21歳の明るくかわいい韓国の大学生でした。
当時、たつやは鯖江青年会議所という団体に所属し、
韓国の中大邱(チュンテグ)青年会義所と姉妹JCになり、
その交流のひとつとして実施されたホームステイ事業でした。
韓国大邱市で日本語を学ぶ大学生を20名ほどが、
1週間鯖江の青年会議所メンバー宅や一般家庭に
ホームステイをするというものです。
最初の対面式で、韓国の大学生が紹介され、
ホストファミリーたちとの組み合わせが発表されました。
『〇番、P.Yさんは、F(たつやのこと)さんのおうちです。』
Yは、初対面にも関わらず、
うれしそうにたつやたちに手を振ってくれました。

実はその前の年にも同じように韓国の大学生ふたりが、
たつやの家にホームステイに来たのですが、
あまりにもおとなしくて、うまくコミュニケーションが取れず、
特にうちのかみさんは、凹んでいました。
なので、この時のホームステイもさほど乗り気ではなかったようでした。

Yは対面式が終わり、たつやの家に着くと、
驚くほど上手な日本語で、いろんな話をしてくれました。
気がつくと12時を回っていて、
お腹が空いていることに気がつきました。
「腹、減ったなぁ・・・何か食べるもんないんか?」
とたつやが言うと、カップラーメンしかないとのこと。
初めて来た日の夜中に、
「カップラーメンしかないけど食べる?」と聞いたら、
Yは「ハイ!食べま〜す♪」とニコニコしながら答えました。
この時から、うちのファミリーの一員となりました。


ホームステイ中の一週間は青年会議所の交流会もありましたが、
プライベートで毎日、毎晩遊んで歩いていました。
あまりにも遊びすぎて、Yが病気になってしまうのでは?
とかみさんは心配していたようですが・・・。
ちょうどホームステイ中に、たつやの誕生日があって、
そのお祝いをYと数人の韓国の大学生と
それぞれのホストファミリーが集まり、
いろんな韓国料理を作ってくれたり、
韓国語のHappy Birthdayを歌ってくれたりしました。
後から韓国語の意味を聞いたら、
なぜ生まれたの?なぜ生まれたの?
顔も悪いし、頭も悪い・・・
という替え歌だったことを聞いて大爆笑!

たつや家を離れる前夜にこんなことを言ってくれました。
Yが日本に来るのは初めてのことで、
彼女も韓国ではどうしても日本や日本人に対しての
固定観念や先入観をもっていたけど、
ジュンちゃんちで、それはまったく変わったよ。
(たつやの本名・・・Yは最初からジュンちゃんと呼んでくれた)

その後、彼女は韓国に帰り、
さらに日本語の勉強をするために東京で学校に通い、
様々な資格を取って、再び帰国し日本語教師になりました。
その間も、頻繁ではなかったけど、交流が続いていました。
数年ぶりに韓国の中大邱青年会議所メンバーが鯖江を訪れることになり、
その時に通訳としてYが来ました。
仕事が終わった後、2日間だけたつやの家で過ごしたのですが、
うれしいお知らせを持ってきてくれていました。
それは日本語を教えている韓国の学校で知り合った日本人と
結婚するということでした。

そして今は神戸に住んでいて、2人のママとなっています。
娘の結婚式が終わった後に、彼女の家を訪ねました。
会うのは7年ぶりです。
あの頃とまったく変わらない笑顔で迎えてくれました。
幸せそうなオーラが滲み出ています。
でもふたりの子どもを育てながら、
主婦とふたつの大学での講師を両立させただけでなく、
驚いたことにK大学院に通い、博士号も取ったのでした。
最初にあの対面式で会ったときから、
この子は只者じゃない!
という予感はありましたが、
あまりのスーパーウーマンぶりにびっくりしました。

あの頃は上手ではなかった料理も主婦10年で随分上達していて、
たつやたちをもてなしてくれました。
義理のご両親のことをずっと以前から聞いていて、
一度お会いしたいと思っていましたが、念願が叶いました。
本当に優しく、お人柄が滲み出た素敵なお二人にお会いし、
たつやファミリーにとってのもうひとりの娘も、
本当に幸せな家庭を築き上げていました。

もしあの時、わたしがジュンちゃんの家にホームステイに
行っていなかったら、今のわたしはないと思うよ
たつやにとってこれ以上の言葉はありませんでした。
7年ぶりに会って、またこれからの交流を予感させてくれました。
縁って不思議です。
娘の相手が神戸で、結婚式が神戸だったからこそ
実現したYとの再会でした。
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