かわいい男の子が口のまわりにいっぱいクリームをつけて、
シュークリームにかぶりついている。
思わず写真を撮った。(おかあさんに一応許可を得て)
屋台で一番小さいカステラを買い、種やのおばちゃんに根付の御礼も兼ねて届けた。
あまりに戻ってくるのが遅かったので、店の場所がわからなくなったか
心配してくれていたそうだ。
だけど、ここから始まって、ここに戻ってくるまでの間の出来事を
簡単に話をしたら、おばちゃんも喜んでくれたのだった。
以前から気になっていた建物がある。
旧森田銀行・・・明治・大正の西洋建築の様式の建物だ。
いろいろと調べてみると、いくつかのことがわかった。
1.三国は北前船の中継港として繁栄し、豪商が軒を並べたといわれる。
その中の一人、森田家は、その三国湊を代表する豪商・大廻船問屋であった。
1.森田家は、廻船業が斜陽の中、陸上輸送の進展に対応するため、
陸上での倉庫業や金融業に活路を見出す。
1.そして森田家は明治27年3月27日個人経営で銀行業業務に進出、
明治36年11月17日に株式会社に移行する。
1.この建物は、大正8年(1919年)新本店として竣工したもので、
福井県内に現存する鉄筋コンクリート造の最古のものである。
1.設計は横浜市開港記念会館も手掛けた山本七五郎、
大工は地元の西折豊という人である。
それにしても見事な建築だ。
アールデコの様式を伝えたこの頃の西洋建築は、贅を尽くしたものだった。
ここまで手間と金銭をかけて、作られた建物は、
当時の設計士や建築に関わった人たちにとっても名誉でやりがいのあった仕事だったことだろう。
たつやは滋賀県の近江八幡市でヴォーリズというアメリカ人建築士(101年前に来日)
の建物を見て以来、明治・大正の西洋建築に興味を持つようになった。
県内には、いくつか残っているが老築化が進み、取り壊されるものもある。
この三国のように、取り壊される運命にあった旧森田銀行を
保存に結びつけたことは、住民の熱い思いがあったからだろうと思う。
今日の旅は終わった・・・。
バイクの元に帰りついたら、ふたりの女子高生がピースサインを送ってくれた。