのすぐ近くに天孫神社がある。
昨年の秋に、ココを訪れた際に、大津祭をやっていたのだが、
その時は山車を見て回ることばかりしていて、
肝心の天孫神社にお詣りすることがなかった。

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この日は、雪が舞う寒い朝だった。
だけど何となく天孫神社は明るい雰囲気の神社だ。
珍しく入り口の鳥居の正面に能舞台の建物があって、
その向こう側に本殿がある。

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冷たい水で手と口を清めて、参道を歩きます。
落ちてくる雪がきれいで、より清らかな景色になるみたい・・・
本殿の中では厄年の方や、何か年配のグループの方が、
お祓いを受けていました。

初詣には少し遅かったけど、ちゃんとお詣りが出来て良かったです。

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御祭神:彦火火見尊 国常立尊 大名牟遅尊 帯中津彦尊
御神紋:鷺丸
御由緒
当社は延暦年間に創祀と伝えられるが、其後の沿革は明かでない。
古伝によると大同三年に平城天皇が近江に行幸の際、当社を行在地とてして禊祓された。
また建久年間近江守守護職佐々木定綱が社殿造営、神田の奉納があった。
また元亀年間栗太郡青地の城主青地伊予守より社領の寄進があり、
豊臣秀吉が大津城築城の際その余材をもって当社を修復された記録がある。
社号はもと四宮神社、天孫四宮大明神と称され、現在も一般に四ノ宮と呼ばれている、
これは彦火火出見尊外三柱と四神を祀る為とか種々説がある。
当社はもと大津市の中心にあり、その産土神となっているが、
鎮座地は周辺にあまり人家はなく湖岸一帯は葦原沼と称され、
四宮五座として本社の境域を劃していたが、
天正十三年坂本城を此地に移して大津城と改称するに至り、
当社はその地主神である為、市街の発展と共に全域下の鎮護神、
全町民の産土神となって神威を発揚し、これが十月十日(旧九月十日)四ノ宮祭となり、
記録によると曳山祭は慶長年中に始まり、街の発展人口増加に従ってその数を増し、
元禄年中に大体現町名が整って、
京都の祗園会を彷彿させる神輿二基鉾山十四基による優美な巡行が斎行される様になった。
尚この祭礼には代官所並総年寄町年寄等の役人も協力奔走し、
又大溝藩主分部候よりも特に鎗二本を出して渡御警護に当る等上下崇敬の厚かったことがわかる。
又当社は日吉山王の信仰と深い関わりがあり、
山王祭には当社と日吉神社の間に大榊の神事があり、
即ち四月三日の夜当社より日吉神社に多数が赴き、日吉の大榊を持ち帰り、
これを「しんの御榊」として拝殿に祀っておき、
山王祭の四月十四日にこの大榊を引いて再び日吉神社に返す神事で、
この大榊が帰って初めて山王七基の神輿が唐崎に神幸するのである。
この大榊の神事は、日吉の祭も白鳳年中より延暦九年までは神輿は無く
榊を以て渡御していた名残とする説や、
当社の氏子が山王信仰の顕現として夜密かに日吉神を榊に遷して
盗み帰り崇拝したもの等種々伝えられるが、これを儀式化した神事である。
明治四十一年神饌幣帛料供進指定
大正四年県社に列格


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本殿・境内建物
〔本殿〕三間社流造 間口三間 奥行二間
〔拝殿〕入母屋造 間口四間 奥行三間


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ラベル:滋賀県 神社仏閣
posted by たつたつ・たつや at 13:22| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする