出雲そばを堪能した後は、クルマを停めたJR旧大社駅に戻った。
古い立派な駅舎は、元、鉄ちゃんだったたつやを引き止める大きな理由がある。
どう見ても、100年近い年月が経っているように思えた。
それにこの風格!今の建築にはない力強さを感じた。
駅舎の中は、昭和時代の国鉄が運営していた当時の様子を
うかがい知れるようになっていて、
切符売り場の中にはマネキンがいて、とてもリアルである。
改札口を出ると長いプラットホームがある。
線路もそのまま残っているので、
今にも汽車が走ってくるのではないかと思わせる。
向こう側のプラットホームには、何と蒸気機関車が静態保存されていた。
遠くからだったが、その車両がD51型機関車(通称デゴイチ)だとすぐにわかった。
近づいてみると、間違いなくD51だったが、長年の風雨にさらされて、
かなり腐食が進んでいて、あちこちが痛んでいた。
と同時に心も痛んだ。
たつやが蒸気機関車が好きだった大きな理由は、
生きている!感がとても強かった。
だから静態保存されている蒸気機関車を見ると、
その心臓の鼓動は止めたままで、
まるで蒸気機関車の死体を見ているかのようで、
悲しくなってしまう。
数ヶ月前に大井川鐵道で、
きれいに整備され現役で走っている蒸気機関車を
目の当たりにしてきたばかりということもあったから、
余計、そう感じたのかもしれない。
旧大社駅も当時の面影は残すものの、
全体的に寂寥感が漂う建物だった。
賑やかだった頃を知っている町の人にすれば、
もっとノスタルジックな想いになるのではないかと思った。
戻って来てからwikipediaで調べてみると以下のように記されていた。
大社駅(たいしゃえき)は、島根県簸川郡大社町(現・出雲市)にあった
西日本旅客鉄道(JR西日本)大社線の駅(廃駅)である。
大社線廃止に伴い1990年4月1日に廃止となった。
廃止当時、島式・相対式ホーム2面3線を持つ地上駅であった。
なお、これら3線はホームの末端で1線に収束した後、
その先に車止めが設置されていたが、その引上げ線はかなり距離が長く、
道路と交差する部分もあり、踏切も設置されていた。
出雲大社の膝元であることから、1951年 - 1961年までの期間は
東京⇔大社間の直通急行列車「出雲」が運行されていた。
その後も1980年代まで「大社」や「だいせん」といった急行列車や、
参詣者の団体臨時列車などが乗り入れてきていたため、ホームは非常に長い。
駅舎は中央本線高尾駅の北口駅舎を設計した曽田甚蔵が設計したもの。
伊東忠太がお墨付きを与えたとも言われている。
1924年(大正13年)2月28日に竣工した2代目駅舎で、
木造平屋441平方メートル、出雲大社を模したつくりである。
団体専用の改札口などもあったが、
廃止後もホームや駅の掲示などもすべて当時のまま残されている。
2004年に国の重要文化財に指定された。
また付近にある一畑電車出雲大社前駅とともに
近代化産業遺産に認定されている。
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