『たつやの感性見聞録』を何よりも楽しみにしていた父が2月20日午前4時に旅立ちました。
ブログの更新が滞っていると、
「そろそろ書かなあかんぞ、見るのを楽しみにしている人がいるんやから。」
とたつやの左の席でパソコンを覗きながらそう言ってくれました。
そんな父のことを、たつやは本当に大好きでした。
今の自分があるのは、父のおかげだと思っています。
子どもの頃からなんでも好きなことをさせてくれ、
黙って陰ながら応援をしてくれていました。
たつやの感性は間違いなく父の影響を受けていて、
それがなければこのブログもなかったと思います。
写真が好きなこと、旅が好きなこと、
バイクや車、音楽、モノづくりが好きなことなど、
すべて父の影響があったと思っています。
父は四年前に膵臓癌が見つかり手術しました。
その時、お別れしなくてはならないかもしれないと一時は覚悟を決めましたが、
回復し父曰く「おまけの人生」を送ることとなりました。
この間、二人の孫の結婚式、両親の33回忌、会社の仕事、
中学時代の同窓会のお世話、大学時代のグライダー仲間の同窓会、
家族での旅行や温泉、大好きな週一の麻雀をしたりして過ごしました。
辛い抗がん治療をやめ、父は癌であることに感謝し、共に生きることを決意しました。
担当医や看護師さんが驚くほど、我慢強く、
最期の最期まで痛いとか辛いという言葉を使うことはありませんでした。
亡くなる数日前に「お父さん、81年間生きてきて何が楽しかったか?」の問いに、
微笑みながら『ぜ・ん・ぶ』と一言だけ返ってきました。
それくらい幸せな人生だったと思います。
病院では最期を見守る家族の中で、呼吸停止、心臓停止になり、
ほんの少し席を外していた弟と娘が戻って来た時には、
モニターが完全に止まっていたにも関わらず、
声をかけると止まっていた心臓が再び動き出して応えてくれました。
同志社大学時代に父はグライダー部に所属していました。
父の友人から聞いたのですが、グライダーで空を飛ぶ時には、
必ず母の写真を操縦席に貼って飛んでいたということでした。
お寺からいただいた院号は『光雲院釈武徳』でした。
父は大好きな光の空を今頃は飛び回っているのではないかと思います。
家業である印刷業の3代目として創業110年の半分を支えてくれた父に改めて、
感謝と敬意を表したいと思います。
これからも父同様お付き合いをくださいますようお願い申し上げます。
生前中に賜りましたたくさんのご厚情に深く感謝し、厚く御礼申し上げます。
たつやはこんな父の元に生まれたことを本当に感謝していますし、
こんな生き方をした父を誇りに思います。
お父さん、長い間、本当にありがとうございました。
長い間ブログを更新していない間も、
たくさんの方が応援クリックをしてくださいましたこと、
心より感謝しています。
父が楽しみにしていたブログもまた復活します。
きっと天国でこのブログを見てもらえると確信しています。
いつもありがとうございます。
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