伝統ある祭というのは、重みというか厚みというか、
こちら側も襟を正すような、そういう独特の香りがする。
それは数百年の歴史の積み重ねと、
それらを守り続けてきた地域の人たちの想いと
努力から来るものかもしれない。
高岡が誇る伝統産業の職人たちがこれでもか!
とまでに腕を振るった絢爛豪華な装飾に彩られた山車。
地区が支える力は計り知れない。
長老から子どもたちまでが、笑顔混じりで会話し、
組み立てや解体をして、その労をねぎらうのだろう。
それに地区の有力者たちの財力によるものも大きい。
400年の歴史の中には、栄枯衰勢を繰り返す商人たちが、
幾度もの困難を乗り越えて、受け継いできたのだと思った。
しかし、こんなに高岡の駅前に人が溢れることは見たことがない。
高岡の町は歴史ある建物や伝統産業資料館、
それに神社仏閣などが多く今までに何度か町歩きをしているが、
これほどまでにたくさんの人がいた(来た?)のは知らない。
かみさんの母親から、
「高岡の御車山祭はすごいちゃよ〜、あんたちゃも来られ〜」
と何度か聞いていたが、想像をはるかに超えていた。
高岡御車山は1588年(天正16年)太閤豊臣秀吉が、
後陽成(ごようぜい)天皇と正親町(おおぎまち)上皇を
聚楽第(じゅらくだい)に迎え奉るときに使用した御所車を
加賀藩初代藩主・前田利家公が拝領し、
二代藩主・前田利長公が1609年(慶長14年)に
高岡城を築くにあたり、町民に与えられたのが始まり
と伝えられています。
この御所車に鉾を立てたものが御車山で、
高岡町民の心意気と財力に支えられ、
安土桃山文化の格式を保ちつつ、
高岡の金工、漆工、染色などの優れた工芸技術の装飾が
車輪や高欄(こうらん)、長押(なげし)等に施された
日本でも屈指の華やかな山車(やま)です。
江戸時代の名工達によって7基が揃いました。
「高岡御車山祭の御車山行事」は
国の重要有形民俗文化財・無形民俗文化財の両方に指定されており、
これは日本全国で5件指定されている内の一つです。
※他の4件は、京都祇園祭の山鉾行事 / 高山祭の屋台行事 /
秩父祭の屋台行事と神楽(秩父夜祭)/日立風流物
それぞれの地区の法被がまたいいです!
日本人のデザイン力ってスゴイと感心することが多いです。
毎年5月1日に行われる前田利長公を祀る高岡關野神社の春季例大祭で、
高岡市内の開町当時から続く旧市街中心部を奉曳(ぶえい)巡行します。
4月30日の宵祭りでは一部の山車(やま)のライトアップ展示を見ることができます。
富山県内にある類似の祭礼は高岡の「御車山祭」を模倣したもので、
これらは「曳山祭」と呼ばれています。
※高岡御車山祭・公式ホームページより抜粋
山車の上にはカラクリ人形があります。
上の2枚は太鼓を叩きます。下は鉄棒の連続写真。
上の写真で子どもが覗きたがっていた人形の中身はサルでした。
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