
旅先でのお天気はその日の行動を大きく左右すると思う。
出雲大社の参拝後、その近辺を散策してみることにした。
きっとこの辺り一帯が守られているエリアのような気がした。

出雲大社を正面にして、右手の方にぶらぶら歩いていくと、
自然と人が少なくなる。
とても心地よい庭園を抜けると、北島国造館という建物があった。
この辺りに来ると、優しくも厳かな空気に包まれていた。
ちょうど家族連れが七五三のお祝いに訪れていた。

この北島国造館は、出雲大社の宮司の千家家と北島家が
かっては同じ兄弟から別れたのだそう。
帰ってから調べてみるとこんな風に記されていた。

千家家と北島家は南北朝時代1343年54代国造清孝の後、
その子の兄弟で国造家は二分し、以後は同格でした。
明治15年北島家76代が出雲教として独立しました。
出雲教は神道の宗教集団で出雲大社は神社で、
その在り方をわけ、出雲大社をお護りしているそうです。

出雲大社は本当にたくさんの参拝客だったが、
ここは静かで優しく穏やかなエネルギーを感じた。
そのまま奥に進むと、「命主社」という看板を見つけ、
行ってみることにした。

細い路地を進むと、いきなり巨木と小さな祠が見えた。
あ〜、ここ最高!
思わず立ち止まって、目を閉じて空気を大きく吸い込んだ。
「命主社」とは変わった名前の神社だなぁと思って説明看板を読んでみた。

神魂伊能知奴志神社(かみむすびいのちぬしのかみのやしろ)
[命主社](いのちぬしのやしろ)
御祭神 神皇産霊神(かみむすびのかみ)
由緒
神皇産霊神は天地万物の根本となられ、
大國主大神が危難に遭われた際にはお護りされ
国造りの大業を助成せられた神です。
元旦の朝には出雲大社の大御祭りに引き続き
國造り以下 神職参向の許、厳かに祭典が斎行されます。
ん〜、何だかよくわからないが、
すごいところには違いなさそうだ。
事実、この場のエネルギーは半端ないと思った。

ここを出て歩いていると、
古い立派な民家があった。
へー、こんな素敵な家に住んでいる人ってどんな人なんだろう?
なんて立ち止まっていたら、何とその家の人が外に出て来られた。

この辺りは、とても素敵なところですね。
と声をかけたのがきっかけで、いろんな話をさせていただくこととなった。
旅の話を中心に小一時間は話していただろうか。
地元の人に、地元の情報を聞くのが一番いいと思っているたつやだから、
その方がいいと思っている神社や場所を数ヶ所教えてもらうことした。
そこが観光地であっても、そうでなくてもそんなことは一向に構わない。

たつやにすれば、出雲大社へは行ってみたいと思っての旅だが、
旅先での出会いによって左右される旅はもっといいと思っている。
今までも旅を思い起こしてみても、中学生だった頃の一人旅だって、
旅先で出会った人たちによって、どんどん変わっていった。
計画通りに行く旅もいいが、
たつやは旅先で立ち止まって、
そこでサイコロを振ってどこへ行くか決めるような旅が好きだ。
そして事実、ここからの旅は大きく変わるのだった。

真名井の清水
出雲大社の神事に使われるお水です。
飲んでみましたが、本当に美味しい柔らかいお水でした。
500mlのペットボトル2本分だけいただいて帰りました。

命主社の正式な名称は
「神魂伊能知奴志神社(かみむすびいのちぬしのかみのやしろ)」
で天地開闢(世界のはじまり)の造化三神の一柱、
神皇産霊神(かみむすびのかみ)が祀られています。
巨岩の前に建てられていることから、
古代の磐座(いわくら。神の御座所。自然の巨石をさす場合が多い)
が神社に発展した例として貴重な神社です。
八雲山には小さな神社がいくつもあります。
そのうちのひとつの祠に参拝させていただきました。
この山を中心に全体が守られている感じがしました。


出雲での旅は始まったばかり。
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ココ


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