何故か全部消えていて、さすがに凹みました。。。
昨夜、書いたことを思い出しながらの今日のブログです。
惜陰小学校からの帰り道は、大きな通りを避けて、いつも路地ばかりを選んで、
寄り道寄り道しながらの学校帰りだった。
その途中に「たきなみ」という駄菓子屋があって、
毎日のようにそこへ寄り道をしていた。
なかにはおばあさん二人がいて、いつも子どもたちで賑わっていた。
あの頃、大人の年齢がまったくわからずに、二人ともおばあちゃんだと思っていたが、
もしかすると、ホントのおばあちゃんとその娘さんだったのかもしれないと、
大人になってから思った。
たきなみの前には、出来たばかりのコンクリートの車庫があって、
昼間は車は停まっていなかったので、そこへランドセルを置いて、
お店の中へ入っていった。
黒糖味の麩菓子があって、くじびきをして当たれば大きい麩菓子がもらえた。
そのくじは、紙きれを選んでちぎって舐めると、
紙から当たりとかスカとかいう文字が現れるというものだった。
一回5円だった。
たつやが気に入っていたのは、日光写真というもの。
薄い紙に白黒でマンガのキャラクターや動物や野球選手の絵が、
白黒反転で描かれている種紙を、印画紙に太陽光で焼きつけるというシロモノ。
箱に入っている印画紙を出して、種紙を乗せて、太陽が当たる場所に置くと、
しばらくすると、色が変わって来て、写真?絵が出てくるのだ。
もしかすると、たつやのカメラ好き、写真好きの原点が日光写真なのだろうか?
虫めがねとかも買っていた。
白い紙に鉛筆で黒く塗りつぶしたところに、虫めがねで太陽光を集め、
その紙が焦げて煙が出てきて、息を吹きかけるとその紙は燃えた。
もしかすると、たつやのケリーケトルなどの火遊び好きの原点は虫めがねなのだろうか?
手品グッズとか探偵グッズみたいなのも、好きだったなぁ。
そう言えば、1〜100番までのいろんなおもちゃが並んでいたくじがあった。
1〜10までの数字だと、すごくいいおもちゃが当たるが、
50番以下だとつまらないおもちゃしか当たらないというもの。
ある日行くと、1〜10の数字の内、6つくらいおもちゃがまだ残っていて、
くじはもう10枚くらいしかなかった。
ということは、この10枚のうち6枚はすごいおもちゃが絶対に当たるということは、
子どもながらに理解出来た。
たつやは一旦、家に帰ると祖父にねだって、お金をもらうと、
再びたきなみへ戻った。
おばちゃんに、11回分のお金を払い、一枚目90番代、二枚目70番代、
三枚目30番代、4枚目80番代・・・
11枚中、7枚当たるはずだったくじは、結局一枚だけしか当たらなかった。
大人になってからわかったことだが、
いいおもちゃが先になくなってしまっていては、
もう誰もそのくじを引かなくなる。
だから1番〜10番までの番号は半分くらいしか入っていなかったということなのだ。
大人って汚いなぁ・・・
昭和博物館には、昭和40年代くらいの駄菓子屋が復元されている。
そこにぶら下がっていた竹ひごと薄い紙で作る飛ぶ飛行機。
エンジンはゴム動力だった。
たつやもよくそれを買ったなぁ。。。
持って帰って作るけど、いつも翼に貼る紙がうまく出来ずに、
毎回父のところに持っていて貼ってもらっていた。
パイロットになりたかった父は、どうしたらよく飛ぶかを知っているようで、
作ってもらったゴム動力の飛行機は本当に良く飛んだ。
うれしくなって、友だちに見せに行って、一緒に飛ばすと、
風に乗って高く舞い上がり、隣の繊維会社の屋根の上まで行ってしまった。
それを取りに行くのに、電信柱によじ登って、屋根に飛び移ろうとすると、
どこからか、雷親父が出てきて、「こら!」と怒鳴られた。
そう言えば、今「こら!」って怒る人を見かけなくなったなぁ。。。
たつやの世代の悪ガキは、皆「こら!」って怒られていた。
今、たつやの後に誰かが立って、いきなり「こら!」って怒られたら、
オバケが出るより、めちゃめちゃビックリするだろうなぁ〜
やっぱり昭和って、いい時代だったんだな。
この和倉昭和博物館には、父と一緒にいってみたかったな。。。
そんなことを思いながら歩いた一日でした。
和倉昭和博物館とおもちゃ館
石川県七尾市和倉町九20-1
TEL&FAX:0767-62-1161
開館時間:AM8:30〜PM5:30
定休日:なし ※年末年始は休館
入館料=高校生以上:700円、小・中学生:500円、5歳児以下:無料
団体割引(10名以上)高校生以上:500円。小・中学生:350円
北陸でのブログランキングで一位を目指しています。
どうぞ応援してやってください♪
いつもありがとうございます。
アナタ様の応援クリックがたつやのエネルギー源なんです
ココをちょちょっとクリックしてね(は〜と)
2151記事目