宮津から
伊根町へは国道178号線を海沿いに小一時間程。
ここの
舟屋は
世界的に見ても珍しい作りになっていて、
一階が船のガレージ、二階が住居等となっている。
そんな風景を見るのに、便利なのが
伊根湾めぐり遊覧船だ。
遊覧船は、約240軒の舟屋が立ち並ぶ伊根湾を約30分かけて周遊する。
湾を取り囲むようにして建つ舟屋を海上から眺めるのは趣がある。
午前9時から午後4時まで、約30分おきに船が出るが、
この日は、たつや以外は大阪から来た中年のご夫婦オンリー。
100名定員の遊覧船は、まさに貸切状態!
おとな660円だから、
1980円での運行・・・
申し訳ありませ〜ん。しばらく走ると
カモメが船に集まってくる。
船からエビセンを投げると、あっという間に十数匹のカモメが・・・。
沖に出ると今度は
鳶が飛んでくる。
エビセンは高く放り投げると、見事に空中キャッチ。
10分ほど走ると、舟屋が並ぶ湾岸が見えてくる。
録音テープによる観光案内を聞きながら、シャッターを切った。
何百年前もあまり変わらないであろう風景。時がゆっくり流れる伊根の舟屋の歴史(伊根町観光協会HPより抜粋)伊根は、古くは「伊禰の浦」と言い、その名称については、
垂仁天皇の時代(西暦29〜70年)に呼ばれたと言います。
元禄2年、当時の学者、貝原益軒が書いたといわれる
「丹後与謝海図誌」によると、伊禰の浦・・・
「名也、伊根は惣名にして凡、日出より亀島村まで入海の裏向なり、
晴岸の勝景なり。丹後鰤というのは此処にてとる。鯨などもとる也。」
と記しており、徳川中期の頃までは、イルカ、鮪、鰹等を
盛んに捕っていました。
舟屋は、舟を格納する建物であり、漁業に舟が使用されると同時に
建てられたものと伝えらております。
又、漁具や魚網の干場にも使用されておりました。
古くは舟小屋に風を入れる為板壁も作らず、
藁や古綱を吊るした藁葺平屋建てのものであったが、
江戸中期に入って半二階となり、明治中期に瓦葺のものが多くなりました。
更に昭和初期には大部分が二階となり、
何時でも舟が出せるように若者が寝泊りし、
青年同士の交流をする場となり、これを「若衆宿」
と呼ばれた舟屋もありました。
現在の舟屋は、往時の面影はなく、舟の格納のみにとどまらず、
構造空間を巧に利用し、一階は舟揚場、物置、作業場をもち、
出漁準備、漁具の手入、魚干物の乾場、農産物の置場等
多種多様に使用され、便所、浴場等も作られています。
母屋は山側に建てられ、生活の拠点であるが、舟屋の二階は、
二次的な生活の場としての居室となり、若人、若夫婦、又は老夫婦の部屋、
客室、民宿等に活用され、一夜を過ごす旅人は、
枕辺を打つ波の音にえもいわれぬ風情を味わう事ができます。
この舟屋は海面すれすれに建てられているので、
満潮時ともなれば、あたかも家が海に浮かんでいる様な景観となり、全国にも珍しく、
波の荒い日本海では他に見ることのできない詩情を漂わせます。
posted by たつたつ・たつや at 20:57|
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旅先にて・国内編
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