最初の記事は、昔鉄道少年だったたつやが大好きな
蒸気機関車の一枚の写真を載せたものでした。
茶畑を抜けて走ってきた雨の中の蒸気機関車の写真でした。
あれからもう7年の月日が経ってしまいました。
あの日の感動を思い出して、再び大井川鐵道へ行こうと
ずっと思っていたにも関わらず、こんなに間が空いてしまいました。
今までにも何度かブログで書いていますが、
たつやは小学5年生の頃に、蒸気機関車が好きになりました。
その理由はよくわかりませんが、
もう少ししたらこの蒸気機関車の雄姿がもう見られなくなる・・・
といった一種のノスタルジックな想いがあったことだけは間違いありません。
やがてそれらを写真に収めることに熱中します。
父が買ってくれたコダックのインスタントカメラを使って、撮り始め、
その後は父のカメラを借りての撮影になりました。
もちろん時代はフィルムカメラです。
カラーフィルムはありましたが、もっぱらモノクロフィルムを使っていました。
小浜線・越美北線・能登線を手始めに、
山陰線の鳥取や島根県などにも足を運びました。
中学2年の春に行った浜田で、生まれて初めて一人で旅館に泊まりました。
素泊まりで2500円だったと記憶していますが、
古い和式の旅館で、暗い4畳半の部屋が怖かったです。
1975年、中学3年の卒業を前にたつやは北海道行きの
撮影旅行の計画を綿密に練っていました。
SLダイヤ情報という専門誌を買って、毎日眺めていました。
そしてノートのこと細かいタイムスケジュールを書き込んでいました。
3月○日福井発青森行きの特急『白鳥』で青森駅着、青函連絡船、
3月○日○○時:室蘭本線の登別駅でC57の撮影・・・
3月○日○○時:石北本線の常紋・生田原間の峠でD51の撮影・・・
3月○日○○時:夕張線の紅葉駅でD51の撮影・・・
高校受験に受かったら、北海道行きを許すという母の条件は、
受験結果がどうあれ、もう切符の予約をしていたのです。
北海道ワイド周遊券、有効期間20日間
学生割引+冬季割引が効いて、金額は8800円でした。
出発する数日前に、
父が本格的一眼レフカメラと望遠レンズのセットを
たつやに手渡してくれました。
「いい写真撮ろうと思ったら、やっぱりカメラもいいのを使わんとな」
この一台のカメラと望遠レンズが、
今のたつやの感性を育んでくれたのだと
今さらながら父に深く感謝しています。
たつやは一日でも早く北海道に行きたくて、
一日でも長く北海道に滞在したいと、卒業式当日の切符を買いました。
卒業式当日、たつやが思っていたより卒業式は終わりません。
あかん、このままやと北海道行きの白鳥に乗れない!
「先生、すいませんが北海道へ行かないといけないんで、早退します。
あっ、卒業証書はお願いしま〜す」
白鳥は指定席が取れずに、立席特急券で青森まで・・・。
青森からは青函連絡船に乗り、真っ暗の津軽海峡を渡り、
明け方に着いた函館港の美しさは今でもはっきり覚えています。
そして人生で最も充実していた14日間の北海道蒸気機関車撮影の旅
が始まったのです。
当時の撮ったフィルムが何十年も行方不明でした。
父が亡くなる少し前に、
あのフィルムはどこにあるんや?
あの中にはいい写真が何枚もあったなぁ・・・と呟いていました。
そしてそのフィルムが見つかったのは、父が亡くなって、
2ヶ月くらい後のことです。
またデジタル保存が出来たら、ここでも紹介したいと思います。
※今日の写真は先日、出かけた大井川鐵道のものです。
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