当時、ヤフーの掲示板で、『40代、今なにを考える』
という板があって、たつやも
そこに書き込みしていたのがきっかけだった。
掲示板というものも、その板がデビューだったし、
板が無くなってしまってからは、
その手のものとも縁が切れてしまった。
そこのトピ主(その掲示板の責任者みたいな人)や常連さんが、
勝山の人だったこともあって、
「こんな面白いお祭りがあるよ〜」
と誘ってもらったのだった。
さて前置きはいいとして、先週土日に
勝山の奇祭「左義長」がありました。
たつやは日曜日に久しぶりにバイクを引っ張り出してきて、
行ってきました。
ま、とにかく羨ましいです。
自分の住む街に、大きなお祭りがあって、
遠くからも、親戚や友人知人が集まって、祭りを楽しむ。
今回はお祭りの素敵な笑顔をご紹介します!
蝶よ〜 花よ〜
花よのネンネ
まだ乳のむか
乳くびはなせ〜
乳くびはなせ〜
左義長ばやしが街のあちらこちらから聞こえてきます。
勝山市のホームページより
全国各地で行われている「左義長」ですが、
「勝山左義長」の記述が初めて登場する文献のは、
小笠原公の勝山入封時(1691年)にさかのぼります。
つまり、「勝山左義長」の歴史は、
少なくとも300年以上前から行われていたのです。
また、赤い長襦袢で女装した太鼓の打ち手が
三味線、笛、鉦による軽快なリズムで
お囃子に合わせて太鼓をたたく様や、
カラフルな色彩の短冊による町中の装飾は、
全国で「勝山左義長」だけの特徴です。
「太鼓櫓」は総檜作りで、市内全部で12基あります。
本体は大きいもので幅約4メートル、
高さ約6メートルにもなります。
櫓は入母屋造りで、2階の舞台で左義長太鼓が披露されます。
また、上袋田区・上長渕区・下長渕区の3基の櫓は、
平成7年より市の有形文化財に指定されています。
左義長太鼓には必ず2人の奏者がつき、
1人は単調な“地”のリズムを刻み、
もう1人は踊るように浮いて独特の演技を見せます。
太鼓を打つとは言わず、“浮く”と言います。
浮き手には決まった演奏方法はなく、
滑稽な仕草や表情で浮かれて、
“地”のリズムにのりながら独自の間合いでバチを操ります。