2010年05月05日

御車山祭@高岡市・後編

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伝統ある祭というのは、重みというか厚みというか、
こちら側も襟を正すような、そういう独特の香りがする。
それは数百年の歴史の積み重ねと、
それらを守り続けてきた地域の人たちの想いと
努力から来るものかもしれない。

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高岡が誇る伝統産業の職人たちがこれでもか!
とまでに腕を振るった絢爛豪華な装飾に彩られた山車。
地区が支える力は計り知れない。
長老から子どもたちまでが、笑顔混じりで会話し、
組み立てや解体をして、その労をねぎらうのだろう。

それに地区の有力者たちの財力によるものも大きい。
400年の歴史の中には、栄枯衰勢を繰り返す商人たちが、
幾度もの困難を乗り越えて、受け継いできたのだと思った。

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しかし、こんなに高岡の駅前に人が溢れることは見たことがない。
高岡の町は歴史ある建物や伝統産業資料館、
それに神社仏閣などが多く今までに何度か町歩きをしているが、
これほどまでにたくさんの人がいた(来た?)のは知らない。
かみさんの母親から、
「高岡の御車山祭はすごいちゃよ〜、あんたちゃも来られ〜」
と何度か聞いていたが、想像をはるかに超えていた。

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高岡御車山は1588年(天正16年)太閤豊臣秀吉が、
後陽成(ごようぜい)天皇と正親町(おおぎまち)上皇を
聚楽第(じゅらくだい)に迎え奉るときに使用した御所車を
加賀藩初代藩主・前田利家公が拝領し、
二代藩主・前田利長公が1609年(慶長14年)に
高岡城を築くにあたり、町民に与えられたのが始まり
と伝えられています。


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この御所車に鉾を立てたものが御車山で、
高岡町民の心意気と財力に支えられ、
安土桃山文化の格式を保ちつつ、
高岡の金工、漆工、染色などの優れた工芸技術の装飾が
車輪や高欄(こうらん)、長押(なげし)等に施された
日本でも屈指の華やかな山車(やま)です。
江戸時代の名工達によって7基が揃いました。


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「高岡御車山祭の御車山行事」は
国の重要有形民俗文化財・無形民俗文化財の両方に指定されており、
これは日本全国で5件指定されている内の一つです。


※他の4件は、京都祇園祭の山鉾行事 / 高山祭の屋台行事 /
秩父祭の屋台行事と神楽(秩父夜祭)/日立風流物


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それぞれの地区の法被がまたいいです!
日本人のデザイン力ってスゴイと感心することが多いです。


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毎年5月1日に行われる前田利長公を祀る高岡關野神社の春季例大祭で、
高岡市内の開町当時から続く旧市街中心部を奉曳(ぶえい)巡行します。
4月30日の宵祭りでは一部の山車(やま)のライトアップ展示を見ることができます。

富山県内にある類似の祭礼は高岡の「御車山祭」を模倣したもので、
これらは「曳山祭」と呼ばれています。

 
※高岡御車山祭・公式ホームページより抜粋

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山車の上にはカラクリ人形があります。
上の2枚は太鼓を叩きます。下は鉄棒の連続写真。
上の写真で子どもが覗きたがっていた人形の中身はサルでした。


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posted by たつたつ・たつや at 12:18| ☁| Comment(2) | TrackBack(0) | 旅先にて・国内編 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする