大手術を受け、何とか生還した父は、気力だけで回復しました。
退院後、抗癌治療を始めましたが、
「癌は自分の中に出来たものだから、癌と共に生きる」
ことを選択し、辛い抗がん治療を止めました。
そして今年2月20日、膵臓癌は完治していたのですが、
肺やリンパ節に転移して、父は帰らぬ人となりました。
2009年の手術退院後は、毎月通院していましたが、
膵臓の半分を取ってしまったこともあって、父は糖尿病を併発しました。
病院へ行くと、大量の薬やインスリン、注射器、血糖値を測るものなどを持って帰ります。
それらは普通のレジ袋に入れてもらうのですが、
それを見た父は、自分が作る紙袋(エコバッグ)を病院に持って行くことを思いつきました。
以来4年に渡って、毎月100枚ほどの紙袋を福井赤十字病院の内科に届けていました。
正確な数はわかりませんが、4年間で3000枚以上の紙袋を作っていたと思います。
内科の先生からも看護師さんからも、そして患者さんからも喜ばれていたそうです。
そんな父に、今日福井赤十字病院から感謝状が贈られることになったのです。
母と二人で日赤の院長室に招かれ、野口正人院長より、
亡くなった父、藤田武司に感謝状が贈られました。
患者さんで表彰されるのは、父が初めてということでした。
生前父は、たつやの左隣の机に座って、
具合のいい時もそうでない時も、毎日のように紙袋を作っていました。
家業が印刷業なので、いらなくなったコピー用紙の包装紙やカレンダー
印刷用紙を包んであったクラフト紙、封筒などを利用して、
紙の手提げ袋を丁寧に、そして可愛く作っていました。
父は手先が器用で、自分で簡単な治具を作ったり、型紙を作ったり、
自分なりに工夫しながら、楽しんでいたように思います。
ただの紙袋ではつまらないと、自分が撮った花の写真を貼りつけたり、
大好きな文具店に行って、かわいいマスキングテープを大人買いし、
またインターネットで皮紐を探して注文したり・・・
折り目はすべてローラーを使って丁寧に仕上げ、
どの柄を表に出すかを考えながら、ずっと作業をしていたものです。
今でも、その光景が瞼の裏に焼きついています。
今日、父が作ってまだ会社に残っていた紙袋70枚ほどを、
福井赤十字病院に届けました。
この中には、紐がまだ通されずに、
束になって父の机の上に残っていたものもありました。
また皮紐の片方を丁寧に結んだ束も出てきました。
それらの仕上げの最後の紐通しだけを、たつやがさせてもらいました。
生前、父と一緒になって作った紙袋はひとつもありませんでしたが、
父が亡くなって5ヶ月後に、そういうお手伝いをさせてくれたのです。
この作業をしながら、たつやは涙が止まりませんでした。
残された時間をどう使うかは父の自由でしたが、
今になって思えば、父は見ず知らずの病院に通う患者さんのために、
あの紙袋をずっと作り続けていたのだと、感動しています。
今日、表彰式の後に、野口正人院長先生を始め、
内科の担当医だった中野先生と内科の看護師さんたちから、
通院していた頃の父の話を聞かせてもらいました。
「穏やかで優しくて、紳士的で、そして聡明な方でしたね。
私もうちの看護師たちも皆、藤田さんのファンでしたよ」
「それから、お父さんからお花の写真をいただいたんです。
その写真は今でも診察室に飾ってあるんですよ。
写真素敵ですね!と私が言うと、いや〜息子の方が上手なんです。
って嬉しそうに話してました。」
「患者さんが前にもらった紙袋を大事そうにまた持ってきて、
これに薬を入れて欲しいって。皆から喜ばれていましたよ」
父が亡くなって5ヶ月後に、まさか父からこんな誕生日プレゼントがあるとは、
予想だにしませんでした。
天国の父から一日遅れの最高のプレゼントでした。
福井赤十字病院様、野口正人院長、中野先生、
そして看護師さん、取材してくだったマスコミの皆さん、
本当にありがとうございました。
父も空の上で、とっても喜んでいると思います。
ありがとう!お父さん。
そんなお父さんを誇りに思います。
院長室には福井新聞社さん、日刊県民福井さん、朝日新聞さん、
そしてFBC福井放送さんが取材に来られてました。
もしかすると、明日か明後日の新聞に掲載されるかもしれません。
天国の父に見て欲しいな^^
福井赤十字病院より父に贈られた日赤クロスバッグ。
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